20~21 あの人は、どんな人?
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アルメリアとバーラントが、エリカの方を見やる。
すぐそこまで来ていたエリカが、大股の早歩きでアルメリアの前に立ち、
「夜這いがお好きなのかしら? 男の風上にも置けない人……!」
と、睨みながら言った。
「君と会ったときは、朝日のまぶしい時間帯だったけどね」
「ナザール家の使用人であるあなたが、なぜここにいるの?」
「使用人は全員、連れてこいって催促してたのは君じゃなかったか?」
エリカが何か言いかけて、押し黙ってしまった。それで、バーラントは苦笑いつつ、
「僕がここにいるのは、本当に偶然なんだよ」
「では、どういうご用件でしたの?」
「国王陛下に用件があって、ついでに噂の中庭を見学しに来ただけだよ。――アルメリア王女と会ったのは、本当に偶然だから」
「そ、そうですよエリカさん!」
アルメリアが、彼女の肘辺りの服を引っ張りながら言った。
「本当に偶然なんです……! 早合点しないで下さい……!」
エリカはしばらく、焦ったアルメリアを見つめてから、
「本当……?」
と、念を押すように確認する。
アルメリアは大きく、力強く頷いた。
それで、壊れた機械仕掛けの人形みたいに、エリカがバーラントの方を見やった。
「どうやら君は、良くも悪くも猪突猛進みたいだね。――そんな格好で出てくるなんて、よほど焦っていたのかな?」
我に返ったエリカが、自分の服装を確認する。
ネグリジェに上着を羽織っただけ、しかも適当に結った髪は、まだ湿っぽいままで、しんなりとしていた。
酷く恥ずかしい思いをしたエリカは、赤面して、すぐにアルメリアの背後へ回り、彼女の肩口から顔をひょっこりと出して、
「こ、こんな時間に、こんなところを歩いてるあなたの方が悪いんです!」
と、意味不明な罵倒をした。
「なぜあなたは、こういうときに現れるのです!」
「それはこっちの台詞でもあるんだけどなぁ……」と頭をかくバーラント。「とにかく今回は、お互いに間が悪かったと言うことで」
「納得いきません!」
「エリカさん、落ち着いて」不安気に言うアルメリア。「このままだと、衛兵たちがやってきてしまいますよ? 被害は最小にしておかないと……」
ハッとしたエリカが、小型犬みたいなうなり声をあげつつ、飼い主のアルメリアの後ろからバーラントを睨んでいた。
彼は苦笑いながら、
「不可抗力とは言え、悪かったよ。今度、お詫びに何か用意するから」
と言って、エリカをなだめてから、
「それじゃあ、アルメリア王女」と、彼女を見て言った。「僕はこれで」
「あっ……」
「しばらく滞在しますから、またすぐにお伺いしますよ」
「で、では明日のお昼時か、お茶の時間はどうでしょう?」
「お茶、いいですね。時間的に問題ないと思うし」
「では、その時間に……!」
「ああ、楽しみにしてるよ。――エリカさんも暖かくして寝てください」
「ご丁寧にど~も……」
会釈たバーラントが、闇夜に消える。それをアルメリアは、軽く手を振り続けて見送る。彼女の背後にいるエリカは、仏頂面のまま、
「アルメリア王女、事情を説明してもらいましょうか」
と言って、アルメリアの両肩に乗せていた指に、力を込めた。
「え、えっと……」
振っていた手をピタリと止め、アルメリアが肩口から出しているエリカの横顔を見つつ、
「ま、まずは部屋へ戻りましょう? その格好で外にいるのは、よくありませんから……」
「弁解は罪悪よ? いいわね?」
「あ、はい……」
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「――なるほど」とエリカ。「結局、あの人がバーラント様で、夜に現れた方が近侍だったってことね?」
「みたいです」
椅子にちょこんと座っているアルメリアが言った。肩身を狭そうにしている。
エリカはと言うと、彼女の椅子の周りをグルグル回るように歩き、話すときに立ち止まるを繰り返していた。
「だとすると、あの日、早朝に現れた男性もバーラント様ってことよね?」
「おそらく……」
「ラインツさんは架空の存在ってことになるわね?」
「多分……」
