第84話 マリアと交渉と奴隷契約
交渉は続く。
「儂らギルドが望むのは、新ポーションのレシピと発見者であるそこな奴隷のみ。そこに余計な者が入り込む余地は無い」
「彼女コレットはわたくしが所有する奴隷であり、また今回発見されたポーションのレシピを見出したのは彼女であり、そのレシピの権利は間違いなく彼女の物です。それこそ疑念が挟まる余地も無いでしょう?」
「じゃからそれを譲れと言っておる」
「では彼女の功績への恩賞はどうなるのです? 慣例から言って、あなた方錬金術ギルドが彼女へ正当な保障を与えるとはとても思えません。そして彼女の意思は? そしてもちろん、彼女の雇用主であり所有者でもある、わたくしへの補償も検討していただかねば」
「これは金がどうとか、そのような俗な話ではない。薬学界が大いなる一歩を踏み出す契機となり得るほどの発見じゃ、それを成したという名誉があろう。奴隷にとってはそれすらも過分じゃろうが」
結論から言うと、まったくもってお話にならない。
ギルドから派遣された交渉担当である、ベニート・ゴルトワ準男爵。自身も錬金術ギルドの幹部でもあり、今回の新レシピとそれに付随する権益を是が非でも手に入れたい彼は、どうあっても新レシピの発見者――あたしの奴隷であり錬金術師として研究部に所属するコレットをタダで引き抜こうと、腹も膨れず懐も温まらない〝名誉〟なんてモノまで持ち出す始末だ。
横目でチラリと窺えば、今回の商談の仲介兼立ち合いを担ってくれている我らが領主様、ムッツァート伯爵閣下も呆れた視線をベニートに向けている。
「どこまで行っても俗な話なんですよ、ゴルトワ準男爵様。新レシピによって従来のポーションと同等の物が安易に、大量に製作できる。それが世に出回れば安価なことで新たに一般層にまで普及し、価格は抑えても経済の流れは一気に加速するし増加する。薄利多売が可能になり、ギルドが今まで開拓してきた販路に、また一つ莫大な利益を内包した新たな販路が加わります。その恩恵を発見者であり開発者であるコレットが受け取るのはまったくもって当然の話であり、権益をギルドのみが独占することは決して許される事ではありません」
「儂らが不当に利権を貪っていると愚弄するか、小娘!?」
「愚弄ではなく事実でしょう? 錬金術ギルドは理念である薬学界の発展よりも、俗な財貨や権益を得たり守るのに必死なんでしょう? だから彼女をタダで譲れと暴言にも似たことが言えるし、わたくしを小娘と侮っている。わたくしが何の備えも無しにこの場に臨んでいるとでも?」
「ハッタリじゃ。如何に【キャスター】たるムッツァート伯爵閣下が味方に居ようとも、儂らギルドが持つ販路無くして、一体どのようにして新ポーションを普及させるつもりじゃ?」
はいはい、舐めプ乙。
交渉の場であるというのに横柄な態度を隠そうともせず、純然たる事実のみを突き付けてくるその様は、今まで如何にギルドが強い立場で、その権威を振るってきたのかが透けて見えるようだ。
【キャスター】である伯爵が居るにも関わらず強気なのも、笠に着るその権威がどれだけ巨大なのかを俺に分からせ、諦めさせるためなんだろうよ。
けどな、そんなこたぁコッチは端っから承知の上なんだよ。
「わたくしが望むのは、わたくしの奴隷であるコレット……彼女の意思の尊重と、彼女への評価と権利の保障です。そしてその彼女を欲するのであれば彼女自身の価値に見合った正当な対価を、正式な文書に認めた上で錬金術ギルドが支払うこと。それがお認めいただけないのであれば、わたくしには他には話すことなど何もございませんが」
「何をバカなことを。奴隷ごときに権利じゃと? 評価じゃと? 古くよりこの国の根幹を支えてきた我が錬金術ギルドが、奴隷ごときに褒賞を与え、その上でそ奴を尊重しろじゃと!? 貴様のような小娘が……ましてや奴隷商ごときが調子に乗るでないわ!」
……言いやがったな?
俺が大嫌いな言葉を。大切な奴隷達や俺達奴隷商人を同じ人とも思っていない、完全に見下して貶める言葉をよ……!
「準男爵よ、些か言葉が過ぎるのではないか?」
そのあまりな言い様に、あくまで立会人である伯爵も苦言を呈する。
しかし、地位も名声も俺らとは月とスッポンであるはずの伯爵の言葉にも、ベニートは怯む様子がない。
「お言葉ではありますがな、閣下。事は薬学界全体に響く此度の一件。如何な閣下のお申し付けでありましょうともこの老骨、錬金術ギルドを代表する立場として妥協はできませぬぞ?」
やはりそこに帰結するのだ。
【キャスター】たる伯爵をもってしても、こと薬学やそれにまつわる事柄に関しては、錬金術ギルドの権威には及ばない。現状この帝国に住む民達や冒険者、さらには貴族、皇族に至るまでもが、このギルドが牛耳っているポーションを始めとする、様々な薬品に頼らざるを得ないからだ。
彼らはそうして古くから、この国の根深い部分に食い込んできたのだ。彼らにとって身分など、箔付け程度の価値しかないんだろうな。
だったら、俺も奴隷商人らしく振る舞ってやろうじゃねぇか。
さっきの条件で認めときゃあ良かったものをよ、てめぇが自分自身で、この商談を棒に振り終わらせちまったってことを、分からせてやる。
「では致し方ありませんね。コレット、貴女との奴隷契約をここに破棄し、貴女を自由の身に戻します」
俺はそう声高に、ベニートによく聞こえるようにわざとゆっくりと、そう宣言してやったのだ。