追いかけた、そして受け入れた。
◆
「いちえん先輩!!」
あかりちゃんの大声にはっとする。
気づいたときにはもう医月は部室のドアを開けて、廊下へと飛び出していた。
僕は何が起きたのかわからず、あっけにとられる。
そして『受け入れる』。
今のこの状況に対して思考を巡らせる余裕がないと思ったからだ。
たった一言、鳴芽のことを聞いただけなのに、それに答えもせず相談室から飛び出したのだ。
医月が僕から逃げたのは確かだ。
あんなにも素早く動く医月を見たことはない。
ないからこそ、並々ならぬ状況だと分かった。
「追いかけましょう!」
言うが早いか、すでにあかりちゃんは椅子から立ち上がり、廊下へと動き出していた。
僕もそれに続くように走り出す。
「ああん! もうどこに行ったかわからないです!」
「でも、まだそんな遠くに行ってないはずだよ。手分けして……僕は靴箱を確認してくるから、あかりちゃんは校舎の中の医月が行きそうなところを探して!」
この大雨の中だ。
外に出る可能性は低いにしてもゼロではない。
下履きに履き替えに行くことも考えられる。
あかりちゃんには悪いが、体力がある彼女に捜索範囲が広い方を担当してもらおう。
「了解です!」
さすが体育会系。気持ちの良い返事だ。
何か分かれば携帯電話をで連絡をとろうと伝えたあと、僕たちは別れた。
今日は、テストのあとは完全下校で部活動の生徒も今はほとんどおらず、下校していたから助かった。
校舎内を走ってもあまり騒ぎにならないし、人を探すには好都合だ。
手分けしてから1分後、僕は生徒玄関に到着。
以前にも一度だけ医月の靴箱は探したことがある。
ある程度場所の見当はついていたので、すぐにわかった。
靴は、ある。
ということは、医月はまだ校舎内にいる。
「もしもし! あかりちゃん?」
さっそくわかったことを共有すべくあかりちゃんに電話をかける。
「はい! いちえん先輩!」
「どうやら医月は外には出ていないみたいだ」
「そうですか……、あたしはとりあえずあたしたちの教室に来てみましたが、この辺りにはいないみたいです」
彼女の声を聞きながら、僕も校舎内の捜索に頭を切り替える。
教室にいないということは、トイレとか図書室とかかもしれない。
あかりちゃんに次の指示を出そうと考えていると、突然彼女が電話だというのに声で張り上げる。
「いちえん先輩! さっちゃん、いました!」
「どこに!?」
安心した。思ったよりも早く見つかってよかった。
胸を撫でおろしていると、
「外です!!」
「え?」
「さっちゃんが傘もささずに遠くで歩いてるのが窓から見えます!」
下履きが靴箱にある、つまり医月は相談室を出てすぐ上履きのまま外に出たってことか。
もしかしたら、生徒がほぼいない校舎内だと、すぐに見つかるからって外へと逃走したのかもしれない。
なかなかどうして、合理的で頭がきれるじゃないか。
そして、どうやら、なんとしても医月は僕から逃げたいらしい。
あの、あまり感情を表に出さない、激情とは程遠い医月がなぜここまで逃げることに必死なのか。
ただ鳴芽のことを尋ねられただけで、何がそこまでさせるのか。
一体、二人の間に何があったんだ?
「わかった! 今から僕が追いかける!」
あかりちゃんたちの教室から見えたということは、医月が使っている電車の駅とは逆方向だ。
とにかく学校から遠ざかろうしているのだろうか。
なんにしても、早く追いかけよう。
傘は相談室に置いてきた。今さら、取りに行くとただでさえ離れている医月との距離がさらに大きくなるだろう。
濡れるのを覚悟して僕は靴を履き替え、厳しく降り続ける雨の中へと走り出た。
「さっちゃん、いちえん先輩が『空森鳴芽』って言った瞬間、すごい表情になってました」
携帯電話から心配そうな声であかりちゃんがこぼす。
電話はまだ繋げたままだった。
「はぁ……はぁ……、どんな?」
息を切らして、最短ルートを頭で割り出しながら走る。
「なんか、怯えたような……そんな感じでした。前に聞いたことがあるんです。助けたかった友達から逃げたっていう話を。……多分、その友達っていうのが『空森鳴芽』」
なるほど。
つまり、鳴芽に対して何か後ろめたい感情をもっているってことか。
でも、こんな打たれたらすぐに全身が濡れるくらいの雨の中なりふり構わず逃げるって相当だぞ?
