ぶつけた、そして思い出した。
◆
12月24日。
学校も冬休みに入り、クリスマスやら一年の終わりやら、いろんなイベントへの期待が膨らみ、浮足立ちそうなそんな日に。
僕たち――――僕と医月は鳴芽の家へとやってきた。
とは言っても医月にとってはほとんど地元なので、僕だけがやってきたという感じだが。
鳴芽宅の近くで医月と待ち合わせ、ともに向かい、今はその家の前にいる。
あとはインターホンを鳴らすだけだ。
彼女からいくらか張りつめた空気が伝わってくる。
「こわい?」
僕は医月に尋ねる。
すると、彼女は、
「だいじょうぶ、です」
と、答える。
だから、僕は、
「そっか」
と、返す。
これから僕たちがやろうとしていることは、もしかすると余計なことなのかもしれない。
見当違いなのかもしれない。
失敗して取返しがつかないことだってあり得る。
だから、これは我が儘だ。
自分の過ちと向き合いたい、そして友だちを取り戻したいという。
そんな我が儘。
自分のエゴを通そうと行動するのは、輪花と一緒に不登校だった曜さんを説得するとき以来だったか。
あのときも僕は一人ではなかった。
もしかしたら僕は自分だけで自分の意志を貫くことが苦手なのかもしれない。
『受け入れる』という性質をもっているからか、相手に合わせることが当たり前になっているのかもしれない。
自分でも気づかないほどに。
しかし、そんな僕でも変化した。
と、そう思う。
なぜなら、あのときは、どちらかというと輪花への恩を返したいという他人本位の気持ちが強かったのが、こんなにも自分の気持ちをなにより優先したいと思っているから。
この変化は果たして良いものなのだろうか?
『先輩の変化が『良い』かどうかはわからないですけどね』
ふいに文化祭終わりに言われた医月の言葉を思い出す。
「『良い』か、『どう』か、か…………」
「先輩………?」
僕の小さな小さな呟きに医月は首を傾げる。
そんな彼女に言うべき言葉が見つかった。
「ねぇ、医月」
「はい」
「今日は自分の気持ちをぶつけなよ。鳴芽にいっぱいいっぱい。……それが『正しい』のか今はまだわからないけどさ―――――」
医月の背中を押してやりたい、だから押してあげる。
力いっぱいに叩くんじゃなく、僕の思いが強く伝わりますようにと願いながら、押す。
「――――絶対に僕が『良かった』にしてみせる。だから君はただ我が儘になれ」
医月は、インターホンを鳴らした。
◇
「あらまぁ! 久しぶりね沙織ちゃん! 元気にしてたかしら?」
「ご無沙汰しています、おばさん」
「そして、向介君はまたちがう可愛い女の子を連れてるのねぇ。……案外誑しなのかしら?」
「そんなんじゃないですってば」
そんな挨拶もそこそこに僕たちは空森家にお邪魔する。
前回と同じようにリビングへと通される。
が、しかし、違う点がひとつだけ。
すでにテーブルには、鳴芽が席についていた。
「………………」
それに少し驚くと同時に、僕は医月の様子を見る。
自分のことを忘れているとはいえ、1年ぶりの友だちとの再会。
動揺は見られるが、予想していたのか思ったほど辛そうではなさそうだ。
『スコップで心がえぐられるような、吐き気を覚えるほどの喪失感』
いや、違うな。
よく見たら医月は右腕を左手で力いっぱいに抑えていた。
それは逃げ出しそうになる衝動に必死に耐えているのだろう。
なにせ、僕から『空森鳴芽』という名前を聞くだけで、なりふり構わず逃げ出した彼女だ。
僕では想像できない戦いが医月の中で起きているのかもしれない。
「さ、医月。座ろうか」
だから、僕がしなければならないのは医月を手を引き導くこと。
『受け入れる』性質をもち、友だちから忘れられても大してショックを受けない僕だからこそできることをするだけだ。
鳴芽の向かい側に二人並んで座る。
「はい、どうぞ」
そう言いながら泉美さんが全員分の温かいお茶を並べる。
僕たちが来る時間を見計らってくれたのだろう、熱すぎず飲みやすいお茶だった。
全員が一息ついたところで、僕からさっそく本題に入る。
「鳴芽、君は僕のこと覚えているかな?」
「……ん。この間、小さい女の子と一緒に家に来てた………。名前は、向介?……だっけ」
覚えている。当然だ。
あのときは、簡単な自己紹介しかしていない。
親しくなっているはずがない。だから、鳴芽は忘れない。
「じゃあ、私は?」
次に医月が問いかける。声がいつもより上ずりながらも。
尋ねられた鳴芽は、あごに手を当て少し考える素振りを見せてから、いつもの静かな口調で、
「………知らない」
と、はっきりと言う。
それに、医月は―――――。
「鳴芽」
泉美さんが鳴芽の肩に手を置く。
それは、医月の反応を見ての反射的な行動だったと思う。
泉美さんは、鳴芽に何をか言おうとしては止める。
我が子が友だちにした仕打ちを咎めるべきなのか、それとも我が子の症状を嘆けばいいのか判断に迷っている感じだった。
