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美木中シリーズ

羽化しちゃってもいいですか

作者: せせり

 海沿いの通学路を自転車で進む俺の鼻先に、モンシロチョウがひらひらとまとわりつく。

 いいな、おまえは。こんなに立派に羽化しやがって。

 四月八日。始業式。イケてる蝶になりきれないまま、ついに三年になってしまった。しかも新しいクラスは自分的に最悪だった。学年随一のお笑いキャラやお祭り人間が集結しているのだ。お調子者生徒会長、イイテツこと飯田哲平。吹奏楽部のお祭り人間、沢渡奏。将来芸人を目指しているというお笑い人間、矢野努。ほか多数。

「ナッスー! 同じクラスになるの超ひさしぶりじゃん? ヨロシクう」

 教室に入るやいなや、「絶賛相方募集中」という手書き文字入りのたすきをかけた矢野に、酒でも飲んでんのかってくらいのハイテンションでからまれた。その「ナッスー」って呼び方やめて。苗字が那須だから仕方ねーかなってこれまで我慢してたけど、でももう最終学年だし、俺もクールに脱皮したいんだ。なのに「ナッスー」じゃ、俺までお前らおバカキャラグループの一員とみなされていじられるじゃないか! ていうか去年までまさにそうだった。いい加減もうこりごりなんだよ。

 まとわりつく矢野をひきはがし、やっとのことで、俺は自分の席についたのだった。

 こいつのペースに巻き込まれるのだけは勘弁だ。気づいたら相方になって、最後の文化祭で漫才を披露なんてことする羽目になる。違う。俺の理想のラスト文化祭はやっぱバンドだ。いやそれも違うな。むしろ文化祭などばっくれて屋上で気だるくタバコをふかす! これできまりだ!

 がぜんテンション上がってぐいぐい自転車をこいだ。うっとうしい、学校指定のヘルメットを片手で脱いでほうり投げると、海風が俺の伸ばしかけの前髪をぶわっと持ち上げる。俺は、俺は、ヤンキーになる!


「リストランテ・メランツァーネ」、海岸線沿いにあるこじゃれたイタリアン・レストラン。ここが俺んち。ってか正確にはその奥にある小さな平屋が居住スペースなわけだが。

 俺の父ちゃんはイタリアンのシェフなのだ。ちなみにメランツァーネってのはイタリア語で「茄子」。くだらない駄洒落だ。

 店の裏の従業員用出入口近くに見慣れた軽トラが止まっている。俺の背すじがぴーんと伸びる。尻尾が生えてたらたぶん尻尾もぴんと伸びてる。

「三ツ谷さんっ!」

 俺はエア尻尾をぶんぶん振りながら駆け寄った。用事を終えて軽トラに乗り込もうとしていた三ツ谷さんは俺に気づくと、「おう」と手をあげて目じりをさげた。

「浩之。ガッコもう終わったんか。つか、おめー、何だその前髪。切れや」

「伸ばしてるんですっ!」

 三ツ谷さんの、タオルを巻いたかたちのいい額、細くとがった眉。その下の切れ味鋭い目がさらに細くなるのをまぶしく見上げる。

「てか今日も野菜届けにきたの?」

 三ツ谷さんはうちのレストランの契約農家のひとりだ。地産地消が売りのうちの店ではメニュー表に野菜の生産者の名前と写真も載せていて、当然三ツ谷さんのものもある。

「おう。そのついでに、まあなんだ、予約もしてきた」

 めずらしく照れくさそうに顔を赤らめる三ツ谷さんに、俺はピンときた。

「彼女だっ! 彼女! ついにプロポーズですねっ!」

 うっせークソガキ、と言って三ツ谷さんはごっつい手で俺の頭を押さえつけてぐりぐりする。くすぐったくて身をよじる。彼はかつて地元で名を馳せた元ヤンだ。ヤンチャ時代は短ランにリーゼントで決めて、眼光ひとつで喧嘩相手を震え上がらせた。今は実家の農業を継いで、青年団の一員として愛する地元のために尽くしてる。硬派で純情、かつ一途。高校からの彼女との長期にわたる遠距離恋愛を経て、このたびついにプロポーズ。

