第55話 【毒蛇】とマリア
土曜日は更新できず、申し訳ありませんでした。
お楽しみください。
「あ、貴女がワーグナー商会の会長殿……なのですか……?」
「え、そうですけど。何か問題でも?」
「い、いえ。てっきりお連れのどなたか女性の方のお嬢様かと思ったもので……! 大変失礼しました!」
「……まあ良いですけど。落札した奴隷の引き渡しはどちらで?」
「ほ、本日お引き取りなさるのですか!? し、少々お待ちくださいませ!!」
慌てて奥へと走って行く係員のおじさん。
まあ本来なら奴隷にも身支度とかをさせて、後日引き渡しが普通らしいし。まさか夜更けまで開催していたオークションの後でそのまま引き取るなんて、主催側も思ってなかっただろうしね。
「だってたった13歳のロクサーヌが、いつまでも独りぼっちじゃ可哀想じゃん……」
「マリア会長はお優しいですわね」
ポツリと零したあたしの呟きは、どうやらカトレアの耳に届いていたようだった。
違うよ、優しくなんかない。
だってあたしはこれからあの女の子に、たった13歳の子供に現実というものを突き付けるのだから。
と、そんな時。
会場の建物の出口へ向かう人の波の中に、あの時最後までロクサーヌを競り落とそうとあたしと対立していたロリぺドカイゼル髭男〇……“89番”の奴隷商の男が見えた。
「バネッサ」
「はい、マリア会長」
「先に宿に戻って、アニータと合流してくれる? それであのロリ……89番の髭の男について調べてくれないかな?」
「ロクサーヌ嬢を購入しようとしていた男でございますね。馬車番の情報部員に先に後を追わせておきましょうか?」
「そうだね。拠点が分かれば調査もし易いだろうし、お願い。やり方はバレなければ任せるって伝えておいてね」
「かしこまりました。それではお先に失礼いたします」
「ムスタファもついて行ってちょうだい。バネッサのことだから大丈夫だろうけど、女性の独り歩きは色々と危ないからね。ムスタファと一緒なら安心だから」
「わ、分かりました、会長サマ。お先に宿で待ってますね」
「うん、また後でね」
あたし? あたしは移動は馬車だし、何よりミリアーナも馬車の護衛も居るからね。
先に会場を後にするバネッサとムスタファを見送っていると、先程確認に走った係員のおじさんが奥から戻って来た。
「マリア・クオリア会長殿、お待たせいたしました。奥に商談用のお部屋を用意しましたので、こちらへどうぞ」
「お手数お掛けします。よろしくお願いしますね」
「い、いえ。それではご案内します」
あたしはおじさんに先導されて、あの劇場のようなオークション会場とは別の方へと足を踏み入れて行く。
もちろんあたしの両脇は、ミリアーナとカトレアの二人の美女が護ってくれているよ。
「……マリア会長、あの男性ですわ」
「ん? なにが?」
恐らく競売に掛けられていた奴隷達の待機場所が近かったのか、係りであろう身形の整った男性達に混じって、首に枷を嵌めた者達の姿がチラホラ見えるようになってきた。
そんな折に、カトレアから声を掛けられたのだ。
「お嬢様。例の買い手が付かずに差し戻された男性奴隷ですよ。あそこの通路の脇に立っている、黒髪の男です」
「ああ、気になる奴隷が居たかって訊いた時の……」
ミリアーナが耳打ちするように補足してくれる。
促され視線をその方角に移すと……なるほど。確かに黒髪の、20代前半かもっと若いくらいの男性奴隷が、壁にもたれて黄昏ていた。
「失礼。あの黒髪の男性奴隷には買い手が付かなかったと聞き及んでいますけど、何故なのでしょうか?」
見た目は普通に好青年っぽい感じだ。しかしそれよりも何よりも、あたしはその男性奴隷の顔立ちが気になって、案内してくれている係員のおじさんにそう訊ねた。
「……ああ、出品番号78番の男ですね。あまり大きな声では言えませんが、あの男は大恩ある騎士団で、禁忌を侵したのです」
「禁忌……?」
「(……仲間殺しですよ、マリア会長殿。それが評判となって、買い手が付かなかったのでしょう)」
一層声を潜めて、あたしにそう説明してくれるおじさん。内容が内容だけに、そうホイホイ語って良いものかと若干不安を覚えつつ、あたしは改めてその黒髪の男性を眺める。
元騎士の、仲間殺し……ねぇ?