人を傷つけたら謝らせる。間違ったことをしたら謝らせる。
人の親として当然の躾け。
しかし、人を傷つけてはいても、鳴芽は何も間違ったことはしていない。
今の鳴芽は医月を本当に知らないのだから。
そのことを泉美さんは理解している。
していても許せないことはある。
だから、泉美さんは葛藤しているのだ。
「大丈夫ですよ、おばさん」
泉美さんを困惑から救い出せるのは、やはり医月だった。
柔らかな笑顔で彼女は言う。
「鳴芽。私とあなたは友達なのよ?」
「……そう。………わたしにも友達って、いたんだ」
事もなげに言っているように聞こえるが、鳴芽は少し驚いているようだった。
「去年……中学三年生のときにあなたと同じクラスだったわ」
「………………」
少し間を置かれる。
どうやら鳴芽は思い出そうとしているみたいだ。
しかし。
「………うぅん、やっぱり……覚えてない」
「でしょうね。でも、わたしたちは確かに友達だったの」
そこで初めて医月はお茶を啜る。
「学校の登下校はいつも一緒だったし、公園で日が暮れるまで話をしたし、あなたが生き物好きだから休みの日に動物園に行ったし、喫茶店でケーキ食べたし、図書館で受験勉強した。それらを何回も繰り返したけれど、私にとってはどれも大切な思い出。かけがえのない。忘れたくても忘れられない。そんな記憶。でもそれは、あなたにもちゃんともっていてほしいの、鳴芽。友達だから、あなただから、私と一緒の記憶をもっていてほしい。あのとき楽しかったよねって言って、思い出を振り返って、懐かしんで、笑い合っていきながらまた、記憶を作りたい」
「………………」
「沙織ちゃん……」
これが医月沙織の想い。我が儘。
純粋な友達としての気持ち。
僕ではできない、医月だから伝えられることだ。
でもさ。
「それだけじゃないだろう? 医月」
僕は焚きつける。
医月のやりたいこと……いや、やってもらいたいこと。
まだまだあるはずだ。
「ええ、先輩」
医月は、意を決して言う。
人差し指を鳴芽につきつけて、我が儘をぶつける。
「私はあなたの記憶を取り戻す。そしたら、私に謝ってもらうから。私を忘れたこと、傷つけたこと」
何度も言うが鳴芽は間違ったことをしていない。
忘れてしまうのは病気が原因で仕方がないことなのだから。
だがしかし、それでも、けじめはつけなければならない。
友達なら尚更。
「そして、私もあなたに謝りたい。逃げたこと、諦めたこと、それから………忘れようとしたこと、ぜんぶ。でも、それはちゃんと記憶を思い出したあなたに言わないと謝ったことにならないから、………だから!」
医月は立ち上がった。
「おばさん。あの場所に連れて行ってください」
◇
泉美さんが言うに空森家からそう離れていないということなので、移動は徒歩だった。
肌を突き刺すような寒気に身を震わせながら、僕たち四人は医月の言う”あの場所”へと向かった。
ここにみんなで行きたいということは事前に泉美さんには連絡をしていた。
最初は怪訝な様子だったが、鳴芽の記憶を取り戻すためだと言うと、快諾してくれた。
断られる可能性もあるお願いだったが、前回祈梨ちゃんとの訪問で理解を得られていたのが助かった。
多少意匠が異なってはいるが、同じような形の建造物が並ぶ道を僕たちは歩いていく。
慣れたように歩く泉美さんについていっていたが、彼女はとあるところの前で立ち止まる。
「最近来てなかったから、落ち葉で散らかっているわ。うーん……みんなはちょっとここで待っててね」
そう言って泉美さんは、僕たちを置いて来た道を戻っていった。
おそらく箒かなにかをお寺に借りに行ったのだろう。
「………………」
道中、僕たちはほとんど会話を交わすことはなかった。
ここでも静かに泉美さんの帰りを待とうかと思っていたが、医月は目的の場所の前でしゃがみこみ、両手を合わせた。
それを見て僕もあとに続いた。
これから僕たちがしようとしている行いは、もしかするととても罰当たりになるのかもしれない。
医月もそう思っていたからか、二人で念入りに拝む。
少し長く。「すみません」と念を込めて。
鳴芽はただそれを見ているようだった。
「ねぇ鳴芽」
意を決したのか、医月は立ち上がり鳴芽の方へ振り向く。
「あなたはここに来たことがあるのよね?」
「そんなの当たり前だ」
と、一蹴されるくらいに馬鹿げた質問。
しかし、この質問をここですることが僕たちの本日最大の目的。
どうしてもしなければならないことだった。
そんな質問に鳴芽は―――――
「…………ない」
と、答えた。
答えて……しまった。
「えぇ!?」
カタッ、カタンと音がした。
その方を見るとお寺で借りてきたであろう竹箒を落とした泉美さんがいた。
「なにを……、言ってるの………? 鳴芽………あなたは何を…………?!」
