第56話 ロクサーヌとマリア
宿に戻ったあたし達一行。
他の奴隷商人に舐められたら嫌だからとそれなりに高級な宿を選んだけれど、そうして正解だったよね。
料理も美味しいし部屋も広くて清潔。何より貸切風呂があるんだもんね!
「おかえりなさいませ、マリア会長」
「ただいまバネッサ。アニータとは無事に合流できた?」
「はい。先駆けで動いた情報部員から宿を特定したと“鳥”も届きましたし、彼女も早速現地へ向かいました」
「そっか。あたしの杞憂で済めば良いんだけどね……」
「最後までロクサーヌ嬢に執着していましたからね。このまま素直に引き下がるかは、正直分かりませんね」
アニータには、あたしと最後までロクサーヌを巡って競り合った奴隷商人……ロリぺド髭〇爵の身辺調査に行ってもらった。
アイツ、金貨一万枚を超える値まで張り合ってきたからね。何らかの非合法な手段で彼女を狙ってくるかもしれないから、念のためにね。
「なかなかの宿ですわね! あとはわたくし、早くお着替えがしたいですわ!」
あたしに続いて馬車から降りた当のロクサーヌは、呑気にそんなことを抜かしている。
あんた……さっきまでの縮こまった殊勝な態度はどこ行ったのさ?
「無礼ですよ、ロクサーヌ。貴女は自分の立場というものを理解していないのですか?」
「む! 使用人風情が、どちらが無礼なのですか!?」
あーあー。案の定化けの皮が剥がれて早速バネッサに噛み付いてるよ……!
やめときなってロクサーヌ……
「では説明いたします。まず私は、元奴隷の使用人ではありますが現在はマリア会長に解放していただいた、貴女の言葉をお借りするなら平民風情でございます。では貴女は? お家の当主とご隠居が犯罪に手を染め、お取り潰しとなり家名を剥奪されたロクサーヌ?」
「う、うぅ……!」
「弁えなさいロクサーヌ。貴女は最早貴族令嬢ではありません。お家を失い奴隷の身分となった、ただの少女なのです。貴女を購入してくださったマリア会長は、一体貴女の何なのですか?」
「うぅ……っ! こんな、平民なんかに……!」
「それも違います。マリア会長は名誉貴族位とはいえ、ムッツァート伯爵閣下に家名と共に士爵位を授けられております。士爵様であるマリア会長と、奴隷の貴女。そして平民で自由身分である私達。答えなさいロクサーヌ。一体、誰が無礼なのかを」
「うっ……、うぅ〜……ッ!」
あららぁ……。
バネッサの理路整然とした叱責に、とうとう瞳に涙を浮かべ始めたロクサーヌ。
どうやら本格的に、自分が奴隷になったのだと理解が追い付いてきたようだね。
「バネッサ、話の続きは部屋でしようか。ロクサーヌもまずはお風呂に入っておいで。あたしの着替えで良ければ貸してあげるから、まず気持ちを落ち着けなさい」
「一人で……入るの……?」
流石に宿の公共スペースで延々とお説教を続けられては困るので、一旦その場は切り上げようと、そう声を掛けたのだけど……
なんだって……? まさかアレか? 貴族のお嬢様だから一人じゃお風呂に入れないってヤツか!?
「……はぁ、分かったよ。あたしとバネッサも一緒に入ってあげる。身体の洗い方とかも、ちゃんと教えてもらいなさい。頼むね、バネッサ」
「かしこまりました。早速湯殿の手配をして参ります。ロクサーヌ、ついて来なさい」
「は、はい……」
やれやれ。完全にバネッサに怯えちゃってるね、アレは。
だけどロクサーヌ、怒った時のバネッサの怖さはそんなモンじゃないからね。精々怒らせないように良い子にしてなさいよ〜。
◇
そして、オークションの翌日だよ!
昨夜は遅くまで気を張ってたこともあり、ロクサーヌもお風呂に入ってたらウトウトし始めちゃったしで、結局そのままお休みしたのよ。
あたしも眠かったしねぇ……
ちなみに何がとは言わないけど、ロクサーヌめ……あたしより大きかったよ……! く、悔しくなんかないもん!
「マリア会長、ロクサーヌを連れて参りました」
「どうぞ、入って」
そんなこんなで結局お話ができなかったので、宿の朝食を済ませてからロクサーヌを部屋へ呼んだってワケ。
一晩経って気持ちが落ち着き始めたのか、ロクサーヌもだいぶ顔色が良く感じるね。
「おはよう、ロクサーヌ。良く眠れた?」
「おはよう……ございます、マリア……さま……」
訂正。やっぱりバネッサにビクビクしてるね。
部屋に来るまでに言葉使いとかを注意されたのかな?
