第83話 マリアとベニートと交渉の時間
「この者……コレットといったか。この者と新ポーションのレシピを、我ら錬金術ギルドに譲渡せよ」
開口一番に、そんな舐め腐った言葉を口にしたベニート・ゴルトワ準男爵。
ただの準男爵と侮るなかれ。この男……こんな横柄な態度ではあるけど、錬金術師ギルドの上層部に所属しており、元々の職業適性は【商人】という、恐らくは交渉のスペシャリストだ。
案の定安価に作成可能な新ポーションのレシピと、そのレシピの発見者であるあたしの奴隷――コレットを無償で譲れと、最低も最低な吹っ掛けをカマしてきた。
まあ想定の範囲内であったから、あたしはまだ冷静に……ローテーブルの下で両の拳を強く握り締めるだけで堪えて、営業スマイルを顔に貼り付けたまま返答を返す。
「これは異なことを仰られる。我が商会の奴隷である彼女の研究成果を、しかもこれほどの功績を成した当人までをも譲れと、まさかそのようなご無体を本気で仰っておられるのでしょうか?」
遠回しに『正気を疑ってますよー』と煽りを添えて、しかしムッツァート伯爵が立ち会っていることを念頭に置いて、慎重にその腹の内に探りを入れる。
まあベニートも横目でチラチラと伯爵を意識しているようだから、無償での譲渡はあくまで〝あわよくば〟という牽制に過ぎないだろうけどね。
表面上は穏やかながら、こうして熾烈な化かし合い……もとい新製法の権利その他の交渉の幕は、静かに上がったのだった。
――――さて、どうしてあたしが伯爵の依頼とはいえ、このクソ忙しいタイミングでこんな商談に乗り出したかというと……それは偏に、皇族派であるムッツァート伯爵とその庇護を受けるあたしへと、帝国内の貴族達の耳目を集める目的があるからだ。
あたし達が暮らすこの〝フォーブナイト帝国〟は、大きく分けて三つの派閥が裏に表に、水上でも水面下でもその利権や権勢を争って火花を散らしている。
一つは皇帝陛下を始め皇族の権勢を固め、その専制政治を支え忠誠を誓う〝皇族派〟の一派。
一つは貴族諸侯の発言力や権力を高め、政治や利権に己らの意思や思想を大きく影響させたい〝貴族派〟の一派。
そして一つは、先の二派閥に迎合せず独自の体制でもって民を治め、表向きは皇室に忠誠を誓いながらも時の趨勢を見守り続けている〝中立派〟の一派。
この帝国も例に漏れず、他国を侵略し併呑してきた歴史を持っているから、それら亡国に仕えていた諸侯らの多くがこの派閥に属して、少しでも有利に傾いた天秤に乗ろうと虎視眈々と息を潜めている。
あたしはそんな派閥闘争に明け暮れる貴族達の視線をこの身に集め、〝皇族派筆頭である伯爵閣下と共に大仕事に取り掛かっている〟という体面を作り上げる必要があったのだ。
それもこれも、全てはブリリアン伯爵領内で活動する仲間達から視線を逸らせるためと、その活動によって起こり得る事態への〝あたし達の関与〟を疑わせないため。
当然ながら、我がワーグナー商会の研究部による成果への正当な評価と権利を手にすることも、大きな目標ではあるんだけどね。
つまりあたしは交渉と陽動、そしてアリバイ作りの三つの目的を一挙に果たすために、伯爵の協力の下でこの商談へと臨んでいるのだ。
商談の相手は、この帝国内でポーションなどの薬品に関する利権を一手に掌握する〝錬金術ギルド〟。
流通網もその既得権益も全てを牛耳っているこの巨大な組織に、どう立ち向かってやろうか。我が商会のコレットが得るべき評価と権利、そして彼女の主人である〝奴隷商人〟としても、何より【社長】としても負けられない、そんな世紀の一戦なのだ、これは。
「士爵とはいえ、一介の奴隷商風情が大きな口を叩くのう。儂を錬金術ギルドの人間と知ってのことか?」
「準男爵こそ、ここはギルドではなく【キャスター】閣下の御前ですよ? 権威を振りかざすのも結構ですが、何がお互いにとっての益か不益か、慎重にお考えになることをお勧めしますが?」
「ふんっ。権威を笠に着ておるのはお主も一緒であろうが。所詮は小娘か、強い大人の陰に隠れるのが得意と見えるのう」
「ご安心を。閣下はあくまでもこの交渉の見届け役をお受け下さっただけですから。ただ言わせていただきますと、その閣下ですらもこの度の新ポーションには、高い評価と強い関心をお持ちであることをお忘れなく」
「小賢しい真似を……」
「商人には誉め言葉ですね」
売り言葉に買い言葉。言葉の刃を交わし、感情を排した視線で火花を散らす。
あたしとベニートの舌戦は、今のところ五分五分といったところか。
ここからどんな手段を持ち出してくるか。
決して油断も慢心も許されないこの交渉の場で、一体どれだけの譲歩を引き出せるか。
もちろんあたし達にとっての最良は、この新ポーションの効果を錬金術ギルドが正式に認め、その製作者であるコレットがレシピの権利と、それに付随する正当なロイヤリティを得られること。そしてそれを前例とした、開発者への正当性を欠いた現在の組織体制の改善と、全ての未来ある錬金術師達が真っ当に評価を得られる土壌づくりだ。
そのための、【キャスター】の称号を持つムッツァート伯爵の同席だ。
魔法と錬金術は関りが深いからね。魔法界隈の第一人者でもある彼の手前、如何な錬金術ギルドとはいえ無茶を通そうとはしないはずだ。
そして前例さえでき、なおかつあたしが伯爵の庇護を受け続けることができるのであれば。そうすれば、たとえコレットのような奴隷身分であっても研究成果は真っ当に世に知らしめられ、人々に還元されていくだろう。
もし仮にこの場で交渉が決裂したとしても、あたしにはまだ次の手がある。
すでにその件については伯爵からの協力は取り付けているからね、大丈夫だとは思うんだけど。
まあ、ここで上手いこと錬金術ギルドから良い結果を勝ち取るってのが最良ではあるのだけど、目的を見失って熱くなり過ぎないように気を付けなきゃね。
あたしはそうして、ベニートを前に気合を入れ直したのであった。
大変お久しぶりでございます!
カクヨム様での改稿版も追い付いてきて、切りが良いので本日、9/1より連載再開させていただきます!
こちら小説家になろう様では、月・水・金の週三日更新ができればと思っております(本日投稿分は、明日9/2金曜の分とお考え下さい)。
何卒宜しくお願い致します。