第80話 薔薇姫と名誉騎士
「そのような所でお独りで、どうかなさいましたか?」
わたしことテスタロッサ・ディエス・ブリリアンとその浮世離れした黒髪の青年との出会いは、我が領都のほど近く、草と近くの森以外何も無い草原の只中の街道でした。
珍しい黒い髪に仕立ての良さそうな、しかし見たことのない衣服を身に纏い呆然と佇んでいる彼を見掛け、馬車を停めさせて声を掛けたのです。
「僕は……ここは、何という国ですか!?」
「ここはフォーブナイト帝国内の、ブリリアン伯爵家の治める領地です。領都のすぐ近くの街道ですよ」
キョウヤ・カザマと名乗ったその青年――幼い顔立ちから歳下かと思いましたが、なんと17歳だと言うのですから驚きです――は、まるで物語の世界に迷い込んでしまったかのように狼狽え、酷く混乱している様子でした。
不憫に思ったわたしは、執事のシルヴェスターに呆れられながらも彼を保護し、同じ馬車へと乗せて領都〝シャルトア〟へと連れて帰ったのです。
親からはぐれてしまい怖がっている獣の子を助けた。その時はそのような軽い気持ちだったことは否めません。
しかし滅多に見ない黒髪や、不思議な服装――キョウヤは〝ぱーかー〟と言っていましたね――に興味が惹かれたのも事実ですし、彼が名乗った〝カザマ〟という家名に心当たりが無いこと、しかし家名を持つからにはそれなりの家の出であると思われたことも事実でしたので、わたしは行く宛も頼りも無いと不安がるキョウヤをわたしの名に於いて保護することを決め、領主であるお父様に彼を紹介したのです。
「テスタロッサ。優しさは美徳とも思うが、お前はまだ成人前の未婚の淑女であるという自覚をだな……」
「では彼をまた森近くの草原に放逐するのですか? わたしはわたしの名に於いて彼を保護しました。貴族として、何よりブリリアン伯たるお父様の娘として、それを今更無かったことにはできません」
「むぅ……。一度決めたら頑ななところは、一体誰に似たのだろうか……」
「もちろん、お父様ですよ♪」
お父様の説得中も、キョウヤは酷く怯えていました。突然見ず知らずの、それも大貴族たる伯爵に面会をしたのですから、無理もないこととは思いました。
しかしわたしには、彼が恐れていることはもっと大事なのではと益々興味を惹かれ、わたしの護衛騎士の見習いとして雇い入れることに決めました。
「お母様、彼がお話した護衛騎士見習いの、キョウヤ・カザマです」
「初めまして、奥方様。お嬢様には感謝してもしきれません」
「まあまあ、そんなに畏まらなくても良いのですよ。本当に真っ黒な髪なのですねぇ」
「故郷では、ほとんどの人が黒髪ですよ。脱色して色んな色に染めている人も多いですけどね」
「まあ! 髪の色を変えるのですか!? 何かの儀式でしょうか……?」
「い、いえ、そういうわけでは……。ファッション……オシャレの一つですね。あとはコンタクトレンズで瞳の色を変えたり……」
「「瞳の色まで!?」」
彼の故郷のお話は、わたしや滅多に領城を出ないお母様をとても楽しませてくれました。
聞けば彼の故郷では皆が家名を名乗ることが出来、全ての子供達は学び舎へ通い、最低限の教育を受ける義務があるとのこと。我が帝国とも、近隣諸国とも違った制度や風習のお話は、まるで物語の中の……いいえ、異なる世界のお話を聞いているようでした。
「これが……魔法……! 僕にも使えるなんて……!」
「やはり適性が高いと覚えが早いですなぁ。テッサお嬢様もとんだ拾い物をなさいましたな」
「ガロード、彼は物ではありませんよ?」
「はは、これは失敬! キョウヤ、その調子で励めよ」
「はい! これからもご指導お願いします!」
キョウヤの適性を調べさせたところ、〝拳王〟という戦闘に適性の高いものがあることが分かり、魔法の素養も備えていたので、本格的に騎士としての教育が始まりました。
我がブリリアン伯爵家に仕える騎士団の長、ガロードに彼の教育を頼み、適性も手伝ってか、キョウヤは目を見張るほどの早さで技術や魔法を習得していきました。
