協力した、そして動揺した。
◆
あの日を境に僕と白城さんは仲良くなった。
以前、なぜ親しくしていなかったのか不思議なくらい僕たちは親交を深めた。
白城輪花。
僕のクラス、二年一組の学級委員長。
話してみて気づいたのは彼女は別に積極的な性格ではないことだ。
控えめと言ってもいいかもしれない。
誰に対しても丁寧な言葉遣いなのはそのためだ。
目が悪くコンタクトではなく黒縁眼鏡。
肩に届くぐらいの綺麗な黒髪。
それらの要素がすべてマッチするような笑顔を見せては男子の間での密かな人気を勝ち取っていく。
もちろん女子の間でも人気だ。
その人柄のおかげかよく友達から頼られているの見かける。
誰にでも物腰柔らかく、誰にでも優しい。
そんな彼女にも悩みがあった。
男の子とうまく話せない。
委員長だから学級会で司会をしたり、授業でのグループワークなんかで男子と接する機会は幾度となくあるだろうに周りに気づかせないくらいうまくやれていた。
アスカが僕と白城さんが親しく話しているのを見て、
「輪花ちゃんが男子と話してるなんて珍しいね」
と言うくらいだアスカみたいに『見抜く力』を持っている人や仲の良い友達なんかは白城さんの弱点を知っているみたいだけど。
僕と接することで少しでも男子への苦手意識を克服してほしい。
まぁ、何年もかけて出来上がったものだ、そう簡単には払拭はできないだろう。
そんなわけで白城さんが僕に話かけてから一週間。
右手の傷が癒えて痛々しかった包帯もとれ、季節は本格的な梅雨に入っていた。
制服も夏服に変わり、二年目になるけどやはりどこか新鮮な気持ちになる今日この頃。
掃除当番が同じということで僕はこの時間に白城さんと言葉を交わす。
逆に言えばこの時間"だけ"なんだけど。
そのときの会話で。
「向介くん、包帯とれたんですね。おめでとうございます!」
僕のことを『一円くん』と呼んでいた白城さんだが僕が下の名前で呼んで欲しいと言ったら素直に変えてくれた。
アスカとは違って。
「祝うほどのことじゃないと思うけど……、でもこれで白城さんに迷惑かけないで済むのなら確かに喜ばしくはあるかな」
「迷惑だなんて………、わたしがお節介を焼いただけですから気にしないでくださいよ」
「お礼はしないとね」
白城さんとは選択科目が一緒だったから一週間ほぼ全ての授業の板書を頼りっきりだった。
他の人、アスカや代あたりにも頼ろうとして白城さんの負担を減らそうとしたら彼女自身が「好きでやっていることだから」と断ったのには困ったものだったが。
言わないけど結構な手間だとは思うので何か欲しいものでも買ってあげたほうがいいかもしれない。
バイト代もあるし大抵のものは買えると思う。
「お礼というのなら、その……実は今度はわたしから頼みたいことがありまして」
「頼みたいこと? なんでも言ってよ。今回の僕は白城さんの手足になるから」
「恐縮です」
果たしてその返しであっているのかな。
「内容はあとで話しますから今日の放課後に一緒に来てくれませんか?」
「どこに?」
「職員室に」
「なぜに?」
「天灯先生と話すためです」
先生に?
なぜまたあの人なんだ?
あの人なら僕たちの担任でもあるし、わざわざ職員室に行かなくても話くらいなら教室でもできると思うのだが。
いや、そんなお気楽なことでもないのか。
僕に頼みたいことが何も二人して職員室に行くでもあるまいし、きっと重要なことなのだろう。
覚悟しておくか。
そのまま掃除も終わりあっという間にHRも流れ、放課後となった。
今日一日最後の号令をした白城さんはすぐさま天灯先生がいる教壇の方へと向かい二、三何か伝えてその場で別れた。
それから彼女は僕のところに来て、
「それじゃあ、行きましょうか」
と言って、先に教室を出て行った。
鞄を置いて僕も追いかけようとすると近くにいたアスカが僕にこう言いかけた。
「輪花ちゃんはいい子だから」
「え?」
「ちゃんと協力してあげてね」
言いたいことだけ言ったら長くて綺麗な髪を揺らしながら急いで部活へと走って行ってしまった。
そんなアスカに不審に思ったけれど、言われるべくもない、最善を尽くすさ。
今や彼女は僕にとっての恩人なのだから。
僕はさっきのアスカのように足早に白城さんに追いつき、二人雁首そろえて職員室に入って天灯先生の下に行きついた。
「なんだお前もいるのか」
開口一番にそう言い放たれた。
もちろん僕に、だ。
どうしてそんなことを言われなくちゃいけないんだ、という極めて普通のことを思わず思ってしまった僕だけれど、そういえば僕が所属している部活であるところの『ココロ相談室』の顧問がこの人だった。
先生にしてみれば部活にも行かずに何をしているんだという気持ちなのだろう。
割とまともに僕が悪かった。
なぜか腑に落ちないところではあるのはなんでだろう?
