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こル・ココる  作者:
第五章 『恋』
29/65

怒った、そして嫌がった。

 



  ◆




 もう勘弁してほしいと初めのころは思っていた。

『前回』はあんな悲惨な結末を迎えてしまったんだから、もう”その類”の悩みはもう懲り懲りというのが私の感想だった。

 拒絶したかった。

 門前払いしたかった。

 変に『受け入れる』ことであの愚かしく鈍い先輩のようにはなりたくなかった。

 でも、そうも言ってられない。


 しかし、でも、まぁ。

 終わった今だから言えるけれど、そんな悪いものでもなかった。

 私にそれほど変化が起きたわけでもない。

 ちいさくて、小さい、些細な変化。

 それくらい。


 そう。


 ちょうど先輩としばらく当たり前に会えないくらいには。



 ◇



 夏休みに入った。

 これがなにを意味するのかというと進学校である露草高校の夏休みは八月から始まる。

 つまり、八月になったということ。

 八月の一日から八月の三十一日まで。

 このまるっと一カ月が私たち草高生徒にとっての普通よりも少し短い夏期休暇。

 とは言っても受験生である三年生は変わらず夏期補習、そして部活動などで学校に喧騒がなくなるなんてことにはまずならないけれど。

 かく言う私も休暇だというのにいそいそと学校に変わらず通う生徒の一人だ。


 先輩からの頼みごと―――そもそも『ココロ相談室』が事務員の澤田さんから受けたのであって私がこの仕事をするのになんの不可思議さはない―――を遂行するためにこうやって健気に毎日暑く、熱くなるような思いをしてまでやってきている。


 それ以外にも、もしものことがあればということで私が『ココロ相談室』を空けるわけにもいかないという理由もある。

 夏休みにも相談者が来る可能性。

 平素でも両の手で数えられるくらいしか来なかったというのに、果たして長期休暇のこの時期に相談者が一体何人来るというのか。

 とか。

 思わないでもない私だった。


 それでも横着をするわけにはいかない。

 花壇の世話で相談室を空けることが多くなりそうなので、私が相談室に不在の時の対策は打ってある。

 ひとつは部室の前に箱を設けている。

 目安箱よろしくお悩み箱。

 急ぎでなければそこに日時を指定して相談を大袈裟に言えば予約するというものだ。

 この箱は実は普段から使っているので設けているというよりも設けてあったというのが正しいか。

 そして急ぎであれば裏庭の花壇に来るようにと張り紙を扉に張ってある。

 まぁお悩み箱は私と先輩が帰ったあとや部活が休みの日などに相談者が来た場合の対処であり、ほぼ毎日学校に来て花の世話をするとは言っても基本水やりくらいなのでこの二つの対策が全くの無駄になる公算が高い。