馬術、剣術、槍術、そして近接格闘術などを、水を吸う海綿の如く吸収し、見る間に腕を上げて頭角を現していったのです。
そして少しして、近隣に現れた盗賊団の討伐任務をガロードに随行して見事果たし、騎士見習いから名誉騎士に取り立てられたのでした。
元々わたしの護衛騎士として保護したので、そのまま所属はわたし付きの騎士となり、どこへ行くのにも彼が一緒になりました。
彼は良く働いてくれたし、元々物腰の柔らかい人だったので、お父様も最初は渋っていましたけど、最終的には受け入れて下さいました。
「キョウヤも随分と逞しくなりましたねぇ」
「ジンさん、ありがとうございます。ジンさんが適性を観てくれたから、テスタロッサお嬢様に恩返しができてます」
「いいや、キョウヤ。適性はあくまで適性ですよ。今のキョウヤが在るのは、キョウヤ自身が強い信念を持って努力したからです。女神イシスは努力の人を見捨てないのですよ」
「そうですよキョウヤ! 貴方はわたしが見出した、わたしの護衛騎士なんですからね! もっと自分に自信を持ってください!」
「おやおや、薔薇姫様にもついに春が来ましたかね?」
「なっ……!? そ、そうではありません! もうっ、揶揄わないでくださいソニトゥス司教様!!」
「あはは。分かってますよ、お嬢様。僕は護衛騎士として、お嬢様を何からも守ってみせます。いつも、いつまでも……」
足繁く通う聖堂のジン・ソニトゥス司教様との他愛のないお喋りや、街での買い物や散策。ちょっとした郊外の町や村への視察など、彼はいつも一緒で、穏やかに微笑みながらわたしを守護して下さいました。
しかし、彼を保護してから三年ほど経ったあの日……。
「キョウヤ・カザマ卿、貴殿を仲間殺しの疑いで連行する。拘束しろ!」
「は!? ま、待ってください!! なんのことですか!? 僕は何も……!!」
「抵抗すると罪が重くなるぞ! 殺害された騎士の部屋から貴殿の騎士章が見付かったのだ! 神妙にしろ!!」
「違う! 僕はやってない!!」
「黙れ! 話は城で聴く! 早く連行しろ!!」
「僕じゃない!! 僕は何もやってない!!」
わたしが成人……15歳の誕生日を迎えて少ししての事でした。城下の街の散策中に衛兵が大挙して押し寄せ、瞬く間に困惑し抗議するキョウヤを拘束し、城へと連れ去って行きました。
それが、声高に無実を叫ぶキョウヤの姿が、わたしが最後に見た彼の姿となったのです。
わたしは我に返るとすぐさま、彼の代わりにと残された衛兵の護衛に守られながら城へと引き返して、お父様に事情を訊ねました。
お父様は自身も信じ難い様子で、沈痛な溜息を吐いて、彼の罪状をわたしに告げました。
曰く、騎士舎で我が領の騎士が一名殺害されており、調査したところ彼の……キョウヤの騎士章が部屋から発見された、と。殺害された騎士は度重なる殴打によって殺害されており、キョウヤの戦い方と一致する、と。
わたしはその日から不要不急の外出を制限され、部屋にも護衛の騎士が常に詰め、投獄されたキョウヤに会いに行くことも叶いませんでした。
そして異例なほどの早さでキョウヤは裁判に掛けられ、名誉騎士の身分のみならず、彼が元々持っていたはずの〝カザマ〟という家名までも没収され、犯罪奴隷として国の預りとなり、この領から連れて行かれました。
わたしは何度も、お父様やお母様に彼の無実を訴えました。あの彼が、あの優しいキョウヤが同僚を、仲間を殺すはずがありませんもの。
しかしお父様の答えはいつも同じ。『物証がある』、『神前に誓いを立てた裁判で決が下ったのだ』と。
裁判の公判はわたしも耳にしました。『彼の者はテスタロッサ嬢を我が物にせんと企み、それを看破した同僚の騎士を殺害せしめた』と。
何を莫迦な。あのキョウヤがそんなことを企んでいたと、本気で言っているのか、と。
わたしがエスコートをお願いしても、腕を組むことすら赤面し狼狽える、あのキョウヤが?