あたしは苦笑しつつ、バネッサにお茶を淹れてくれるよう頼む。
そして。
「今だけは、本音で話そうか。あたしはワーグナー商会の、あなたの親戚であるマリアとして。アナタは今だけは、セイラム男爵家のロクサーヌとしてね。あ、だからってあたしはアナタにペコペコしたりしないけど、それは理解してね?」
まだ本契約もしていないことだし、せっかくなので腹を割って話そうとそんな提案をした。
ロクサーヌは目を丸くして、バネッサを窺いつつ口を開いた。
「良いんですの……?」
「今だけね。形はどうあれアナタはもうあたしの奴隷。だけどその前に、納得をしてもらいたいの」
「何を、納得するんですの?」
「あたしには、アナタしか救けられないということ」
「……ッ!!」
何かを期待されても困るからね。そこだけは先に釘を刺しておかないと。
「アナタがした事じゃないけれど、アナタの親と祖父……元セイラム男爵家の人間は、あたしの両親の仇だからね。むしろ法で裁かれていようとまだ許せないよ」
「じ、じゃあお母様は!?」
「それも無理。そもそも夫を支え補佐をする立場にあるべき貴族家の奥方のくせに、諌めもしないのならそれは同罪だよ。あの家でたとえ隠居の前男爵の発言力が強かろうが、それを夫と共に押さえ付ける義務があったんだから」
「そんな……」
「セイラム男爵家の人間ってことで言うなら、ロクサーヌ。アナタも本来なら同罪なんだよ?」
「わ、わたくしは何も知らなかったし、何もしていませんわっ!?」
「そうだろうね。だから救けようと思ったの。アナタはまだ子供で、甘やかされて育ったお嬢様だから。貴族令嬢の奴隷がどんな扱いを受けるか、アナタ想像したことある?」
「な、何を……?」
「貴族家のお嬢様には見目が整った娘が多い。そんな美しい女性に客を取らせる娼館は多いよ。中には貴族への恨みを込めて痛め付ける輩も居るらしいね」
「しょうかん……?」
「売春……身体を売る商売だよ。夫婦の営みくらいは分かるでしょう? それを、お金目当てに好きでもない男とやらされるの」
「そんなっ!? 嫌ですわッ!!」
「アナタみたいな幼い子供が特別好きな変態に、身体の隅々まで触れられ、嬲られるんだよ。そうさせないために、あたしはアナタを買ったの。だからアナタ一人を救けただけだけど、そこは納得してもらいたいの」
「お父様……お母様……お爺さま……」
「ちなみにだけど、アナタの大好きなお父様とお爺様は、既に処刑が決まっているよ。今は、数々の余罪を明らかにするために生かされているだけだね」
「お母様は……?」
「ああ、別々に管理されてたから知りようもないよね? アナタのお母様……ヒルデガルトは、他の奴隷商人に金貨300枚で買われてたよ。娘のアナタの値段を聞いたら腰を抜かすかもね」
まったく救う気も、ましてや興味も無かったからサラリと様子を観てただけだけどね。中年とは言ってもそれはこの世界の基準で、まだ二十代後半から三十代前半くらいだろうし、まだまだ客も取れるんじゃない?
それに万が一だけど、お金持ちに気に入られて身請けされるかもしれないし。
「たったの……」
「はいストップ。贅沢に生きてきたアナタがサラリと言った今の言葉。その考えは今後捨てなさい。今までのアナタにとっては金貨一枚なんて端金かもしれないけど、慎ましい平民だったらひと月は暮らせる金額なんだよ? 奴隷のアナタが金貨をたった一枚得るためには、いったいどれだけ働くことになるのか、想像してごらんよ」
「…………」
「理解出来た? アナタは子供だったおかげで救かったの。それが理解出来て納得がいったのなら、今までの貴族の常識は手放しなさい。そして一人でも生きていけるように、良い主人と巡り会えるように努力しなさい。あたしの商会なら、アナタが今後生きていく中で役に立つことを色々教えてやれる。強く、逞しくなりなさい、ロクサーヌ」
たった13歳の箱入り娘に、我ながらキツイことを言っている自覚はあるけれど。
家の庇護を失い、頼れる者などいないこんな世間知らずがこの先どうなるかなんて、火を見るより明らかだもんね……。
「…………なのに……」
「ん? ごめんロクサーヌ。聴こえなかったからもう一回言って?」
俯いたロクサーヌが、小さな手でスカートを握り締めて呟く。
ポツリと漏れたその呟きを拾えなかったあたしは、そう聞き返した……のだけれど――――
「親戚なのに! 血の繋がりはあるのに、どうして助けてくれないんですの!? あなた貴族になったんでしょう!? お金持ちなんでしょう!?」
――――頭が真っ白になる。ナニを言ってるんだ、このガキは……?
