第85話 マリアとベニートとちゃぶ台返し
「コレット、貴女との奴隷契約をここに破棄し、貴女を自由の身に戻します」
「「なっ……!?」」
奴隷商人であるあたしのその宣言に、驚愕の声を上げるのは……二人。
一人はご存知、我らがご領主様であらせられる、クオルーン・ヨウル・キャスター・ムッツァート伯爵閣下だ。
彼には今回の錬金術ギルドとの交渉において、橋渡し兼見届け人をお願いしているが……このことに関しては伝えてなかったからね。
そしてもう一人は当然、今回の交渉の相手――ポーション類の利権を牛耳る、錬金術ギルドから派遣されたベニート・ゴルトワ準男爵だ。
先程まで饒舌に、散々に奴隷や奴隷商人を見下し蔑んでいた傲慢な面を呆然とさせ、目を白黒させて固まっている。
いい気味だなぁ、ベニートさんよぉ?
だけどこちとらこの展開は完全に想定内だったからよ。あらかじめコレットとはちゃんと話し合って、奴隷契約を新しく結び直してたんだよなぁ。
カチリ、と。
応接間に居るあたし、伯爵、ベニート、そしてミリアーナの前で、コレットの首に嵌められた奴隷の証――〝隷属の首輪〟が、彼女自身の手によって外される。
それと同時に彼女の手の甲に浮かび上がった我が商会の紋章……〝奴隷紋〟が光を放ち、そしてその光を淡くして、消えて失せた。
「たった今をもって、コレットは奴隷ではなくなりました。それと同時に彼女は自由な民の身分となり、もはや誰に縛られることも、隷属する必要もなくなりました」
「なっ、な、なな……っ!?」
おうおう、困惑してるねぇベニートさん?
そりゃあそうだろうさ。どこの世界に自分の奴隷を……契約の範囲の限り何でも言うことを聞かせられる、そんな便利な人材を自分から手放す人間が居るんだってな。
ま、ここに居るんですけどねぇ〜!
奴隷の証である〝隷属の首輪〟は、奴隷としての身分を端的に表す分かりやすい目印であり、奴隷達にとっては自らを契約が定めた主人に縛り付ける〝枷〟だ。
他の商会の物に比べれば親しみやすく、圧迫感も無いようにデザインし直したとはいえ、我がワーグナー商会のソレも機能は変わりない。
主人と交わした契約に反すること。そしてその範囲内での命令に逆らったり、自ら枷を外そうとすればソレはたちまちに収縮し、奴隷の首を絞め付けて苦痛を与える。
その〝枷〟を自身の手で外した彼女はつまり、奴隷としての隷属状態から解放されたということだ。たった今、みんなの目の前で。
「コレット、奴隷から解放された気分はどう?」
「なんだか、首がスースーして変な感じですぅ……」
はは、そりゃそうだろうねぇ。
長い間ずっと嵌めてた首輪が無くなれば、違和感を覚えるのも無理はないよ、そりゃあ。
さて、【人物鑑定】っと。
名前:コレット 年齢:24 性別:女
職業:研究員 適性:錬金王 魔法:浄化・水
体調:緊張 能力:A 潜在力:S
よしよし、ちゃんと職業も【マリアの奴隷】から【研究員】に変わってるね。
無事にコレットとの奴隷契約の解消ができたことを職業技能で確認したあたしは、改めて交渉相手へと向き直る。
「さて、ベニート・ゴルトワ準男爵殿。コレットは奴隷契約の内容に従い、わたくしの宣言によって自由な平民身分へ戻りました。おやおや? そうするとこの会談の前提が変わってしまいますね?」
「き、貴様、小娘ェ……!」
「今回の会談の主旨は『伯爵領に在る奴隷商会の奴隷が新ポーションを開発したため、錬金術ギルドへと掛け合い、その権利と評価を求めるために交渉する』というものであったはず。それが今や、『伯爵領の領民が開発した物の評価と権利を求める場』へとなってしまいましたね」
顔を赤くして悔しがっているベニートを眺めるのは愉快だけど、このままではお話し合いにならないからな。
あたし……俺はベニートが冷静になれるよう、ことさらに丁寧に、現状が理解できるようにハッキリと、ヤツ自身がこの交渉の場を台無しにし、ならばと俺がその前提を崩したことを説明する。俺にしか……奴隷商人にしかできない方法によってな!!
さあ、お偉い錬金術ギルドの幹部様?
交渉担当であろうその頭脳と手腕、とくと見せてもらおうじゃねぇか。
「斯様な小細工を弄そうとも、儂の……ギルドの求めるところは変わらん! コレットの身柄と新ポーションのレシピ、その双方を差し出してもらう!」
「彼女はもはや奴隷ではなく、誰の所有物でもない一個人です。そこに縛りは無く、ましてや彼女自身の意思があります。そして奴隷でもない彼女が有する錬金術の知識や技術は、他でもない彼女自身の物です。それを理解しての発言でしょうか?」
「何度言わせれば気が済むのじゃ!? これは薬学界の……ひいては錬金術師全体に影響を及ぼす重大な案件じゃ! そこに奴隷でなくなったとはいえ、たかだか平民じゃろう小娘の意思やら意地なぞ介在する余地はないのじゃ!! それに良いのか? それこそ儂らギルドが掌握する販路が無ければ、その小娘の功績どころか、成果である新ポーションすら日の目を見ることは無くなるじゃろうて!」
「まだ、そのようなことを仰るのですね……」
――――関係ないと。個人の自由意志など関係なく、学会に、ギルドに有用だからと取り上げ、囲い込み、搾取する。
似てるよなぁ……。その傲慢さ、横暴さは、俺の家族を滅茶苦茶にしたどこぞのご隠居さまとそっくりだ。
権威を盾に、なんの力も無い下の身分の者を貶め、愚弄し、強奪し己らの欲のために利用する。
法を無視し、従わなければ身分や権力をチラつかせて逆らう気概を削ぎ、なんの保障もなく己らの操り人形へと変える。
正直拍子抜けだ。どんなに権威あるギルドだか知らねぇが、結局やってることは俺の元本家と変わらない。
お話にもならない無理難題を吹っ掛け、権力でゴリ押し捩じ伏せるだけのただの〝脅し〟。
こんなの、交渉ですらねぇ。
「彼女は……コレットは人間なのですよ?」
「それがどうした? 全ての錬金術師は我らが錬金術ギルドへと従属し、その発展のために寄与すべきじゃろうが。奴隷商人ごときの頭ではそれすらも理解できぬか!?」
「――――もう、よい」
俺とベニートが言葉を投げ合い、火花を散らすそのもはや交渉とも言えない会談の場に、静かな……しかし怒りが滲み出るような厳かな声が。
ムッツァート伯爵の声が、染み渡るように響いた。