ひどく驚愕し、そして混乱している。
泉美さんは鳴芽に詰め寄り両肩を掴む。
信じ難い事実をうまく呑み込めないようだった。
「おばさん………」
普段の明る過ぎる彼女とは一転した姿に医月は戸惑う。
が、こうなることは僕たちが予想していたことだった。
「ここは……! ここは、お父さんのお墓でしょう!?」
「お母さん……痛いよ………」
流石に興奮し過ぎているため、僕は鳴芽から泉美さんを引きはがす。
離れた途端、泉美さんは力なくその場に崩れるように座り込んでしまった。
鳴芽の方には医月が付き添う。
「いや………だって、そんなこと………」
「泉美さん。少し落ち着きましょう」
「こ、こうすけ、くん…………」
僕の声かけで我に返ったのか、深呼吸をして息を整えてくれた。
「向介くん………ありがとう」
憔悴が見られるが、先ほどのような荒々しさはなくなった。
息をのみ込んで、泉美さんは鳴芽を見る。
「ごめんなさい、鳴芽。乱暴にしちゃって。……でも、聞かせて頂戴。あなた、ここには初めて来たの?」
極めて冷静さを取り戻そうとしながら尋ねた。
泉美さんとしては、否定してほしいところだろう。
「うん……、初めて………だよ?」
しかし、思い空しくそうはならなかった。
鳴芽は、ほんの少し恐怖を滲ませながらもはっきりと答えた。
「そんな……、そんなはずないでしょう? だってあなたが事故の怪我から退院してからも何度か一緒にお墓参りに来てるじゃない。お父さんとの思い出だってたくさん話したことだって………」
「そんなの、知らない。記憶に……ない。………だってわたしにはお父さんなんていないんじゃないの?」
「え?」
「―――――医月!!」
泉美さんの動揺をかき消したくて僕は叫んだ。
これ以上泉美さんを追い詰めないために。
「医月! もうこれで決定的だ!」
「はい、先輩。このパターンなら希望があります」
「パターン……? なにを言ってるの、あなたたち?」
「鳴芽は思い出すことができるってことですよ、泉美さん」
そう。
僕と医月はあらかじめ鳴芽の症状について様々なパターンを今日までに考えていた。
パターンは三つ。
まず、鳴芽が父親について覚えている場合。
これは、僕たちにとって一番最悪なパターンだ。
鳴芽から父親について聞いたことがないことから立てられた推察。
”鳴芽が最初に忘れた人物は父親である”が全くの的外れなことを意味している。
それだとまた手詰まりになってしまう。
次に、父親についてずっと忘れている場合。
この間の話し合いのときに、”一番最初に忘れた人物の記憶を思い出せば全て思い出せるのではないか”という医月の説を方針にすることにした。
『一番最初に忘れた人物』が父親だとすると、その父親のことを思い出せば良いってことになる。
そうだとしたら、医月は自分を『一番最初に忘れた人物』だと思っていたから失敗したと説明がつく。
ある一つの疑問を除いて。
最後に、父親について忘れては思い出すを繰り返している場合。
これは、鳴芽が父親のことを忘れているとすれば、さすがに泉美さんが気づくのではないかという考えが出たことから想定したパターンだ。
先ほどのある一つの疑問というのがそれだ。
前回の祈梨ちゃんとの訪問での泉美さんとの会話では、鳴芽は父親のことを覚えていると泉美さんは認識しているような話し方だった。
実際、僕もそう思っていたから、何の違和感もなかった。
だから、医月が出した”鳴芽が最初に忘れた人物は父親である”という推察にすぐに賛成できなかったのだ。
だが、今の泉美さんとのやり取りでわかった。
鳴芽は事故のあとに父親について覚えている瞬間があったし、今この瞬間は忘れている。
僕と医月は確信する。
鳴芽に思い出させることはできるということを。
「おばさん、お願いです。鳴芽に父親のことを……お父さんのことを思い出させてください」
「思い出させるって言ってもどうやって……?」
「いつもお墓参りしたときにしている話でも良いんです。お父さんとの思い出を話してください。そうしたら、多分鳴芽もお父さんのことを思い出して話せるようになると思います。今までだってそうだったんでしょう?」
「ええ、確かに……そうね。うん、やってみるわ」
座り込んでいた泉美さんはそう言って立ち上がり、鳴芽と一緒に父親の墓石の前に並ぶ。
それと入れ違うように医月が僕のそばにやってきた。
「どうしたの?」
「いえ。家族の思い出を他人が聞くのも野暮かと思いまして」
そう言う姿は少し不安で寂しそうに僕の目には映った。
「私にはあまり家族との思い出ってないんですよね。両親ともに仕事人間で、一人っ子ですし」
「僕も似たような感じだよ。まぁ、僕にはハルがいたから家族の思い出というとハルとの思い出なのかもね」
「……家族だからハルさんと恋人になれないんですか?」
「な!?」
なぜ、そのことを、このタイミングで?!
