告白された、そして落ちた。
◆
屋上に辿り着くと伝言通り茜音さんが待っていた。
さほど高くもない安全面を考えるならばなかなかに危険な柵にしがみつき、何やら地上を見下ろしているみたいだった。
この暑い中、なにをしているんだと思ったけれどそういえば前にこの屋上からでも花壇が見えるという話をしたことを思い出した。
確かに花壇の配置的にその位置からなら見えるだろうと、そしてそんなことによく気付いたなと改めて感心した。
僕が到着したことを扉の音で気づいたのか茜音さんは下に向けていた視線をこちらにくれる。
いつもと変わらず、強気な性格が見て取れる顔つき、風になびく艶のある二つに分けた髪。
美少女と言っても差し支えのない容姿をしているというに彼女はその昔、当時付き合っていた彼氏に振られ、ほんの一週間以上前にも僕の親友に振られている。
どっちかっていうと振る側に立ちそうなものなのに彼女の恋はなかなか実らない。
そんな彼女がわざわざ忌まわしき屋上へと僕を呼び出した理由は見当もつかない。
ここから見えるまだ茶色い花壇でも見せて、今後の花選びの参考にしろとでもいうのだろうか。
無理矢理というか半ばこじつけで理由を予想し、僕は柵に寄りかかる彼女に近づいていった。
「ここから花壇が見えるんだね。ほぼ真下になるけど」
「そうよ。結構、おっきい花壇だからはっきりと見える。あそこに綺麗な花植えたら最高でしょうね。花は決めたの?」
「うーん、これといって思いつかないんだよね。大きく咲くのがいいのか、色が鮮やかなのがいいのか。思索中だよ」
テストの空き時間もそればかりを考えていた。
「もう!早く決めなさいよ、優柔不断なんだから。だから………だから、ワタシ待てなかったじゃない」
「え?」
なんのことだ。
確かに花選びで茜音さんも澤田さんも待たせている自覚はあるけれど、彼女の『待てなかった』にはそれとは違ったニュアンスがあるようで。
それは茜音さんが今現在、緊張していることにも繋がっているのだろうか。
「なんだか様子がおかしい気がするよ?茜音さん。なにか具合でも悪いんじゃ………」
「大丈夫。大丈夫、だから……」
いやいや大丈夫には見えない。
目は変に動いていて僕とは合わそうとはしない、手だってなんだかもじもじしていて彼女らしくない。
一体、どうしたというのか。
これでは、まるで―――――。
「決めた」
彼女は小さく呟く。
「ワタシ、アンタのことが好き」
一瞬、いや結構な時間が経った気がする。
僕は彼女が何を言ったのか理解できないでいた。
茜音さんが僕のことを好きだと言った……?友達としてじゃなくて?
わざわざ屋上まで僕を呼び出してライクの意味で言うはずもない。
そもそも僕は彼女の挙動を見て、『あの日』のことを想起したじゃないか。
中学の頃に初めて僕に告白してくれたあの子のことを。
なぜか、告白の舞台は屋上と決まっていて代の時もそうだった。
そういえばなんで茜音さんは代のことを好きだったんだっけ?
代はいつ告白を受けたんだっけ?
