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こル・ココる  作者:
第二章 『志』
12/62

正解した、そして恐怖した。

 



 ◆




 気がつくと知らない天井だった。

 そんなベタなこと思ってしまった僕は目を覚ます。

 どうやら保健室のベッドに寝かされているらしかった。

 鈍痛が響く頭を抑え、無理に起き上がってみる。

 白いカーテンで仕切られている空間、消毒液の匂い、時計の針の音だけが響く静寂。

 紛うことなき保健室だった。


 まずは状況の整理をしよう。

 僕は放課後に天灯先生の頼みで三年生の校舎に行って、用が済んだ僕は階段を降りている最中に誰かから声を掛けられ、正体が分からぬままいきなり突き飛ばされ階段をころころと転がり頭を打って気絶。

 そして現在、保健室で目を覚ます、か。

 すっかり時間も過ぎて小一時間くらい気を失っていたようだ。

 まったく今日に限って何だというのだ。

 僕は閑谷会長のゲームをクリアしないといけないし、横縞くんのことだってあったのに。

 まいった、という感じで頭を抱えようとしたが右腕に痛みが走ってできなかった。

 そうだった。

 こっちも怪我しているんだった。

 意識を失う前には無残なものだったが今では包帯で肘から指先までぐるぐる巻きにされていた。

 真っ先に気づいても良さそうなものだったが混乱していたのだから仕方ない。

 とりあえずは落ち着きを取り戻したがこの場には誰もいないのかな―――――


「落ち着きましたか?」


「え?……って、うわっ!」

 階段のときのようにまたもや不意に声がして驚いた。

 せっかくの落ち着きがどこかへ飛んで行った。


「医月……いたんだ………」


「はい」

 僕が使っているベッドのすぐ傍で椅子に座っている医月がいた。

 全然、気付かなかった………。

 右腕の包帯のことといい僕って鈍感過ぎないか?

 そりゃ階段から突き落とされるわけである。


「気分はどうですか?先輩」


「……ああ、うん。思ったよりも悪くないかな」


「へぇそうですか。見ての通り右腕には数ヶ所の刺し傷。体や肩などに四つの打僕。頭にはたんこぶをつくっているその状態が先輩にとっては『悪くない』状態なんですか。やはりドMですね、先輩は」

 いつものように毒を吐く医月。

 そんな彼女に安心を覚える僕が変態じゃないことを切に祈りたい。


「やはりってなんだよ。いつも言っているけど僕は―――――」


「心配しました」


 へ?

 いま、この子なんて言った………?

 医月らしからぬ発言に僕はたじろいで、


「え……ああ………う、ごめん」

 と、言いよどむばかりだった。

 おいおい勘弁してくれ。

 医月まで天灯先生のようにフラグを立てるのは止してくれ。

 なぜだかは分からないけれど君たちのフラグは僕に対して効果を発揮するのだから。


「えっと、医月?先生はいないのかい?」

 ここで言った先生とは天灯先生のことではなくて保健医のことである。

 どうもその保健医の気配を感じない気がするのだが、鈍感な僕の感覚は当てにならない。


「藤ノ先生なら先輩の手当てをしたあと天灯先生に怪我の具合を報告しに行きました」

 そうか。

 僕は天灯先生の頼み事の最中に怪我したのだから天灯先生に責任がいくのかもしれない。

 現に僕の右腕はそのせいでこの有り様のところはあるし。

 でも、今回の『これ』は事故ではなく事件だ。

 そのことを知っているのは現時点では僕だけだろう。

 怪我の手当てをしたという保健医もとい藤ノ先生も、天灯先生も、医月だってただ僕がドジにも階段を踏み外したくらいにしか思っていないと思う。


「じゃあ次に医月がここにいる経緯について教えて」

 わかりました、と言って彼女は放課後、一人で部室にいるところから説明を始める。


 本日最後の授業も終わり、HRもそこそこに図書委員の仕事もなかったので真っ直ぐに部室に向かったそうだ。

 だが向かう前に鍵が開いていないことを思い出し、方向を変え職員室で鍵を預かろうと天灯先生の下に向かったらしい。

 でも先生は居らず、しばらく待っていると渋い顔してやってきた。

 部活の調子を訊かれながら鍵を貰い、その時に僕が部活には遅れることを聞いていたそうだ。

 仕事の内容も。

 だから数十分経っても部室に現れないことを不審に思った。

 そんなに時間がかかる仕事ではない、と。

 それから話に聞いていた三年の校舎へと赴いたら僕が腕から血を流して階段に倒れているのを目撃して、とりあえず僕を保健室まで運んだという。

 一人で。


 ………………。


 一人で?