 カッコよすぎるだろ。しびれるわ。


 四月の陽光にきらめく海を見つめる。

 相談があるっす、と引き止めた俺に三ツ谷さんはいやな顔ひとつせず、軽トラで誰もいない海まで連れてきてくれた。

 ライターがかちっと音をたてる。三ツ谷さんがタバコに火をつける、その仕草がさまになりすぎてて俺はため息をついた。

「なんだ相談って。受験のこととか聞かれても俺はわからんぞ」

 ちがうし、と堤防にもたれかかった俺は拗ねたふうに口をとんがらせた。

「じゃ何だ? オンナか?」

 にやりと口の端を持ち上げる三ツ谷さん。ぶんぶんと首を横に降って全力で否定する。

「やっぱ違うか。見るからにモテなさそうだもんな、おまえ」

 からからと笑う。がっくりとうなだれる俺。そりゃできればそっち方面の相談もしてみたいけどね……。おっしゃる通りまったく縁がないもんで……。

 三ツ谷さんの吐いた煙がぷかっと青空に浮いて、漂って、溶けていく。

「タバコって、うまいの?」

「興味あんのか」

 こくんとうなずく。三ツ谷さんは俺をちらと横目で見て、やめとけ、と言った。

「ガキの頃からヤニ吸ってっと身長止まるぞ。それにな、女にも嫌がられる。キスのとき苦いんだと」

 煙を吹き出しながら、くくっ、と笑う。

「禁煙してよー、って何年も言われてっし、俺も」

 オトナな話に、つい、どきどきしてしまう。タバコ、いや、ヤニの味で苦いキスとか。

「じゃ、じゃあさ」つい想像してしまって、あわてて話題を変えた。

「髪はっ? 俺も三ツ谷さんの若い頃みたいにしたいっ!」

 三ツ谷さんの、中学時代の写真を見せてもらったことがある。ぴっちりリーゼントでガンとばしてた。

「なんだ? 剃り入れる気か? やめれや。剥げるぞ。リーゼントも滅茶苦茶大変だぜ? 時間はかかるしポマードも大量に使うしよー」

「いいよっ! 俺がんばるしっ」

「つってもお前、今年受験だろ? 染めてた奴は黒髪に戻すし、制服も標準に戻す、むしろそういう時期だろ」

「でも三ツ谷さんは自分のスタイル貫いたんでしょ?」

「ま、そうだけど」

 三ツ谷さんは堤防にタバコを押し付けて火を消すと、銀色の携帯灰皿に放りこんだ。

「つーか素行悪すぎてどうせ底辺高校しか行くとこなくて。今さら髪戻してどうこうなるって話じゃなかったんだよ、俺の場合」

 昔の話をするときの三ツ谷さんは、笑っていても、ちょっとだけ苦い。タバコ吸ってる時みたいな顔。苦いけどうまいんだ、きっとそれが俺の憧れる青春ってやつなんだ。


 ヤンチャする気なら親父さんに筋通してからにしろ、と三ツ谷さんは言った。

「たんに仕事の大事な取引相手ってだけじゃなくてな、俺は那須さん尊敬してんだ。まじ漢だと思ってんだ。十代のころから東京の一流店で修業してよ、独立して地元に立派な店構えて。錦飾ってんじゃん」

 つまり俺はリスペクトしてる人の大事な息子ってわけ。将来を傷つけるようなことはすすめられねえよ、どうしてもっつうんなら親父さんの許可とれ。ってわけ。

 どこの世界に、非行に走るのに事前に親に相談するバカがいるんだよ。だいたいあれだ、ヤンチャってのは、大人や社会とかに対する理由なき反抗とか、そういうマインドが大事なんだろ。夜中に学校に忍び込んで窓ガラス全部割るとか、そういうマインドだろ。