医月には悪いけど、やっぱり鳴芽についてなんとしても聞かなくちゃいけない気がする。
「いちえん先輩……さっちゃんのこと………よろしくお願いしますね!」
「ああ! もちろん!」
そこで電話を切って、走ることに専念する。
学校の敷地を出て、医月がいたであろう場所に向かう。
逃げるということは学校から少しでも離れたいはず。
幸いなことに医月が逃げた方向は、僕の通学路だ。道は詳しい。
医月の思考を推測しながら道を選んでいく。
「いた!」
選んだ道が間違いだったのかもしれないと不安になりながら、道の角を曲がると100mくらい先にとぼとぼと歩く医月らしき影をとらえた。
息を整えつつ、走り出す。
「ッ!?」
ある程度近づいたところ医月に気づかれてしまった。
「くっ!」
また距離を離されるとまずい。
僕は、足を速めようとするが、うまくできない。
学校からずっと何百mも走ってきて、さすがに体力の限界だった。
医月は周りをキョロキョロと見まわして、近くの公園に入っていく。
そこは幼いころハルとよく遊んだ、そして祈梨ちゃんと2回目に会った公園だった。
その公園は出入口は一つしかない、行き止まりだ。
「よし、追いつけるぞ」
◇
公園に入ると、医月以外には誰もいない。
雨が地面を打ち付ける音だけが響く。
なおも大きくなる水たまりだらけの公園の真ん中で佇み、俯いていて顔が見えない医月。
何を今考えているのか。
「………………」
まずは落ち着かせなければ。
また逃げるために動かれてはどうしようもない。
僕はどう声をかけようか考えていると、医月の方から会話を切り出した。
「とうとう見られてしまいましたね、先輩」
あっははは。
と、ロボットの声かと思えるほど、無味な笑いを出す。
いや、しかし。
医月が、笑う。
どう考えても正気とは思えない。
どうにも自棄になっているようにしか見えない。
僕はなるべくなんでもないように、
「なにを?」
と、極めていつも通りを装って聞き返す。
「なにって、私の本性ですよ」
「まぁ、確かに? 医月がこんなにも運動ができるなんてね」
「優しいんですね、先輩。今さら、とぼけなくてもいいんですよ」
「………………」
いつもとあまりにも違うからか、どうも調子がつかみにくい。
「正直、先輩の口から鳴芽の名前が出てきてびっくりしました」
「鳴芽のこと知ってるんだよね?」
「もちろんです。鳴芽とは友だちでしたから」
でした、か……。
過去形ということは、少なくとも医月にとって鳴芽を友だちだと思っていないようだ。
二人の間に何があったんだ?
「………………」
いや、そんなことはもう明らかだ。
「医月、君は……鳴芽に忘れられた最初の人だね?」
「はい」
なおも顔は下がったまま、表情が読み取れない。
しかし、声だけははっきりと届く。
それがどうにも嫌な予感をかきたてる。
「ご存じの通り、私は中学生のころに鳴芽と友だちになって、そして忘れられました」
「……だから君は鳴芽のことが嫌いになったのか?」
「きらい? 私があの子を? あっははは、そんわけないですよ。私は今でもあの子のことは大好きです」
「え、でも………。さっき友だちでしたって……」
「あぁ、それで誤解したわけですね。単純な話です。ただ単に、私があの子の友だちを名乗る資格がないってだけですから」
「資格がないって……、そんなこと―――――」
「あるんですよ」
ここでやっと彼女は目線を上げる。
いつもの不遜な態度からくる冷めた目ではない。
ともすると今にも雨の中に消えてしまいそうな、そんな儚く弱弱しい。
もしかすると、これが医月の本当の姿なのかもしれない。
本性。
僕が軽々しくも、それを暴いてしまった。
「私は逃げたんです。今のように、あの子からも。これ以上、自分が傷つきたくないから。これ以上、もう、自分を傷つけたくないから」
「でも、そんなのは……。……悪いことじゃない! 大事な人に忘れられれば普通は誰だって……!」
「先輩は違うでしょ?」
「っ!?」
一歩、二歩と医月は僕の方へと近づいてくる。
目は外さず、ゆっくりと。
手を伸ばさなくても、お互い触れてしまえるほど体が近くなる。
「先輩だってあの子から忘れられたんじゃないですか? そのとき、どう思いましたか?」
「…………どうって?」