 普通、人が倒れてたら人を呼んで担架で運びそうなものだけど。

 てっきりそうだと僕は思っていたので彼女の話を聞いてびっくりした。


「人を呼べない事情がありまして」

 どんな事情なのか是非知りたいところだけれど、後でもいいか。

 ひと通り話終えたようで再び静かな時間が流れる。


「もう少し休みますか?」

 沈黙に耐えきれなかったわけでもないだろうが、医月がそのようなことを言うのはやはり珍しかった。


「あーいや、別にいい。……僕にはやらなくちゃいけないこともあるし」


「ゲーム………ですか?」


「そうだけど………」

 どうしたんだ?

 さっきからなんだか申し訳なさそうな顔をしている医月だった。


 いつも無表情だし今もそうなんだけど、少しだけ悔んでいる雰囲気を彼女から感じとれる。

 説明をしているときもそうだったけど………何があったのか?


「その……ゲームのことなんですけど、実はもう解決しちゃっています」

 しちゃってますって………え?

 かわいく言っているつもりか知らないけど医月が言うことでそのかわいさも無に帰るのだと思った。

 ……誤解なく表現しておくと医月が平坦な口調だという意味だ。


「まだ会長には言ってませんけど……、おそらくは間違いなく『正解』だと思います。先輩の懸念は無くなりますから、だからもう時間を気にせず焦らなくてもいいんです」


「焦らずに………」

 そこで、はたと気づく。

 医月は僕の怪我は完全に事故だと思っている。

 タイムリミットも刻々と迫るときに先生から仕事を頼まれ断ることもできず、焦る僕が階段を踏み外したと医月はきっと考えている。

 だからこそのこの態度だ。

 自分が早く閑谷会長に『正解』を伝えて、もしくは僕にさえ伝えておけば僕は今こうしてこうなっていなかったのでは、と後悔している。

 もちろん真相はそういうことではないと僕自身が身を以て知っているので、見当違いもいいところだけれど。

 言ってしまっていいのもの

 だろうか、本当のことを。


「………………」

 いや、やめておこう。

 まだ犯人が誰かわからないうちは―――――。


 僕がそう結論づけているそのとき、医月はすっと立ち上がり何の言葉もなく保健室の入り口の方へと歩いていった。

 一瞬帰るのかなと思ったがそうではなく、閉まっていた扉を開けどうやら廊下にいたらしい人物を招きいれたようだ。

 誰だろうかと思っていると仕切りに使われていたカーテンが医月によって畳まれるとすぐに明らかになった。

 二人いた。

 どちらも僕の知っている人。

 閑谷会長と、横縞巧くんだった。


「やあ。一週間ぶりだね、一円くん。……どうやら僕とのゲームのせいで怪我したみたいで、なんとも心苦しいし反省する気持ちでいっぱいだ」


「はあ……それはどうも、お気になさらず………」

 実際のところ僕の怪我は閑谷会長にまったくの責任はないのだが……、いや、それよりもどうしてこの場に横縞くんもいるのだろう。

 お詫びの言葉よりもまずはそちらのほうを説明してほしかった。


「二人には」

 と、ベッドに起き上がっている僕の横側に移動しながら言う。

 ちなみに閑谷会長は爽やかな顔で(心苦しいと思っている人の顔じゃない)、横縞くんはどこを見ているのか一言も発さずに僕の正面へと立っている。


「二人には先輩に閑谷会長のゲームがなんだったのか説明しやすいように外で待ってもらいました」

 よく集められたものだな。

 時刻的に難しいと思うんだけど。


「へぇその口ぶりだと分かったみたいだねゲームの内容が」

 見る人みんなに清涼感を与えてくれるような爽やか過ぎる顔つきで楽しそうに閑谷会長は言う。

 この人、ホントに反省しているんだろうか……。


 まぁしかし、これで僕が一週間悩まされたゲームの解がわかるのだからこれ以上は触れまい。

 そう思ってあとは医月に任せると医月はゲームをクリアしたときのメリットについてまず最初に確認した。


 医月を生徒会に今後一切勧誘しないこと。

『ココロ相談室』を存続を認めること。


 当初はこの二つだったけれど医月はもうひとつ付け加えることを要求した。


 生徒会は『ココロ相談室』に協力すること。