 三ツ谷さんは俺のこと舐めてるんだ。俺には無理だって思ってんだ。

 俺だってやってやるのに。 他校のワルと喧嘩したり公園のトイレに真っ赤なスプレーでヒワイな単語書き殴ったり。きっとできる。

 騒がしい休み時間の教室で、ひとり闘志をたぎらせていると、ナッスーも大喜利やろうぜ、ってイイテツが俺の肩を叩いた。

「放課後までに一番ポイントを多く稼いだやつがアイスおごってもらえるんだ」

 何だそれ、ばっかみてえ。俺が欲しいのは、もっとこう、苦くて胸がひりひりするような青春なんだよ!

「つぎのお題―。ちまたで話題の〇〇系男子。この〇〇の部分、面白いの考えて!」

 矢野のかん高い声がこだまする。ナッスー、ナッスー、と沢渡が小躍りしながら俺のまわりをうろちょろし、さらにイイテツが俺の頬をつつく。

「ナッスーの番。ちまたで話題のぉ……」

「うっ、うるせー!」

 大声で叫び、イイテツを振り払って立ち上がる。

「剃り込み系男子だっ! 剃り込み系男子に、俺は、なるっ!」

 そのまま、教室を飛び出した。十ポイントっ! という矢野の声を背中で聞いた。


 こういう気分の時は屋上でフェンスにもたれながらのエスケープに限る。ダンダンと音を立てて階段をのぼり四階まで上がった、は、いいが。屋上へとつづく階段にはロープが張られ、「立ち入り禁止」の張り紙が。……そうですか上がれないんですか危ないですもんねわかります。がっくりとうなだれて、どこでサボろうか考えあぐねていると、となりで大きなため息の音がした。見ると、女子だった。茶髪の。がっつりメイクのまつ毛盛ってる系の。うちの学年にはひとりしかいない珍種のギャル系女子、本田心菜ほんだここな。一年の頃から目立っていた彼女、今年度は同じクラスだ。

 本田さんは俺に気づくと、「あんたもサボり?」と言った。

「あんたも、って、本田さんも?」

「まあねー。ウチ生理前でイライラしててー。教室マジうるさいし授業だるいしー」

 せ、せ、せいり……。

「あー。何赤くなってんのヘンタイー。これだから童貞はヤなんだよねー」

 本田さんはばっさばっさのまつ毛にふちどられた目で俺をぎろっとにらんだ。

 うん。なかなかひりひりしてるかもしれない、この子。

 

 授業開始のチャイムが鳴った。本田さんはさっときびすを返してどこかに歩いていく。もちろん教室はスルーなんだろう。俺はのそのそついて行った。きっと本田さんは俺の知らない世界を知ってるはずだ。俺もその世界が見たい。きっと痛くて切なくて苦いやつだ。

 校舎を出て向かったのは、学校そばを流れる川の土手だった。下駄箱でこっそり靴を履きかえて、二号棟裏のフェンスを乗り越えて学校を出た。本田さんのスカートはやたら短いから、フェンスをよじ登る時とか降りる時とか中身が見えそうになって、本田さんはそのたびに「ばかっ」と怒鳴った。「見つかるよー、そんな大声出すと」なんて言っちゃう俺。いいよいいよ、いい感じだよ。痛切ないキラキラの世界、近づいてきた感じ。

 土手のやわらかな草の上に体育座りする。なんかこう、もっとサマになる座り方、ないのか。思いつかないな……。

 本田さんはポケットからチュッパチャップスを取り出して舐め始めた。あの、俺のぶんとかはないんですかね? いや、いいですけど。そんな俺の思いはガン無視して、本田さんは自分の髪をつまんで枝毛を探しはじめた。