いや。
違う。
ちがうちがう、そうじゃなくって。
なんで僕が茜音さんから告白されているってことだろ。
ダメだ、混乱している。
さっさと『受け入れて』冷静になるんだ。
僕が何か彼女に気に入られることをしたのかどうかだ。
初め相談したときは代のことが好きで僕のことなんかどうでもいいというような感じだった。
それで代のことを教えたりして告白を手伝って、そして振られたときには慰めてその後は友達のように一緒に勉強したり、花壇を手伝ってもらったりして仲良くなっていって。
男子ならば仲のいい女子のことを意識したりするものらしいけど、女子もそうなのだろうか。
わからない。
「………………」
「黙ってないでなにか言ってよ……」
「へ?ああ、ごめん。告白されるなんてあんまりないから考え込んじゃって」
「それで、向介には知ってほしいことがあってね」
茜音さんは覚悟を決めた眼差しで僕を射抜いてくる。
今にも襲われそうな、そんな鬼気迫る雰囲気だった。
「ワタシのこと、全部教えるわ」
そう言ってこの前と同じように語る茜音さんは同じように苦しむように自分を語りだした。
「中学のときのことは話したわよね。今から話すのはワタシが小学生のころの話よ」
その話はつい最近聞いたことのあるような話だった。
「ワタシは自分で言うのもなんだけど、クラスの中心にいるような生徒だった。クラスで問題が起きれば率先して事にあたるようなそんな女の子だった」
「僕も茜音さんの第一印象そんなだったよ」
「誰からも必要とされていることに嬉しさを感じていて、自分に酔っていたところもあった。みんなから好かれてるって自信もあった。でも、実際そんなこともなかったのかなって今では思ってしまう。あんなことがあったせいで………」
曰く、色恋沙汰で彼女はトラブルに遭った。
そろそろ小学校も卒業する時期である小学六年の三学期にとある男子の転校が決まったらしい。
その子の転校は前から噂されていて、決まった時にはクラスのみんなは覚悟していたみたいだった。
クラス全員揃って卒業が断念され、落ち込んだ雰囲気になった教室を見かねた当時の茜音さんは数カ月早い卒業式をクラスだけの小さな規模でしようと企画したのだった。
お別れ会を兼ねたこの催しは小学生にしてはなかなかな良いものとなり、別れを惜しむ者はいるもののクラスの絆は深められたそうだ。
でも、最後に問題が起きた。
転校する男の子はあろうことかクラスのみんなの前で茜音さんに告白したのだ。
これから会えなくなることを思って日頃の想い」をぶつけたのだ。
周りの生徒はまるですでに恋が成就するように盛り上がる中、水を差す人がいた。
当の茜音さんだ。
『理由はないけど、ごめんなさい』
あろうことか茜音さんはこう言って男の子の告白を断った。
告白を断ったことよりも理由がないところが槍玉として的になった。
理由もなく彼を傷つけ、理由もなく会を台無しにした。
無意識ではあるけれど。
それから茜音さんはクラスの中心にしたゆえに批判をされ、終いには無視されるようになった。
経緯は色々と違うけれど祈梨ちゃんと似たような状況になったわけだ。
正確には祈梨ちゃんが似ているのだが。
似ているのはそこだけでなく親友からも無視されたというところもだった。
他の子よりも親しかった友達にまで無視されたことに茜音さんには理解できなかった。
「今でもわからないわ。なぜだか、向介にはわかるかしら?」
「………多分、その子は転校していった男の子のことが好きだったんだと思うよ。だから彼を"理由なく"傷つけた茜音さんが許せなかったんだと思う」
祈梨ちゃんの話から推測したけれど本当のところは僕にもわからない。
嫌な想像だけど、もしかしたら茜音さんに愛想尽かしただけなのかもしれない。
僕の答えに納得したのか茜音さんは、
「そんなことにも気付けなかっただなんて、ワタシも当時は相当ショックだったんでしょうね」
と、まるで他人事みたいに言うのだった。
「それでクラスから無視された茜音さんはどうしたの?」
「どうしたもなにも、そのまま卒業してワタシはみんなとは地区が違うから一人だけ別の中学に入学したわ。それでこの話はおしまい、よ。なんの解決もしてないわ。卒業してからは会ってもいないし、どうしてるかしらね、ワタシの元親友は」
言葉の割に全く興味なさげだった。
結末は悲惨だったけれども仮にも親友と称する相手に対して冷たすぎるのではないかと思う。
何度も言うけど様子が……おかしい。