「まぁいい。白城、用とは一体なんなんだ?」
それは僕も同じ疑問だ。
一体全体、彼女は僕に何を頼もうとしているのか。
「あの……、えっと………」
言いよどむ白城さん。
言いたいことをどう言えばいいか考えあぐねているみたいだった。
「ワタバヨウさんについて聞きたいんですが」
ん?
誰だそれ。
「やはり委員長としては気になったか?」
「はい。……正直、どうするか悩んでいたんですけどやっぱり知っておかなくちゃと思いまして」
「そうか……。なら、進路相談室で話すか。個人のプライベートな話にもなるから念のために」
そう言って先生は立ちあがり白城さんを伴って僕にとっては懐かしの場所へと赴いてしまった。
「………………」
なにもかも置いてけぼりをくらった僕はわけが分からないまま二人に着いていく。
よほど真剣なのか白城さんまで僕のことをほったらかしだ。
すこし寂しいと感じる。
僕と白城さんが並んで、その向かいに先生が座ったところで、
「なんだお前も来るのか」
と一言。
泣いてもいいかな……。
先生による『僕いじめ』は止まるところを知らない。
「そんなことより、ワタバの話だったな。名前は渡葉曜、知っての通り我がクラスの生徒だな」
え、そんな人クラスにいたっけ?
「『え、そんな人クラスにいたっけ?』という顔をしているな一円。見損なったぞ。仮にもクラスメイトを覚えていないとは」
ナチュラルに一言一句僕の心を読むな。
医月にもそれをされて今後どうしようかとか考えているというのに。
「意地悪言っちゃダメですよ。向介くんどころか私も、もしかしたらクラスのみんなも会ったことないかもしれない人ですから彼女のこと知らなくても不思議はありません」
クラスみんなが知らない。
そんなクラスメイトがいてもいいのか?
いるっていうかいないにも等しいぞ。
「そう『いない』よ、渡葉は。いないというより来ていないんだがな」
「……不登校ってことですか?」
僕は尋ねる。
僕の心が云々はもうツッコないと決心しながら。
「まぁ、やむを得ないことではあるんだがな。個人の事情ではなく家庭の事情で学校を休んでいるわけだし。休学届も出さずにずっと休んでいる」
「学校を休んで彼女は何を………」
これは白城さん。
「働いているよ。バイトを掛け持ちして忙しくな。私も四月の時点で家庭訪問なりなんなりしたんだが、時間があまりとれないくらいだったよ」
"バイト"というワードのところで僕のことをキッと睨む先生だったが、部活をつくり生徒会の顧問をし、さらには家庭訪問とは。
やはりこの先生の生徒を想う気持ちというのは半端なそれではない。
自分のほうがよっぽど多忙ではないか。
「それでその渡葉さん?……は二年にあがってから一度も学校に来てないってことになるんですかね」
「いや、アイツが学校に来なくなってそろそろ一年になるかな」
「いちねん!?」
えっと、それってつまり、留年しているってことになるのか?