 川のせせらぎの音、春風にそよぐたんぽぽ。時おり綿毛がふわっと飛び立つ。うん、気まずい。共通の話題がまるでない。彼女、一時間枝毛を探してつぶす気なのか。真剣な目をして毛先を見つめる本田さんの、アメを舐める口元をちらちら見つつ、思いきって聞いた。

「あのさ、俺のこと童貞って言ったよね」

 毛先から目をそらさずに、うん、と本田さんは答える。いや別に気にしてないから。まだ中学生だし。周りの奴らも、彼女いる奴もいない奴もひっくるめて絶対経験ないしね、断言できる。だからそこじゃないんだ、聞きたいのは。つまり。

「じゃあ、自分はどうなのさ」

 聞いてしまった。殺されるかもしれない。案の定ぎろりと睨まれる。すげえ眼力。いやいや負けるな俺。考えろ。相手は誰だ。うちの学校でもう経験してそうな奴といったらば。

「四組の滝川、くん、とか?」

 本田さんの整ったまゆがぴくりと動いた。滝川はヤンキーだ。といっても俺の憧れる古き良きツッパリじゃなくて、茶髪に片耳ピアスの、なんかすかしたヤンキーなんだ。しかもイケメン。冷たい氷の刃のような目をしててさ。こいつが土砂降りのなかで子猫抱きしめてたらたいがいの女子は落ちるだろう。そんな奴だ。

「滝川はさ……、好きな子、いるからさ……」

 思いがけず弱弱しい声が返ってくる。へえ? 好きな子とな。意外だ。滝川、てっきり遊びまくってんのかと思ってた。

「生徒会副会長の潮田サン。超清純派じゃん? 優等生じゃん? ウチ真逆じゃん?」

 本田さんは今にも泣きそうだ。あれだ、片思いってやつだ。でも潮田さんじゃ勝ち目ないよな。可愛いし。副会長とはいっても会長がアレ(イイテツ)だから実質仕切ってんのは彼女だし。それに、美形ヤンキーと優等生の組み合わせって、なんか覆せない気がする。

 とは思ったけど、なんか空気重くて、本田さんをなんとか慰めようと俺は明るく言った。

「本田さんもさ、ためしに清楚な感じにしてみたらどうかな。可愛いんじゃないかな」

 浮いてるしね。うちの学校の女子、ギャルどころかメイクしてる子すら皆無だし。

 と、いきなり脇腹に鈍痛がして俺はぐえっとカエルみたいにうめいた。本田さんのパンチをくらったのだ。

「男のために自分のスタイル崩す気ないから。ウチはこれが可愛いって思ってるからやってるの。モテたくてやってるんじゃないの。内申のために教師ウケ狙うつもりもないから。可愛くできるの今しかないから。二十歳すぎたらあっという間におばさんになっちゃうんだから!」

 すごい剣幕にひるみそうになるけど、なんか負けたくなくて言い返した。

「でもっ、でもほかの女子はナチュラルにしてんじゃんっ」

「ほかの女子とウチの『可愛い』はちがうのっ! たまたまこのド田舎じゃ、ウチの『可愛い』が少数派なだけ! ウチは誰が何と言おうとつらぬく!」

 雷に打たれたような衝撃が走った。誰が何と言おうとつらぬく。自分はたまたま少数派なだけ。おとこだ。本田心菜は正真正銘の漢だ。自分が恥ずかしい。

「姐さん」俺は深々とこうべを垂れた。「舎弟にしてください」

「ちょ、やめてよ。勘弁してよ。ってかあんたってヤンキーになりたいの? 剃り込み系男子になるとか怒鳴ってたし」

 こくこくとうなずく。本田さんは大きなため息をついた。

「つーかギャルとヤンキーってちがうし。滝川とつるめば?」

「それ、無理。あいつ、なんか怖い」

 全然だめじゃん、と本田さんは心底呆れた顔でがっくり肩を落とした。

「ヤンキーになりたいというか、元ヤンになりたいんだ。三十代四十代になった時にさ、俺は若いときヤンチャしてたからさー、とか言いたいんだよ。そのためには今ヤンチャしておかなきゃ駄目じゃないか」

