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こル・ココる  作者:
第三章 『恩』
16/62

聞いた、そして襲われた。

 



 ◆




 僕こと一円向介が女性の下着姿を見たことが無いかと聞かれればもちろん多感なお年頃なので様々な媒体では見たことがある。

 しかし、それはあくまでもバーチャルでの話であって直に見たことは恥ずかしながら皆無だった。

 いくら同い年の従姉が自分の家に住んでいようとそんな着替えに鉢合わせるようなラッキースケベは現実には起こり得なかった。

(ただしハルのきわどい姿なら幾度となく見ている)

 だからよもやこんな形で女性の下着姿にお目にかかることになろうとは思わなかった。


「………………」


「………………」


 一度開かれた玄関を閉めてから僕と白城さんとの間で気まずいような何とも言えない空気が流れる中、再び扉が開けられるときちんと下着の上に服を着た(本来は当たり前だけど)渡葉曜さんと思しき人が僕たち二人をさっきの出来事など無かったかのようにリビングへと通してくれた。

 なぜ下着をお披露目した人が平気な顔をして、僕たちが苦い気持ちにならなければならないのか不思議でならなかった。

 上の三点リーダーも僕と白城さんの分しかないのがその証拠だ。


 どうやら白城さんは先ほどの件から立ち直っていないようなので不肖の僕が話を進めさせてもらおうか。


「僕は一円、一緒にいるポカンとした顔の彼女は白城さんと言います」

 白城さんの紹介が若干ギャグになっているが、そんなことにツッコむ気力は今の彼女には無いらしい。


「知ってんだろーけど私は渡葉だ、渡葉曜。下の名前で呼んでくれていいぜ」

 ………か、かっこいい。

 本人にはそのつもりはないと思うけれど、みんなを魅了するようなクールさが彼女にはあった。

 ただ名前を名乗っただけなのになんてことだ。


 今の僕たちは渡葉家のリビングに揃って床に座っていて、自然とそれぞれで座り方に個性が出てくる。

 白城さんは丁寧な振る舞いから正座で、男の僕は胡坐をかいている。

 一方、渡葉さん改め曜さんは座り方としては僕に近いんだけど、片足を立てて膝に腕を置き寛いでいる様が、もうなんかダメだ。

 男として大事な何かで負けた気がした。


「で、だ。アンタらは」

 曜さんが言う。


「アンタらは"今の"私のクラスメイトってことなんだろ?天灯って言う先生から聞いてる。そんな奴らが私に何の用だ?」


「僕はただ………」

 白城さんに付き添って来ただけだ。

 その白城さんだって彼女に会いたいというだけで何をどうしたいというのはないようで、こうやって曜さんと対面することによって僕の役目はもう済んでいるに等しい。

 肝心の白城さんが先ほどのことで放心してしまってまるで用を為さないが、彼女が回復するまでの間の時間を稼ぐのが僕の新たな役目になってしまったと見るべきなのかな。

 なら雑談をしよう。


「曜さんが学校に来ない原因の一つとして去年の事件が関係していると聞いたんですが詳しく訊かせてもらってもいいですか?」

 僕が本当に気になっているのは天灯先生が頑として語らなかった渡葉家の家庭の事情の方なのだが、こっちもこっちでなかなかにショッキングなことなので訊いておくことに損はないだろう。

 当時は話題性のあった事件の詳しい概要を当事者から掴むにはいい機会だ。


「話すのは全然構わないところだけど……その、敬語とかやめてくれ。堅っ苦しいのはバイトだけで十分だ」


「わかり………わかった」

 クラスメイトとはいえ一応は年上に対してタメ口で話すということに何の躊躇いを持たない僕だけれど、おそらく先々で白城さんの言葉遣いについて一悶着あるだろうことは予言しておこう。


「さて、私が教師を殴ったときの話だったっけ?……そもそも私はあの担任から疎まれてたんだよ。いや、クラスのみんなからもな」


「クラスのみんなって………」


「私は元々素行が良くなくってなぁ、その手の噂が広まって誰も私に近付こうとしなかった」

 自業自得なんだけどな、と自嘲する。


 クラスメイトが寄りつかず、その手の噂。

 ということは彼女はそれだけのことをしていたのか。

 分かりやすく言えば不良。

 でもそんな人がなぜ進学校で決して易しいとは言えない難易度である露草高校に入学したんだろう。

 あれ?最近にもこんなこと誰かに対して思ったような……?


