剥き身の俺を見るな
バー《シーフードミックス》。塩気と湯気、生臭さと床の水溜り。夜な夜な調理済みの魚介類とこれから調理される魚介類が集まる、ここはそんな場所だ。食われる気で居る奴らしか居ない、とち狂った奴らのたまり場だ。そんな場所には、沸騰した湯のぐつぐつ音がよく似合う。
時折あがる悲鳴も、脱ぎ捨てられた殻の山も、ここじゃスパイスの一種でしかない。たまに食い散らかされたばかりの肉片が転がってることもある。それを見つけられた奴はラッキーだ。なんてったって、腹のすいた獣が、まだ近くに居るってことだからな。嬉しくて嬉しくて、潮を吹いちまうってなもんだぜ、最高だな。
食われる気のない奴らはまな板の上の鯉が集まる場所なんていうが、ここは主に塩気の効いた奴らしか来ないんだ。淡水魚はお呼びじゃない。腑抜けた真水に身を浸して、生きてられるような奴らは、虫か泥でも食って生きてろってんだ。ハードボイルに耐えられる、身の引き締まった奴らしか、ここには居られない。
どうしようもなく身の旨い奴らしかここには来ないから、馴染みの顔が居なくなるなんて事はしょっちゅうだ。意気投合した次の瞬間につまみ出されてさようなら、なんてことも一度や二度じゃない。そんな場面に出くわしても、寂しさよりも羨望の念が胸に残っちまう、そんな奴らしか来ない場所だ。
たまに味見だけされた食いかけの奴がノコノコやってくることもあるが、自分の不味さを思い知って、ズタボロになってもここに来ちまうのは、未だ自分の味に諦めが付かないからだろう。自分が、食われるだけの価値も無い、惨めな生ゴミだって事を認められない奴らが、ここに来る。でも俺はそれでいいと思う。哀れな生ゴミだ、吐き捨てられた食材未満のなにかだなんて、認めちまってもいいなんて道理は、どこにも無いんだ。慰めてくれる奴なんて、いないんだ。だからここはそんな奴らの場所でもある。互いに捨てられた時、何が悪かったのか、捨てた奴らの舌が、いかにおかしいのかを、語る場所。ここは掃き溜め。生ゴミのたまり場。そういうやさしい場所だ。
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