わたしに拾われた恩を返すのだと、血と汗と涙を流して日々拳を、剣を、槍を振るい続けたあのキョウヤが?
そんなはずが、ないじゃないですか……!
風の噂で、キョウヤが犯罪奴隷として競売に掛けられたと耳にしました。
聖堂に通い、女神様に何故このようなことになったのかとお訊ねしても、女神イシスの像は黙して何も語らず、いつもキョウヤと二人でお話を聞かせていただいていたジン・ソニトゥス司教様も、いつの間にかお姿をお見せにならなくなりました。
ソニトゥス司教様の後任として助祭から司祭へと繰り上がったキュベイ司祭様は、どうにもわたしをジロジロと観てくるので苦手です。結果、わたしの足は段々と聖堂からも遠のき、あんなに楽しくて大好きだった市街の散策も、頻度をかなり少なく……いえ、執事のシルヴェスターに声を掛けられ、ようやく出掛けるほどになってしまいました。
そうして、一年ほどが経ちました。
16歳となったわたしも、そろそろ結婚を考えねばならない時期となり、お父様やお母様からも、いつもお見合いの話を聞かされていました。
我がブリリアン伯爵家は、残念ながら男児に恵まれませんでした。わたしと、既に他家に嫁いだ姉と、たったの二人姉妹です。つまり、わたしはお家のためにも優秀な男性を婿に取らなければならないのですが……正直に言えば、まったく乗り気ではありませんでした。
のらりくらりと見合い話を躱し、時にはシルヴェスターを困らせ、騎士団長のガロードを困らせて、たくさんのメイド達を困らせながらも、遂には〝年貢の納め時〟――キョウヤの故郷の言葉ですね。こちらでは〝納税官の参じ時〟と言います――がやってきたのです。
「彼は長年我が伯爵家に多大な貢献を成してきたモンテイロ子爵家の次男だ。我が家は中立派を謳っている以上、他派閥から婿を取る訳にはいかんからな」
「初めまして、社交界の【薔薇姫】テスタロッサ嬢。ご高名はかねがね伺っております。モンテイロ子爵家が次男、ケルヴィン・マイト・モンテイロと申します」
わたしはテスタロッサ。帝国貴族たるブリリアン伯爵家の娘です。当家に唯一残った息女として、わたしはいよいよ結婚しなければならなくなりそうです。
それが貴族の子息子女としては当然の務めというのも理解しています。
ですがどうしてでしょう。
あの日、怯えた獣の子のように草原に佇んでいた貴方が。
血の滲むような訓練を歯を食いしばって耐え抜き、それからは何をするにも一緒だった貴方が。
共にソニトゥス司教様の揶揄に顔を熱くした貴方が。
わたしに恩を返したいと、はにかみながら微笑んでくれた貴方が。
声を高くして無実を訴えながら連れて行かれた、黒髪の貴方が。
わたしの心から離れないのです……。
もっと、色んな町や村を一緒に見て回りたかった。
もっと、貴方が訓練する姿を見ていたかった。
もっと、一緒に司教様のお話を聞きたかった。
何故、居なくなってしまったのですか?
どうして、私を独りにしたのですか……?
いつも、いつまでも守ると、そう言ってくれたのに……。
キョウヤ、貴方は今、どこでどうしているのですか……?