第63話 元男爵令嬢のスタディ・デイズ
更新が不定期になってしまい、申し訳ありません。
決してエタらせるつもりはございませんので、どうぞお付き合い下さいませ。
「ここも間違っていますね。では最初から、間違った問題を解き直してください」
「ふぇぇ……っ!」
あたくし……わたしはロクサーヌ。男爵家の令嬢……だった、今は奴隷の女の子よ。
なぜわたしが奴隷なのって?
それは、お父様とおじい様が悪いことをして皇帝陛下を怒らせて、お家が潰されてしまったから。だからわたしも貴族ではなくなって、罪人の娘として、奴隷になってしまったの。
そんな奴隷のわたしを買ったのは、憎たらしい分家の、わたしと同じ歳のマリアという女の子だった。
おじい様の弟の孫であるマリアは、両親をわたしのお父様とおじい様に殺されたらしい。
あの日、わたしの家に乗り込んできたマリアの憎しみの込もった怒鳴り声は、同い歳の女の子が出したとは思えないほどに恐ろしかった。
結果的にマリアのせいでわたしは奴隷になったのだけど、後から教えられたわたしの家族がしてきたたくさんの悪いことに比べれば、その場で殺しもしないで捕まえるだけで我慢したマリアのことを、素直にすごいと思った。……絶対に言わないけど。
「……はい、今度はしっかりと解けましたね。しっかりと身に付いてきたようで何よりです」
「あ、ありがとうございます……っ」
そんなわたしは今は、わたしを買ったこの商会で、バネッサというこの女性から一般教養の手ほどきを受けているの。
算術や読み書き、歴史や地理など、バネッサは色んな知識を丁寧に教えてくれる。
講義を受けて初めて、わたしが如何に何も知らなかったのかを思い知らされた。そして、わたしが如何に甘やかされて生きてきたのかも……。
「バネッサ……先生」
「はい。何ですかロクサーヌ? どこか分からない所がありましたか?」
「ううん、今日の範囲はよく分かった……分かりました。そうじゃなくてあの子……マリア様について、今日もお話してほしい……です」
最近は座学を一通り終えた後、マリアについてのお話を聞かせてもらっている。なんでもあの子は7歳という小さな時から、父親に付いてこの奴隷商会の仕事に携わってきていたらしい。
わたしが7歳の頃なんて、何も考えず親にお話をせがみ、お菓子を食べ、お庭でお花を摘んだりお人形で遊んだりしていただけ。だというのにあの子は何不自由なく暮らしながらも、自分を磨き常に努力してきた。
信じられなかった。
「――――という訳で、【赤光】のミリアーナはマリア会長の奴隷となったのです。罪を犯し値が落ちたとはいえ、それでも7歳の少女にとっては莫大に過ぎる借金を背負って」
「それであの時先代会長様は、おじい様の要求を跳ね除けたのですか……」
「その通りです。そもそもがたとえ自身の分家筋で平民身分といえど、居丈高な物言いでただ取り上げようとするなど。貴族とはいえ看過できる振る舞いではありません。当然、優秀な適性持ちを問答無用で取り上げるといった行為もです」
「うぅ……っ」
ただお話を聞いていただけのはずが、いつの間にか過去のわたし達元男爵家の振る舞いの話に変わってしまった……!
わたしがした事ではないとはいえ、あの時無邪気に『ミリアーナが欲しい!』とワガママを言っていたのも事実だし、今更ながら自分の無知が恥ずかしい。
「ロクサーヌ、顔を上げなさい」
恥じ入り俯いていたわたしに、バネッサ先生がいつになく優しい声を掛けてくる。
ゆるゆると顔を上げたわたしに、バネッサ先生は信じられない言葉を話して聞かせてきた。
「マリア会長……お嬢様は、貴女に期待して下さっています」
「期待……? こんなあたくし……わたしにですか……?」
何を言っているのか、理解が追い付かない。
だってあの子は僅か7歳でAランク冒険者の主人になり、仕事まで任され、今では大貴族たる伯爵にまで認められ、名誉貴族の位まで手にしている。
何も知らず、何も出来ないあたくしとは真反対。
何でもできるあの子が、あたくしに一体何を期待しているというの……?
「お嬢様は貴女に、やり直す機会を与えて下さいました。貴女はこの商会に来てから、何か不自由を感じましたか?」
「い、いえ……。お食事もすごく美味しいし、定まった休日まで頂いて、正直、『奴隷とはこんなものか』と拍子抜けしたくらいです……。お仕事も最低限ですし、こうしてお勉強までさせてもらって……」
「それはお嬢様の商会、ワーグナー商会が特別なだけです。お嬢様が考案され改革を成した、この商会だからこその待遇です。他所の商会とは全く違います。誤解しないように」
あたくしは午前中は奴隷の舎房の掃除や洗濯を手伝い、“侍従部”の研修でお茶のお勉強や礼儀作法を習う以外には、お仕事と言えることはまだしていない。どころか、午後にはこうして侍従部の統括である、バネッサ先生の手ずからの教育まで受けている。
世間知らずのあたくしでさえ、特別扱いされている自覚はあった。だけどそれが、“期待”から……?
