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こル・ココる  作者:
第八章 『忘』
58/65

訪れた、そして疑った。

 



 ◆




「一緒に行きたいところがある……?」


「そうなんだ」


 先日、祈梨ちゃんとともに鳴芽の記憶を取り戻そうと決意してから次の日曜日。

 さっそく僕は、祈梨ちゃんと一緒に確認したいことがあって彼女に連絡をとった。

 いつもの公園で待ち合わせをしたあと、電車に乗るために最寄りの駅へと向かっていた。


「お兄さんに聞きたいことがあるんだけど」

 今日も今日とて、男の子が着てそうなデザインのスポーティな恰好をした祈梨ちゃんがおずおずと聞いてきた。


「お兄さんは、何度もナルさんに忘れられているんだよね?」


「うん。忘れられては、また自己紹介をして友達になっての繰り返しだね」


「……何回くらい繰り返しているんだい?」

 うーん?

 何回だろう? あんまりそういうの数えてなかったなぁ。

 ちゃんと突き止めたいんだったら、記録くらいとっておけば良かった。


 ふいに祈梨ちゃんが僕の手を握ってきた。


「……辛いこと聞いてるよね。ごめん」

 どうやら僕が数を思い出して黙りこんだのを、祈梨ちゃんは僕を傷つけたと勘違いしたらしい。


「大丈夫だよ」

 僕は、手を握り返し力を込めて言う。


「何度も忘れられたことでわかったことがあるんだ」


「わかったこと?」

 なおも手を繋ぎながら、祈梨ちゃんは考える。

 ……これ、周りからはどう見られているんだろう。

 女子小学生と男子高生が手を繋いで歩いているというのは、客観的に見てどうか。

 どうか、仲の良い兄妹だと思ってくれ。


「そういえば……」

 僕の心配を他所に、祈梨ちゃんは何か思いついたようだ。


「記憶喪失って言っても、いろんなタイプがあるよね。漫画とかの知識だけど、一般常識以外の自分に関することすべてを忘れる人もいれば、ナルさんみたいに部分的に忘れる人もいる。ナルさんは発作を起こしたとき、どれくらい忘れるの?」


「えっと、そうだなぁ。……どうやら発作を起こすと『大事な人の記憶を失くしている』みたいなんだ」


「え……、ということは自分の家族のことも忘れたことがあるってことかい? 事故で亡くしたっていうお父さんのことも?」


「そこは……正直わからない。でも、僕はそこに僕が感じた“違和感”の正体があるんじゃないかって思うんだ」


「ああ、だから……」

 祈梨ちゃんは、今から何をしに()()()行くのか理解したようだ。


「だから、ボクたちはナルさんの家に向かっているんだね」



 ◇



「あらまぁ!! いらっしゃい!!」


 電車に揺られること1時間。

 住宅街の中を歩いて10分。

 事前に聞いていた鳴芽宅の住所からマップサイトを使い移動していると、目印に聞いていた車の車種とナンバーを見つけ、僕たち二人は、二階建てで庭付きの普通の一軒家に辿り着いた。