「さ、ここからが本題よ、ワタシにとってのね。向介はなんでワタシが突然こんな話をしたと思う?」
「そりゃあ、君が言った通り僕に知ってほしかったんじゃないの?」
「そう。だからまだまだ知ってもらうわ。………どうか『受け入れて』ね」
そう言って僕に向きなおったと思ったらスカートのポケットから小さなメモ帳のようなものを取り出して僕に渡してくる。
触った感じからすでに使用されていて、中身を見ろということなのか。
僕は受け取ったそれをぺらぺらとめくっていく。
全ページにしっかりと何か書かれていて、すごいなぁと感心してから適当なページを開き中身を読んでみる。
「ッ!?」
なんだよ……これ………。
このページも、このページも。
その次も、その次も、その次のページも。
全部のページに、いやこのメモ帳自体が"そう"なのか。
「茜音さん。一応聞いておくけどこれは茜音さんの物で茜音さんが"記録"したの?」
「そうよ」
不安を残しながらも、飾り気なしにそう返事する。
正直信じられないし、否定してほしかったのだが事実なのか。
残念に思いながら理由を聞かないわけにもいかない。
「どうして代の生活がこれに記されてるのか、教えてくれるん……だよね?」
そう。
このメモ帳には代の大体の一日の動きや生活ぶり、このとき何をしたのか何をやっていたのかおそらく見える範囲でのことを記録されていた。
これではまるでストーカーだ。
中には僕から聞きだした情報も書かれていて、僕の知らぬ間にこのメモ帳の協力をしていたのだと気づいて少しだけ戦慄した。
「ワタシはね、小学校では親しかった人を、中学校では愛しい人から裏切られてるのよ。それは彼や彼女のことをまだよく知らなかったからよ。もっとよく知っていれば間違えることもなかった。仲の良いままでいれたはずなのよ。もっともっと深く深く他人を知らないといけない。ねぇ。向介はわかってくれるわよね?だって向介は『なんでも受け入れて』くれるんだから!!」
堰を切ったように一気に喋りだす茜音さんは今までには見せてこなかった狂気みたいものを表れ始めている。
いや、一度僕が白城さんのことを話した時と同じだった。
恐いくらいに、豹変する彼女を止めることは未だ叶わず、これが彼女の本当の姿なのか見極めきれずにいる。
親友から無視され、好きだった人から裏切られ、その時受けた茜音さんの心の傷は尋常ではないのかもしれない。
彼女の過去が今このときの彼女をつくってしまっているのか。
ん?ちょっと待てよ。
「どうして僕が『なんでも受け入れる』って知っているの?」
『性質』の話は茜音さんには話してこなかったはずだ。
これを知っているのはアスカや代にハル、そして医月と天灯先生。
白城さんにも話してないことをなぜ茜音さんは知っている?
「教えてもらったのよ、ある生徒から。確か横縞とか言ったかしら」
横縞くんだって……?
そういえば茜音さんは事前に僕のことは知っていた。
代や世知原くんほど有名では全然ない僕のことを知っていたのは横縞くんが茜音さんに教えたからなのか。
だとしたら、何のために彼はそんなことするんだよ。
彼は二重人格という『性質』を持っていて、普段は無気力で無関心な性格をしているが、しかし別の人格は全く違う。
『ヘルヘイム』という報復サイトを管理していて性格だって危険過ぎる。
そんな彼がなにを目的として、なにを狙って僕に茜音さんを差し向けたか理解できない。
急になんだかこれまでの相談とか茜音さんに関するあれこれが全て悪意から来る思惑の上での出来事のように思えてくる。
そんな錯覚を直感でしてしまう。
なんだ、これ……気持ち悪い。
「ねぇ。君は一体、何をどうしたいのかよくわからないんだけど」
「わからない?ワタシは知らなくちゃいけないの。相手のことをつま先から頭のてっぺんまで。心の奥の奥の奥まで。全部ぜんぶ!知らなくちゃ、いつかワタシは嫌われる。もう………嫌われるのは……嫌」
あくまで相手の全てを知り、把握し、身の振り方を考え、何をすれば相手から好かれるのか、何をすれば相手から嫌われるのか。
それを続けることで過去の二人のような人間を出さないようにしているんだ。
嫌われるのは、嫌。
彼女は辛く似たような体験を二度味わっている。
そこから反省をして、どうすれば自分は誰にでも好かれる人間になれるか考えていたんだろう。
相手の趣味に合わせる?笑顔を振りまく?愛想良くする?頭が良ければいい?運動は?話し方はどうだろう?体系も?声の高さは?大きさは?何をどうしたらいいの?
