36~37 お酒と秘密と
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「ところで……」
エリカがこう言って、執務机のにある冊子を拾いあげた。ずっと気になっていたらしい。
「これって何?」
「ああ」と苦笑うアルメリア。「お酒の品目一覧表です」
「えっ? アルメリアってお酒飲めるの……!?」
「一応、嗜む程度には……」と、なぜ訊いてくるのか不思議そうに返した。
――なるほど、ここでは十代後半から飲んでもいいのか。
「どうかしましたか?」
「う、ううん、別に。あたしもいつの間にか廿だし、飲めるって言えば飲めるなぁって……」
そう言いながら、パラパラと冊子をめくっていく。
正直、ランプなどの明かりだと目を悪くすると思うくらい、読みにくい。
「ねぇ、アルメリア」
「はい?」
「この時間に、こんな物を読むと目を悪くするわよ?」
「読んでいたのは夕暮れ時です」と、また苦笑う。「例の手紙を読んでからは、ずっと部屋をウロウロしていましたので」
「あ~…… 遅くなってゴメンね」
「いえ、そんな……」
「でも意外だったなぁ…… あなたがお酒のカタログを見るくらい好きだったなんて」
「いえ、別にそこまで好きでは……」
「えっ? じゃあ、なんで?」
アルメリアが傍に来て、冊子をめくり、人差し指をトントンと打った。
そこには品名があって、丸い印が付いてあった。
「これって?」
「実は、いなくなるちょっと前にコレを持って来てくれて…… 二人でこれにしようと言って、付けた印なんです」
「へぇ~…… あいつも飲むんだ」
と言って、冊子からアルメリアへ視線を移す。
「ここ、酒場って名前が付いてるけど、飲むところなの?」
「大衆酒場らしいです。提供の他に、販売もおこなっているそうで……」
「ふ~ん」
「彼、いなくなる前はよく行っていたんですよ?」
「呑兵衛にならないよう、注意してやらないとね?」
エリカが意地悪そうな笑みを浮かべて言うと、アルメリアが首を横に振りながら、
「飲んでませんよ」と答えた。
「酒場へ行っただけみたいです」
「本当に飲んでないの?」と驚くエリカ。
「はい、一滴も飲んで帰ってきたことはありません。お酒や煙のニオイは、ちょっとだけであってもすぐに分かるくらいニオイますから」
「まぁ、そうだろうけど――」
とまで言って、急に固まった。
「どうかしましたか?」
「一滴も飲んでないっておかしくない?」
「えっ?」
「そうだわ」と独りで納得するエリカ。
「あなたと決めるお酒を見に行くって言っても、そう毎日いったりしないじゃない……!」
「言われてみれば……」
と、アルメリアが人差し指の第二関節を口元へ付けた。
――貴族が大衆酒場へ行くのは、別に不思議では無い。
もはや、貴族というのも王族と同じで名ばかりであり、高級な店へ行こうが大衆食堂へ行こうが、それはもう個人の自由である。
しかし、酒場へ行って酔わずに帰ってくるなんていうのは、考えにくい。
酒を飲まないなら、酒場へ何をしに行っているのか……
「――理由は聞いたの?」
「はい」
「なんて?」
「いいお酒を見繕いに行ってるって…… それだけです」
「なるほどね」
エリカが、カタログに記載されている店名を確認してから、アルメリアへ返した。
「ちょっと酒場へ行ってみるわね」
「えっ? 今からですか?」
「明日の晩まで、待ってられないでしょ?」
「そ、それは……」
「善は急げってね。――先に寝てていいよ」
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夕食の時間帯のせいか、酒場が妙に混雑していた。
当然だが、昼と違って夜の酒場は露店であり、店の中から引っ張りだした椅子と組み立て式の簡易テーブルが並んでいる。そして、所々にある堅牢な石造りの篝火が照明であった。