ますますその男性のことが気になったあたしは、だいぶ近付いてきた彼に気付かれないよう注意しながら視線を合わせ、職業技能【人物鑑定】を行使してみた。
名前:風間京也 年齢:20 性別:男
職業:犯罪奴隷 適性:拳王 魔法:無・闇
体調:やや不良 能力:B+ 潜在力:S+
備考:転移者・祝福有り
「ンッフォ……ッ!?」
「お嬢様!?」
「マリア会長!?」
「ど、どうされましたか、マリア会長!?」
思わずむせ返ってしまった……!
だってこの鑑定通りなら彼は、風間京也というこの犯罪奴隷の男性は……日本人!?
「な、なんでもありません……! ところで、競売で買い手が付かなかった彼は、今後どうなるのでしょうか?」
「は、はあ……。犯罪奴隷ですからね。鉱山開発か、前線送りでしょう」
「マリア会長、彼がどうかなさったのですか?」
「うん。今日の目的はロクサーヌだけだったけれど、ちょっと予想外の掘出し物? を見付けちゃったみたい」
「お嬢様、まさか彼を購入されるのですか?」
「できるように、これから交渉しようと思ってるところだよ」
そう言って係員のおじさんに笑顔を向ける。
そんなあたしに対して、おじさんは引き攣った笑顔を返してくるのであった。
◇
案内された商談用の部屋で待つこと15分ほど。
丁寧なリズムで扉がノックされ、脇に控えたミリアーナとカトレアが警戒する中で、その男性が部屋へと入って来た。
「ワーグナー商会会長、マリア殿。いや、マリア・クオリア女士爵殿とお呼びした方がよろしいかな?」
「マリアで結構ですわ、カルロース・サンタ・アイオニス子爵様。本日は奴隷商としてここにお邪魔しておりますから」
「ふむ、ではマリアくんと。では改めて自己紹介しよう。我がフォーブナイト帝国にて、子爵位を賜っているカルロースだ。私もカルロースで構わないよ」
「マリアと申します、カルロース様」
な・ん・で・!? なんでこの人がわざわざここに来るのさ!?
ロクサーヌの受け渡しを待っていたあたしの目の前には、何故か今回のオークションを仕切っていた帝都内務局所属の貴族、カトレアが言うには【毒蛇】の異名を持つ暗闘貴族のアイオニス子爵が現れたのだ。
「なるほど。幼くとも奴隷商の継承をあの“キャスター”殿に許されただけのことはある。大した胆力だ」
「お褒めに与り光栄に存じます。我が領主様とご交流がお有りなのですか?」
「いやいや、私のような木っ端役人が、“キャスター”の称号を陛下より賜ったクオルーン伯爵閣下と知り合いだなどと、恐れ多いよ。あくまで仕事柄知り得た事でね」
仕事柄……ねぇ?