 と、思う。


 思っていた。


「おはよう! 沙織ちゃんだよね?」

 こう言われたのは私が花にというより、種を植えてからそう日は経ってないのでやっと芽を出した葉に水をやっているときだった。

 正直に驚いた。

 時刻は八時手前。

 学校があれば生徒がいて当たり前だが、散々言ってきたように今は夏休み。

 こんな時間にまさか話しかけられるなんて思ってなかった。

 しかも元気よく。


「あなたは……じくうんさん、でしたよね?」


「それ以外にどう見えるっていうのさ」


「………竺雲寺さんでしたよね」


「あかりって呼んでよ!」


「…………あかりさん」

 この元気が溢れ過ぎている彼女は本人が言っている通り竺雲寺あかりさん。

 私と同じ一年三組のクラスメイトだ。

 この私と彼女とのやり取りで勘違いしてほしくないのは別に私は彼女のことを嫌いというわけではないということだ。

 苦手ではあるけど。

 なぜ、私がこんなにも同性のクラスメイトに対して歯切れが悪いのかと言うと、今の今まで彼女とは話したことがないからだ。

 そりゃあ同じクラスなんだから挨拶くらいは交わす。

 けれども、特段こうやって話すような仲ではない。

 だから。

 私は戸惑っている。


「沙織ちゃん、沙織ちゃん。何してるの?」

 何度も呼ばなくても自分の名前くらい一回で聞き取れる。


「見ての通り水やりですよ」

 同級生だというのに丁寧語を使う。

 それは私が物腰柔らかい、行儀の良い人間だからだ。

 ウソだ。

 本当は相手との距離を離すため。

 もちろん物理的ではなく精神的な距離を、だ。


「ああ! ホントだ! あたしにもやらせて」

 言うが早いか私が持っていた二リットルのじょうろを奪った。

 小学校以来、使ったことのない学校のじょうろ。

 あの時はひどく重く感じたそれも今では軽く持てると思っていたがそうでもなかったので、私にとってこの仕事は結構疲れる。

 だから正直助かる。

 別に親しくないけれど感謝しよう。


「いやーこうやってると童心に返るなー。小学校の頃とかアサガオ育てたからとってもなっつかしー! すぐに枯らしたけど!」


「だったらそのじょうろを返してください」

 今言うことでは絶対ないだろう、そんなこと。


「沙織ちゃんはいつもこんなことしてるの? 園芸部なんてこの学校にあったっけ?」


「ただの押しつけられた雑用です。あなたこそなんでこんなところに来たんですか?」


「ん? だって書いてあったから」

 言われてすぐには気付かなかったが、彼女の言葉の意味を理解したときなんだかもう帰りたくなった。


「相談に来たよ!」



 ◇



 あかりさんは私が『ココロ相談室』の部員だということを知っていたらしい。

 だからというわけでもないが相談室を利用しようとしたとき、部室の張り紙を見て裏庭にやってきたという。

 しかし、それはダメ元だったようで、


「まさかホントにいるとは思わなくってさー。見たらなんだか楽しそうなことやってるなーと思ってつい声かけちゃった」

 彼女はバスケ部である。

 それで練習が始まる前に様子見だけしておこうと思って、思っただけの結果になった。

 結局、相談は彼女の部活が終わり次第ということになり私は少なくとも昼まで学校で時間を潰さなければならなくなった。

 とはいえ、毎日相談室で本を読んだり夏休みの課題をやったりしているので然していつもと変わらない。

 私は読みかけの本を開いて、相談室で彼女を待つことにする。

 一時間ほどだろうか、すっかり読みふけっていると相談室のドアがノックとともに開く。

 私は本の方に集中していて反応が遅れた。

 あかりさんが来るには早過ぎると思ったが、そこにいたのは先輩のクラスメイトでボクシング部のマネージャーをやっているすか先輩だった。


「あはは。おはよう、医月ちゃん」


「おはようございます、先輩」

 これが当たり前の挨拶なのに先ほどのあかりさんの強烈なものを体験したせいか、随分と飛鳥田先輩が大人のように思う。


「ここに一人でいるのって寂しくない? 大丈夫?」

 この人とはもちろん一円先輩の繋がりで知り合った。

 あの先輩が残した仕事を私一人では大変だろうからと、飛鳥田先輩、それと同じくボクシング部であの人の友達だというくらかわ先輩と協力をして種まきやら時々の草取りなどをやってくれている。


「いえ。私にとってはあの人がいてもいなくてもどうでもいいので」


「本当かな?」

 う。

 この人は怖い人だ。

 なんだか自分の全てが見透かされていそうで、一円先輩が言うには実際にはそれに近いらしい。

 この人もこの人であかりさんとは違った意味で私は苦手だ。


「一円くんが聞いたら泣いちゃうよ、そんなこと言ったら」


「泣きませんよ、あの人は。わかるでしょう?」


「あははー」

 あの先輩は泣かないだろう。

 泣いたことがあるのかどうかも怪しいような人だ。


「飛鳥田先輩は何しにここへ?」


「部活の雑用のために早く来たんだけど思いのほかすぐに終わっちゃってね。一円くんがいない相談室はどんなだろうと様子見に来ただけだよ」


「変わりありませんよ。あの人がいようといなかろうとこの部活に支障はありません」


「本当かな?」

 似たようなやり取りなのに飛鳥田先輩の雰囲気がまるで違った。

 単純な疑問として聞き返されている。

 この『ココロ相談室』には一円先輩が必要不可欠である。

 飛鳥田先輩はそう思っているから私に対して聞き返している。

 この人と私とで認識の違いがあるのだ。


「この際だから聞いとくけれど、医月ちゃん。あなたは一円くんが悩み相談に向いてると思う?」

 先輩の特等席に飛鳥田先輩が静かに腰を下ろす。

 いつもは先輩がいるところに違う誰かが座っている。

 たったそれだけで平静が保てなくなり動揺してしまう。

 私はいつからこんなに繊細な人間になってしまったのだろうと思ったがそれは生まれつきだったことを思い出す。


「向いてないです」

 考えた結果、はっきりとした答えが出る。


「あの人は他人の心がわかっていないようです。どころか自分の心さえも。だから『前回』のような失敗をしたんだと思います」

 まぁ『前回』のとき自分がしたこといや、しなかったことを棚上げさせてもらうならばあれは失敗だった。

 あの先輩がやらかした、心を取り違えたこと。

 私はそう思っている。


「ふうん」

 飛鳥田先輩は机に肘を立て手の甲に顔を乗せ、意味ありげな視線を私にくれる。

 それがとても優雅で、品があったことに私は見惚れた。


「医月ちゃんは茜音さんのことは失敗だったと思っているんだね」


「ちがうんですか?」

 いや、あれは失敗だったはずだ。

 途中からだったが現場に居合わせた私が言うのだから間違いはないと思うが。

 私があの場―――屋上に到着したときには柵の外で一円先輩と華村先輩が揉めているように思った。

 早く止めないとどちらも落ちるんじゃないかと焦ったものだった。

 それだというのにあれが失敗じゃない?


