34 あなたは何者か
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いつの間にか、日が傾いて影が伸びている。
石造りの建物から無事に脱出したエリカが、歩きながら帰路についていた。
鳥にならずに歩いているのは、考えながら、アルメリアに報告する内容を整理整頓したかったからだ。
――まさか、こんな大事になっていたとは。
エリカは、親指の爪を噛みながら思った。
今までの話をまとめると……
一、このままだと婚約破棄は確実。それを指示しているのが周りの都合による可能性
二、バーラントの秘密は、他の人々にも秘密であり、予想外の秘密だった可能性
三、要人保護の近衛騎士――特殊部隊の隊員を使って調査させている
――と、なるだろうか。
(バーラントはいったい何を……)
彼がどこにいるのかと、何をしていたのか……
どちらも皆目見当が付かないものの、ハッキリしていることが一つだけある。それは、彼の秘密とやらが、外に漏れると大変なことになる、という事実だ。
現に、今の今まで外部に伝搬しないよう、細心の注意を払っていた。
(何をしていたかを探る方が先決かも……)
エリカがそう思ったときだった。
不意に、馬のと車の足音がしてくる。――馬車だ。
両脇には建物がある。道だって、中央通りに比べれば狭い。
だから、エリカは過ぎ去るのを待った。
馬車が横切ったから、片足を前へ進め始めたときだった。
突然、背後から誰かに捕まれたと感じるや否や、その誰かと一緒に横方向へ倒れていく。
「ッ……!?」
驚いたエリカが、とにかく後ろにいるのが誰なのか、確認しようと必死に顔を向けた。
――見覚えのある男性が、自分を抱きかかえている。
「失礼」
そう言った男性が、何事も無かったようにエリカから離れ、立ちあがる。
彼は視線を建物へ向けながら、袖や膝についた土埃を手で払う。
呆然とするエリカが、とにかく立ち上がろうとしたら、彼が手を差し出してきた。
「いつぞや振りですね」
「あなたは……」
――手紙を持って来た、バーラントの使者だ。
「お怪我は?」
「べ、別に……」
と言って、エリカが自分の力で立ち上がる。
手を引っ込めた使者が、
「気を付けてください」
と言って、地面を見ていた。
エリカも視線をたどる。
そこには、粉々になっている陶磁器の成れの果てがあった。
「どうやら、随分と恨みを買っておられるようですね」
「あなた、バーラントの使者でしょ?」
男性が口角をあげた。そうして、顔を隠すように横を向いた。
「何?」
「死にそうになったって言うのに、第一声がそれなのかと思いまして……」
「そんなに面白いこと?」
「いや、そんなことは……」と言って、正面を向き直った。「面白くは無いけれど、変だとは思ったかな」
エリカが素の対応をするから、向こうも対応を変えてきた。
それならと、エリカは腰に手をやって、
「この陶磁器、誰が落としたのか見当は付いてる?」と切り返す。
「事故でしょう。ご覧のように、ベランダで栽培をする人が多いですからね」
彼が上空を一瞥しつつ言った。
その言葉通りで、二階三階の窓際やベランダには大小の観葉植物などが置いてあるのが、目に付く。
「たとえ誰かが故意に落としたとしても、事故として処理されやすい……」
エリカが、視線を男に戻しながら「どういう意味?」と言った。
「じゃあ、俺はこれで」
「あっ、待ちなさい!」
そう言って、エリカが回り込んだ。
「あなた……! バーラントの居場所、知ってるの?」
「知らない」
「使者でしょ? ご主人がいなくて困らないの?」
「本当の使者には休暇を取ってもらっている。俺はナザール公爵の命で、使者の代役をやっているだけの人間だ。――そんな人間が、バーラント様について知るわけないだろ?」
エリカが黙った。
彼は歩きながら、
「ついでだから、君に言っておきたいことがある」
と言って、エリカの横で立ち止まった。顔は前に向いたままだ。
「君が侍女かどうかは、この際、どうでもいい。もう二度と、アルメリア王女に近付くのはやめろ」
「なんですって……?」
「もし何か言いたいことがあるなら、司法省へ言って保護を求めてもらってもいい。とにかく、何か思うところがあるなら、俺の言う通りにした方が賢明だぞ」
「どういう意味よ、それ!」
男は返答せずに歩き出し、すぐそこの脇道へと入った。
エリカは憤慨した気持ちが抑えられず、彼を追い掛ける。
しかし、その姿はすでに消えていた。