異名の【毒蛇】ってのは言い得て妙かもな。目の前の子爵からは、なんとも油断ならないそれこそ蛇のような、陰険そうな雰囲気を感じる。
「左様でございましたか。時にカルロース様? わたくしは競り落とした奴隷を受け取りたく待機していたのですが」
「ああ、承知しているよ。おい」
「はっ!」
カルロース子爵が付き人に声を掛けると、再び扉が開かれて、濃紺色の髪を伸ばした少女が部屋に通された。
身に付けているのは、恐らくは一張羅として持ち出しが許されたのであろう華美に過ぎないドレスだった。
「さて、マリアくん。彼女が君が欲し、金貨にして15,000枚という大金で落札された元男爵家令嬢である奴隷、ロクサーヌだ。間違いないかね?」
カルロース子爵がわざわざ、殊更に強調して彼女の価格や立場を改めて言葉にしたのは、恐らくは幼いロクサーヌにその立場を理解させるためなのだろう。
しかしロクサーヌは顔を青くしながらも、あたしの……俺の事を強い憎しみの込もった茶色い瞳で睨んでいる。
「カルロース子爵様、間違いございませんわ。彼女ロクサーヌ元男爵家令嬢は、わたくし、マリア・クオリア女士爵にしてワーグナー商会会長が引き取らせていただきます」
なので、現役帝国貴族様の御前ということもあり、俺も立場を強調した物言いで返事を返す。
横目で窺えば、ロクサーヌは睨むことすら出来ずに俯いてしまった。流石に奔放に育った彼女にも、元貴族である自分と、名誉貴族であろうと現貴族である俺の立場の違いを理解するだけの能力は有ったようだ。
もしここで俺に噛み付きでもしようものなら、元実家の男爵家よりも偉いカルロース子爵様に咎められてしまうからな。俺も余計な波風が立たなくて、内心胸を撫で下ろしていた。
「本日は我らが皇帝陛下が主催する奴隷競売に参加し、且つ莫大なる財貨にて奴隷を購入していただき、誠に感謝する。これから交わす契約によって、彼女ロクサーヌは正式に君の商会が所有する奴隷となる訳だが、何か質問は有るかね?」
「いいえ、ございませんわ」
「ならば結構。こちらが彼女の所有に関する権利書類だ。検めて不備が無ければ署名をお願いする。彼女との契約はどうするかね? 差し支え無ければ、そちらも私が仲立ちして執り行うが?」
「ありがとう存じます、カルロース子爵様。ですが彼女との契約は、宿に戻ってからゆっくりと言葉を交わして行いたく存じます。お気持ちだけありがたく頂戴いたします」
「ふむ、そうかね。まあ君がそう言うのであれば無理にとは言うまい。支払いはこの場で行うかね?」
「はい。カトレア、ロクサーヌの代金の支払いをお願い」
「かしこまりましたわ、マリア会長」
俺の指示でカトレアが資金の入った袋を、鞄から取り出す。部屋の片隅から子爵の部下がワゴンを押してテーブルの横に着け、その上にコイントレイと計量トレイを準備した。
「大金貨にて、150枚をお支払いしますわ」
「はい、検めさせていただきます」
カトレアがコイントレイに取り出した大金貨を、計量トレイの枠に嵌め込んで枚数を数えていく。不正を嫌ってか二人体制で確認を行い、キッチリ大金貨150枚、金貨にして15,000枚、日本円にしておよそ1億5000万円もの大金が支払われた。
ロクサーヌはそれを信じられない物を見るような目で眺めていた。
そうだよ、それがロクサーヌ、貴女の今の命の値段だよ。帝国の法律の下、国から俺が買い取った、お前の価格だ。
「うむ。確かにこの場にて支払いが行われた事は、私カルロース・サンタ・アイオニス子爵の名に於いて保証しよう。良き商談を感謝するよ、マリア会長殿」
「こちらこそ、カルロース様。彼女はもうわたくしの自由にさせていただいても?」
「構わんよ。彼女はもう、マリアくんの奴隷だ」
「ありがとう存じます。ミリアーナ」
「はい、お嬢様」
「ロクサーヌを連れて、先に馬車へ戻っていてくれる? あたしはこれから、カルロース子爵様と個人的なお話をしたいの」
「分かりました、どうかお気を付けて。カトレア、お嬢様を頼むぞ」
「お任せくださいな、ミリアーナ」
構いませんか? とカルロース子爵を見詰めてみれば、彼は穏やかな笑みを浮かべて首肯を一つ。そして先に退出するミリアーナ達にも、わざわざ案内人を付けてくれた。
そして――――
「さて、なんだかこうなるような気がしていたのだが。話とは何だろうか、マリア・クオリア女士爵殿。そしてストークス男爵家令嬢、カトレア・ストークス嬢?」
あたしは改めて、この【毒蛇】と呼ばれる男との商談へと、身を乗り出したのだった。