三題噺――「初恋」「苺大福」「国会議事堂」
某文学少女が好きです。
こうじて三題噺を自己満足で書きました。
某先生のようなおふざけな内容ではありません。
ぎしぎし痛む体を引きずって、男は深夜の道を進む。服にはいたるどころに不自然なスレットが入り、それに隠れる体のあっちこっちには筋肉を誇示するわけでもないこぶが隆起している。
目指すは自宅のはずなのに、さっきから頭が下ばかり向いているせいか方向にイマイチ自信を持てない。ただ手が壁に体を支えつつ進んでいるから、まっすぐは歩けているはずだ。
男が歩くのは真夜中の大通り。昼の喧騒はなりを潜め、ほのかな街灯の明かりが育ちすぎた木々に遮られ、ダンタウンのように寂れている印象を持たせる。大理石できれいに敷かれる地面と壁は春先のまだまだ寒い空気をいっそう骨に染みこませてくる。
やがて目がかすみ、男は硬い大理石の壁にぶつかるようにもたれかかり、へたりこんだ。
男が座るそこは国会議事堂を囲む一面の壁だが、誰も彼に注意する者はいない。そもそもここの周辺に歩行者の一人すら見当たらないから当然だ。
目の疲れの回復には、遠くを見るのがいい。
なぜか亡き祖母の言葉が脳によぎり、男は壁に後頭部を託し空を仰ぐ。しかし、もともと都会ではろくに星も見えず、加えて葉っぱやビルが邪魔で、見上げる空はまるで電源の入っていないテレビ画面のようで、男は故郷で毎日見せびらかしてくれたあの恐ろしいほどちかちかする星空が懐かしく思った。
いつもならこんな風に郷愁に耽ったりしないのに、喧嘩に負けて体も心も弱っちまったってか、と男は引きずった苦笑いを浮かべた。
男が上京したのはもう何年も前のことだった。けれど就職活動がうまく行かず、やっとバイトを見つけたと思ったら、なぜかチンピラと喧嘩沙汰になってはバイトをクビにされるという悪循環ばかり。顔の作りが悪いのは昔から自覚しているけど、ここまで絡まれるとなんか町そのものにのけものにされているような気さえしてくる。
――あぁ、戻りてぇ。
故郷のある方角へ首をめぐらす。
遠くからは、こんな深夜さながら絢爛なイルミネーションの明かりが儚く見える。町の喧騒もなにも聞こえてこない。目もさらにかすみ、景色がぼやけていくが、それでも男はぼんやりとそんな蜃気楼か幻覚のようなきらめきから目を離さなかった。
人相こそ悪く口調も乱暴なのは否定のしようもないけど、男は根が真面目の人だった。
学生だった頃は成績もそう悪くなかった。人気を集めるリーダー的な素質はなかったけど、ノリのいいムードメーカー的存在として受け入れてもらえた。地元のオヤジさんたちとも結構打ち解けてて、誰も彼の外見にケチをつける者はいなかった。
恋だってした。
自分でも勿体無いと思うくらい、よくできた女の子だった。
初恋は実らないなんてジンクスを心配する彼女に、まゆつばだと男は笑い飛ばした。
しかし、神様は残酷だった。真面目に生きてきたこの男から、彼女をあっさり攫っていたのだ。
それからはただ苦痛なだけの日々だった。どこへ行って何をしても、男は常に彼女のうしろ姿を、彼女のあまい声を、彼女の残り香を感じてやまなかった。それほど彼女との日々が充実していて、溺れるほど幸せだった。
だから男は上京する決心をした――そんな幻覚ばかり見えてしまう町で暮らしていくのが堪えられなかった。どこかここではない場所に行きたかっただけかもしれないが、それでも彼女の彼氏として恥じない生を生きようと、都会へ赴いた。
なのにこのざまだ。
もう今さら故郷に戻ったって、どんな面さげて彼女に向き合えばいいか分からない。いっそう、このまま野垂れ死になったほうが、まだマシな状態で彼女と会えるかもしれない。
そう思うほど、男は心身ともに疲弊し切っていた。
「――ねぇ、キミ、大丈夫?」
閉じかかったまぶたを、女性の声が止めた。
男は辛うじて半目になるまで重いまぶたをあげ、いつの間にか自分の目の前に現れた、しゃがんでいるスーツ姿の女性に一瞬びっくりするも、すぐにまた興味を無くして目を伏せた。
「こんなところで寝ちゃうと風邪引くよ?」
とりあえず無視する。が、女性は一向に去る気配もなく、さらに声をかけてくる。