「失敗だったかどうかは一端置いておいて、私は一円くんほど悩み相談に向いている人はいないと思うけどなぁ」


「そんなわけないでしょう。絶対に」


「どうして?」


「先ほども言いましたが、あの先輩は心をわかっていないからです」


「じゃあ、医月ちゃんには心がわかるの?」

 そこでギクッと胸に釘でも刺さったかのような気分になる。

 思わず追い詰められているこの状況。

 私はなぜ、こんなことを話しているのだろう。


「………わかりません」

 当然バツの悪そうな、言葉尻が弱くなる。

 私は心がわかってないから先輩が悩み相談に向いていないのだと言った。

 そんな私が心がわからないと言わされたということは自分も悩み相談に向いていないと認めさせられたということになる。

 こんなに嫌な気分もない。


「ごめんね、嫌なこと訊いて。でもそれが当たり前なんだよ。人の心なんてわからなくて当然なんだよ」

 だから私は異常なの、と飛鳥田先輩は自虐気味にそう続けた。


「人の気持ちを考えましょう、なんて小学生の頃には普通に言われてきたと思うけれど、実はそれが一番難しいことなんじゃないかって私は思う」

 彼女は一円先輩から見抜く力を持っていると言われていたけれど、そんな人が意外なことを口に出した。

 人の心なんて当たり前のように、当然のように見抜いてくるこの人が人の心を理解するのが難しいだって?

 いや、むしろ説得力はあるのかもしれない。

 自分にはできて他人にはできないこと。

 それを何度も目の当たりにしてきたからこその考え方なのだろう。


「みんなわからないんなら、同じく心がわからない一円くんには大した欠点にはならない。自分の心もわからないっていうのはさすがに問題だけど」


「でも……やっぱりあの人は向いてないと思います」


「そう思うのは医月ちゃんが悩みの解決までを悩み相談の内だと考えているからだよ」


「それも……ちがうんですか?」

 ここまで否定されるのかと気が滅入る思いだったけれど、飛鳥田先輩は言葉を選び間違えたと焦ったふうに訂正する。


「正しくは解決のさせかただった。そこが私と医月ちゃん、一円くんとで悩み相談の考え方の違いだよ」


「どういうことなんですか?」


「悩みを聞くだけで、それだけで十分だってことだよ」

 窓から入ってくる風でベージュ色のカーテンがぱたぱたと動く。

 飛鳥田先輩の考え方は今の『ココロ相談室』には新しいものだった。

 しかし、なぜだか私はそれを受け入れることができなかった。

 理由は一学期に受けた相談は私たちがなんとかしないといけないものばかりだったからだと思う。

 世知原くんと須磨くんの件。

 世知原くんの恩人探しの件。

 先輩個人が受けた同級生の不登校の件。

 そして『前回』の恋愛相談の件。

 私がというよりもほとんど一円先輩が頑張ってなんとかしていった相談ばかりだった。

 だから。

 飛鳥田先輩の考えは受け入れられない。

 一円先輩でもない私ではそんなこともできない。


「そんなに難しい顔をしなくても大丈夫だよ」

 飛鳥田先輩は席を立つ。

 雑用は終わったけれど他にもやることがあるらしい。


「要は私が言いたいのは気負い過ぎないでってこと。悩み相談自体を悩みにしないでってことだよ」

 言いたいことを言って、私の心をざわつかせるだけざわつかせて部室から出ようとする飛鳥田先輩。

 最後にひとつだけ、と言ってドアを開けてから私の方を振り返る。


「やっぱり私は茜音さんのことは失敗じゃないと思うよ。彼女が退学する前に話したけれど、何か彼女の中で振り切れたものがあったみたい」

 次に先輩が言った言葉には少しだけ怒りを覚えた。

 実際には違うのだろう。

 もっと良い意味での言葉だったろう。

 でも、そのときの私には言葉通りにしか理解することができなかった。


「前を向こうとしていたよ。彼女は」

 そう言って先輩は部室を去った。


 最後に華村先輩の様子に聞いたことで私は無意識に両手に拳をつくってしまった。

 ふざけるな、と。

 本当に柄にもなく感情のままに机を一回だけ叩いた。

 あとになって恥ずかしくなることこの上ないが、少なくともこのときの私はもう本を読む気にはなれなかった。



 ◇



「やーごめんねっ。待たせちゃってさ」

 予約の通り、あかりさんは部活の練習が終わったであろう正午を回って一時くらいに相談室にやってきた。


「随分暗いけど何かあったの?」

 朝のことを引きずっているせいか彼女にそんな心配をされてしまった。

 不覚だ。


「なんでもないです。気にしないで。それよりもあなたの悩みを聞きましょう」

「うんっ」とこれまた元気よく返事をしてから、彼女もまた一円先輩の席に座る。

 確かに今はそこにしか椅子を用意していなかったけど、ドアの正面になるそこの席は相談者が座るようなところではないのは明らかだった。

 まぁいいだろうということにして、いつもとは違うポジションでの相談になった。


「あたしの悩みっていうのは恋愛相談なの」


「え」

 固まる。絶句する。言葉を失う。

 待ってくれ。本当に。

 勘弁してほしい。

 私は頭を抱える。


「あたしには好きな人がいるの!」





 ◆





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