退院した、そして復帰した。
◆
「ただいま」
十月が過ぎると、僕はついに退院した。
三カ月ほどの入院生活とリハビリも終わり、家に帰るのは本当に久しぶりだった。
残暑の日々も過ぎようとしていて、ようやく涼しい日が続くようになり退院したばかりの僕には季節の変わり目に体が着いていけていない。
今日は両親が例によって仕事で病院まで出迎えができず、僕一人での帰り道だった。
着替えが入った大きなバッグを携えていたのでまるで旅行から帰って来たみたいだ。
三カ月で家の中が変わるはずもなく、少しだけ懐かしい気分でいると異変に気づく。
「ハル?」
今は日曜の昼時なのだが、部活でいないのかな?
久しぶりの我が家なのに家の者が誰一人としていないことに一抹の寂しさを感じつつ(どちらかというと昼食がカップラーメンに決定したことに絶望)、服を洗濯機に入れたり荷物の整理をしてご飯を済ませた後、用はないがなんとなく自分の部屋に向かった。
今日は秋晴れの良い日だ。
どこかに出かけたくなるような本当に気持ちの良い天気だった。
もしくはのどかな空気に当てられつい昼寝をしてしまってもいいかもしれない。
「………………」
だから、この正午を過ぎた時間に寝ていてもなんの違和感もないさ。
ただ三カ月という時間を、一年の四分の一の時間を、新しい深夜アニメが始まっては終わる時間を、僕はここではなく病院で過ごしたので僕の部屋が僕の部屋ではなくなっている可能性も考えた。
だけど。
この部屋にある机は僕がいつも勉強で使っている机で、本棚も、タンスも、番組を見れないブラウン管のテレビも、すべてが全て三カ月前となんら変わらず僕が使っている物だった。
しかし、ベッドだけは違うのかなと思った。
だってそこにはハルがいたから。
もちろんベッドなので普通に寝ていた。
「なんでハルがここで?」
ベッドに腰を落とし、すやすやと眠るハルの顔をのぞく。
着ている服は部屋着ではあったが、寝るときに着る服ではなく長袖の白のパーカーに紺のハーフパンツだった。
なんとも気持ちの良さそうな寝顔につい子供の頃を思い出した。
が、僕の中の『なんで?』が消えることもないまま、なんだか起こすのがもったいないのでそのままにしておこうと僕はなるべく音を立てないよう行動する。
「勉強しよう」
長いこと学校に行っていないので、僕は相当授業に置いていかれている。
ある程度体が回復したら、白城さんとかが持ってきてくれた夏休みの宿題とか授業のノートとか見せてもらったりして、授業の進度自体はわかっているがリハビリや"他のやるべきこと"のせいで本格的にはやれていない。
草高は進学校だ、その授業の進み具合といったら半端ではないだろう。
夏休みを除いて一か月半の遅れを取り戻すために、退院したばかりとはいえ、または昼寝をしたくなる日であれ、僕に余裕など実はないのである。
「ふぅ……」
夕方に差し掛かる頃。
僕は何時間と勉強をしていて一息ついたときに、ハルがどうやら目を覚ましたようだった。
「おはよう、ハル。そしてただいま」
「むぅ……んん………うん…………、ん?」
体は辛うじて起こしたが、寝ぼけていた。
僕はなんだか面白くなってきて、一芝居打とうと考えた。
「ごめん、勝手に机使わせてもらってるよ」
「ん? ……いやぁ、べつにいいよ~。それにしても珍しいね~コウがあたしのへにゃにいるなんて」
微妙に言えてないが、どうやら目論見通りハルはここを自分の部屋だと勘違いしている。
昼寝をしていることからもそうだが、目覚めた今も目の焦点が合わず、体をふらふらと揺らしていることから相当疲れているようだ。
「ココアでも淹れてくるから、待ってなよ」
僕はそう言って、部屋を出てリビングで二人分のコップを用意する。
しばらく使っていないためか僕用のやつがいつもの場所になかったので、探していると二階つまりは僕の部屋からハルの叫び声がする。
「やっと気付いたな?」
僕はなんとも意地の悪い笑顔をこのときしていただろう、すぐに飲み物をつくり二階へ持って行った。
ハルがどんな顔してるのか想像しながら、ドアを開けると相変わらずベッドの上でしかも毛布に包まって姿を隠していた。
なんだか小刻みに震えてるぞ?
