第87話 マリアとコレットと就職先
「お主の提案……非常に心躍るものがあるのは事実だ」
錬金術ギルドとの交渉が決裂した後、二人きりで伯爵と話したあたしが提案した〝薬学研究を伯爵領で行い、皇帝陛下や民衆の評価を得る〟という言葉に、伯爵はしばし黙考した後に、若干楽しそうな雰囲気でそう告げた。
そりゃそうだろうさ。有力な大貴族とはいえ伯爵の本分は魔導の探究者だ。
それが実戦向きの戦闘用魔法に偏っていたのはこのフォーブナイト帝国の力を増すためで、それも今現在の安定している国際情勢の中では、生活に根差した方向に転換していると聞く。
より国を安定させ、豊かにするという伯爵の研究は、同じく魔導の研究を旨とする〝魔導士ギルド〟からも支持を得ており、学会には必ずと言っていいほど招待されているそうだからね。
そんな立派な研究者でもある伯爵にとって、〝魔法と錬金術のコラボ企画〟なんて、本人が言うように心躍らないワケがないのである。
「…………マリアよ」
「はい、なんでございましょうか」
呆れの色のずいぶんと落ち着いた、それでも苦笑した顔で。
「新たな研究については、少し考えさせてほしい。お主達も、時が許すのであれば今日は城へ泊まってゆくがよい。後ほど案内を寄越そう」
「かしこまりました。また何かございましたら、いつでもお呼びくださいませ」
ソファから立ち上がり、凝ったのか肩を押さえて回しながら、控えていた使用人さんにあたし達のお茶の用意を命じて、応接間から出ていったのであった。
「いやぁ、なんとかなったねぇ」
「お見事でした、お嬢様!」
「お、お疲れ様でしたぁ~!」
使用人さんに案内された客間で、あたしはミリアーナとコレットの二人と共に、今回の商談(?)の成功を喜び合う。
伯爵が『描いた絵図の通りに』と言ったように、今回の交渉は最初から決裂することが目的だったの。
だってイヤじゃん?
あんな利権と欲望の渦巻くドロドロな腐敗組織に、誰がコレットを渡してやるもんかっての。
あたし達を舐めてかかってくるのも、あたし達が見下されベニートが調子に乗るのも、全部織り込み済み。
新事業発足の対価として伯爵に頼んだことは、〝真っ当な理由でギルドの権威を削ぐ〟ことなのだから。
理解ある領主様で助かるよね、ホントに。
あとはこのまま帝国の中央からギルドへの抗議が為され、ギルドの組織体制が少しでも是正されれば大勝利。
そりゃあね、ギルドが持っている販路を使えるのが一番良いに決まってるんだよ。評価と権利さえしっかりと守られるのであれば、喜んでギルドに新ポーションの製法だって届け出るさ。
だけど相手は歴史ある大組織で、帝国がここまでの版図を得るのにも多大な貢献を成している。それが腐敗したからといって、国からテコが入れられたとしてもすぐには改善されないでしょ? 組織というものは大きくなればなるほど腰が重く、足が遅くなるものなのだから。
現状を鑑みて、それでも実現可能な手堅い方策としては、やはり権威ある伯爵が立ち上がるのが一番効率が良いと思うのだ。
そしてそれにはもう一つ、あたしにとっては大きな目的がある。
それは、コレットの就職先だ。
今回の一件で、彼女を奴隷から解放してしまったからね。
最も彼女に合った就職先であったはずの錬金術ギルドとは仲違いしてしまったし、彼女の職業適性の重要度を考えれば、奴隷のままでいさせるのも大変よろしくない。奴隷である以上、不当な労働を強いられる可能性があるからね。
しかし伯爵が薬学研究を始めてくれるのであれば、【錬金王】であるコレットは非常に有用なはずだ。
人柄的にも能力的にも、信頼の置ける伯爵が直接コレットを雇い入れてくれるのであれば、これに勝る後ろ盾はないだろう、ってなワケよ。
「それで? コレットから見て伯爵様はどうだったかな?」
「え、ええっとぉ……そのぉ……」
「あはは。ホントに錬金術のこと以外だと、しどろもどろになっちゃうねぇ」
「はぅぅ……! も、申し訳ありませぇん……」
いやいや、別に責めてるわけじゃないんだよコレット。ただ単にそのギャップが微笑ましいってだけでさ。
淡めの緑色の髪をポニーテールにまとめた眼鏡っ娘。二十四歳に見えない小柄で華奢な身体つきをしている彼女は、自分の得意なこと以外だと途端に引っ込み思案というか……アガリ症になってしまうのだ。
「焦らなくて良いから、ゆっくりね?」
「は、はいぃ……! えっと、あのぉ……、ちょっと……怖いお方かなぁってぇ……」
ああ、そりゃそうか。仕方のない事とはいえ、伯爵が人を威圧する場面を見ちゃったからねぇ。
あれは確かにおっかなかったよねぇ……! くわばらくわばら……! あたしも怒らせないように気を付けよぉーっと……!!
「まあ、厳格なお方ではあるかな。だけどその分、真っ当な評価もしてくださるお方だよ」
就職先の有力候補であり、あたし達の領主様であるムッツァート伯爵。
コレットの性格的にはちょっとしんどいかもしれないけれど、それでも商会のみんなや、お父さんの友人でもあったギルマスさんを除けば、あたしが最も信頼するお人でもある。そんな彼になら、コレットを安心して任せられるからね……。
こんな十四歳の小娘にも真摯に向き合ってくれる貴族なんて、そうそう居ないだろうしね。
いや、伯爵の側近であるザムド子爵や【毒蛇】のカルロ―ス子爵は別物だよ?
あの人達はどっちかっていうと相手の利用価値を重視する人だから……。だから使えると分かれば小娘だろうと使う、現実的である意味平等な人達でもある。
…………お付き合いしたいかどうかは、また別だけどねぇ。
「――――お嬢様、部屋に近付いてくる気配が」
思わず遠い目をしてしまったあたしだったが、そんなあたしを現実に引き戻したのは、借りた客間への来訪者を告げる、ミリアーナの声であった。