28~30 終わる旅に出掛けよう(後編)
28
落ち着いたエリカは、バーラントと一緒にアルメリアの部屋へと向かった。
彼女は窓際に立っていたが、エリカの姿を認めると一目散に駆け寄って、その両手を取った。
エリカは心配を掛けたこと、半日ほど何もしなかったことを謝罪し、元の世界のことを思い出したのが原因で、涙が止まらなくなってしまったと嘘の説明をした。
それをアルメリアが疑うこともなく、寂しいことがあっても自分が傍にいると告げた。だから、エリカはつくづく残酷な女性だと思った。
自分の嘘を見破って、敵意を持つくらいのことをするのなら、何も思う必要が無くなるのに…… どこまでも真っ直ぐで心優しく、強い女性だ。今のエリカの心をズタボロにするには、最適な属性を持っている。
だが、いつまでもやられてばかりでは、いられない。
彼女は頃合いを見て、侍女を辞め、しばし旅行をする旨を話した。これがエリカにできる唯一の反撃であり、自分の心を守る無二の方法…… それは間違いではないけれど、理由の全てでは無かった。
暇をもらう一番の理由は、結婚した二人の元で仕え続けるには、二人と仲を深め過ぎたことだった。
もし仕えたなら、今のままでは絶対に耐えられなくなってしまう。それが分かっていた。
どうしても距離を置き、環境を変え、時間に癒やされる必要があった。
食い下がるアルメリアに、バーラントが割って入って、アルメリアをなだめる。
エリカは、今すぐに侍女を辞めるわけではないからと苦笑い、辞めて旅行をしているあいだに挙式のことを知ったら、すぐにでも帰ってくると告げる。
「侍女として、参列してくれますか?」
うるんだアルメリアが、不安気に尋ねる。きっと、一般参列ではないかと思っているのだ。
「侍女としては難しいけど…… 友達としてなら喜んで」
「友達……?」
「いいんじゃないか?」と、バーラント。「主従関係よりも、君と対等な存在で参列する…… その方が、君も僕も嬉しく思えるんじゃないかな?」
アルメリアが微笑んで頷いた。
「――あ~、あたしもどこかにイイ男が落ちてないか、探しにいかなきゃ」
アルメリアは落ちているなんて、と冗談として受け取って返事した。
対してバーラントは、エリカが冗談めかしているのか、本気で言っているのか分からない様子でいた。
「とにかく」とエリカ。「挙式に呼ばないなんて惨たらしいことは、しないでよね」
「そんなことはしません。むしろ、絶対に来ていただきたいです」
「良かった」と微笑むエリカ。「それと、バーラント様」
彼が首を傾げた。
「絶対に、アルメリアを泣かせたりしないでくださいね?」
「ああ」
「泣かせたら平手打ちしますから、そのつもりで」
「気を付けるよ」と、頭をかく。
「あっ!」と、アルメリアが思い出した。「どうやって、挙式の日をお知らせすれば……?」
「元々が政略結婚みたいなものなんだから、大々的に公示されるでしょ? どこにいたって報道されるだろうし、間に合うように戻ってくるわよ」
「それもそうか」とバーラント。「戻る前に手紙をくれたら、出迎える準備をしておくよ」
「うん、ありがとう」
エリカは屈託の無い笑顔で言った。
29
数ヶ月がたった。
約束通り、エリカが暇をもらう。
暇をもらった数日後、彼女は自室で出発の準備を進めていた。
「こんなものかな?」
エリカが立ちあがって、一息ついて言った。
――二年くらいしかいなかったのに、随分と物が増えたものだ。そして、二年ほどで自分が成人していたことにも気が付いた。ちょっとは大人になっていてほしいとも願った。それは心からの願いでもあった。
それから彼女は、おもむろに左腕のブレスレットを取り外すと、右手首に付いている革腕輪が目に留まった。
手首を返し、ジッと革腕輪を眺めている。
「これ、どうしようかな……」
不意にノックがした。
「どうぞ」
顔馴染みの、年上の女中が入ってきて「失礼します」と言った。
「アルメリア王女からの手紙だそうです」
「えっ?」
思わず、素の反応を返してしまった。
女中が傍まで来て、アンティーク調の銀トレーに乗っている手紙を差し出してきた。
「バーラント様の使者の方が、この手紙をお持ちになりました」
エリカの表情が、真顔になった。
「すぐにでも返事が欲しいとのことです」
「分かりました、ありがとうございます」
女中が一礼してから下がる。
エリカは手紙の封筒を見ながら、胸騒ぎを感じた。
すでにアルメリアは、バーラントの祖国ベリンガールにいる。
まだ結婚の日程は決まっていないものの、いわゆる『婚約発表』を大々的におこなうため、その準備をするために滞在している。
両国を代表する家柄の雌雄が婚約発表をする…… これは、単なる有名人が発表するのとはワケが違う。二人は、まさに両国の和平の架け橋としての結婚なのだから。