「何それ。イミわかんない」

 ばっさり言い捨てて、んじゃウチ飽きたから戻るわー、と本田さんは去って行った。その後ろ姿を見つめながら、俺はひとり、こぶしを固く握りしめていた。

 姐さん、勇気をありがとう。俺、はばたいてみせるよ。


 翌日の放課後、俺は本田さんを体育館裏に呼び出した。

「なにー? まさかウチにコクる気ー?」

 スカートのポケットに両手をつっこんで、だるそうにガムを噛んでいる本田さん。見下すような目で俺のこと見てる。いや、姐さんにコクるとか十万年早いっすから。

 おずおずと、本題を切り出す。

「本田さんってさ、コテって持ってる……?」

 顔にクエスチョンマークを浮かべた本田さんは、しばらく考えて、自分の髪を巻くジェスチャーをした。そう! それだよ! ヘア・アイロンってやつ!

「持ってるけど、何に使うの?」

 それから約一時間後。本田さんは俺の部屋にいた。ネットの動画サイトをくいいるように見ている。ゆうべ俺は「リーゼントのセットの仕方」を検索した。思いのほかたくさん動画があがってて、中でも一番簡単でわかり易そうなものを今再生して彼女に見せている。

「なるほどねー。コテ、これに使うんだー。つーかすげー、こんな風にやるんだー。ていうかこの人超かっこよくないー? やばいよ、リーゼントってイケてる気がしてきたー」

「いや、イケてるんだってばっ!」

 小さな座卓を、どんっとこぶしで叩く。コーラの入ったグラスが衝撃でひっくり返りそうになった。本田さんはパソコンから目を離さず、ふふんっと笑った。

「ただしイケメンにかぎるって感じだけどー」

 それを言っちゃおしまいだ。まあでも、確かに不良映画の俳優たちはみんなカッコいいし、滝川だってこういうクラシックヤンキースタイルもさまになるだろうし、三ツ谷さんも超似合ってた。いや、三ツ谷さんのカッコよさはまたちょっと、違うベクトルかな。顔の作りの良さだけじゃなくて、うーん、なんだろ。でもとにかくしびれる。それにひきかえ俺は、黙っていても何笑ってるんだよって言われてしまうようなしまりのない顔だ。しょうがないじゃないか遺伝子のせいなんだ、俺のせいじゃない。

 考え込んでたら、いきなり本田さんが俺の髪の毛をつかんで引っ張った。何すんだっ!

「ふふん。髪、ウチがやってあげる」

 それからの俺は本田さんのなすがままだった。那須だけに。すっかり美容師気取りの本田さんは「めっちゃ楽しいー」とか上機嫌で俺の髪をいじくり撫でまわし、結果、ちゃんとしたリーゼントができあがっていた。

「すっげえっ」

「でもやっぱ剃り込み入れなきゃ駄目っぽいねー。それに眉も整えなきゃねー」

 悪魔のようにほほ笑むと、次は俺の眉をいじり始めた。い、痛いっ……。

「いっちょあがりっ。あー面白かった。コテしばらく貸すからさ、ちゃんと自分でもできるように練習しなよー」

 コーラをぐいっと飲み干すと、じゃあねー、とひらひら手を振って去っていった。なんか甘ったるい残り香がするけど、そんなん嗅いでる場合じゃねえっ! 