「誰に話かけることもかけられることもない毎日というのはさほど気にはならなかった。別に私は友達をつくるためにあそこに入ったわけでもないしな。でも、それでもそんな私にも耐えがたいことが起きた」

 語るのも辛そうに曜さんは顔を苦虫でも噛みつぶすようにしかめる。


「私の父と弟が失踪した」


「えっ」

 あまりにも予想外の事実に僕は、どころかずっと黙っていた白城さんもそんな驚いた声しか出せなかった。


「ある日突然だ。夏休みも終わってこれから新学期ってときに弟が熱出してよ、父がそいつを病院に連れて行ったまま帰ってこなくなった」


「帰ってこなくなったって……、事件に巻き込まれたとかそういうこと?」


「わからない……、わかっているのは父が連れていったであろう病院の駐車場に車があったってことくらいだ」


 その日から約一年間二人は帰ってこないという。

 警察にも要請して探索はされたらしいが、依然として足取りは掴めないままだった。

 手かがりひとつもない状況が続き、一か月も経ったら警察は匙を投げた。

 全国的に、世界的に見ればこの失踪事件は珍しいものでもないだろう。

 でも、手かがりが出ないというのはなんとも奇妙であり、まるで神隠しにでもあったかのように忽然と行方をくらますことはどっからどうみても異常だった。

 今流行りのファンタジー小説でもあるまいし。


 家族を二人も失い、残るは曜さんと曜さんの母親だけとなった。

 元々、裕福でもなかった渡葉家は、行方不明では保険もおりず経済的にも厳しくなった。

 それでも曜さんが学校に通う分にはギリギリ可能だった。

 家族二人を失くしてもいつも通りの日常を過ごすことに辛いながらも慣れ始めていた矢先に母親が心労が祟って倒れてしまった。

 無理もない、最愛の夫と息子が帰って来ず、それでも残された家や娘のために働いていて相当なストレスだったと思う。

 家族がいなくなり、かと思えば入院してしまった母親。

 曜さんの心はとてもじゃないけど"いつも通り"ではいられなかった。


 どちらが悪いかと言われればやっぱり暴力に訴えた曜さんが悪いのかもしれない。

 母親が倒れてから次の日。

 曜さんは心身ボロボロになりながらも学校には登校した。

 そうしないと自分を保てそうになかったからだ。


 でも、ダメだった。


 日頃、担任の教師から疎まれていたことを感じていた曜さんは反発的な態度をとっていたらしい。

 そのことにずっと我慢していたその担任教師は満身創痍と言ってもいいくらいの曜さんに周りの誰にも聞こえないくらいもしかしたら無意識に発せらたかもしれないくらいの小声でこう言ったそうだ。


『ざまぁみろ』


 その言葉を聞いた瞬間のことを曜さんは覚えていないらしい。

 気がついたら、担任教師に掴みかかって血のついた拳をつくる自分がいて、教室はクラスメイトの怯えたような悲鳴で満たされていた。


「その後は1ヶ月の自宅謹慎ってわけだ。謹慎が終わっても、もう学校なんてどうでもよくなっちまって。……家庭の事情っつうことで学校に許可もらってずっと働いたが、………アンタらみたいに私に会いにくる奴はいなかったなぁ」