そんな大変な状況の中にあって、この手紙…… その内容を読むと、胸騒ぎが確信に変わりつつあった。
いったい何があったのか、見当も付かない。
とにかくベリンガールへ向かう必要があった。
エリカは旅行鞄を持ち、腕輪をはめてから髪を結って、戦闘態勢となった。
早朝のアル・ファームを出発し、昼過ぎにはベリンガールの首都『ベネノア』に到着し、その北部にある貴族街へと向かい、ナザール家の敷地に入る。
懐かしの迎賓館に到着したエリカは、そのままアルメリアがいるという部屋まで案内してもらい、彼女がベッドの際に座っていたから隣に座った。
「アルメリア」
彼女は黙ったままだった。しかし、両肩を震わせていた。
「もう大丈夫だから」
アルメリアがうなずいた。ポタポタと涙が、頬から落ちている。
「何があったの?」
「婚約が…… 破棄されます……」
「えっ……?」
アルメリアだけでなく、エリカも頭の中が真っ白になった。
しばらく言葉を発せなかった。
アルメリアのすすり泣く声だけが、部屋に響く。
「ちょっと待って……」
エリカがようやく言った。
「どういうことなの?」
アルメリアが首を横に振った。分からない、ということだろう。
「えっと……」
努めて、エリカが冷静になろうとした。
「破棄されたのかも、だったわね?」
今度は首を縦に振っている。
「確定じゃないってこと?」
また首を横に振った。
「どういう……」と言って、人差し指の横腹を口元へ近づけた。
――全く意味が分からない。
エリカはアルメリアの肩を抱いたまま、うつむく彼女に柔らかい声音で、
「アルメリア…… お願いだから、事情を説明して」
と囁いた。
「このままじゃあ、あたし、何がどうなってるのか分からない」
「私にも分からないんです……」
やっと、アルメリアが言った。
「バーラント様のお父様から、急に、婚約発表を延期すると言われ…… それが発表されて、二週間もこのままなのです…… バーラント様は何も言わないどころか、私と会ってもくれません……」
「でも、延期だけなら……」
「聞こえたんですッ!」
突然、アルメリアがエリカを見やって言った。
「婚約破棄も時間の問題だと……! 気の毒な女性だと……!」
エリカが息をのんだ。
30
アルメリアがまた泣き出しそうだったから、背中をさすってなだめた。そして、さすりながら、
「確か大使館に、国王陛下も滞在していらっしゃるわよね? 何か言ってなかった?」
「部屋にいるように、とだけ……」
――どういうこと?
エリカはますます、分からなくなっていた。
「どうしてそんな――」
と言った途端、エリカがさすっている手を止めた。
アルメリアがエリカの横顔を見る。不可思議そうにしている。
突然、エリカが立ちあがり、両扉の方へ駆け足で向かってから、押し飛ばすようにあけ放った。
さすがのアルメリアも不穏に思ったのか、立ちあがってエリカの方を見やる。
「どう、しました……?」
エリカが両扉を閉めてから、こう言った。
「物音がしたの。間違いなく、誰かが立っていたような物音が……」
「音、ですか?」
「もう誰もいないけど……」
「盗み聞きしにきたのですね?」
「あるいは」と言って、エリカがアルメリアの傍へ寄った。
(とにかく、こっちに来て)
小声でそう言った。
彼女は大事を取って、再びベッドの際へアルメリアを座らせ、自身も隣に腰掛けた。そして、アルメリアの耳元へ手をやりながら、
(今からコレで話しましょう…… 大声を出しちゃ駄目。身振り手振りも…… いいわね?)
アルメリアが横目になりつつ、うなずいた。
(あたしが侍女を辞めたってことは、誰かに話してる?)
(バーラント様だけです)
(じゃあ、今からもう一度、私は侍女に復帰するから)
(えっ?)
(前にもらった書類、一応、持っては来てるの。それを今から処分する。これであたしは侍女のままよね?)
(お、おそらく)
(周りに文句を言われたら、侍女だから調べてるって言って押し通すからね?)
(それってつまり……)
(前にもここでやったでしょ?)
エリカがニヤリとして言った。
(前は秘密裏にやったけど、今度は遠慮なんかしない。徹底的に調べる……!)
(でも、何を調べるのですか?)
(本丸のバーラントを見つけて、問いただす)
(問いただすとしても、どこにいるのか見当も付きません)
(その手掛かりを、他の人たちから見つけるの)と言ってから、さらに唇を耳元へ近付ける。
(思い出して。あいつ、あたしたちにずっと秘密にしてきた何かが、あったでしょ?)
ハッとするアルメリア。
(あたしの勘では、それが原因だと思う。――だから見つけ出す。必ず)
エリカが耳元から離れる。
「年下の…… 妹みたいなあなたに、ずっと頼りっぱなしだったものね。今度はお姉ちゃんに任せなさい」
そう言って片目をつむったエリカを見て、アルメリアの瞳がキラリとうるんだ。