「お酒……の匂いはしないわね。怪我?それとも病気?救急車呼ぼうか?」
「いいだろう別に、あんたには関係ねえっ」
できるだけドスの聞いた声で威嚇するが、効果はないらしく、逆に女性のボルテージを上げさせてしまった。
「関係ないことはないわよ!あたし、こう見えても国民のために働く公務員なんだから、路頭で倒れた市民を無視するわけには行かないわ!しかも、よりによって職場のすぐ前となると、なおさらよ」
そう言って女性は誇らしげにスーツにつけたバッチを見せてくるが、残念だが男はそれが何のバッチが暗くて見えないし見ようとも思わなかった。が、このままここにい続けるのも面倒くさいってことは分かった。
だから男は、ここを去ろうようと立ち上げようとするが、よろめいてしまった。
「――あ、ちょっと!?大丈夫?これ本当に救急車呼んだほうがいい?」
そんな姿に見かねて、女性は右手を差し伸べてきた。
「いらねえよ!」
男はその手を振り払い、壁に支えてもらいながらなんとか一人で立とうとするけど、
「そんな意地張ってどうするのよ……ほら、全然よろよろじゃない」
女性は再度手を伸ばす。今度はうむを言わさず男の体を支えてきた。
「ほっとけ、これは怪我なんかじゃねえ……お腹が空いただけだ」
男は咄嗟にそんなことを言った。けれどその愚策は昼から何も食べてなかった腹にその事実を思い出させてしまい、今さら「ぐぅぅ――」と腹の虫どもが一斉に蜂起した。
しばしの沈黙の後、
「ぷっ」
「笑うなっ!」
女性は呆気にとられて笑いこけてしまった。そして「ごめんごめん」と、自分のバックからひょいっと何かを取り出し、男の目の前につきつける。
しかしそれもやはりあまり見えなくて男は眉をひそめる。
そしたら女性は強引に男の手を取り、その手のひらにそれを握らせた。
「苺大福よ」
「いちご、大福?」
意外な単語に男はぎょっとする。
「これあげるから、お腹の子を宥めてあげて」
目の前まで持ち上げ、男はプラスチックの小袋に包まれた苺大福を凝視する。
白い生地越しに苺がうっすらとしながらも、早く食べてっと恥じらうようなピンクを、この闇の中でも確かに見えた。
「…………ありがと」
不器用にお礼を言い、男はそれを大事に、包装紙がついてるのにも関わらず落とさないように、しっかりと手のひらにおさめる。
「じゃ、あたしはもう行くね。キミも、それ食べたら早くお家に帰りなさいよ!」
それに満足したか、女性は元気な笑顔を一つ見せては軽やかに走り去った。
突拍子のないことに残された男は、彼女の姿が完全に視界から消えるまで動くことができなかった。まだぎしぎしする痛みに苛まれようと、冷たい夜風にぴしぴし鞭打たれようと、もう体が震えることもなく、ただこの場所で、ただ体温の移った壁に持たれつつ、天使が運んでくれた夢でも見ていたかのような――もし苺大福がどっしり自分の手に訴えかけていなかったら、男はきっとそれを情けない甘ったるい夢としか思わなかっただろう。
苺大福は、かつて彼女の大好物だった。
けれど男はあまい物が嫌いで、彼女に勧められて何度か食べたことはあったが、味はとっくに忘れていた。ただ彼女が何度でも苺大福を、いろんな銘柄の苺大福を執拗に勧めてきては、自分がそれをイヤイヤ胃に入れていたという思い出だけが残っていた。
男はまた手のひらにぽつんと納まっている苺大福を凝視する。しかしやはりその味はうまく思い出せず、そのもどかしさから一気に包装を破っては、丸ごと口に放り込む。
瞬時、苺の甘酸っぱさが口の中に広がり、傷口に強烈な刺激を与え、男は涙ぐまずにはいられなかった。
「……酸っぱ」
男の顔は涙ながら、ふいに笑顔を浮べた。
やがてどんなパンチよりもずっと利いたその酸味をようやく甘味に感じられたところで、男はてとてとと歩みだした。
「……賞味期限、切れてんじゃねえだろうな」
さきほどここまで来た時のようにやはり壁に手をつきつつ、男は進む。
「……下痢にでもなったらこのお礼はきっちり返さないと」
ぶつぶつ愚痴りながら、それでも進む。
やがて暗闇の向こう――色とりどりのイルミネーションが飾られた方へ静かに消えるのだった。