「おい、ハル。ハルさんや。出てきて一緒にココアを飲もうよ」
「うぅ……うぅ……」
呻いてらっしゃる。
そんなに僕に寝顔を見られたのが恥ずかしかったのかな。
「ちがう、ちがうんだよコウ。あたしはね、今日コウが帰ってくるから布団を干してあげようかと思っていたんだよ」
こんなに良い天気だしね、と毛布越しのためくぐもった声でハルは弁解を始めた。
「でも最近文化祭の準備とかで忙しくって、部活もきつくって……久しぶりの休日だったからつい、ね………」
「寝てしまったんだね」
「あうぅ」
ベッドの上に鎮座する毛布に包まれた丸い物体が見るからにショボンとなる。
僕は両手のココアを机の上に置いて、その毛布をひき剥がす。
すると、涙目で体育座りをしているハルが姿を現す。
「ハルがなんでそこまで落ち込んでいるのかはわからないけど、ほら」
僕はハルのコップを差し出す。
「冷めないうちに飲もう。僕の快気祝いだ」
「………うん」
ハルは居住まいを正し、改めてベッドに腰掛けて僕から温かいそれを受け取る。
しばらく大人しく飲んで落ち着いたのか、すっかり元に戻った。
「考えてみればなんであんなこと言ったんだよ、コウ! らしくもなくさ!」
あんなことというのは、ハルを誤解させるために言ったセリフのことを指しているんだろう。
「いやぁ、久しぶりに家に帰って嬉しくなったのかな~。自分でもよくわからないんだ。寝ていたハルを見ていたら安心しちゃって、つい出来心でからかっちゃった」
「んもぉ………」
ハルは口を尖らせ、不満げにそう漏らす。
確かに家に帰ってきてからの僕はらしくもなかった。
胸の奥がなんだかこう湧き上がるような変な高揚感があって、家族にどうしても会いたくなった。
部屋に行くとハルがいたが寝ていたのでどうすることもできないし、勉強をして気を紛らわせようとしていたがそれも気休めで、それでも僕は自分を抑えきれなかった。
今までの僕にはない感情を見つけ、僕は今気分が良かった。
それは多分、『あれ』が原因なのかな。
「ねぇ! ハル。聞いて欲しいことがあるんだ」
「どうしたの? いつになくテンションが高いけど」
「好きな人ができたんだ」
僕はずっとハルに報告をしたかった。
僕にも初恋がやってきたことを。
僕に好きな人ができないのはハルも知っていることだ。
そりゃあ、幼いころから一緒にいるので恋バナというものをしたことがあるが、そのときの僕は決まって"いない"だった。
できないことを相談したこともあって、心配かけたんじゃないかと思っていた。
だから、僕が恋に自覚したときにはいの一番に伝えておきたかった。
実際には祈梨ちゃんの次になってしまったけれど。
「………………」
僕の報告にハルは口と胸を抑え、目を見開きひどく驚いているようだった。
「………そっか。コウも遂に恋をしたんだね」
ややもあってやっとハルはそう言った。
「良かったじゃん! おめでとう!」
「ちょっ、痛い! 叩かないでよ、ハル」
「喜ばずにはいられないよっ。これでコウがまた人間っぽくなったんだから!」
「僕は人造人間かなにかか」
ハルの中での僕について詳しく話し合う必要がありそうだった。
「それで?」
「え?」
「コウはどうしたいの?」
「どうしたいって………」
一体、なにが?
「だからその子とどうなりたいの?」
「そりゃあ………」
あれ?
どうしたいんだろう?
僕はアスカのことが好きだ。
それは女の子として。
そう自覚して、それが恋だと知って、それから?
僕はアスカと恋人になりたいのか?