 さっそくインターホンを押すと、ややあって玄関の扉が開かれて出てきたのは、テンションの高い三十代くらいの女性だった。


「あらあらぁ~、向介君。今日はまた可愛らしい女の子を連れているわね。手も繋いじゃってぇ~。どこからか攫ってきたのかしら?」


「そんなわけないでしょう!!」

 先ほどの僕の心配が当たってしまった。


「というか冗談でもそういうことは言わないでください」


「大丈夫よ、大丈夫。こんなこと向介君にしか言わないから♪」

 何が大丈夫なのか……というツッコミはもういいや。

 さっきから祈梨ちゃんが僕の手を離さないまま、後ろに隠れてしまっている。


 いきなりテンションの高い知らない女性を見れば無理からぬことだろう。

 気持ちはわかる。なにせ、この人は僕と初対面のときでも今と変わらない感じだったし。


「お、お兄さん……この人って、まさか………」


「そう……」

 そのまさかである。

 立ち話もなんだしということで、僕たち二人は家の中に入れてもらい、リビングに案内してもらった。

 いつもここでご飯を食べているであろうテーブルに三つの椅子。

 これは、今いる人数が三人だからというわけではないのだろう。

 その椅子に僕たちは座った。


「お嬢さんとは初めましてよね? 私は鳴芽の母の泉美(いずみ)といいます。全然、おばさんって呼んでいいからね」


「……ボクは、飛鳥田祈梨といいます。一応、ナルさんの友達……の、つもりです」

 祈梨ちゃんって敬語使えたんだぁ。

 と、思いつつ、まだまだこの子も面食らっているみたいだ。

 それもそうだ。

 娘があんなに静かで大人しいというのに、母親はこんななのだから。

 外見はいくらか似ているのに、中身が全然似ていない親子である。


 ふと、テンションが高い鳴芽を想像してみようと試みたが、


「…………」

 無理だった。


「そっかぁ。祈梨ちゃんは鳴芽の友達なのねぇ。あの子にこんな可愛い友達がいただなんて。……聞いたことがない、ってことはそういうことなのよね?」

 そう言ってから、泉美さんは祈梨ちゃんに対して頭を下げた。

 深々と。それは、これまでの様子とあまりに違っていたので、この人の気持ちが伝わるようだった。


「ごめんなさい」


 その一言が何を意味しているのか、聡明な祈梨ちゃんならわかっただろう。

 だから、


「大丈夫です。顔を上げてください」

 と、年不相応に落ち着いた声で泉美さんに語る。


「ボクは、何も傷ついてなんかいません」

 嘘だ。僕は知っている。

 自分が忘れられたと知った時の彼女の表情を。

 でも、そうだよね。

 祈梨ちゃんは、覚悟を決めたんだよね。

 それも、僕は知っている。


「………………」

 長い沈黙のあとにおばさんは、「そう」と何かを感じ取って頷いた。


「やさしいのね」


 その言葉に祈梨ちゃんは顔を俯かせた。


「―――それで、泉美さん」


「なぁに、向介君」


「今日は泉美さんに確認したいことがあって来たんです」

 僕はさっそく本題に入った。


「『大事な人の記憶を失くす』。これが、鳴芽の症状だと僕は思っています」


「……えぇ、確かにそうかもしれないわ。だから、あの子は友達みたいに親しい人のこと……向介君や、祈梨ちゃんのことを忘れてしまっている、ということになるのよね」

 泉美さんがまた申し訳なさそうな顔をするので、僕は間髪入れずに言う。


「泉美さんのことは?」


「え?」

 しまった。

 あまりにも焦って言葉が足りなかった。


「親しい人というのなら、鳴芽は泉美さんのこと……そして、父親のことは忘れていないんですか?」

 言われてみて確かにそうだと、泉美さんは、はっとした表情になる。


 鳴芽の症状のことを考えるとまず最初に失くすべき記憶は、一番身近である両親のことだろう。

 もしそうだとしたら、鳴芽は膨大な記憶を失くすことになるし、鳴芽にとっては覚えていない、知らない人と一緒に暮らしていることになる。

 それが一体、どのような状況となるかくらい、僕にだって分かる。


 しかし、だ。

 鳴芽に初めて忘れられる直前に鳴芽は母親の話をした。

『………わたしには、お母さんしかいないの』

 これは、会話の流れから“父親が亡くなって母親しかいない”という意味ではなく、“自分にとって大事な人は母親しかいない”という意味で言っていたのだと思う。

”大事だけど忘れていない”という鳴芽の症状との矛盾が生まれている。


「確かに……、鳴芽は……私やあの人、父親のことを覚えてる。でも、それは、あの子は私たちのことを大事に想ってくれていないってことなの、かしら………」

 泉美さんは落ち込んだ様子で、さっきまで元気がしぼんでしまったかように肩を落とす。


 鳴芽は大事だと思えば忘れる。

 忘れられていないということの意味を考えると泉美さんが言うようになってしまう。

 でも、僕にはそうだとはどうしても考えられない。

 だから、僕は、


「ちがうよ!!」

 と、言おうとした。


「っ!?」

 が、実際に言ったのは祈梨ちゃんだった。


「おばさんが大事に想われてないなんてこと、絶対ないよ! ……だって、こんな会ったばかりのボクのことちゃんと認めてくれるんだからさぁ! だからっ」

 感情がこみ上げ過ぎたのか、言葉を詰まらせる。

 こんなにも大声を出す祈梨ちゃんは初めてだ。

 そんな彼女に対して、何かしてあげないと、と考えているうちに泉美さんが祈梨ちゃんの頭を撫でる。


「本当やさしいのね、祈梨ちゃん。……ありがとう。そうね、あまり悪いように考えないようにするわ」

 なされるがまま、祈梨ちゃんは顔を真っ赤にしながら頷く。