 こっちは部員が怪我する事態になったからそれくらいは約束して欲しいと僕をダシにした要求に僕は彼女が怖いと思った。

 心配したとか言っておいてね。

 この要望に対して閑谷会長はあっさりと受け入れ、元からそのつもりだったらしい。

 食えない人だと思い知らされた。


「それでは私たちが仕掛けられていたゲームの名前から明かしていきたいと思います」

 望み通りに事が運んだことを喜ぶでもないしあくまで淡々と語りだす医月。


「ゲームの名前は『間違い探し』。トランプの『ダウト』という遊びでもいいかもしれません。つまり私と先輩は会長からの仕掛けられたウソを見抜けば勝ちということになります」


「いや名称だけ当てれば君達の勝ちだよ。そして答えは『間違い探し』で正解だ。おめでとう、晴れて生徒会は君達の部活を全面的に認めるよ」

 パンパンと手を叩く乾いた音だけが響き渡る。

 もちろんこの時も閑谷会長は満面の笑みだ。


「つくづく優秀だね、医月くん。君のような人材を生徒会に迎い入れることができなくて心の底から残念だ。……できればゲームは一円くんがクリアしてもらいたかったんだけど」

 そうだろうなと僕は思った。

 ゲームを提案しているとき閑谷会長は僕に対して言っていた。

 僕だけを見据えて。

 本来、このゲームは相談室 対 閑谷会長ではなく一円向介 対 閑谷会長という対戦カードだったわけだ。

 だから今こうして医月がクリアすることは閑谷会長の本意ではない。

 だが、なにはともあれ『ココロ相談室』の安寧は守られたようで一安心だ。


「私も本当だったら一円先輩が答えるべきだと思って今日まで待ってみましたが、愚かな先輩はまったく気付かずにこんな怪我までしてしまう始末。だから仕方なく私が解答しました」

 愚かな先輩とか言わないでほしい。

 安心していたのが途端に情けなくなってくる。


「ははは。君も大変だったね」


「はい。こんな鈍い人と同じ部活だと思うと眩暈がしそうです。………けど。こんな先輩でも私の『先輩』ですから嫌でも付き合っていくしかないですね」

 だから、あまりそうやってらしくないことを言わないで。

 後が怖くなってくるから。


「なぁ医月。この愚かな先輩に聞かせてもらえるかな?閑谷会長のウソってやつを」


「はぁ少しくらい自分で考えてみたらどうですか?ヒントはこの部屋にあるんですから」

 心底呆れたようにじとっと睨んでくる。

 ヒントと言われてもなぁ。

 おそらく横縞くんがここにいることが関係しているんだろうけど、さっぱりわからない。

 実は横縞くんは女の子だったとか……?


「バカなことばかり考えないでください」


「医月まで僕の心を読まないでくれ」

 プライバシーもあったもんじゃない。

 僕の頭の中はそんなに読みやすいのか?


「私たちは始めから騙されてたんですよ。いえ、先輩だけですね騙されていたのは。私は最初からわかっていましたから」


「始めから……騙されていた………?」


「そちらにいる横縞巧くんは卓球部ではありません」

 え?

 卓球部じゃないって、それってつまり………。


「彼の相談事自体がウソだったんですよ。横縞くんは卓球部ではなく生徒会役員であり、閑谷会長から頼まれた仕掛け人というわけです」

 先輩にとってはドッキリ大成功と言ったところでしょうか、と医月は冗談めかして言う。


「ということは閑谷会長は僕たちにゲームを提案したその日に、その瞬間にゲームを仕掛けていたのか」

 先週の火曜日のことを思い出してみると閑谷会長が部室を出て行ってすぐに横縞くんは相談に来ていた。

 あの時は下校時間も迫っていたというのにその日のうちに横縞くんは来たのだ。

 普通だった諦めてさっさと帰りそうなものなのに。

 いくらテスト期間だからといっても彼の相談事はそこまで差し迫ったものでもない。

 不自然なことは他にもある。

 彼は相談をしているというのにどこか他人事のように自分のことを話していた。

 あれはそもそも自分のことではないから当然のことだったのか。

 でっちあげ。演技。ウソ。

 せっかく横縞くんの無茶な相談事について答えを考えてきたのに、またもや取り越し苦労の骨折り損ってわけだ。

 今回の僕って役立たず過ぎないか?