そんな熟考に熟考を重ねて辿り着いたのは相手のことを十全に知ることだった。
反芻する疑問の全ての根本である、人の好み、趣味、行動、言葉、過去、価値観、全てを知り、全てに好かれる。
それが彼女の目標。
彼女の生きがい。
僕はそう思った。
「でも、そんなのは不可能だ」
「向介?」
「だれかれ構わず好かれるなんてそんなの不可能だ。人の好みなんて人それぞれで、それを全てカバーなんてできっこない。できないんだよ、茜音さん。人がなぜ特定のグループを組み、徒党を派閥をつくり、人間同士で争い、戦争がなくならないのか、まさかわからないわけじゃないだろう?」
「そんな大袈裟な話じゃなくていいの、ただワタシは誰からも嫌われなければそれで………」
「そんなんじゃ誰からも好かれないよ」
人は好きなところだけを好きになるんじゃない。
嫌いなところだってちゃんと愛せる。
「正直に言うと茜音さんは言うほど思うような生き方はできてないと僕は思うよ。少なくとも僕が見る限りは」
「どこらへんが、よ?」
「恋人をつくろうとしているところが、だよ。『嫌われなければそれでいい』だなんて、好かれようと必死じゃないか。茜音さんさ、諦めなよ」
「………………」
「嫌われることを恐れるのは当たり前だけれど、茜音さんのやり方は間違って僕には見える。君が"知る"だけじゃダメなんだ、君が"知られる"必要があるんだよ。お互いが理解し合ってこそ―――――」
「うっさいわね」
彼女は小さく呟く。
「ちょ!なにやってんだ!!」
僕は慌てる。
彼女は何を思ったのか大して高くない屋上の柵を登り始めたからだ。
登るというよりも跨るようだったが、これから飛び降り自殺でもするのかというふうに屋上の縁に直立する。
僕には見ているしかできなかった。
あまりにも行動が突飛すぎて頭が追いついてこなかった。
告白の名所であるとともに屋上というのは自殺の名所でもある。
でも、そんなことを念頭に屋上に呼ばれて来る人はいない。
どうすればいい、どうすればいい!
さっさと『受け入れろ』!僕の頭!
このままだと茜音さんが危ない、早くなんとかしないと………ッ!
「アンタまでなにやってんのよ!!」
「君と同じことだよ」
『受け入れた』頭で考えた結果、僕も柵を越えることにした。
幸い柵の向こうにもちょっとした段差があり、思ったより恐くはない。
危ないに変わりはないが。
「向介までこっちこないでよ!!」
「仕方ないじゃないか、君がいきなり危険なことをするんだから」
「だからって来ないでよね!!っていうか普通来る!?あったまおかしいでしょ!?」
「おかしいのは知ってるでしょ、君は」
自分だけ安全なところで慌てふためくよりよっぽどマシだと思う。
それに狙いがないわけでもない。
「で?なんで、こんなことしたの?」
しっかりと落ちないように彼女の右腕を掴みつつ僕は理由を訊く。
「………………」
「答えてよ」
「脅すためよ……。あまりにも向介がごちゃごちゃ言うから、本来の目的であるワタシの告白に答えさせるために」
「具体的には?」
「付き合わないとここから飛び降りるわよ、と」
「悪ふざけが過ぎる」
「ふざけてなんかないわ!」
勢いよく掴まれていた右腕を振りほどく。
そして、こっちに掴みかかってきそうなほどにじり寄って茜音さんは叫ぶ。
「もうワタシには向介しかいないの……っ。こんなワタシを受け入れてくれるのは!」
必死に、必死に、必死に。
僕に訴えかけてくる。
自分にはあなたしかダメなのだと。
こんな告白、茜音さんみたいな女の子にされたら卒倒しそうなくらいに嬉しくて舞い上がってしまうのが当たり前なんだろう。
そして、『すべてを受け入れる』という『性質』を持つ僕ならば尚更、二つ返事で受けるべきなのかもしれない。
でも。しかし。それでも。
例外はある。
僕は告白だけは受け入れてはいけない。
中学と同じ過ちを犯すわけにはいかない。
僕は"好きでもない相手"の告白を受けてはならない。
ましてやこんな茶番に。
「本当に―――――。本当に茜音さんは僕に恋をしてるのかい?」
「え?」
さっきまでの圧倒されるような勢いは一瞬にして消え去る。
それもそうか。
気持ちの核心に迫られているのだから。