「お嬢様は確かに非凡な才を持ち、それを存分に揮うための知識をもお持ちです。それでも、貴女と同じ歳の、ただの一人の家族の居ない少女なのですよ」
「ッ……!」
言われて初めてあたくしは気付く。
商会の従業員や奴隷にいくら慕われていようとも、それは家族ではない。
他ならぬあたくしの家族が、あの子の両親の命を奪ったのだ。何の咎も無い先代会長とその奥方を、ただ言う通りにせず気に入らないからと。
結果としてはあの子によって報復は成されたのだけれど、それも法に則っての正当な裁きを受けさせたに過ぎない。
そんな中で罪人の子として奴隷になったあたくしを、あの子は莫大なお金を支払ってまで買い取り、救ってくれた。
『強くなれ、学べ』とこうして部署の統括であるバネッサ先生までをも専属にして、教育を受けさせてくれている。
「お嬢様は強いお方です。しかしそれ故に孤独で、危うくもあります。私達も力の限りお支えしますが、残念ながらお嬢様よりも先に老い、朽ちていくのは避けられない事実です」
「……あたくしにあの子を、マリア会長を支えろと言うのですか?」
「いいえ。あくまでも選ぶのは貴女自身です。お嬢様は貴女に機会を与えて下さいました。『一人でも生きていけるように、自分で考えて選択ができるように』と、こうしてこの商会に居場所を下さったのです。ただ――――」
そう言ってあたくしの顔を見詰めるバネッサ先生のお顔は、常になくとても優しいものだった。
慈しみに溢れ、あの子を……マリア会長を心から慕っているのだと、その表情からは察することができた。
「ただ、その上で。知識や技術など、商会で様々なものを得た貴女が選ぶものをこそ、期待なさっているのです。そして私も、いつか貴女がお嬢様と並び立つ、そんな日を期待しています。お嬢様は私達の前ではあまり弱いところをお見せになって下さいませんから。もし貴女が成長し、お嬢様と肩を並べ文句も、弱音も、そして単なる雑談も言い合え話し合える仲になれば、と。そんな淡い期待をしているのです」
あたくしの家のせいであの子は家族を失って、その報復であたくしも家族を失った。
違うのは、あの子の両親はもう戻らないということ。あたくしは、奴隷になったとはいえお母様はまだ生きている。取り戻すことが、できる。
たった12、3の小娘に何ができたなどと、そんな言い訳など通用しない。
だってあの子はもっと小さな頃から努力して才覚を伸ばし、大人顔負けの働きぶりを見せ、数々の実績まで残し、仇の片割れでもあるあたくしをも救っているのだから。
似た境遇でいて正反対な、マリアとあたくし。
あの子が光であるならば、あたくしはそれに照らされてできた、影のようなもの。ただし、伸びに伸ばされたか細く、消えそうな薄い影だ。
――――負けたくない。
そんな思いが、心の内から湧き上がってくる。悔しいと、そう感じる。
「少しお喋りが過ぎましたね。お茶も用意せず、これでは休憩にならなかったでしょう。私は少し外しますから、少し休みなさい」
「…………必要ないわ」
「……ロクサーヌ?」
並び立つ? 支える?
そんな者があの子に必要なのか、そしてあたくしにそんなことができるのか。そんなことはもはや関係ない。
ただ悔しい。負けたくない。
あたくしと同じ歳のあの子がこんなにも頑張っているというのに、あたくしは何もせず、成さずに甘えて生きてきた。
それが、悔しい。
「バネッサ先生、次の講義をお願いします」
「……わかりました。では次は地政学の授業にしましょう」
だから、まずは追い付いてみせる。
あの子が力を付けろと言った通りに、知識も、技術も、商会で学べるありとあらゆるものを身に付け、見返してやる。
各部署の部長達のように、あの子に認めさせてやる。あたくしはもう世間知らずの何もできないお嬢様ではないと、そう見せ付けてやる。
そうあたくしは心に誓い、この厳しくも優しい先生に向き直ったのだ。
「ここと、あとここも間違っています。ここはこの間も間違えましたね? ちゃんと復習も欠かさずにしなければいけませんよ。では最初からやり直しです。追加でこちらも解きましょうね」
「ふぇぇ……っ!?」
……“優しい”は気のせいだったかもしれないわ。本当にマリアって、5歳からこんな厳しいお勉強してたの!?
「頑張りなさいロクサーヌ。これが解けたら特別に、ムスタファに甘いお菓子を頼んであげますよ」
…………負けてられないわ! あの子に負けてたまるもんですか!
決してあの子の支えになりたいとか、せっかく親戚なんだから仲良くしたいとか、ましてや“調理部”のムスタファ部長の絶品なお菓子のためだとか、そんなんじゃないんだからねッ!!
「また間違っていますね。これも追加しましょう。ちゃんと集中なさい、ロクサーヌ」
「ふぇぇんっ!?」