 そういえば最初からわかっていたと豪語なされている医月はどうしてわかったのだろう。

 条件としては僕と同じのはずなのに。

 もしかして医月は―――


「エスパーじゃないですよ」

 心を読むだけに飽き足らず先読みまでするなよ。

 それだけでも十分エスパーだ。

 僕なんかには手に負えないぞ。


「あんなゲームを仕掛けられたすぐあとに生徒会役員がやって来たら誰だって疑いますよ。だから、わかっていたというより知っていたということなんです」


「あの日から君は横縞くんに疑惑の目を向けていたのか」


「妙な言い方をしないでください。………これでもちゃんと下調べはしました。卓球部員に訊いたり、近所の卓球クラブを調べたり、本人を尾行したり」


「本人を尾行したことを本人の前で言うなよ」

 どんなカミングアウトだ。

 当の横縞くんは一言も発さないけれど。

 借りてきた猫みたいに依然として黙ったままだ。

 退屈そうでも、楽しそうでもなく、なんでもないふうだった。

 自分の意志もなくただ言われるがままここにいる、そういう感じだった。


 一応、尾行について触れるけれどテストとかの関係で尾行できたのはあの謎の置き手紙があった金曜日だろう。

 僕が暇を持て余し、午後からは土砂降りで、初めて女子校に行ったあの金曜日だ。


「それで閑谷会長。医月の言っていることは合っているんですか?」

 横縞くんと同じように黙って僕と医月のやり取りを見ていた閑谷会長に問いかける。


「合っているよ。百点満点のパーフェクトだ。いやーまいったね、まさか医月くんが横縞くんのことを知っていたとは……」


「知ってるも何も私だって図書委員です。生徒会役員の顔くらい見知ってます」

 そうだったね、と困った笑顔の閑谷会長。

 いちいち笑うのはポリシーか何かなのだろうか。


「会長は本当に本気で『ココロ相談室』を潰したかったんですか?」


「医月、何言って………」


「先輩は黙っててください」

 うぐ。

 有無を言わさぬこの感じ。

 僕の心を読むこととかだんだん天灯先生に似てきている気がする。

 あまりにぞっとしない。


「医月くんそれはどういう意味かな」

 あくまで常時笑顔の閑谷会長。

 笑った顔以外の表情を見せない。

 ゲームに負けたというのに妙に余裕がありそうで、不気味だった。

 この人が僕の『性質』のことをそう思うように。


「会長のゲームは横縞くんのことを知っていれば途端に難易度が下がる、というかゼロになる、会長にとっては分が悪いものですよね。そして図書委員という横縞くんが生徒会役員だと知っている可能性が高い私がいるにも関わらず会長はゲームをしました。そして負けました」

 ゲームに勝ったくせに何言ってんだ。

 そう思う人もいるだろう。

 だけれど会長の涼しい笑った顔を前にしていると勝ったとしても不安になる。

 詮索せずにはいられなくなる。

 僕たちには勝利という達成感はない、足元がどんどん崩れていくような不安定な居心地の悪さだけしかない。

 もしも横縞くんの相談事が本当のことで、試合で彼に気を遣われて勝った人もあるいはこう感じたかもしれない。


「会長は―――――何がしたいんですか?」

 問いただす医月。

 それに対して閑谷会長は、


「あはははは」

 笑った。

 閑谷会長は声を出して笑った。

 わらって、わらって、わらうだけだった。


 閑谷会長は医月の問いには答えずに踵を返し保健室から出ていこうとし、僕は慌てて声をかける。


「帰るんですか?」


「心配しなくても約束は守るよ。僕は生徒よりも学校を優先してしまう男だけど、生徒との約束を反故にするほどないがしろってわけじゃない。……それじゃあ、一円くん。お大事に」


