食べた、そして忘れた。
◆
学校からやっとの思いで帰宅。
これからのことを考えながらの帰り道だったので道中のことはよく覚えていない。
よくあることだ。
中学の頃から乗りまわしている自転車を車庫に入れながら、ついでに車の有無から親が帰ってないことを確認する。
現在の時刻はすでに夕方と言って差し支えないくらいの時間だからだ。
本当ならば今日は式の準備とクラス替えだけで昼には帰れるはずだったのだけど、天灯先生の『頼み事』とは別件のことを今までさせられていたのだ。
学校は午前中だけだと思っていたし、帰宅部である僕は午後には特に用事もなく真っ直ぐに家に帰るつもりだったので弁当の用意を当然のようにしていなかったのである。
その旨を先生に伝えたところ
「一食抜いただけでは人間は死なないよ」
とかなんとか言ってお腹を空かした僕の目の前で出前の餃子ラーメンセットを召しあがっていた。
教師以前に人間として疑われる行動をしているが、なにぶんこちらは脅されている身として文句は言えないのだが。
まぁたとえ僕が何日も何も口にしていなかったとしても。
文句なんて一言も一文字も一母音も発さないだろう。
それが『僕』だ。
「それじゃ一円。入学式の準備の手伝いよろしく」
というわけで僕は今の今まで見知らない生徒会の役員と一緒に新入生の晴れの舞台の設営にとりかかっていたのだった。
お腹を空かしたままで。
以上が回想。
全くもって春先からやっかいな先生に目をつけられたものである。
この一年どうなることやら。
とか。
思っているほどに深刻には考えておらず、いつものように我が家へと入る。
「ただいま~」
自分が家に帰ってきたことを知らしめるように口を開く。
いつもなら「ただいま」なんて言っても親との暮らしの中で親不在のこの家で反応してくれる人なんて皆無だ。
『いつもなら』だけど。
「あれ、コウ。おかえり~遅かったね」
そう言ってリビングからとある女子が出てくる。
いかにも活発そうな目つきに表情。
見慣れたかわいいと言ってしまってもいいくらいの容姿をした同い年くらいの女の子だ。
「遅くなるなら遅くなるって言ってくれないと困るよ。早く帰ってくると思ってお昼ご飯つくっちゃったじゃん」
言葉ほどには怒ってなさそうな彼女。
彼女のトレードマークであるポニーテールが彼女の動きとともに踊っている。
「まぁ色々あってさ」
「とにかく話は後で聞こうかな。今日おじさんたち帰ってこないんだって、知ってた?」
「ふ~ん」
いつも忙しいけど、新年度から仕事に勤しんでいるとは昨今不況の時代ではありがたいことなんだろうな。
それでもあの人たちは仕事人間だから、たとえ職を失っても稼ぎにならないボランティアでもなんでもするだろうが。
それくらいうちの親は活力的で、精力的だ。
そういったこともあって家を空けることは珍しいことでもなんでもない。
「ご飯どうする?」
僕は訊く。
「どっかに食べに行く?」
僕はいつも親がいない日はそうしている。
だから今日もそうしようかと提案してみたけれど。
「そんなのダメだよ。お金かかるし、栄養も偏るし。だからさ、今日はあたしが何か作ってあげるね」
彼女がそうしたいのならそれでもいいのだが。
普段から料理でもしているのかな。
妙に自信があるけれど……。
「お前ってよくご飯とか作ったりしてたの?」
「いんや。でも前からお母さんの料理とか手伝ったりしてたから大丈夫だと思うよ」
一から自分で作るのは初めてってことか。
いやでも、そういえばさっき昼ご飯を作ったとか言ってたな。
作れるは作れるらしいんだ。
あまり期待できないけど……しかし贅沢は言ってられないな。
さすがにお腹のほうもそろそろ限界だし。
文句は言わないけれど限界はあるのだ。
「じゃお願いしようかな」
