第73話 リハビリテーションを提案するマリア
領都ハル・ムッツァートから急ぎ帰還したあたし達は、会議に会議を重ねて事業拡大の素案を練り続けていた。
それなりの規模であったロリぺドギャリソンの商会、ゴルフォン商会が解体されるのであれば、放出される奴隷の数も十や二十では利かないだろう。
我等が領主様であるムッツァート伯爵はその内、傷病奴隷や心を病んでしまい使い物にならない奴隷達を中心に引き取るはず。
であるならぱ、そういった人達の受け皿になれるよう、急遽商会の体制を整える必要がある。
「簡単な手妻事を斡旋していただくのは如何でしょうか?」
「手妻事……内職だね。確かにそれなら他人との関わりも少なくて済むね。社会復帰の足掛かりには良いかも」
カトレアが彼等でもできそうな仕事の提案をしてくれる。
確かに奴隷である以上は、何かしらの仕事をしなければそれこそ価値の無い者として扱われかねない。
こちらから彼等でもできる仕事を用意してあげるのも、必須事項だよね。
「戦闘に適性のある者達はどうしますか?」
「虐げられて傷付いた彼等にいきなり戦えなんて言えないよ。かと言って何もさせないのも身体が弱っちゃうし、適度な運動は必要だよね……」
ミリアーナが自身の役割を訊ねてくるけど、彼女が統括する〝戦闘部〟は冒険者活動や護衛任務など荒事が専門だ。当分彼等にやらせられる仕事は無いだろう。
それにウチの商会と違って他所の商会の奴隷達に、いきなりウチの業務をこなせと言うのも酷だろう。
「重要なのは、身体的な障害か精神的な障害か、どちらなのかを見極めて適切にケアすることだね。そしてそれを癒せられれば満点。無理だとしても、社会復帰ができるように道を敷いてあげるのが、あたし達の役割だと思う」
あたしは会議室に集まった部長級以上の面々に向かって言い放つ。
新事業所の準備のために領都に留まるバネッサ以外の部長達は、あたしの言葉に神妙な顔をして頷きを返す。
「彼等の尊厳を取り戻し、人らしく生きることを支える。そのためには彼等の努力ももちろんだけど、あたし達の理解と歩み寄りが必要だと考えます」
前世の朧気になりつつある記憶を掘り起こし、素案として急遽まとめた考えを、あたしはみんなに発表する。
「新事業所の中心事業は、〝社会復帰訓練〟を主に行います。傷病奴隷などだけでなく、負傷退役軍人など社会貢献が困難な人達へも門戸を開き、広く受け入れを進めよう。
「慈善事業の色が濃くなっちゃうけど、そこから一人、また一人と復帰が望める人が増えれば、他の部署に異動させたりも可能になるしね。どうかな?」
あたしが提案するのは、心や身体に傷を負う彼等でも、人の役に立てることがある、という成長と成功体験を与える場の提供だ。
もちろんニワカ知識だし、上手くいく保証なんてどこにも無い。だけれど、このまま指を咥えていては、多くの奴隷達が理不尽に痛め付けられたまま〝処分〟されてしまう。
そんなのは、絶対に許す訳にはいかないんだ。
「マリア会長、運営費は如何いたしますか? こちらとは別に予算枠を組んだ方が何かと動かし易いとは思いますが」
「そうだねカトレア。今回伯爵閣下に依頼された仕事の報酬の、三分の二は新事業所に当てたいの。それとは別に領の行政府から補助が出ないかも掛け合ってみるつもり。計算は面倒で複雑になっちゃうけど、調整を頼めるかな?」
「承知いたしましたわ。まずは大枠を作ってしまいましょう。〝総務部〟でも練り上げて、急ぎ報告いたしますわ」
「よろしくね」
伯爵領の財務次官の、面目躍如ってとこかな。
頭の中で高速で算盤を弾いているであろうカトレアは、そのまま資料や報告書に没頭し始めている。
ホント、頼もしいね。彼女にあの話が届く日が待ち遠しいよ。
「アンドレ、一つ大事な仕事を任せたいの」
「なんすか、お嬢?」
次いであたしは、新事業所に必要不可欠な要素を埋めるために、〝情報部〟統括のアンドレに水を向ける。
「新事業所には多くの傷病者が集まることになる。医療面でのサポートは必須になるから、アンドレには腕の良い医者や薬師を探して集めてもらいたいの。働き詰めを防ぐためにも、人数は多ければ多い方がいい。頼める?」
「……そりゃあ、探せば燻っている連中も居るだろうが……。良いんですかい? 中には裏の仕事に手を染めてる輩も混じるかもしれませんぜ?」
「そこはアンドレ達情報部を信じてるよ。それに最終的に人柄を観るのは、このあたしだよ? あたしの見立てを信じられない?」
「それを言われちまうとなぁ……! あいよ、お嬢。できるだけ早く、多く集めてくるっすわ」
「頼むね、アンドレ」
みんながあたしの無茶に力を貸してくれる。この会議に参加しない奴隷達も、今この時も商会のために一生懸命働いてくれている。
この新事業は絶対に成功させなきゃいけないと、あたしは改めて強く決意したのだった。
◇
「ムスタファ、新事業所に連れて行く職員の選定はどう?」
「会長サマ、それは済みましたが、やはりワタシも行かないといけませんか……?」
「なぁに? まだ馬車のことを気にしてるの? あたしが大丈夫って言ってるんだからいいんだよ。それよりも、やっぱり料理のことはムスタファに任せたいんだ。ゆくゆくは弟子なり部下なりに任せたいけど、こういうのは最初が肝心だからね!」
相変わらず心は乙女な大男、〝調理部〟部長のムスタファに準備の程を確認すると、この漢女はまだ新事業所に行くことについて悩んでいたようだ。
悩むのは大変結構。何も考えずに言われた事だけやるなんて、ブラック企業の始まりだからね!