「いや待ってください。どうしてそこまで学校に固執するのか聞かせてください」


「へぇこんな僕に興味があるのかい?光栄だね」

 閑谷会長は出口付近で足を止め、僕の方へといつもの笑顔を向ける。

 僕はこれから協力関係になるのなら閑谷会長の『心』ってやつを分かっておきたかっただけなのだけど。


「君は僕が転校生だということは知っているだろう?前の学校はまぁ褒められたような学校ではなくてね。悪口を言うのは憚れるから止めておくけれど、とにかく酷かったんだ。露草高校という普通のどこにでもあるような進学校が太陽のように眩しいくらいに、ね。……心地が良くて、居心地が良いんだよこの学校は。だから僕はこの露草高校を大事にしている。もし、我が校を脅かす真似をするなら一円くん。今度は『本気で』潰すから」

 そのつもりでね。


 そう言い残して、ついでに横縞くんも残して去っていく。

 さながら歴戦の勇者のように閑谷会長の背中は物腰とは裏腹に逞しかった。


 この人はこの人で今まで戦ってきたんだ。

 転校生にして生徒会長。

 その肩書は伊達ではないことが伝わった。


「まんまと逃げられましたね……。結局、私の問いには答えてくれませんでした。先輩のせいですね」


「なんでもかんでも僕のせいにしないでくれ」


「受け入れないんですか?先輩の唯一の取り柄でしょうに」


「僕は受け入れるなんて大層なことはできないよ?」


「それがウソだというのは十分理解できてますからね」

 ここ一週間の緊張が解かれたことで気が緩み、軽口を叩きあう僕ら。

『ココロ相談室』のこれからを守った僕たち(特に医月)はゲームが始まる前の雰囲気になってしまう。

 和むなんて心休まる空気感でもなんでもないけれど。

 ゲームやら、テストやら、事件やら。

 乗り越えるでもなく、くぐり抜けたわけでもない僕は烏滸がましくも懐かしいと思った。


「それでは私は帰りますので、先輩は藤ノ先生がここに帰ってこられるまではそのまま休んでいてください」

 事務的なことを言いながら持ってきていたらしい学生鞄を手に携え、横縞くんの横を通り閑谷会長が出て行ったように彼女も帰ろうとする。


「医月、ちょっと待って」

 そして閑谷会長にしたのと同じように僕はまた呼びとめる。


「ありがとう」


 僕は振り返りもしない彼女に向かってそう言った。

 それから医月は一度立ち止まり、


「………………」

 やはり振り返りもせず、黙ったまま保健室を後にした。


 最後に医月らしく、無視するかたちで去って行ったできた後輩を見送り、残りは僕と横縞くんだけになった。

 帰るタイミングを完全に見失ってしまっている横縞くんはまるで城に置かれた銅像のように身動きすら、あまつさえ呼吸さえもしていないかのように生きている感じがしなかった。

 まぁ立ったまま死んでいるなんて少年漫画のようなことを言いたいわけではない。

 現実問題座ったままとか立ったまま死ぬのは、故意に死後硬直させないと不可能らしいけれど今考えることでは全然ないな。

 そろそろ下校時間も迫ってきている。

 先週と同じようなことを考えながら横縞くんに帰るように促す。


「そうですね。では帰ります」

 医月よりも端的に淡々と感情が読み取れそうもないそのセリフは僕に衝撃を与えた。

 いや、セリフにではない。


 彼の―――横縞くんのその声に僕は怖いくらいに頭を覚めさせられた。


「横縞くんもちょっと待ってくれないかな」

 帰ろうとする一人一人を呼びとめる僕はどれだけ寂しがり屋なのか。

 そんな間抜けたことを考えられないくらい今の僕には余裕がなかった。

 あるいは余裕は必要かもしれない。

 閑谷会長のように笑えば出てくるかな?


