3~4 王女アルメリア、破局の危機
3
「――あっ、そうそう」
彼は思い出したように言って、内ポケットからハンカチを取り出した。男性には似合わないタイプの、もっと言うと女性向けのハンカチだった。
「これ、あなたの物では?」
「えっ? 私の?」
そう言って、彼女は手提げ鞄をまさぐった。すると、革製の腕輪が頭を出す。
「おや?」と、男性が気付いた。「エリカさん、それって……」
「あぁ」と言って、エリカが革腕輪を取り出した。「友人から送っていただいたものでして……」
「お付けにならないのですか?」
「ええ…… そうですね、急いでいたから忘れておりましたわ」
と言って、エリカが腕輪を右手首に取り付ける。
「どうです?」
「いいですね、お似合いですよ」と微笑む男性。「ところで、ハンカチはありましたか?」
「どうやら、私の物ではないようです」と、鞄からハンカチを取り出し、見せるエリカ。
「でも、このハンカチのレース…… アル・ファーム王家の紋章が入っていましてね。ほら、ここに」
使者が、ハンカチのレース部分を指差した。
――確かに紋章が入っている。
「あと、透かすとハッキリ紋章が見えるんですよ」
と言って、ハンカチを差し出してきた。
これは見てほしいと言うことなので、エリカは面倒に思いながらも、自分のハンカチを鞄へ収めてから、彼の持つハンカチを受け取って、広げて、窓の方へかざした。
――やはり紋章が入っている。
「アルメリア様の物では?」
ハンカチを畳みながら言った。
「そう思って、王女にも聞いてみたんですよ。しかし王女が言うには、最近、このタイプのハンカチは使われていないようなのです。かと言って、こういう特注品のような物は、女中や兵士、政治家が持っているとは思えなくて……」
「――あっ」
使者が興味深そうに、エリカを見やった。
「いえ、すみません…… ひょっとすると私の物かもしれません」
「と、言うと?」
「買い物をしていたとき、ハンカチを無くしたんです」
「あ~、なるほど。それなら合点がいきます」
「それにしても、どなたがハンカチを?」
「市場を散策していた紳士が、拾って届けて下さったのです」
「それはまた……」と、伸ばしている五指の先端を、唇へ軽くあてがった。
これは詠嘆の意を表す動作らしく、喜怒哀楽のうち、怒り以外に使える便利な動作なので、エリカも自然と出るくらいに練習したのだった。
「もし、他の誰かの物だとしても」と、使者は言った。「王女の侍女であるあなたが持っている方が、持ち主に返却される確率が高まると思います。どうぞ、お持ちください」
「分かりました、お預かり致しますわ」と言って受け取り、「もし、その紳士の方と会う機会がありましたら、ぜひお礼を……」
「名前は告げられておりませんので、ちょっと自信ありませんが…… もし見掛けたら言っておきますよ」
使者は苦笑いながら言った。
4
陽が落ちつつあった頃、エリカたちを乗せた馬車は、ベリンガールの首都ベネノアに到着していた。実に半日以上は掛かった。
馬車は都市部から少し外れた郊外にある、貴族街へと入っていく。
その貴族街の中でも一際、大きな建物群が並ぶ一角があった。そこの大きな正門をくぐった馬車が、敷地内にある建物の一つに止まる。迎賓館だ。
「なんだか」とエリカ。窓を覗き込んでいた。「随分と警備の方々がおられますのね。物々しいですわ」
「アルメリア王女がおられますからね。バーラント様が警備を強化したのです」
エリカは、その物々しい光景に違和感を覚えた。
「さっ、到着しました」
そう言うなり、使者の男性は馬車の扉をあけ、外へ出た。
「足下にご注意を」
彼の手を取って、導かれるように外へ出たエリカが、
「ありがとうございます。楽しい一時でしたわ」
「こちらこそ。また、お話をしていただけたら光栄です」
「ええ。またの機会に、ぜひ」
と言って、両者共に別れを告げる。
エリカは、待機していた女中の一人に荷物を預け、別の女中と一緒に建物の中へ入った。入ってすぐの中央階段をのぼって、女中が、右に折れた突き当たりにある両扉をノックする。もちろん扉の両側には、警備員がそびえるように立っていた。
「アルメリア様」
返事が無い。
「侍女のエリカ様がお見えです」
『――どうぞ』
弱々しい声音であった。
エリカが心配そうな顔で女中を見やる。が、女中は状況を知らされていないようで、「扉を開けぬようにと命じられております故、ここで失礼を致します」と言って、深々とお辞儀をした。
「ご苦労様です」
そう言って、女中が下がったのを見送ってから両扉をあけた。
あけてすぐに、エリカはアルメリアを見つけた。彼女は背を向け、ベッドの際に座っていた。その長く黒い髪の先端が、ベッドへ無造作に流れている。
「アルメリア」
――返事が無い。その代わりに首がうなだれ、両肩が震えていた。
ここで始めて、エリカは手紙の内容を意味ではなく、実感として理解をした。エリカの予感は的中していたのだ。
彼女は近付いて、アルメリアの隣に腰掛けて、うつむく彼女の両手を包むようにそっと手を差し出して言った。
「もう大丈夫だから」
それで、アルメリアがうなずいた。
「何があったの?」
涙をいっぱいに溜めたアルメリアが、エリカを見ながらなんとか言った。
「婚約が…… 破棄されます……」