「まかせなさい」
そう言って胸を張る。
彼女のこういう元気なところは好きだ。
微笑ましいというかなんというか。
「じゃあさ、コウは先にお風呂に入っちゃいなよ。出る頃にはもうご飯もできてると思うし」
「うーん、お言葉に甘えさせてもらおうかな。疲れてるし」
そう返して自分の部屋に向かう。
その前に。
「ねぇ。今日の晩御飯は?」
「ハンバーグ!!」
◇
ここらでひとつ、先ほど登場した彼女について説明しておくことにする。
風呂で寛ぎがてら、所謂暇つぶし。
彼女の名前は百角晴夏。
歳は僕と同じで高校二年生だ。
僕の従姉であり、昔からの遊び相手でお互いに『コウ』『ハル』と呼び合うほどに親しい。
従姉弟同士の関係に当てはまるか分からないけれど、唯一付き合いの長い幼馴染ということになる。
そして、現在彼女はこちら――僕たち家族の家に――絶賛居候中である。
ある事情で。
その事情というのは、父親の転勤だ。
今年の初めに異動が決まり、そのせいで家族揃って引っ越そうという話になったらしいが、ハルは通っていた高校をどうしようかと悩んでいたそうだ。
どうも転勤先は前に住んでいた場所からは遠く、今まで通りの通学は厳しいらしいのだ。
それにハルは小学校の頃からバスケットをやっていて、今の学校は女子バスケット部の中ではそこそこの強豪らしくそこでやっとの思いでレギュラーを獲得したばかりだったので、出来れば転校はしたくはないとのことだった。
そこで、白羽の矢が立ったのが我が一円家だった。
我が家はハルが通う高校とそう遠くない場所に位置し、「娘に一人暮らしはさせられない」というハルの両親の心配もあって、晴れてハルはこの家で今月四月から一緒に暮らすことになった。
僕の家は一人っ子なので、両親は娘が増えたようで嬉しそうだった。
もちろん僕だって嬉しい。
仲が良かったハルと一緒に暮らせるんだから。
だけど心配事が全くないとは言い切れない。
だって――――
「ご飯できたよー」
僕の思考を遮るように家庭的な知らせと共にハルが入ってくる。
僕の家では食事の用意ができたからといって今のような掛け声が鳴り響くことはない。
だから新鮮だった。
思わず笑ってしまう。
「僕は風呂に入ってるんだから、ご飯ができたと言われても挨拶に困るよ」
「そこは素直に”はーい”でいいのっ」
「…………………」
「返事は?」
「はーい」
「よろしい」
僕の気のない返事でも満足できたのかそう言い残して台所へ戻っていった。
まったくさっぱりした性格だ。
それは昔と変わらない子供の頃の天真爛漫さはいまだに健在ということかな。
そういうハルだからこそバスケ部でもうまくやっていけてるということかもしれない。
転校して離れたくない友達や仲間に巡り合えていることだろうな。
隣の子の名前も知らないような交友関係をしている僕なんかとはえらい違いだ。
一応、同じ血が流れていないわけでもないのに。
まぁこれを天灯先生に言わせればそれこそ『性格』ということだろうな。
「”性格なんてその時その場の環境、人間関係で変わるものだよ”……か」
環境は確かに違うかもしれない。
いくら幼馴染とは言っても住んでいる場所とかそもそもが性別だって違う。
それに加えて。
「それに加えて僕には『性質』だってあるんだしな……」
人間らしく感情を振りまくハルとの決定的な違い。
人間らしからぬ僕のこの『性質』。
どんなに幸せなことでも不幸せなことでもいっしょくたに受け入れてしまうというこの『性質』が。
それがどれほど人を傷つけることになるのか僕は言葉ほど理解をしては―――いない。
「そろそろ上がるか」
少し考えすぎたな。
危うくのぼせてしまう。
まずはハルが作ってくれたハンバーグのご相伴に預かろう。
そういえばハンバーグってハルの好物だっけ?