「横縞くん、ひとつ訊いてもいいかい。君は僕が階段を踏み外す時間……そうだな、一時間前にどこにいた?」

 探偵のように刑事のように僕は彼のアリバイを尋ねる。


「その頃には三年の校舎にいました」


「なんのために?」


「先輩を―――――殺すため、にー、」


 ゾクッとさすがの僕でも背中に冷たいものが走った。

 今は保健室で二人きり。

 しばらくは誰も来そうもない。

 それで僕は手負いの状態。

 この場で襲われれば碌な抵抗もできぬまま易々と殺されるだろう。


 怖い。


 先日受けた須磨くんの殺気とは違って僕は素直にびくついている。

 彼の殺気は一時的な憎しみからくる狂気だった。

 直情的なぶん分かりやすく御しやすい。

 しかもあの時は僕の身を守ってくれる代だっていた。

 だがしかし、だ。

 今は僕一人の上に怪我、誰も助けには来ないであろう状況。

 なによりも横縞くんの底知れぬ殺意が僕を震え上がらせる。

 さっきまで呆然と立ち尽くすだけの人畜無害さからは到底想像できないような、戦士のように凶暴で、シリアルキラーのように凶悪で。

 そしてウサギのようにおとなしい。

 そんな殺意が僕から余裕をくり抜いて潰してくる。

 笑顔なんて無理だ。

 こんな時でも閑谷会長は笑うのかな、と現実逃避もそこそこに。


「なんで僕を殺したいのかな」

 僕の中にある『性質』が僕を僕のままでいさせてくれた。

 ははは、と笑ってやった。

 もちろん愛想だ。


「ぼくはですねー、べつにー、生徒会長のためにー、あんなことしたわけでもないんですよー、」

 普段とは似ても似つかない間延びした口調で話す横縞くん。

 まるで人が違うかのように、人格が違うかのように彼は豹変した。

 スイッチが切り替わったみたいな印象だ。

 喋り方だけとればこっちの気が抜けるようだが俄然、殺意は放ったままだ。

 そのギャップにまた僕は息を呑んだ。


「きっかけは生徒会長と似ているんですけどねー、」

 ひゃはは。

 閑谷会長とは違って見る人を不快させるような笑い方で話す。


「ということは君も世知原くんの一件で?」


「そうですー、せいかくにはー、せちばるくん、と、すまくん、なんですけどねー、」

 世知原くんと須磨くんがここでどう関係する?

 確かに横縞くん含め彼らは同じ一年だろうけれど、いやこの際学年は関係ないか。


「彼らと君、そして僕。一体どんな風な縁があるんだい?」


「せんぱいーはー、ぼくの楽しみをうばったんですよー、」


「楽しみ?」


「はー、いー、せっかくのー、人生に一度あるかないか、千載一遇の、天佑神助に恵まれた、鴨が葱しょって来たような、旱天の慈雨のごとき、機会をー、先輩はー、ぐしゃーーっと潰したんですよー、」