「僕も祈梨ちゃんと同じ考えです。鳴芽は泉美さんのことを大事だと思っている。でも、”忘れていない”。僕はここに、鳴芽の記憶への糸口があると思います」


「待って、向介君」

 祈梨ちゃんの頭から手を放し、泉美さんは僕の方へと目を向ける。


「もしかして、あなた……あの子の記憶をどうにかしようって考えているの? だから、忘れられても何度も……?」


「はい、そのつもりです」


「………………」

 何かを考えこむ泉美さん。

 そりゃあ、何の専門的知識も技術も持ち合わせていない僕が鳴芽の病気をどうにかしようとしていると知れば、止めたくなるだろう。

 お互いにとって良い方向に向かうとは決して限らない。

 むしろ、悪化することだって考えられる。

 そんなことに、挑戦させられない。

 普通だったらそう考えるだろう。


「ボクたちは本気です」

 祈梨ちゃんもダメ押しとばかりに、訴える。

 覚悟を込めて。

 それが通じたのか、


「わかったわ」

 と、泉美さんは答えてくれた。


「あなたたちが、そういうつもりなら私も協力しないとね。……良い友達をもてて幸せね、あの子は」

 感慨深げにそう呟く。


「というか。こんなにいい子たちのことを忘れているわが娘にだんだん腹が立ってきたわ。……思い出させたそのときはきっちり叱ってやるんだからっ!」

 僕たちと違った方向でやる気を見せている泉美さんに対して、「あはは……」と二人で笑うしかなかった。


「あの子のことで他に聞きたいことはないのかしら。この際、気になることは何でも答えるわよ」


「うーん、そうですねぇ」

 鳴芽の母親である泉美さんの協力をきちんと受けられるようになったことは、明らかに前進だ。

 鳴芽が大事な両親のことは忘れていないというのも有益な情報だろう。

 しかし、これをどう生かしたものか……。


「お兄さん、ボク気になることがあるんだけど……」

 顎に手を当て、眉をひそめながら祈梨ちゃんは言う。


「ナルさんは、おばさんや父親のことを忘れたわけじゃない。そして、お兄さんやボクが忘れられたときには、ナルさんの記憶障害のことはわかっていた」


「ん? それがどうかしたの?」

 祈梨ちゃんが何を言いたいのかさっぱりわからない。


「おばさん。何がきっかけで、ナルさんが記憶障害だってわかったの?」


「っ!?」

 確かにそうだ。

『その人に関する記憶を失くす』というあまりにも具体的な症状。

 僕はこれを病院から聞いて、自分の身で何度も確かめた。

 何度も友達になって、忘れられて。


 でも、この症状の内容に辿り着くには、僕たちのほかに『前例』がいないとわからないはずだ。

 つまり、鳴芽には友達と呼べる『誰か』が存在する。

 祈梨ちゃんはそこに気づいたわけだ。


「そうねぇ……。事故に遭って、命を取りとめたもののあの子も大怪我で、父親の葬式にも参加できないくらいだった。……あのときの私は、あの子が生きてくれただけでも救いで、脳に後遺症があるとお医者さんから言われていたけれど、以前と変わらず問題なく生活できていたわ」


「ということは、退院するまで……いや退院してからも記憶障害のことはわかっていなかったってわけだね」

 祈梨ちゃんは、そう情報を整理する。


「父親のことで泣かなかったくらい、かしらね。あの子が退院してあれ? と思ったのは。大人しいけどお父さんにはしっかり懐いていたから。……まぁ、事故から半年以上も経っていたから」


「初めて発作が起きたのはいつなんです?」


「たしか、去年くらい。あの子が中学3年生のときだったわね。事故から何年か経ったときだったから、原因が何かすぐにわからなかったわ」

 つまり、それくらい後遺症が気にならなかったってことか。


「じゃあ、そのときに鳴芽に忘れられた人がいるわけですよね。誰かわかりますか?」


「えっとー、ちょっと待ってね。すぐに名前が出てこないわ。……うーん、あ! そうだ! その子が家に遊びに来た時に鳴芽と写真を撮ってあげたわ! ちょっと探してくる!」

 顔を見れば思い出すはずよ、とそう言って泉美さんは、席を立ちリビングから出て行った。


「お兄さん。これが手掛かりになるといいね」


「うん……、正直、思い出させる方法には繋がらないかもしれないけど、その人にも協力してもらえたら何か進展するかもしれないね」

 そうなるよう願うばかりだ。


 数分後、興奮気味に泉美さんが一枚の写真を持って戻ってきた。


「いやぁ、探したわぁ。アルバムを見ているとついつい赤ちゃん鳴芽がかわいくて、自分が一体何を探しているのかわからなくなってしまうわ……」


「あなたが忘れてどうするんです……」


「ごめんなさい。後で向介君たちにも見せてあげるから許して?」


「それよりも今持ってる写真を見せてください」

 まったく、油断ならない人だなと思いながら、泉美さんが持ってきた写真を見せてもらう。

 鳴芽が初めて忘れたであろう『誰か』が写っている写真を。


「――――――は?」


「……どうしたの? お兄さん?」


 写真を見た瞬間、僕は目を疑った。

 というか、混乱する。しかし、こうやって写真に写っている以上、『受け入れ』ざるを得ない。

 だけど、こんな偶然があるのか?


「泉美さん。この……鳴芽の隣にいる人が鳴芽に忘れられたって人なんですよね?」


「そうよ。あのときは、この子にもたくさん迷惑をかけてね。高校は、ここから少し離れたところに進学したっていうから、ずっと会ってないのよねぇ。今どうしているのかしら―――」



 ―――医月沙織ちゃんは。





 ◆




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