「わからないみたいだね。とりあえず喜んでみたけど、やっぱりコウはコウだね」
なんだかバカにされている気がする。
「コウが抱いているのが純粋な好意だとわかるよ。恋だとわかるよ。でも恋は抱くだけじゃダメでしょ!」
「う」
舞い上がってたのが、嘘みたいに途端に冷静になる。
僕は今、恋を抱いているだけ。
ハルに言わせればそれだけではいけないのだと言う。
なら。
「なら、どうすればいいのかな?」
恥知らずにもそう訊いてしまう。
それに対し、ハルは呆れるように息を吐き僕のベッドから立ち上がり、机にいる僕に顔を近づけ、
「自分で考えな」
と、言った。
それは物わかりの悪い弟に対する姉のように慈愛に満ちていた。
◇
次の日から僕はこれまた久しぶりに学校に登校する。
まだ自転車に乗るなと医者から言われているので当分の間歩きでの通学になる。
僕はそのことを考慮に入れずいつもの時間に家を出たので、少し遅れ気味に教室に入る。
教室に入った瞬間、それまで談笑をしていたクラスメイトが僕に注目し急に静かになる。
それにつられ勉強をしていた人も読書をしていた人も、僕の方に目を向け、クラスにいる人間すべてが僕に視線を注ぐ。
異様な光景にたじろいでいると、すぐに元に戻り、みんなは話を再開させる。
今度は聞き取れないような小さな声でひそひそと会話をしだした。
僕は不審に思いつつ、自分の席に座ろうとすると、
「こ、向介くん……」
友達と話していたのにそれを中断してまで僕のところに白城さんがやってくる。
「あ。おはよう、白城さん。ご無沙汰だね」
「えっ、あ、は、はい。おはようございます」
遠慮しがちに話しかけたのにいつも通りの僕に戸惑っているようだった。
彼女は眼鏡をかけ直してから、
「二学期になって席替えしたので、そこは向介くんの席ではないんです」
どこと聞くと窓側の一番後ろだそうだ。
長い間休んでいたのでそこになったらしい。
僕は白城さんにお礼を言ってから、ひそひそと囁き言を聞きながら教えられた席に向かう。
どうやらクラスのみんなは僕について話しているようだった。
まぁ、屋上から落ちたというのは伝わっているのだろうし、僕はクラスの人と関わりを持つことをあまりしてこなかったので、結果遠巻きに見ているというのが現状だった。
しばらくすれば収まるだろうと、楽観的に考え僕はいそいそと授業に追いつくために勉強をする。
「おい、向介」
そんな僕に声をかける人物がいた。
あと数分で朝のHRが始まるってときになんだろうと声がした方を向くとそこには、
「曜さん!」
が、いた。
渡葉曜。
去年の一学期から一年間もの間自主休学をしていて、現在は留年して僕と同じクラスになっている。
白城さんと一緒に彼女を訪ね、学校に来るように説得したのも四か月前の六月のことだ。
家庭の事情が主だった理由で学校を休んでいたが、きっかけはとある事件だった。
事件。
学校の屋上から生徒が落ちるよりかは、どこかでも起きそうな事件。
彼女はつい感情的になって担当の教師を殴ってしまった。
それで自宅謹慎という処分を受けて、謹慎が解けたあともずっと学校を休み続けた。
たとえ、殴った教師が他の学校に転勤しても休み続けた。
そもそもの原因は父親と弟の原因不明の失踪だった。
それのせいで母親が精神的な病気で倒れ、曜さんは家計を助けるためにバイトをしたりととても学校に通える状況じゃなかった。
しかし、白城さんの働きかけによりすれ違っていた親子を向き合わせ今では曜さんの母親も回復し仕事に復帰したそうだ。
実は僕が入院していた病院は曜さんの母親の入院先でもあったので、その経過は本人から詳しく聞いていたりする。
「お見舞いありがとう。今日から僕もやっと学校だよ」
「調子は良さそうでよかった。私よりは学校休んでないんだからこれから頑張れよ」
「九月から来てるんだよね? もう勉強とかは大丈夫なの?」
「うーん、まぁまぁだな。そこらへん輪花に教えてもらってばかりだよ」
へぇ、白城さんに……。
彼女は彼女で頭は良いし、右手が使えない僕のためにノートを作ってくれるほど優しい人だから、当然と言えば当然か。
僕も教えてもらおうかなと思っていると、曜さんは今登校してきたばかりのようで持っていた鞄を机に置く。
僕の前の席に。
「え、曜さんの席ってそこなの?」
「ん、まぁな。お前と席が近くになれて嬉しいよ。今後ともよろしくってやつだ」
そう言って右手を差し出してくる。
「僕も、その……うれしいよ」
当然、僕はそれに応え握手する。
男らしく、カッコいい年上の女の人の曜さんの手は思っていたよりも柔らかかった。
そうこうしているうちにチャイムが鳴り、それと同時にこのクラスの担任である天灯先生が教室に入ってくる。
いくつかの連絡を述べると、今度の行事について触れていた。
「来月には文化祭だからな、クラスの実行委員について明日のLHRで話し合うから各自考えておけよ」
文化祭。
ハルの学校ではもう準備しているようだが、この学校では十一月の頭に開く年内最後の学校行事。
先週は体育祭があったけど、僕はもちろん参加どころか行ってもいないのでこの文化祭は楽しみではある。
俄かにざわついたまま、HRは終わり天灯先生は最後に僕を名指しする。
「一円! 学校に来たら職員室に来いと言っていただろうが! もう今来い」
素で忘れていた。
僕はこうして学校生活に復帰した。
それは終始、クラスメイトから注目を集める事態になってしまった。
白城さんは心配そうな顔で。
曜さんは面白がるような顔で。
代は呆れるような顔で。
そして、アスカは笑っていた。
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