あたしはその悩みにだって、ちゃんと向き合う所存ですとも!
「うぅ……! ですがワタシ、傷病者のお食事なんて作ったことないですよ……」
ムスタファの悩みも分からんでもない。あたしだって療養食の知識なんかからっきしだし、この世界にもそんな専門的で近代的な知識なんか、期待すべくもない。
でも、だからこそなんだよムスタファ。
何にだって一番最初ってものがある。あたしだって全面的に協力するし、アンドレ達情報部が医者や薬師を一生懸命探してくれてる。
彼等の意見も取り入れて、実際にやってみて、少しずつ改良していけばいいじゃないか。
それになにより……
「お願いだよ、ムスタファ。美味しいご飯は何よりの楽しみになり得る。ご飯のために頑張ろうって、生きる力になる。だからお願い、ムスタファの力を貸してちょうだい」
「うぅ……、ズルいです会長サマっ。そんなこと言われたら、料理人として頑張るしかないじゃないですか……!」
そうだよ、あたしはズルい商人なの。奴隷達が安心して暮らせるようになるんだったら、口八丁手八丁何だって使っちゃうんだからね!
新事業所、ワーグナー商会〝社会復帰訓練部〟の発足に向けて、あたし達は急ピッチで準備を進めていく。
次はルーチェの〝研究部〟だったね。
「会長、新ポーションのレシピや、欠損治療薬の研究資料はこちらですっ」
「ありがとルーチェ。ちゃんと考案者との紐付けも抜かりなくできてる?」
「それはもちろんっ。新手法の権利書類なんかも、カトレアさんに手伝ってもらってしっかりと揃えてありますっ」
ルーチェに頼んでおいたのは、我がワーグナー商会の研究部で培ってきた、今までの研究成果を世に出す準備だ。
研究部では主に魔法と薬学について研究を進めてきた。特に力を注いできたのは、従来よりも安価に作成できる、ポーション類の治療薬の研究だ。
問題だったのは、その研究成果を発表するにしても、それを考案した奴隷の功績になりそうになかったこと。なぜならポーション類の販路は〝錬金術師ギルド〟が牛耳っているから、権利ごと買い叩かれてしまう可能性が高いんだよ。
それじゃあ安価に作れるポーションの意味が無いし、既得権益でギルドの上層部の知らない誰かが儲かるのは気に入らない。そんな理由で今まで発表できずにいたのよね。
だけど今回、ようやくチャンスが巡ってきたのだ。
その根拠となるのは当然、皇帝陛下から〝キャスター〟の称号を与えられし大貴族、我等が領主様であるムッツァート伯爵だ。
今回の新事業所開設はあくまで伯爵からの〝要請〟だからね。あたしとしてもお願い事をする権利くらいは与えられてたんだよ。
そこで我が国フォーブナイト帝国を代表する魔術研究者にして実戦魔導師たる伯爵の権威を借りて、商会のみんなの研究成果を世に送り出そうという訳よ。
「それにしても、よく伯爵様が協力してくれましたね?」
「そりゃあそうだよ。安価な薬が出回れば、それだけ帝国の力になるんだもん。不正はあの御仁が最も嫌うところだし、伯爵の権威があればギルドも無茶は言えないだろうしね」
「会長……、だいぶ腹黒くなってません?」
「はは。商人に『腹黒い』は褒め言葉だよルーチェ。それより、新しい研究の下準備もよろしくね?」
伯爵に今回の研究発表の後ろ盾になってもらうに際し、一つの条件を付けられた。
それは、今まで治療不可能とされてきた難病の数々に対する治療薬……要するに新薬の開発研究だ。
もちろんそんな条件なんて、あたし達にしてみればメリットしかない。新たに受け入れる傷病奴隷達の治療にも役立つし、何より研究の支援だって確約してくれたのだから。
本当にあの人は、真に民を思ってくれる立派な為政者だよね。頭が下がるよ、ホント。
「はいっ。手始めに色々な素材の採取を、戦闘部と情報部の皆さんにはお願いしてありますっ」
「あとは受け入れた奴隷達の症状次第で優先度を付けていこうか。調査や診断は頼むからね?」
「お任せ下さい、会長っ!」
研究部も準備万端だね。
そしたらあたしは、カトレアとの大切なお話に行こうかな。
伯爵とのこれまでの付き合いで、十二分以上の働きをしてくれた彼女。
伯爵の部下の監督官として、そして我が商会の〝総務部〟の部長として、影に日向にとても良く支えてくれた彼女に、あたしは一つのお願い事をするために、総務部へと向かったのだった。