「そう聞いていることが、全てを物語っていますよね」
腹立たしい。
そう医月は吐き捨てる。
目には怒りが映っていた。
「スコップで心がえぐられるような、吐き気を覚えるほどの喪失感。そう思うんです。それが普通です」
わかりましたか? と続けて、背を向ける。
「そんなこともわからないくせに普通を語らないでください」
突き放された。
体はまだ手を伸ばせば届くくらい近いままなのに、心の距離を離される。
なにも追いつけていない。
先日の祈梨ちゃんのときと同じだ。
医月にかけてやれる言葉を僕は何も持ち合わせちゃいない。
「これで理解しましたか、先輩? 私にはやっぱりあの子の友だちとなる資格、ないんですよ」
「わからない。わからないな……医月」
惨めにも僕にできるのは足掻くことだけだった。
それでも、医月は、
「ならもっと教えてあげますよ」
再び僕の方へと医月は向き直り、大きく息を吸った。
「約束を破り。怠惰で。臆病で。自分で決めたことも守れない。自己防衛意識だけは一人前で。傷つくのをとにかく恐れて。自分に都合が良くて。自分勝手で。生意気で。寂しがり屋で。できもしないのにプライドは高くて。賢いふりをして。頑張っている人に嫉妬する。そんな人間。それが―――――」
――――それが、私の『性質』です。
言い切った。
謙遜も、大袈裟も感じさせず。
自分が自分をただそう評価している。
そう思わせるほど、医月の自己評価は揺るぎも揺らぎもなかった。
こんなにも自分のことを卑下するのか。
この子は、これほどの暗い闇を抱えていたのか。
以前から片鱗はあった。
『何か』抱えていると。
相談室で毎日のように接している中で、僕は確かに感じていたんだ。
ただ静かに、真剣にいつも医月は“脳科学”や“脳医学”、“記憶”に関する本を読んでいた。
僕はそれを知っていた。見ていた。
でも、僕は見通せなかった。
見過ごしてきただけだ。
アスカならきっとできるのに。
ハルなら一緒に悩むのに。
曜さんなら助けるのに。
代なら首をつっこむのに。
祈梨ちゃんなら立ち向かうのに。
医月のそばにいたのが、僕じゃなければ。
雨の中を、逃げさせることもなかった。
僕は。
情けない。『受け入れる』
無力だ。『受け入れる』
悔しい。『受け入れる』
自分に反吐が出る。『受け入れる』
もう諦めようか。『受け入れる』
それでいっか。『受け入れ…………………
「………きれるか!!」
僕は、叫ぶ。
がむしゃらに。
心の内に澱んでは溜まる感情を吐ききるために。
「せ、先輩……?」
さすがの医月も、そんな僕の様子に驚いて振り返り、戸惑いを見せる。
当然だ。
僕だって、こんな僕は初めてだ。
どうしていいかわからない。
けど、けれど。
どうしたいかは、はっきりしている。
「わかったよ、医月。君が自分のことをそう思うんなら、きっとそうなんだろう。君は友だちから逃げた。だから、君は最低だ」
「―――――っ。そ、そう……、最低なんです。だから、もう私のことはほっといて―――――」
「――――でも!!」
後ずさり、再び距離をとろうとする医月を許さず、離れられた分、僕は詰め寄る。
そして、彼女の両肩を掴み、もう逃がさないと分からせる。
「君は、『ココロ相談室』に入った!」
「そ、それは………」
僕の勢いにすっかり気圧された医月は全身から力が抜け、濡れた地面に膝から崩れ落ちる。
僕も彼女の動き合わせて膝をつく。
「僕の誘いを君は『受け入れた』。初めて会ったときも、僕から逃げていたのに。君は『受け入れた』。そして、君はあかりちゃんの心のためにたくさん悩んで、向き合ったじゃないか……!」
そう。医月は、なんだかんだ人のために動ける人間のはずだ。
こんなにも自分のことをどん底にまで嫌悪していても、『相談室』に入ったやつなのだ。
当たり前に人を心配し、当たり前に人のことで悩んで、当たり前に人の心を考えてやれる。
医月。君は。
「『心に寄り添う』……そんな『性質』だって持っていると思うよ」
「なんでそんな! ……そんなこと! なぜ言えるんですか!……私、先輩に………ひどいこと言ったのに!」
「なんてことない」
というか、意外と気にしてたんだな。
「鳴芽のこと、後悔しているんだろう?」
「それは……。…………はい」