◇
それから僕は予定通りハルが作ってくれたハンバーグをハルと一緒に食べた。
と言っても僕はそれプラスお昼ご飯に食べるはずだったナポリタンもだったが。
おかげでお腹がパンパンだ。
でもどの料理も初めてとは思えないくらいにおいしかった。
僕の母親なんかは仕事ばかりで料理なんてあまりしないから比べるのも憚れるけれど、ハルの方が腕は上だろう。
僕は大変満足したところで味の感想をハルに伝えたところ……
「あたしなんて全然だよ?お母さんの方が断然おいしいから」
とのことだった。
家庭による食格差を見せつけられた瞬間だった。
そしてただ今、夜の十時。
まだまだ若い高校生の僕等が寝るには早い時間。
僕の部屋にはお風呂を済ませて寝間着に着替えているハルと僕がテレビに顔を向けてゲームをしていた。
ハルが家に越してきたのはつい先日だったので、こうやって一緒に遊ぶのは久しぶりのことだ。
ちなみにゲームは格闘ゲーム。
「そう言えばご飯のときには訊けなかったけどさ。コウはなんで帰り遅かったの?」
素早い動きでコマンド入力をしながらハルは言う。
「ついに部活でも入った?」
「入れるわけないだろ、僕なんかがさ」
ハルの猛攻を必死に防ぎながら答える。
全然余裕ないぞ、これ。
「生徒会に誘われたんだよ、先生から」
正確には脅されたのだが……。
「それでそのまま入学式の準備を手伝わされた」
「えっ入ったの?生徒会に!?」
信じられないとばかりに声を荒げるが攻撃の手は全く緩まない。
ホントに驚いているのか疑わしい。
「厳密には所属するまでには至らなかったよ。なんでも人数不足らしくて新入生の生徒会に志望する人数によってはホントにそうなるかもね」
必殺技ゲージが溜まったはいいがなかなか隙を見せないハルに手こずっている僕は天灯先生に言われたことを思い出す。
つまりは僕の運命は新入生次第だということだ。
もしも、先生の目論見通りに事が進んだら僕はバイトを辞める羽目になるだろう。
店長には申し訳ないけれど僕の学園生活がかかっている以上已むを得まい。
「やったー、あたしの勝っちー」
そうこう考えてるうちにハルの止めの一撃がはいって、画面には”K.O.”の文字がキラキラと輝いている。
これで十戦十敗。
この結果はゲームの持ち主である僕がゲーム初級者のハルに花を持たせたというのがあるべき姿なのだが。
これは僕の正真正銘の本気で負けだった。
なんだか悲しさを通り越して何も感じない。
「ふ~ん。十回も勝ってキリもいいしこれくらいにしとこうかな~」
そう呟きながらゲーム機の電源を切り、さっさと片付ける。
僕のリベンジは遠い未来に預けられたようだ。
「これから気をつけなよ、コウ」
「なんでだ?」
敗者だというのに勝者の片付けを見はっている風の僕は尋ねる。
心配されるようなことなんてあったっけ?
「友達に聞いたんだけどさ~。今度、草高にとんでもない不良が入ってくるらしいよ」
「草高」というのは僕の通う露草高校の略称だ。
「とんでもない不良?なんだそれ」
うちは一応、進学校なんだけど不良が入学なんてことがあるのか?
しかもとんでもない不良って……。
「その……友達から頼まれたんだよね。その子にはコウのこと話してたから、それで………」
「それで僕にその不良をぶっ倒せと」
「ちがうちがう」
少し笑いながらそう言う。
「確かに恨みがあるみたいだけど、倒してとかじゃないよ。だからまぁ、その……頼み事うんぬんは置いといてさ。あたしとしてはコウがその不良の件に巻き込まれないでほしいの」
真剣な顔つきで僕のことを見つめる。
一瞬だけドキッとしたがそれで目を逸らすことにはならなかった。
「巻き込まれるとかそんな物騒なことにはなんないから安心しなよ。僕のことは代が守ってくれるさ。今までもそうだったんだから」
ハルの心配を取り除きたいと思い、口に出した言葉はなんとも情けないものだった
そんな僕に珍しく呆れながら「肝心なところは人任せなんだから」とハルは言う。
それから「だからさ」とハルは続けて――――
「『世知原姓一郎』には気をつけて」
◇
次の日。
僕はハルの心配、忠告を無下にしないためにも入学式中にそれらしい人物がいないか警戒していた。
『とんでもない不良』というくらいだから見た目が明らかに「ワルですよ~」と自己主張しているのかと思っていたのだが、全然である。
若干数、チャラついた雰囲気やヤンチャしてましたって感じの人はいるけど、流石は進学校だ。真面目そうな人の方が多い。
いやしかし、それにしても見つからない。
入学式は卒業式とは違って一人一人の名前が呼ばれるわけじゃないから、無理からぬことかもしれなかった。
結局、一日中の警戒の末にその『世知原姓一郎』らしき人物は見つけることはできなかった。
もしかしてハルの友達とやらの情報はガセだったらしいと僕は勝手に決め付けてしまいだから、僕は忘れてしまった。
ハルからのせっかくの心配も忠告も。
忘れたまま日常を過ごす。
でも。
忘れても良かったのかもしれない。
だって忘れていようと、覚えていようとも。
『それは』避けられなかった出来事だっただろうから。
◆