自分の告白を疑われているのだから。
「なに言ってるのよ……、好きでもない相手に告白なんてしないわ。変なことばかり言わないで。ワタシは向介のことが好きよ。好き、すき、大好き」
「それは本当に恋から来る好意なのかな」
「当然じゃない。ワタシには向介しかいないって言ってるでしょ。これで分からないの?」
「わかるよ。茜音さんが僕を必要としているのは。でもそれは恋なんかじゃないよ」
「じゃあなんだっていうの」
僕の発言に訝しんでいた様子から少し苛立ちを隠せないでいる。
自分の気持ちを否定されているのだから仕方もない。
「君はただ自分のことを絶対に嫌わない相手を恋人にしたいだけなんだよ」
「ッ!?」
仕方ないから、否応なしに、僕しかそういう人間はいないから選んでいるだけ。
前に茜音さんと話した代の好きなところについても。
《なんていうか、何事にも無関心そうなところとか?》
何事にもというのは自分のことも含めてだろう。
病的なまでに自分のことを知ろうとしてくる恋人を気にしないでいてくれるという理想を茜音さんは代に抱いていたのだろう。
しかし、それではダメだった。
代への告白の時、屋上の入り口で事が終わったあとの代が僕に言った言葉。
《………お前も大変だな》
あの時は何の事を言っているのか分からなかったけれど、あれは茜音さんの本性のことを言っていたのだと思う。
おそらく代も僕同様にメモ帳を見せられたのだろう。
自分の行動について記録されたメモ帳を。
そんなことをする茜音さんの相手をしている僕を大変だと代は言った。
茜音さんは探しているだけなんだ。
異常になってしまった自分を愛してくれる人を。
だからこれは恋じゃない。
恋じゃあ、ないんだ………。
「―――――先輩!!」
唐突に屋上に入ってくる誰か。
「先輩」と柄にもなく声を荒げて肩で息をするように必死な形相で柵を越えて立っている僕と茜音さんを見る人物がいた。
僕の狙い通り今の僕たちの状況を廊下から発見した医月がここまで来てくれた。
後ろには顧問の天灯先生もいる。
これでこの件は終わりだ。
第三者が僕たちの仲裁に入ってくれる。
茜音さんを冷静にさせるには十分だろう。
そう思い、ほっと一息入れて最後に僕は隣の彼女にこう言った。
「君は恋をしたいんじゃなくて、誰かに愛されたかったんだよ」
『恋』じゃなくてこれは『愛』を欲しがった女の子の話。
"オチ"はないけど、"落ち"で今回の物語は幕を閉じる。
「ふざけないで」
「ん?」
「今度こそって思ったのに………。もういい。もう、どうでも、いい」
そう呟いたかと思うと茜音さんは最後の高所への防波堤である縁から身を投げ出す。
本気で飛び降りた。
背中から空中に躍り出た彼女は僕の顔を真っ直ぐに睨み。
口では何か言っているように動いていた。
「ッ…………」
医月は驚きの声を上げているだろうか。
天灯先生はこちらに駆け出しているだろうか。
どちらも僕にはわからないことだった。
なぜなら。
「ちょっ!!向介ぇ!!」
僕はすぐに飛び出した。
落ちようとする彼女の体に自身の右腕を回し元の場所に力の限りを尽くして放り出す。
腕を伸ばす時に変な音が聞こえた気がしたが無事に茜音さんは戻すことができて安心した。
良かった。
これで茜音さん"は"助かる………!
痛みが走りだす右腕なんか屁でもないくらいの浮遊感を全身で味わう。
ああ、落ちてるな。
呑気に僕は思う。
最近も階段から落ちたというのに飽きもせずまたもや僕の体は空中だ。
笑えてくるとともに遠ざかる屋上の柵にいる天灯先生、そして茜音さんを見ながら考える。
落ちる寸前、彼女はなんと口にしていたのか。
走馬灯ではなくそればかりを考えて、その甲斐あってか判明した。
『好きなのに』
睨みながら、あるいは怒りながら、そう言った彼女のことを僕はやはり我が強いなと思った。
僕はこうして四階屋上から落ちていく。
やり残していることはたくさんあるのに、僕は最後に言われた茜音さんの言葉を頭の中で何回も何回も繰り返しながら意識を黒い闇のなかへと手放した。
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