「あはは。そんな顔する先輩って初めて見ました。ウケますね」
悪戯っぽく笑う医月。
そう言う君だって僕は初めて見た。
「私はハルさんを応援しますね。あの人じゃないと先輩のこと『受け入れ』きれないと思いますし、ハルさんには幸せになってほしいですし」
「………………」
それだと今現在、不幸みたいじゃないか。
とか、反論したいけれどここはもう沈黙を通して、話を逸らすしかあるまい。
ああだこうだと思案していると、医月の方から話題を変えてくれた。
「鳴芽のあの症状。脳の障害というよりも心の問題だと私は思います」
「心の問題?」
「問題というよりも正常なのですが。先輩は『適応機制』って知っていますか?」
「うーん、確か保健体育とかで習った気がする。”酸っぱい葡萄”とかの話だっけ?」
「そうです。自分の欲求が満たされない状態を解消する人間だれしもに働く心を守るためのものです」
欲求が満たされない。欲求不満ということか。つまり、ストレス。
それを解消するというのは、確かに人間だれしもすることである。
勉強の合間に息抜きをしたり、嫌なことから逃げたり、失敗したら言い訳したり。
これらすべて適応機制、心の働き。
それでいうと医月が鳴芽や僕から逃げたのも立派な適応機制というわけだ。
「一緒に事故に遭って、父親が亡くなり自分だけが助かったという辛い現実から心を守るために、鳴芽は父親の記憶を抑え込んだ。自分で自分のことを抑圧しているんです。流石に無意識でしょうけどね」
だから、脳の障害ではなく心の問題。
いや、心の正常な働き。
「じゃあ僕たちのことを忘れるのは?」
「耐えられないんじゃないですか? もし、また、父親と同じように親しい人が亡くなってしまうと考えると」
「心を守るために、忘れる。心を亡くす、か。親しい人ができても、初めからいないことにすればストレスなく生きていけるっていうのか」
「まったくもって度し難いですね、心ってものは」
「だから僕たちがいるんだろう?」
「………そうですね」
『ココロ相談室』が。
◇
十分以上経っただろうか。
お墓の前で座り込んだままの鳴芽を残して、泉美さんだけが少し離れた僕たちのところにやってきた。
「結論から言うと、父親のこと、そしてあなたたちのことを鳴芽は思い出したわ」
「「っ!?」」
よし!
こんなにあっさり思い出してくれるなんて期待以上だ。
医月と喜びを分かち合おうとした、そのとき、
「でも」
せっかく鳴芽の記憶が戻ったのに、泉美さんの表情はあまりに暗いことに気づく。
「あの子は多分すぐにまた忘れるわ。いろいろ思いつく限りのことを言ったけれど、私じゃあ駄目だった。説得できなかった。母親の私では無理だった。だから、今度はこっちからお願い」
泉美さんは僕たち二人に対して頭を下げる。
深く、深く。
自分の無力さを刻み付けるように。
「どんな結末になろうと私は『受け入れる』。だから、あの子と話してくれないかしら」
僕たちは頷く。そして、泉美さんを置いて鳴芽のもとへと向かう。
しかし、説得とは、どういうことだ。
何を説得するというのか。
それじゃあ、まるで説得しないと鳴芽が僕たちのことをわざと忘れるみたいじゃないか。
『普通に考えれば『大事だから忘れたくない』……だろ? だけど、あいつの場合は、『大事だから忘れる』だったよな? まったくの逆だ。なら、思い出したいってのも、もしかしたら“逆”なんじゃねぇか?』
ふと曜さんが言っていたことを思い出す。
「逆。本当に逆なんだな。 思い出したくないんだ。忘れたいんだ。親しい人との記憶なんて、思い出なんて。辛いだけなんだ。だから、自分から捨てるんだ。自分を守るために。自分で選んで。自分から進んで。積極的に忘れるんだ。それが、君にはできるんだね―――――鳴芽」
鳴芽は僕の呼びかけに応えるようにゆっくりと立ち上がる。
父親の墓を背に、僕たちに体を向ける。顔を合わせる。
そうしてからやっと、彼女は言った。
「………だから……『忘れてもいいよ』って言ったん……じゃん」
◆