 俺は家を出ると隣町の床屋までチャリをこいだ。一刻もはやく剃り込みを入れるのだ。


 三日後。朝。ちゅんちゅんとさわやかに小鳥が鳴き、カーテン越しに白い清潔なひかりが差し込む中、姿見の中の自分をまじまじと見つめる。うん、完全に羽化している。

 ぴしっと決めたリーゼント。五時に起床して頑張ってセットした。二日間の自主練の成果も出たと思う。それから、本田の姐さんに仕上げてもらった細眉。鼻から下をかくすとなかなかイケメンだ。団子鼻と下膨れの輪郭は、もうどうしようもないから放置。制服は短ランにドカンで決めた。ドカンっていうのは、標準よりタックの数が多い、ぶかっとしたズボンのことだ。ネットでお手頃価格のものを購入した。短ランは値が張って俺の財力では買うのが無理だったから、普段着ている学生服を自分で改造した。裾を上げてまつっただけだけどね……。大変だった。何回も針が指に刺さって血を見たし、めっちゃ肩凝ったし、目はしょぼしょぼするし。当分裁縫はしたくない。頑張った割にはなんかいまいちな気もするけど、標準服よりましだろう。

 ポケットに両手突っ込んで、足を広げて腰を突き出して、ああ? なんだテメェコノヤロ、とメンチ切ってみる。どうかな。三ツ谷さんみたいに決まってるかな。

 一階に降りると母ちゃんが朝食の準備をしていた。おはよう、といつもの習慣であいさつをすると、振り返った母ちゃんがフライ返しを持ったまま固まった。すぐに我に返った母ちゃんは、家を出ようとしていた父ちゃんを慌てて呼び止めに行った。父ちゃんは毎朝海沿いをウォーキングしてから、そのまま店に行く。朝食はとらない。味覚を敏感にするためだとか。ようわからん。なんだなんだ、と玄関から戻ってきた父ちゃんも、俺を見るなり固まった。

 なんか面倒くさいことになりそうだから、俺も朝食はスルーして家を出ることにする。

 三ツ谷さん、怒るかな。結局、父ちゃんに筋とやらは通してないし。

 まだ登校するには早い時間だけどほかに寄るところもない。だれよりも早く学校に来ちゃうヤンキーってのもカッコつかないけど、なんか興奮しちゃって落ち着かないし。はやく矢野たちの反応も見たいし、本田さんにも雄姿を見せたい。

 朝の教室で、しずかに皆を待つ。どうでもいいけど、朝イチの学校って気持ちいいのな。黒板とかぴっかぴかだしさ。空気も凛としてて、背すじがすっと伸びる感じだ。

 最初に登校してきたのは吉川さんという女子だった。俺をひと目見るなり息をのんで、そのままおはようも言わずに着席。ふふ、ゴメンねビビらせちゃって。気まずいのか、吉川さんはすぐに他の教室に行ってしまった。次に来た女子も、大体同じようなリアクション。そのうちだんだん教室に人が増えてきたが、みんな俺と目を合わせず、遠巻きにひそひそ耳打ちし合ってる。いいよいいよ正しい反応。普通のクラスメイトだった俺が華麗に変身しちゃったんだもんね。剃り入れちゃってんだもんね。ひりひりしてんだもんね。怖れるよね、何があったか触れられないよね。いよいよ、那須浩之・ヤンチャ伝説のはじまりだ、そう思うと武者震いが抑えられない。

「おっはよーん」

 この、ムダに明るい声は。ついに来たぞお笑い人間。はやる鼓動を押さえつつ、クールなまなざしで声のほうをチラ見すると、やはり矢野だった。つうか、矢野とイイテツのセットだ。肩を組んで仲良く登校だ。

 と、イイテツがどでかい声をあげた。

「おーっ! ナッスーが、まじで剃り込み系男子になってんぞーっ」

 アホかお前。触れれば切れる鋭い刃のような俺に、そんな小三男児みたいなリアクション。校舎裏呼び出してボコるぞゴルァ。

 メガネザルみたいに目をまん丸く見開いて、つかつかと矢野が俺に近づいてくる。至近距離まで来て、ずいっと顔を寄せた。

「アんだコラ」

 凄んでみた。脳内では、俺の姿は若かりし頃の三ツ谷さんに完全にすり変わっている。

「ぶっ」矢野は顔を真っ赤にして、ふき出した。え? ふ、ふき出す? だと?

