アルナとの約束
魔界祭が終了してから三日目。竜姫、吸血姫と続き、今日は魔王アルナとの約束がある。魔界を代表する大物と連続で過ごす日々は、今日で最後になるはずだ。
そう考えたら、何だか元気が出てきた気がする。これがラストスパートというやつなのかも。アルナが何を考えて何をしでかすのか未知数であるため、この元気を一日維持できるように頑張りたい。世間一般の気楽なデートが羨ましくなる。
レインはアルナの住む城の扉をコンコンと叩く。
リリアの住む地域からこの魔王城まで、数人の吸血鬼と共にリリアがお見送りをしてくれた。館に泊めてくれただけでもありがたかったのに、お見送りまでしてくれるなんて吸血鬼は優しい種族だ。
危険を伴う魔界の移動では、ティアラを始めとした彼女たちの存在が本当に心強い。
リリアたちがいてくれたお陰なのか、それともアルナが事前に手配してくれていたのかは定かでないが、道中で魔物は一匹も現れなかった。
人間界の兵士たちと比べ、魔界を安全かつ自由に移動できるのは大きすぎるアドバンテージだ。特に夜になった場合はその差が顕著になるであろう。
そんな中でも、今から会うアルナに関しては、魔族全般が手を出すことができなくなるというおまけ付き。ある意味アルナの隣が魔界で一番安全な場所だと言える。
「…………レインきた!」
「お、お待ちくださいアルナ様! まだ寝ぐせが直って――」
「そんなのいい。いってきまーす」
扉の奥から、アルナと苦労してそうな従者の声が聞こえてくる。特に従者数人の声がよく聞こえてきて、段々その声が鮮明になっていく。きっと外に出ようとしているアルナを追いかけているのだ。ご苦労様ですとレインは心の中で呟いた。
そして、扉が勢いよくバンと開く。
そこにいたのは、寝ぐせがピコピコと跳ねて服も脱げかけのアルナだった。
かなり中途半端な準備の段階で抜けてきたらしい。確かに従者が止めようとする気持ちも分かる。
「レイン、待ってた。ちょっと遅い」
「時間には間に合ってるはずだけど……それに、アルナも準備ができてないんじゃないか?」
よっぽどレインの到着が待ち遠しかったのか、よく見たらアルナの服はパジャマのままだ。困っている従者のためにも、レインがどうにか説得を試みてみる。
「俺はパジャマじゃなくてオシャレしてるアルナが見たいなぁ……なんて」
「そう? じゃあ着替える」
レインの一言によって、アルナはすっかり心変わり。いつもの服を持ってきた従者たちにあっさり捕まって、何を思ったのかその場で着替え始めた。アルナは羞恥心など微塵も感じていないようだが……これは少しマズい。
レインは慌てて後ろを向いた。
「レイン様……! 感謝いたします!」
「ん? レイン、なんで後ろ向いてるの?」
「気にしなくていいから! 早く着替えるんだ!」
後ろでレインに感謝する従者の言葉が聞こえてくるが、もちろん振り返ることはできない。アルナのわがままは何の前触れもなく訪れるため、柔軟に対処しないといけない従者は大変そうだ。
特に、アルナが右腕として重宝している従者が一人いるらしいが、その者は二十四時間常に働き詰めだと聞いた。今日は彼女の姿が見えないが、きっと今もアルナのために動いているのだろう。
ぽふっと脱いだ服が落ちる音がする。それに続いてしゅるりと布が擦れる音。
逆に見えていないからこそ、頭の中でそこで起こっている光景を想像してしまった。自分でも恥ずかしくなってくるし、ドキドキしてくる。
「レイン、終わったよ」
とにもかくにも、従者たちの仕事は早く、レインが後ろを向いて一分ほどで準備は整うことになった。
振り向いてみると、見慣れた服に身を包み、寝ぐせが一つもないいつものアルナがいる。その隣には、達成感、疲れ、安堵など様々な表情を浮かべた従者たちが立っていた。アルナの代わりに従者たちを労ってあげたい。
「よし。やっぱりアルナはオシャレしてる方が可愛いよ」
「む、可愛い……ありがとう」
アルナはポッと頬を赤く染める。忘れていた――レインは恥ずかしげもなくこういうことを言う男だ。
さっきまで照れていたのはレインの方だったのに、一気に立場が逆転してしまった気がする。
レインの不意打ちには気を付けておかないと。
後ろに控えている従者たちも「言った……!」と顔を赤く染めていた。
アルナは気を取り直して、ペースと流れを自分のところに戻す。
「レイン、今日は面白いところに連れて行ってあげる」
「え? 移動するのか?」
「当たり前。パートナーとして、アルナの力を見せたいから」
アルナはレインの手を取った。どうやら今日も移動をすることになるようだ。商人という職業柄、長距離の移動には慣れっこなのだが、三日連続でぎゅうぎゅうに詰め込まれると、流石に足が重く感じてしまう。
もちろんアルナの誘いを断るなんてことはできないため、どうにか乗り切れるように頑張るしかない。
「ちなみに、どこに行くつもりなんだ?」
「どこでしょう。ヒントは、レインが行ったことない場所。というか、地図なんかには載ってない」
「俺が行ったことなくて地図に載ってないんじゃ絶対に当てられないよ」
結局自分たちの行先は分からない。わざわざレインをそこに連れて行くということは、よっぽどの理由があるはずだが……。
アルナなりに思い入れがある場所なのだろうか。行ったことがないということで、不安と期待が半分ずつある。
そう言えば、ティアラも行先をクイズ形式にしていたような。魔界ではこういうのが流行っているのかもしれない。
「心配しなくても大丈夫。しっかりアルナの配下にある地域だから安全。それに、レインにピッタリだと思うよ」
「俺にピッタリ?」・
「世界中の商人が羨ましがると思う。ま、行ってみたら分かるよ」
アルナはレインの手を引いて外に向かう。外には既にアルナの使役している狼のような魔獣がスタンバイ済みだ。
あれよあれよという間にレインは魔獣に乗せられ、従者たちによって見送られる形に。
従者たちは「お気を付けて」と言っているが、それが定型句であることを祈る。
「それじゃあ行くよ。出発」
レインの返事を待つことなく、魔獣は風のように走り出したのだった。




