60~61 運命の意図を感じて
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当然だが、首都の水路は迷路と変わりない。
ライールが伝えてくれた地下水路は、主に中水――雨水などを流すための場所である。汚水などと比べたら、まだマシかもしれないが、王室育ちのアルメリアには何があるか分からない未知の領域である。しかもランタンの明かりだけが頼りだ。自然、銃を握る手にも力が入る。
水路を流れる水の量はそれほど多くなく、くるぶしが浸かるかどうかくらいの深さだった。
自分の持っているランタンが先を照らしてくれるのは、せいぜい1メートルくらいまで。そこから先は完全な闇で、何があるのか分からない状況である。
そこへ突然、足音が聞こえた。
悪寒がしたアルメリアが、小走りして角のところで息をひそめる。
そこから顔を出して、思わず息を引き込んだ。
(そんな……!?)
腰から下げている明かりに照らされて、見覚えのある人影が、通路を歩いていた。――ダガーである。
鳴らした銃声は、どうやら最悪な人間を呼び寄せてしまったらしい。
「アルメリア王女!」
ダガーが言った。
「近くにいるんでしょう? 今ならエリカって女を解放する機会もあるぞ?」
アルメリアは息を整えてから、小走りで水路脇の道を行く。しかし、背後から足音が迫ってくる。
明かりを消したいが、消すと何も見えなくなってしまう。どうにかして逃げ切らないといけない……
だが、通路先には鉄の格子が立ち塞がっていた。
「やっと追いついた」
アルメリアが振り返る。
「今度は動物になることはできないな、アルメリア王女」
彼女は明かりを地面へ置いて、銃を取り出し、構えた。
「止まりなさいッ!」
突然、ランタンがアルメリアの方へ飛んでくる。
彼女は反射的に、ランタンを撃ち抜いた。
オイルが一気に拡散し、空中で燃え上がる。
燃え移らないよう引き下がったときだった。
水を踏みつける音が耳に入って、そちらへ向くと、ダガーが迫っていた。
銃を向けるが、もう遅い。
ダガーに銃を剥がされた。
そのまま銃が水路へ落ちる。
アルメリアは右手から腕の関節を極められ、壁に叩きつけられる。
締め上げられると、痛さで悲鳴を出すこともできずに悶えて、微かな喘ぎ声をあげる。
しばらくは、そのままで時間が過ぎた。
壊れたランタンの周囲の地面が燃え、隅にあるランタンの灯火が揺れている。
「さ~て……」ようやくダガーが言った。「獲物にトドメを刺すときが、一番楽しいんだ。どうやって殺す方がいいのか、色々と試せるし、男と女だと内蔵の形も違うから面白いんだよな」
ギリギリとアルメリアの関節を締めあげていく。彼女はなおも声にならない声を出し、激痛が原因で涙とヨダレを流していた。
「とりあえず、逃げまくる憎たらしい獲物は、痛めつけるのが一番いい」
さらに骨をきしませるダガー。目が爛々と輝いて、歪んだ笑顔を浮かべている。
「いたぶって失神させてから、火あぶりにしてやるよ。秋に拾った木の実みたいにさ、王女様……!!」
骨折への、最後の一押しのときだった。
彼の眼前を荒縄が通る。
気付いたときには、首に縄が食い込んでいた。
ダガーは暴れるが、縄は外れない。
彼は徐々に暴れなくなる。
不意に縄の力が緩むと、咳き込むダガーが、膝から崩れ落ちる。
その彼の顔を地面へ打ち付けるように組み伏せて、彼の両手を背中へ回す男がいた。
アルメリアが左手で右腕を抱えるように、その光景を見ている。
ダガーはすっかり、手首足首を背中の中心にまとめられるように縛られた。もっとも、白目でほぼ気絶状態だった彼に、現状を理解する術は無かったが。
「アルメリア!」
バーラントが薄暗いところから、四隅にあるランタンの光で視認できるくらいにハッキリと、姿を現す。
「やはり、君だったのか……!」
アルメリアはまだ、ぼうっとした顔で彼を見上げていた。それは激痛から解放されたのもあるし、探していた彼の姿を見ているからというのもある。
そんな彼女の状態を心配してか、バーラントがすぐさまアルメリアの右腕の状態を確認し始めた。
「まだ痛むか?」
「はい…… 少し……」
「あの野郎……!」
バーラントが地面にうつぶせのダガーを睨む。
そこへ、アルメリアがバーラントの袖をつかんで、引っ張った。
「夢じゃ…… 無いですよね?」
「…………」
「やっと会えた……」
自然とアルメリアがまた涙を流した。それは痛みが原因ではなく、再会に対する感涙であった。
「アルメリア、どうして君が…… いや」
そう言って、バーラントは首を二、三度ほど横に振った。
「無事で良かった、本当に…… それから、ずっと言いたかったことが――」
言い終わる前に、アルメリアがバーラントを抱きしめた。
「謝らないで、バーラント…… 信じ切ることができずにここまで来た、私が全て悪いのです……」
バーラントはそれ以上、何も言わず、ただ彼女を抱きしめた。
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バーラントはアルメリアを連れて、自分の潜伏先の一室へ案内した。そこは石作りの隠し扉でできた、部屋と呼ぶには牢獄を彷彿とさせるような場所だった。
印象深い物と言えば、いくつもの変装衣装や小道具が置かれてある点と、空気を喚起するためにあるらしい、天井の大きな穴である。
「あの」と、アルメリア。「放っておいて、大丈夫なのですか?」
「問題ない」バーラントが言った。「すぐに機動隊がここへやって来るから、すぐ回収してくれる。それよりも、どうしてこの場所を……?」
「ライール様から……」
「ライールが? そうか……」
バーラントが部屋にある机に向かった。そこへ自前のランタンを置く。
「あいつが出てきたってことは、もうじき、作戦決行のときだな」
「それが……」
バーラントが振り返る。
「近衛騎士の施設が燃やされて…… エリカさんも、そこで組織に捕まって……!」
バーラントの表情が硬くなっていた。しかし、すぐに首を横に振った。悪夢を振り払おうとするように。
「あいつは俺なんかよりも不死身の男だ。簡単に死んだりしない。そういうヤツなんだ……」
自分にそう言い聞かせて、机にあった肩掛け鞄を拾いあげた。
「問題はエリカだ。組織の連中に捕まったということは……」
「生きています」
アルメリアがキッパリと言った。
「だが」と言って、バーラントが言葉を切った。アルメリアが先程と違って、力強い目をしていたからだ。
「――どうしてそう言えるんだ?」
「私とエリカさんは逃げるために、動物になっていました。そこで捕らえられそうになったとき、男性が言ったんです。『エリカはどっちだ』と…… 『両方、捕まえたらいい』と。
殺すつもりなら、あのとき、あたしたちは散弾銃なんかで撃たれていると思います」
沈黙が流れた。
「それならまだ安心できる反面、不気味だ。何を狙っている……?」
「まだ分からん」
男性の突然の声に、二人は驚いた。
アルメリアがバーラントの傍へ寄ると、ランタンの明かりが見えて、男がヌッと現れた。