 長々と辛い過去を語り終えた曜さんは最後はなんだか寂しそうにそう締めくくった。


 期せずして昨日から気になっていた曜さんの家庭の事情まで把握できたはいいが、如何せん重すぎる。

 僕の両親は相変わらず健在しているし、血を分けた兄弟はそもそもいないから身近な家族の喪失感というのは一体どれほどのものなのか想像を絶する。

 そんな僕が彼女にかける言葉など思いつくはずもない。

 資格すらないのだ。

 だから僕は黙っていた。

 隣の同級生がなんと言おうとも。


「曜さんの事情はよくわかりました、……学校に来ない理由も。だけど……わたしは頼みます。土下座して頼みます。もう一度、学校に来てみませんか?」

 白城さんは姿勢の良い正座から手を床につけそのまま上体を倒す、すなわち土下座をした。

 それを見た曜さんは、


「やめてくれ。アンタみたいな優等生が私のようなろくでもない奴に頭下げる必要なんてない。………私はもう諦めたんだ。だからもう、あの学校に行く必要もない」


「だったらなぜ!学校を辞めていないんですか!………諦めきれていない証拠じゃないですか。あなたは、まだ学校に………」

 未練がある。

 黙ったままの僕は心の中で呟く。


 昨日の天灯先生との時にはまだはっきりしていなかった白城さんの願い。

 だけど曜さんの話を聞いて彼女の望みは形を成した。

『曜さんの復学』

 やっと確かな目標ができた今の白城さんは必死だった。

 いつもの控えめで穏やかな彼女が一変して感情を糧に訴えている。

 なるほど。

 この人はそういう人なのか。


 土下座のせいで曜さんにではなく地面に向かって叫んでみえる白城さんとは裏腹に当の本人の曜さんはいたって冷静だった。

 他人に対してどうしてそこまで必死になれるんだよ、という冷めた目。

 それと同時に、どうしようもない現実の前にどうしようもなくなった大切な何かを捨ててしまった大人のような目だとも僕は思ったのだった。

 仕方がない、仕様がない。

 そんな言葉を並べて自分を諦めさせることに必死になっているように見えた。

 そこまで分かっていてもやっぱり僕は黙りこくっているしかない。

 無力なものだった。


「なぁ……もう帰ってくれないか」

 疲れたように気だるげに言う曜さん。


「これからすぐにバイトなんだ。思っていたよりも時間使っちまった」


「でも!」

 帰そうとする曜さんに食いさがる白城さん。


「悪いが学校に行くつもりは一切ない。私の話をしたのだってそれでアンタらの気が済むと思ったから話してやったんだ、それで満足してくれ」


「………………」


「ほら、白城さん。曜さんの迷惑になるから今日のところは帰ろうよ。曜さんの家が厳しいのは聞いただろ?」


「そう、ですね。……すみません」

 あくまで渋々といった感じで僕と一緒に帰る準備をする。


 曜さんに一礼して来た道を思い出しながら僕たちは渡葉家を跡にした。


 ◇


「ごめんなさい、向介くん。取り乱しちゃって」


 曜さんの家を出た時にはすでに日が傾いていて道中迷ったせいもあり降りてきたバス停に着いてみたら最終便が出た後だった。

 已むなく住宅地から繁華街まで歩き駅を目指していた。

 帰宅途中の人で賑わうなか、さっきまで黙ったままだった白城さんが不意に謝ってきた。


「いいよ、そんなの。むしろ僕は感心しているくらいなんだから。他人のためにあそこまで熱くなれるなんてさ」


「うぅ………、あれは、その……なんていうか、勢いといいますか無我夢中といいますか……」

 うぅ、と呻きながら恥ずかしがる姿はなんともウサギみたいで可愛らしいものだった。


「それでこれから白城さんはどうするの?曜さんを学校に来させたいようだけど、……あの様子じゃちょっとやそっとじゃ無理だよね」


「うぅ………、はい。これからどうすればいいんでしょうか。わたしだけではどうにも難しそうです」


「一人で解決しようとしないでさ、今日みたいに僕とか、クラスのみんなだって協力するよ。曜さんは僕らのクラスの一員ってやつなんだし、白城さんがその気になれば大丈夫だと思うよ」

 曜さんが学校に未練があることが分かっただけでも今回の訪問は意味があっただろう。

 あとは経済的な問題さえ解決すれば、もしかしたらあっちが折れてくれるかもしれない。

 大丈夫、希望はある。

 これからの出方次第でどうにでもなる。

 珍しく僕が前向きになっていると白城さんが微笑んで、「そうですね、一緒にがんばりましょう」と言ってこの会話が途切れてしまう。


 そこで僕は気づいた。

 この人混みの中、駅に向かう道すがらたまたま同じような道順、同じような歩幅で歩くこともあるだろうが、なんだかガラの悪いお兄さん達につけられている気配がする。

 しかも、前からも携帯の画面と僕の顔を見比べている手配書にでも乗っていそうな人相の男が近付いているように思う。

 いつもだったら気にしないところだけど、今は白城さんがいる。

 用心しておくに越したことはない。


「あの、白城さん。僕これからちょっと用事思い出しちゃって……、先に帰ってくれる?」

 どうやら僕が狙われていそうなので無関係な白城さんを安全に帰さないと。


「用事ですか?それなら仕方ありませんね、手伝います」

 手伝っちゃうかー。

 さすがいい人だ。

 でも頑張れ、僕。


「用事って言っても私的な買い物だから、付き合うことないよ」


「いえ、今日はわたしに付き合わせてしまいましたし気にしませんよ」

 なんということだ。

 白城さんから滲み出るいい人オーラが僕の思惑を邪魔してくる。

 女の子が付き合えないような買い物となるとどうしてもセクハラになってしまう気がする。

 どうしよう、どうすればいい……!