てっきり渡葉曜さんは同い年だと思っていたのに先輩だったとは。
しかしそんな留年するほど、高校生がバイトをしなければならないほど家庭が緊迫するなんてことがあるのか。
経済的に、お金の問題。
でも、学校に通うくらいなら国からの援助や奨学金とかでなんとかなりそうなものだけど。
「そう。困ったことがアイツはその援助を受けずに自分の家のために働いているってことだ。家の経済的な問題では私共、一介の教師じゃあどうしようもなくてな。……悔しいが何もできずに三カ月が経ってしまったよ」
歯噛みしながら本当に悔しそうにする。
生徒を助けてやれない自分が心底悔しそうに。
そういった生徒のことを本気で考えている姿が僕たちにとっては誇らしくあった。
不謹慎にも。
「きっかけかなんかはあったんですか?いきなり学校に来なくなったわけじゃないんですよね」
「さっきも言ったが家庭の事情は偏見を生むから言えないが」
まぁお前の場合そんなこともないだろうけども、やはり言えないな。
と言って渡葉さんのプライバシーはきっちりと守る先生だった。
「しかし、きっかけと言えば学校でも起きていたんだよ。そっちの方は教えてやる」
「何があったんですか?」
多少、食い気味に促す白城さん。
「アイツは当時の担任の教師を殴ったんだよ」
教師を殴った。
それは確かな問題だ。
事件と言ってもいい。
でも、そんな分かりやすい暴力事件のことをなんで僕は知らないんだろう。
「やっぱりですか……」
納得する白城さん。
知ってたの?
「言っておくが一円よ。当時は相当な騒ぎになったんだが、お前は本当に我が校の生徒なのか?」
担任の先生から実在を疑われてしまった。
割とショックだった。
以前にも医月にも同じことを言われたような気がするがここまで心にくるものがあるとは。
しかも生徒思いの天灯先生だと述べてしまった僕としてはそのショックは甚大だった。
「………とにかく、その事件プラス家庭での何かによって渡葉さんは学校に来なくなって不登校児になっている、と」
ここまでくると俄然、家庭の事情が気になる野次馬精神が生まれてくる。
それを聞くには先生ではなく本人ということになるだろうが。
「私からは以上だ。他には何かあるか?」
「あの、あとひとつだけいいですか?」
躊躇いがちに白城さんは言う。
本当に言おうかどうか迷っている様子でもあった。
彼女はここでまたいつかしたように眼鏡のフレームを両手で抑えている。
これは彼女の癖だと言っていた。
不安なとき、自分に自信がないときに、自分が逃げ出さないようにと体の代わりに眼鏡を抑えつけているらしい。
ということは今はそういうことだった。
「渡葉さんに会ってもいいですか?」
「!?」
そんなことを言われるとは思っていなかったのか、いつもは冷静な先生が珍しく驚いていた。
「……会ってどうするんだ?学校に来るように頼むのか?」
「正直言って自分でもわからないんです……。わたしは渡葉さんに復学して欲しいのかどうかも。ただ、クラスの委員長としての責務とか義務とかではなくって………一人のクラスメイトとして、会いたいんです」
滔々と語り必死な様子で頼みこむ彼女に今度は僕が驚いた。
ここ一週間で接してきた白城さんはどこか控えめで穏やかな印象があり、彼女の悩みもその印象を強めていた。
こんなに積極的に何かに取り組もうとするような熱い気持ちを持っているとは思っていなかったのだ。
しかし、僕のこの驚きは今更なのかもしれない。
現に彼女はクラスの委員長という普通はみんなやりたがらないような面倒事を引き受けているし、何より僕自身がノートの件で彼女の行動的な一面は身を持って知っている。
なんでそこまでするのか。
今もなお彼女は眼鏡を抑えて僕の隣に座っている。
思えば初めて話かけられたときも白城さんは眼鏡を抑えていた。
眼鏡を抑えて、自分を抑えて。
そこまでして彼女は何がしたいんだろう。
何ものにも代え難い純粋な興味を僕はこの白城輪花という年相応に儚い女の子に抱いてしまった。
「そういうことなら是非もない。白城のその気持ちを汲んでやるとしよう。しかし、一緒に一円を連れていくことが条件だ。いいな?」
「元からそのつもりでした」
そうだったの?
「一円、『ココロ相談室』の立場でしっかりやれよ。これは立派な依頼だ」
「なにをしっかりやればいいのか分かりませんけど、そういうことなら頑張ります」
かくして僕と白城さんはまだ見ぬ不登校児のクラスメイトに会いに行くこととなった。
でも、担任の教師を殴る渡葉さんって実は怖い人なんじゃ………?