「なら僕に協力してほしい。鳴芽の記憶をどうにかしたいんだ」
「……できませんよ。私だって、何度も忘れられるのを繰り返してそれでも駄目だったんです。また……逃げてしまうことになるのが怖いです」
「それでも………!」
「………………」
先ほどのような不気味な雰囲気は医月から感じられないが、やっぱり一筋縄じゃいかないか。
ある種、鳴芽のことは医月にとってトラウマに近い状態なのかもしれない。
医月の心のことも考えると難しい問題だ。
でも、諦めたくない。
医月の力が絶対必要だと思う。その予感がある。
せっかくの手がかりを逃したくはない。
こんなとき、一体どうしたら……。
無力だろうと、僕は必死に頭を働かせる。
自分の思いを、言葉を、相手に届かせるには、どうしたらいいのか。
考える。考える。考える。
考えるなかで、一つ思い当たる。
そうだ。
輪花ならどうするだろう。
嘘をつき通そうとする僕を輪花は、全身全霊で説得してくれた。
諦めず伝えてくれた。
剥き出しな本心を、想いを、精一杯伝えてくれたんだ。
「………………」
僕は、輪花じゃない。
だから、彼女のようにうまくできないだろう。
だけど。
その姿勢ぐらいには、なりきってみせる。
でなければ、あの修学旅行での出来事が嘘だ。
僕は、覚悟を決め、医月の手を掴む。
ずぶ濡れになりすぎて、お互い冷え切ってしまっているけれど。
あのとき輪花が僕にしてくれたように、両手でしっかりと包む
「だったら医月、こうしよう。『相談』だ」
「え……?」
「相談だよ、相談。君は『ココロ相談室』だろ? だったら僕の『相談』を引き受けてくれ」
「今、そんなこと言われても……、私では………」
「“今”は無理かもしれない。でも、いつかきっと君は立ち上がる。君なら、立ち上がれる」
「何を根拠に言ってるんですか」
「根拠は……正直、ない」
「ほら」
「でもさ」
思いを伝える。想いを届ける。
「君はまだ人を頼ってないだろう?」
「………………」
「鳴芽に何度も忘れられて、心が抉られるくらい苦しかったんだろう? だったら、我慢するなよ。一人で溜め込むなよ。自分を傷つけるなよ。もういいんだ。あのとき誰にも吐けなかった弱音を今、吐けよ。僕が、『受け入れる』。君の気持ちを全部わかってやれないかもしれない。だけど、それくらいしかできないから。だから全部吐き出せよ」
医月は、きっと鳴芽に忘れられてから一年間ずっと、ボロボロだったんだ。
普段は気丈に振るまっているが、心はずっと忘れられ逃げた日に囚われている。
逃げてしまった自分を嫌悪するだけして、それを誰にも見せずにこの日まできた。
だけど、もう僕は知った。
医月という人間を。
鳴芽のことが大事だからこそ、ここまで身を焦がしてしまった女の子を。
鳴芽だけじゃない。
僕は、医月を助けてやりたい。
その思いが、どうか。
伝わりますように。
「そんな……そんなの…………………」
僕は黙って両手に力を籠める。
僕が言いたいことは言った。
あとは医月次第だ。
「わ、私………がんばったんですよ? 鳴芽が私のことを一度でも思い出せば、ぜったい後遺症が治るはずだって思って……がんばったんです………。でも……でも………! ぜんっぜんだめで、そんなのを何回もくりかえして………。わたしはただ……あの子との時間をとりもどしたいだけだったのにぃ………」
一生懸命、言葉を紡ぐ。
これが医月の本心。
これこそが医月の『本性』。
冷静で、偉そうで、思ったことをそのまま言って、口が悪い――――ではない。
特別でもなんでもない、普通の、繊細な女の子。
それが医月。
それが、医月なんだ。
「よくがんばったね」
わかるよ。
どんなに愚鈍な僕でも。
お前がどんなに苦しみながらも、もがいてきたのか。
だから! もっと!
もっと吐き出してしまえ!
「う、うう、うわぁあああああああ、ぐすっ、くうぅ、うう、うわぁあああああああああああ―――――――」
大口を開けて堰を切ったように涙が溢れる。
人目も憚らず、そうしたいからそうしている幼い子供のように全力で泣きじゃくる。
これもまた、今までの彼女からは想像もできない姿だ。
でも、僕は安心した。
どっからどうみても人間らしいじゃないか。
いつの間にだろう。
ずっと聞こえていた雨の音が、なくなっていた。
◆