「じゃあ、ラインツさんはいなくて、手紙を含めてバーラント様の自作自演ってこと?」
「そう、だと思います…… きっと……」
「フ~ン」
エリカが立ち止まって、アルメリアを鋭く見やった。
「意中の使用人って人は、もういいの?」
「いえ、私はその方と結婚したいです……」
「本当に?」
「も、もちろんです……!」
「嘘ついてない?」
「つ、ついてません! 一緒にいたいのです!」
――確かに嘘は言っていないようだ。
だから、エリカは足を止めて、
「それにしても……!」
と言った。両腕を組んで、眉根をしかめている。
「二度もあたしを辱めるなんて……!」
「そんな大袈裟な……」
「じゃあ、アルメリアはその格好を彼にさらしても大丈夫だって言うの?」
沐浴を終えていた彼女は、視線を落とし、自身の格好を確認した。そして、そっと両腕で体を隠す。
「ほら、見たことか」
「で、でも! 湯浴みの後に外へ出るなんて、淑女のすることではありません!」
「侍女だもん。主であるお姫様が寝室にいないとなると、捜さなきゃね。しかも、男性と会ってるなんて露程も思わなかったから、仕方ないわね」
口をつぐむアルメリア。
「それで……」と、続けるエリカ。「どうしてアル・ファームに来ているのか、その目的は何か、本当に分からなかったの?」
「それについては、先程も言ったように不明なままです」
「陛下と謁見したんでしょ?」
「明日、お父様にも聞いてみようとは思うのですが…… おそらく、近くに来たという報告と挨拶のためかと……」
「あぁ~もう~……! なんて強情なヤツ……! 婚約者にくらい話せばいいのに!」
「きっと、ベリンガール全体に関わる事案に対応しているのです。だから、他人に伝えるわけにはいかないのでは?」
「それならそれで、黙ってればいいじゃない。なんで会わないなんてことして、文通は平気で、結局はここに現れるのよ?」
「それは…… 私にも分かりませんけれど」と言ってから、姿勢を正した。
「でも、悪い方ではありません。それだけは確かです」
「まぁ……」と言って、エリカが横目となった。
――確かに、悪い人ではないだろう。
それは手紙から察することができるし、以前の早朝や今夜のやり取りからも垣間見える。
ただ問題は、得体の知れない謎をひた隠しにし続けている現状が存在するという点と、意中の使用人が誰なのか、エリカにはまだ分かっていないという点である。
アルメリア本人は初恋の使用人が意中の相手であり、その人と成就できるようにするのがエリカの役割である。
ここが日本なら、そんなの成就するわけがない、現実を見ろと言われて一笑に付され、一蹴されるだろう。だが、今はこの世界がエリカの現実である。
しかも、彼女が王女という立場であるのだから、使用人の男からしても、彼女との結婚はそれほど悪い話ではない。
――だけどこれは、アルメリアが使用人を思い続けていたらの話だ。
言動から察するに、八年前と同じ場所、同じ時間帯に男性と会ったことで、アルメリアのバーラントに対する評価が、少し変わってしまったのかもしれない。
もしこれで、意中の相手である使用人からバーラントに鞍替えするのなら、随分と節操が無い話だ。
一応、その気が無いと言ってはいるが……
とにかく、バーラントには不安な点があるのは事実だから、用心すべきである。
男だろうと女だろうと、腹に一物を抱えている人間は豹変するのだから。
「エリカさん?」
「――いい人だと思うよ、普通に」
アルメリアの言葉を遮って、お茶を濁すように言った。そしてすぐ、
「何にせよ」
と続けた。
「今度はこっち側に滞在してくれてるんだし、それはそれで好都合になったわね?」
アルメリアが頷いた。
「明日もお茶に誘えたわけだし、使用人のことも聞けるだろうし…… あと、手紙のやり取りよりも断然、相手のことが分かるだろうしね」
「どういうものが好みでしょうか?」
「そうねぇ…… 明日になってみないと分からないかなぁ」
エリカが惚けるように言うと、アルメリアが苦笑って「それもそうですね」と言った。
しかし、エリカの言葉は本心そのもので、惚けてはいなかった。
――手紙で惹かれたあの人は、本当のところ、どういう人なのだろう。
そのことばかり、頭にあった。