◇
明くる日の放課後。
僕は白城さんと並んで件の渡葉曜さんの家に向かっていた。
住所を先生から教えてもらいそれを白城さんがあっちこっちと目配せしながら、言わば手探りながらの彼女をサポートする僕だった。
「意外と遠いところに住んでいるんだね。まさかバスで五十分もかかるなんて思わなかった」
僕たちが今いる場所は露草高校からはほど遠く、どころか僕や白城さんが住む町からは二つほど隣の見知らぬ町だった。
見た目なんか僕たちの町と大差ないのに自分が今どこにいるのかすらわからない不安感とそれとは裏腹に探検しているようなわくわく感が優って昔のハルとの思い出が蘇った。
「彼女はこんな距離を一年半も通っていたんですね。これだけの距離があれば学校からも交通費の援助がもらえるかもしれないですね……もらってたんでしょうか」
「そうなんじゃないかな。往復のバス代もバカにならないだろうし、もらえるものならもらうだろうさ」
「ところで向介くんはあの『ココロ相談室』をやっているんですよね。今までどんな人が相談して来たんですか?」
「うーん、相談者のプライバシーに関わることだから教えられないよ」
「あ、そうですよね、すみません。軽率なことを言ってしまって……」
「別にいいよ。僕も始めのころはそんな感じだったし」
アスカからの忠告を受けてからは僕なりに注意している。
………しているか?
一件目の世知原くんのときはアスカに話して医月にも話して代にも話してる。
二件目の横縞くんのときはまたアスカに。
言うほど進歩してないな、僕って。
「白城さんはなにか部活してるの?」
そういえばそういう話はしてなかった。
白城さんがどういう人なのかは大体わかってきたけど、どういうことをしてるのかは知らない。
「わたし? わたしはしてないですよ、部活は」
「え!? してないの?」
「そんなに驚かれるとは………」
「だって………」
だって、なんだ?
僕は確かに白城さんの人となりや性格はわかってきたつもりだ。
でも。それでも。
彼女の気持ち―――心まではわからない。
「向介くん?」
「え? ああ、いや、なんでも……」
この一週間で親しくなったつもりでも、僕は所詮その程度だ。
僕なんてこんなものだ。
しかし、今は恩に報いるときだ。
先生に言われた通り"しっかり"しないと。
「大分時間も経っちゃったし、急ごうか」
何かを誤魔化すようにそう急かして歩くペースを速めるが、そんな僕に白城さんは続いてくれなかった。
「もう着きましたよ?」
「う、………………うん」
出鼻を挫かれながらも白城さんが指し示す民家に赴いた。
そこは普通の一軒家だった。
二世帯住宅にしては小さいのでおそらく親と子供だけで住んでいるのだろう。
庭に入ってみるとあまり手入れはされていないのか草がのびのびと生い茂っていた。
どうも人が住んでいるようには見えない家ではあるが、ここで白城さんを疑っても仕様がない。
元々、アポは先生が取ってくれているらしいので覚悟を決め玄関に備え付けられているインターホンを鳴らした。
インターホンに対する返事もなしに、前触れもなく家のドアが開かれる。
すると、そこにいたのは背が高くて妙に大人っぽくてなぜか髪が濡れている女性だった。
最初に顔を見て綺麗な人だなと思ったけれどそのまま視線を下ろしてみると髪が濡れている理由がわかった。
「失礼しました」
僕はそう言って開かれた玄関の扉を閉めた。
振り返ってみると鳩が豆鉄砲をくらってもそんな顔しないだろうなと思わせるほどの唖然とした表情の白城さん。
なんだか面白い顔をしているけれど、それはさて置いて。
僕は心を落ち着かせるために息を深く吸い込んで、所謂深呼吸をした。
はっきり言うと動揺している。
僕が昨日決めた覚悟は担任の教師を殴ってしまうような怖い人が白城さんに何か危害を加えようとしたときに守れるようにしたものだった。
僕は覚悟したんだ。
だけど。
だけれど。
下着姿の女性を目の当たりにする覚悟なんてできるはずもない。
「びっくりしたぁ!!」
◆