エリカは動きやすいようにとズボン姿になって、ここへ来たけれど、運良く格好が場に馴染んでいる。
カウンター――と言うべきかは分からないが、とにかく長椅子と長テーブルが置いてあるところへ行って、あいている席に座らずに、立ったまま店主を呼び止めた。
「いらっしゃい」
「ごめんなさい、ちょっとお話いいかしら?」
「あ~…… 今、忙しいんでね。手短にしてもらえるか?」
「ここに、バーラントっていう男性が来なかった?」
「バーラント? バーラント…… いや、知らないねぇ」
「最近まで…… っていうか、ちょっと待って」
そう言って、鞄からカタログを取り出し、ページを開いた。
「このお酒を注文した男性、来てなかった?」
店主が首をかしげている。
「奥さんか恋人と一緒に飲むからとか、そんな感じのこと、言ってなかった?」
「あ~ッ!」と、晴れ晴れした表情で店主が叫ぶ。
「いたわ、いたいた。ひょっとして、嬢ちゃんが品物を引き取りに来たのか?」
「えっと…… 一応、明日か明後日に取りに来る予定です」
「おう、そうか。できればもうちょい早く来てくれよ? ご覧の通り、今は戦場だからな」
と笑う店主。
「それでね……!」話が途切れないよう、エリカがつないだ。「その人、10日くらい前までは結構、ここへ来てなかった?」
「あぁ、確かに来てたな」
「誰かと会ってたりしてた……!?」
エリカが喰い気味に尋ねてくるから、店主はちょっと引き気味に、
「い、いやぁ…… 女とか、そういう人とは会ってなかったぞ?」
「男?」
「いやいや、そんな趣味は……」
「じゃあ、お酒も飲まずに独りでいたってこと?」
「そうだ! そうだそうだ!」と店主が手を打って言った。「変な客でよぉ! あんた、あの人の知り合いか?」
「えっと…… ええ! そうなの! あたしのお兄ちゃん!」
咄嗟に変な嘘をついたが、店主は細かいことを気にせずに、哀れそうな顔をして、
「兄妹ねぇ…… なんかこう、苦労してそうだなぁ」と言ってきた。
「苦労は今に始まったことじゃないから……」と、横目でついつい本音を言うエリカ。
「そ、それよりも! お兄ちゃんが何をしていたか教えてくれない? 最近、色々なところへ行ってて、心配だから調べてるの……!」
「――お~い!」
店主がそう言って、手を振る。店員らしき人たちが店主を見やった。
「悪ぃ! ちょっと見ててくれ!」
店員たちがうなずいたり、手をあげて応えていた。
すると、店主が急に周りをキョロキョロし始めると、エリカの方へ近付き、右手を彼女の耳元へ近付けてから、
「実はよ……」と小声で言った。
「俺の馴染みの客が、ちょうど一週間か二週間くらい前に殺されたんだ」
エリカの目が見開く。
「お前さん、知ってるかどうか分からねぇが…… お兄さん、そいつと顔馴染みだったらしくて、独りで死因を調査しとるんだとよ」
「そ、そんなことしてたの?」と、妹を演じるような言い回しをした。
「まぁ、一応ここは誰でも来られる場所だし、人の出入りも多い分、情報も多いんだ。それ狙いだろうが…… 誰と会ってたかまでは知らねぇんだ」
「そう、なんだ……」
「気になるなら、ライールって男を捜せばいい」
「ライール、さん?」
「一度だけ、ここで飲んでたんだよ。名前含めて、ちょっと耳に入っちまったんだが…… 二人して、殺された男の情報を話し合ってたみたいだ……」
「ライールさんね……」
エリカが一歩下がり、
「本当に、兄がご迷惑をお掛けしました」と頭を下げる。
「いや、いいって。実は場所代はもらってたんでよ……」と、頭をかく店主。
「ちょっと他をあたってみます。ありがとうございました」
「おう! ――あっ、品物はちゃんと引き取りに来てくれよ?」
「はい!」
エリカは笑顔でそう答えた。