 次いでイイテツも発作みたいに笑い出した。矢野は苦しそうに引き笑いしている。

「ナッスーやっぱすげえよ、天才だよ。あー悔しいわ天然には勝てねえわー」

 て、天然、だと? 笑いはクラス中に連鎖して、いまやみんなが可笑しそうに手を叩いて笑っている。沢渡が調子にのって机をリズミカルにぽこぽこ叩いて皆をあおる。

 ぽかんと口を開けて呆ける俺の背中を、矢野がばんばん叩いた。

「大喜利ネタからのー、まさかのヤンキーコスプレ。参ったわ。完敗だわ」

 コ、コスプレ? ってか、よくわかんないけど俺、こいつに勝ったの? どういう意味合いで勝ったの? ねえ。

「コスプレじゃねーよ」

 その時、教室後方のドアから、ドスのきいた女の子の声がした。姐さんだ。教室で笑っていた奴ら全員が、一斉に彼女のほうを見る。本田さんは肩まである茶色い髪をかきあげた。

「那須はさ、マジなんだよ。ネタでやってんじゃないんだよ」

 盛り盛りまつ毛に囲まれた、澄んだ目で、挑むように俺を見ている。俺は言った。

「そうだ。マジだ。俺、マジでヤンキーになるんだ。ツッパリになるんだ」

「マジでヤンキーって……」矢野が、すがるような目をして俺の短ランの袖をひっぱった。「ヤンキーキャラでいくってこと?」

「ちげーよ。そういうんじゃないんだ。俺、マジで伝説つくりてえんだよ」

 チャイムが鳴る。矢野はしょんぼりと眉毛をハの字のかたちに下げて、もうそれ以上何も言ってこなかった。あばよ悪友。テメエはテメエの道を行け。応援してっからよ。

「しずかにー。みんな着席しなさーい」

 微妙な空気を壊すかのように入ってきた担任の浅井が、俺を見て、絶句した。ばさりと出席簿が床に落ちる。ゴメンねセンセ―。俺、卒業まで暴れちゃいます。夜・露・死・苦。


 放課後。予想通り、俺は浅井に呼び出された。しかも職員室じゃなくて生徒指導室だ。

 中には、浅井と、なんと、父ちゃんと母ちゃんもいる。店どうしたんだ店は。休みにしたのか? つい、迷惑かけちゃってるな、なんてちらっと思ってしまう。筋通せよと言った三ツ谷さんの顔も浮かんで、あわてて振り払う。三ツ谷さんだってさんざん親泣かせてきたはずだ。