「ロクサーヌ!! いい加減に――――」
「バネッサ、いいよ。俺が言う」
この世間知らずのお嬢様は、本当に何も知らない。
遂には語気を荒らげて会話に割って入ろうとしたバネッサを制して、俺はロクサーヌを睨み付ける。
「なあロクサーヌ。お前さ、俺がお前の家に行ったあの日に言ったこと、覚えてねえのか?」
「な、なんですの急に……」
「俺は、お前の家族に両親を殺されてるんだぞ?」
「で、ですからそれはわたくしは……!」
「それだけじゃない。両親の護衛に就いていた奴隷達も全員殺された。父スティーブは顔を抉られて、母であるジョアーナや女性の奴隷は何度も何度も嬲り犯されてたんだぞ……?」
「ぅ……!」
「親戚だからとお前は言ったな? その親戚が産んだ愛しい子供を、適性が優秀だからと奪い取ったのはお前の家だぞ? 俺の一度も会ったことの無いアーロン叔父様も、【聖騎士】という適性だからとセイラム男爵家に奪われた。そして挙句の果てには戦死だと? 連絡すら寄越さないだと? ふざけるんじゃねぇ!」
「わ、わたくしは……」
「お前はやってないよ。だけど、お前が大好きな親父とジジィがやったんだ。貴族の派閥内での立場を良くするために、まるで物を扱うようにな。そしてお前が大好きな母親はそれを止めもせず、豪華なドレスに身を包んで贅沢三昧だ。ウチだけじゃなく他の親戚連中だって、そうやって今まで子供を奪われてきたんだ。
「なあ、教えてくれよロクサーヌ。お前の親と祖父に叔父も両親も奪われた俺は…………それでもお前を、蝶よ花よと可愛がってやらねぇといけねぇのか?」
みっともねぇ……! 何を俺はこんなガキ相手にムキになってるんだ? こんな世間知らずの……何も出来ない小娘に……
「チヤホヤされたいんだったら他所を紹介してやる。お前を巡って俺と競り合ってたデブなんかはどうだ? お前のことをずいぶん気に入ってたみたいだし、俺が落札した時なんかは顔を真っ赤にしてくやしがってたしな。まあ引き取られた後でお前がナニをされるかは、知ったこっちゃないけどな」
「そんな……!」
「俺が復讐して潰した家の娘。何も知らずに育った無力な娘だから、お前自身は何もしていないし何もできないから、だから俺は他所の奴隷商会で酷い目に合わないようにとお前を買った。それを拒むんなら、もう俺がお前にしてやれることは何も無い。今決めろ、ロクサーヌ。ウチで教育を受けて真っ当な人間に成るか、それとも他所に行って社会の辛酸と現実を舐めさせられるか」
まあ実際は買い手なんか今のロクサーヌには付かないだろうけどな。何しろオークションで莫大な買値が付いたのはつい昨日の事だし、それにしたってコイツ自身に何か秀でた能力や知識がある訳でもない。
俺みたいな特殊な事情持ちや、あの(実際のところは知らんけど)ロリぺド髭男〇くらいの奴じゃなきゃ、こんな無駄に値だけ高い奴隷を買ったりしないだろうよ。
「……めん、なさい……」
蚊の鳴くような声で、ロクサーヌが俯きながら言葉を吐く。
「は? 聴こえないぞ」
「ごめんなさい……! どうか、どうか他所には売らないでください……ッ!」
「それは、俺の奴隷になるってことで良いんだな?」
「は、はい……! わたくしロクサーヌは、頑張ってお勉強もします! だから、どうか他の奴隷商に売らないで!」
「聞いたな、バネッサ?」
「はい。確かに聞きました、マリア会長」
「それじゃあロクサーヌ。お前を正式に我がワーグナー商会の奴隷とする。これから契約をするからな。それ以降はお前の教育は、バネッサに一任する。俺の先生でもあるバネッサに付いて、しっかり学べ」
「は、はい!」
「バネッサも、頼んだぞ」
「お任せ下さいませ、マリア会長」
バネッサ先生の授業は厳しいからな。気張ってついて行かないとお説教が怖いから、精々頑張るんだな。あとついでに貴族の常識や礼儀作法を教えるって名目で、カトレアにも協力を頼もうか。
器量は良いしまだまだ発展途上の13歳。これからの成長如何によっては良家の侍女とかにもなれるかもだから、ホントに頑張れよ。
こうして俺……あたしは、両親の仇である元セイラム男爵家の一人娘、ロクサーヌと正式に奴隷契約を交わし、その身にはその証しである“魔力印”を施した。
まあ厳しいことも言ったけど、我が商会はホワイト精神に則った経営方針だからな。ロクサーヌがしっかりと学び働けば、それ相応の見返りはちゃんと用意してあげるよ。
何しろ歳が一番近いのって、17歳のアニータだけだもんね。
頑張って頼れるくらいに成長して、せっかく同い歳なんだからあたしの側近くらいになってもらいたいもんだよね!