「ああ、えっと僕が買いたいものって、下着だからさ。付き合わせるわけにもいかないよ」

 今世紀最大のひらめきだとこのとき僕は思った。

 これなら全然、変態でもなんでもないじゃないか。

 単なる日用品だ、これならイケるだろう。

 この発想がのっけの曜さんとの出会いに起因していることを、そしてそれが仇になることをこの時の僕は気づいていない。


「………………」

 なぜ黙って顔を赤くして俯くのだろう。

 僕は別に変なことはしていないよね?


「えっと、何って言ったらいいか、その、ごゆっくり」

 そう言って足早に駅へと向かって僕から離れて行った。

 思惑通りにいったのにどこか腑に落ちない。

 何か、とんでもない勘違いをしているんじゃ……?

 かといって今すぐ追いかけるわけにもいかず、案の定後ろと前から悪そうなお兄さん達から声をかけられ路地裏へと連れて行かれたのでした。


 日が完全に沈んでいないにも関わらずすでに薄暗くなっているそこは、おおよそ人が通りそうもなく助けは望めないことを理解した。

 まさか遠くの町で人に絡まれるとは、いつから僕は有名人になったのだろうと間の抜けたことを考えているうちに、あれよあれよと壁に打ちつけられヤンキー風の三人のお兄さんに囲まれた。


「よう、ボーズ。この写真に写ってんのはオメーで間違いねーよな?」

 僕のことを睨みつけながら先ほど前方にいた方のお兄さんが自分の携帯に映る画像を見せてくる。

 確かに包帯はしているが紛れもなく僕の写真だった。

 背景は教室で状況から察するに授業中の一枚だ。


 ここまでの急展開で頭がついてこれなくことは僕の『性質』が許さない。

 いたって冷静だ。だから考える。


 見知らぬ人にまさに襲われそうな状況。

 僕が写っている写真。

 これらはまさに五月の中頃に聞いた世知原くんの状況と酷似していた。

 つまり、僕も世知原くん同様『ヘルヘイム』に依頼されてしまったと考えて間違いない。

 突飛な推理かもしれないが、それに至るだけの根拠はある。

 先週初めて会ったひとつ下の後輩。

 僕が怪我をする原因である彼の存在が決め手になった。

 『ヘルヘイム』の管理人だという横縞巧くんの仕業と考えるのが自然だろう。

 困ったものだ。


「あ?ボーズ、ガン無視か?」


「あ、はい」

 あ、間違えた。

 僕的には彼のその前の質問に答えたつもりが、結果ケンカを売ってしまっているではないか。


「殴っていい?」

 そう聞かれるが早いか、その男は腕を振りかぶり―――――力なく倒れた。


「こんなとこで遊んでんじゃねーよ」

 聞き覚えのある声がした。

 それもそのはずだ。

 なぜならその声はついさっきまで話をしていたかっこいい人のものだったから。


「曜さん……!」


「何してんだよこんなとこで」

 そう言っている間にも先の男と同様に他二人も糸の切れた人形のようにどさりとその場に倒れだす。

 え?何されたの?

 そして、何したの?曜さん!


「なーに、ちっとばかし空手やってたからな。ただの当て身だよ」


「当て身だったら合気道ですよ………」

 拍子抜けしてしまうほどにあっさりと僕の危機は去ったようだ。


「曜さん……バイトは?」


「…………やべッ!」


 どうやらバイトがあったのは本当らしく、急いで駅に向かっていたら僕がここに倒れている恐いお兄さん三人に連れて行かれるところを目撃し、助けてくれたみたいだった。

 そして、電車を逃しバイトに遅刻することが決定したらしい。

 かっこいい登場からうって変わって慌てふためいてバイト先に電話をする曜さんが微笑ましかった。




 ◆




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