 うながされてパイプ椅子に座ると、神妙な顔した浅井が、おずおずと切り出した。

「那須くん、秘密は守るから、正直に言ってね。その恰好、誰かに強制されてやってるの?」

 は、はい? 黙り込んだ俺に、父ちゃんがさらにたたみかける。

「浩之。父さんも母さんも先生も、全力でお前を守る。だから話してくれ。誰かに……いじめられているのか?」

「ち、ちがうよっ」びっくりして声が裏返る。「自分からやったんだよっ、これは」

「前、ヒロくん自分のこといじられキャラだって言ってたじゃない? そういうのがエスカレートして、気づいたら嫌と言えなくなってたってこともあるでしょう?」

 母ちゃんがゆっくりと諭すように言う。俺、自分のキャラがどうとかいう話、母ちゃんにしてたのか。普通に恥ずいな。

「いやまじでそういうんじゃないから。これは、あの、『理由なき反抗』なんだ」

 大人三人はそろって目を点にしてしまった。ちっとも通じてない。

 結局、かみ合わないまま面談は終わった。俺の中でぱんぱんに膨らんでいた、これからの日々への希望が、急速にしぼんでいくのを感じた。


 さらに、夜。

 俺は父ちゃんから話を聞いた三ツ谷さんに呼びだされた。

 軽トラで、誰もいない海に連れていかれる。三ツ谷さんはずっと無言で紺色の海を見つめていて、俺はひとり、どきどきしていた。

 と、空気が裂けた。

「親父さんに筋通すって約束したじゃねえか。それを破ったんか、テメエは、ああ?」

 怒鳴られる。すげえ目つきで睨まれて、縮み上がってしまう。

 三ツ谷さんは俺のTシャツの襟首をつかんでぐっと引き寄せる。

「何か言えや、浩之」

 俺のこと叱ってるんだ。いや、叱られるとか、なまやさしいもんじゃない。リアルヤンキーの凄味を感じる。怒鳴り声ひとつで、眼光だけで、俺は蛇を前にしたちっこい蛙だ。

 三ツ谷さんが襟首から手を離し、俺は放り出されてどすんとしりもちをついた。

 怖くて自分が情けなくて涙と鼻水でぐしゃぐしゃになる。ずっと嗚咽してる俺を見て、三ツ谷さんはふっと表情をゆるめた。

「大事にしてやれや。心配かけんなや。後悔すっぞ、俺みたいに」

 ああ。三ツ谷さん。その、急に優しくなった声色も、昔を思い出すときの切なげなまなざしも、やっぱりすべてがカッコいい。

「だって」

 鼻をすすって、三ツ谷さんを見上げる。

「俺もなりたかったんだ。三ツ谷さんみたいに、カッコよくなりたかったんだ」

「バカだな、てめえは」

 三ツ谷さんはしりもちをついたままの俺の目の前にしゃがんで、ごつい手のひらを俺の頭にのっけた。そのまま、タバコの煙を吐き出すみたいにゆっくり深くため息をつく。

「ちっともカッコよくねえよ、俺は。いつまでも仕事は半人前だしよ、女にも逃げられそうになるし」

 くくっ、と笑う。

「あいつが合コンだの婚活パーティだの行き出して。そんで焦ってプロポーズだよ。だせえ」

 波の音がする。三ツ谷さんは俺の腕をひいて立ち上がらせた。三ツ谷さんの腕は筋肉質で日に焼けてて、俺のそれとはぜんぜん違う。日々の農作業で鍛えられた、はたらく腕。

 湾の向こうで街の灯りがちらちらまたたいている。三ツ谷さんは目を細めてそれを眺めている。「タバコ吸わないんすか」って聞いたら、「禁煙しなきゃ結婚してあげない、だとよ。まじ、だせえ」なんて言って、可笑しそうに笑った。


 次の日俺は坊主にした。けじめといえば坊主だろう。制服も元に戻した。おバカなクラスメイトたちが俺のせいでいじめを疑われるのも嫌だしな、しょうがない。ため息をつきながら登校すると、俺を見つけた矢野が「ナッスー!」と叫んで一目散に駆け寄ってきた。悪友よ、またよろしく頼む。

 放課後、コテを借りたお礼に本田さんにアイスをおごった。河原の土手でそれを食べながら、本田さんは「孤独な道を行くのは、あんたには荷が重かったね」なんて言う。

 俺は三ツ谷さんの話をした。

「ふーん」と彼女はつぶやく。「カッコいいじゃん、その人」

「だろっ!」

 やっぱり姐さんはわかってくれたか。本田さんはにやっと笑う。

「自分で自分のことカッコ悪いって言えるとか。超カッコいいよ」

 んじゃウチ行くわ、と言って彼女は立ち上がり、帰っていった。甘ったるい残り香がする。つい、くんと鼻を鳴らしかけたけど、すぐに我に返ってやめた。そんなん嗅いでちゃだめだ。硬派な漢はそんなことしないもんな。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 中学生の主人公がヤンキーに憧れる話。あたしにはない表現があってとても勉強になりました。 [気になる点] 沢山ツッコミを入れたい部分がありました。 まず、白いモンシロチョウ。モンシロチョウっ…
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