「話が見えてこないな」


「つまりー、ぼくはー、たにんの不幸がだーいすきなー、とある『サイト』の管理人なんですよー、」


「サイトって…………」


「『ヘルヘイム』」


 彼の口から飛び出した単語は聞き覚えがあった。

 恨む相手を賞金首として写真をネットにアップし、その人を依頼主が満足する形で報復すれば依頼主からお金がもらえるシステム。

 世知原くんがその被害者だった。


 このサイトを知ったとき僕は『こんな悪趣味なサイトがよく取り締まられずにあるもんだな』と疑問を呈したような気がする。

 その時、側にいた医月は『そこらへんは管理人とか運営をしている人がうまくやっているんじゃないんですか』と投げやりな答えを出していたようにも。

 その管理人だか運営をしている人が僕の目の前にいる横縞巧くんなのか。


「せっかくー、おなじ学校のー、おなじ学年にー、ぼくのサイトでー、不幸になるひとたちがいたのにー、先輩のせいですよー、」

 ついさっきにも医月に言われたセリフ。

 同じセリフでもこうも響かないものなのか。


「だからこれ以上邪魔されないように殺そうとした」

 僕を、殺そうとした。


「そー、ですー、」

 やれやれ。

 この一週間の出来事は全て世知原くんの相談事が事の発端となっているな。

 閑谷会長のゲームも、僕の怪我も。


 でも。


 だからって。


 僕は後悔なんてしないけれども。


 たとえ命が懸っていたとしても―――。


「ところでー、」


「ん?」


「どうしてー、先輩を階段からつきとばしたのがー、ぼくだってー、わかったんですかー、」


「えっと。単純に声でわかったんだよ」


「こえー、」


「君は僕を突き飛ばす直前に話かけたじゃないか」


『あれって『コッキ』と読むんですよ』


 この一言が無ければ正直、犯人が横縞くんだとは思わなかっただろう。

 彼がこんな人だとも。


 この一言は彼が残したミスであり、この保健室で僕に声を聞かせたのもミスだった。

 二つのミスのおかげで僕は犯人が特定でき、そして窮地に追いやられている。


「それで?君は僕を殺す?」

 あっさり言う僕だけれど内心はそうでもない。


「いやー、気がかわりましたー、先輩はー、生かしていたほうがー、ぼくにとっていいって思うからー、」


「矛盾しているね。邪魔されたから殺そうと思ったんだろう?」


「んー、話しているとー、先輩はー、『良いもの』持っているってわかったからー、殺さないでおきますー、」

 良いもの。

 それがなんなのか分からないほど僕はバカじゃない。

 愚かな先輩ではない。


「それでは帰ります。お大事に」


 あの恐ろしい殺気はどこへやら。

 唐突に最初の頃の横縞くんに戻った彼は礼儀正しく一礼して帰って行った。

 まるで嵐か台風でも過ぎ去ったかのようなあっけなさだった。

 気持ちごと置いてけぼりをくらわされた気分だ。

 でも、とりあえずは。


「助かったー、」

 先刻の彼のような口調で胸をなでおろす僕だった。


 ◇


 それから僕は天灯先生への報告から帰って来た藤ノ先生と会い、患部を冷やすことと右腕をお風呂に浸けないことを言い聞かされその日は無事帰宅となった。

 家では居候のハルに質問攻めから心配や気を遣われたり、そして思い出したかのように前回の相談事での無茶について怒られたり散々だった。

 代のやつ、ホントに密告していたらしい。

 そのことを本人に愚痴っていると、


「ならもう無茶なことはやめるんだな」


「無茶なこと言うなよ………。前回はともかく今回は不可抗力というか僕の力の及ばないことで怪我したんだから」


「怪我しない程度に頑張れ。こっちも晴夏のぼやきを聞くのはごめんなんだよ」

 そんなやり取りしてるのか、こいつとあいつは。

 二人がどんなことを話しているのか野暮な僕なんかは気になるけれど、永遠と僕の悪口を言っていそうでやっぱり気が引ける。

 それで二人が仲良くなってハルが報われるんだったら全然構わないんだけどなぁ。


 僕だって無茶したくて無茶しているわけじゃない。

 できればこんな怪我もしたくないし、ハルに心配かけたりぼやかせたりしたくない。

 でも結果こういう有り様になるわけで僕にしてみれば仕方のないことなのだ。

 だからハルにも代にも我慢してもらいたい。

 そこから生まれる心苦しさを『受け入れる』だけの僕はずるいかもしれないけれども。


「それで?俺はその横縞巧って奴も警戒してればいいのか?」


「うん。彼はおそらく『二重人格』っていう僕に言わせれば『性質』を持っているわけだから警戒してても意味はないかもしれないけど………、それでも彼の『性質』は危険過ぎるから用心するに越したことはない」


「生徒会長はそのこと知ってんのかね」


「知らないだろう。あの人は学校主義者で排他的な考え方をしている。世知原くんのことを退学させようとしていたしね。……もしも身内に危険人物が居れば即座に潰していると思う」


「とんでもねぇ生徒会だな、我が学校は」

 だが、そんなとんでもない生徒会がこれからは『ココロ相談室』の味方となる。

 敵ばかりいる味方なのがなんとも僕らしい。


 朝の教室。

 たまたま早く来ていたクラスメイトであり親友である代と話している。

 他のクラスメイトもちらほらと登校してきて、これからの気怠い授業から目を背けるように楽しそうに談笑している彼ら彼女らを一瞥しながら僕は考える。

 二重人格だと僕は横縞くんを表した。

 誰とも目を合わせようとしない横縞くんの裏の人格が殺意の塊のようでおかしな喋り方をする恐ろしいもの。

 彼があのようになる原因があるのだろうか。

 他人の不幸が大好き、みたいな口ぶりだった。

 人の不幸は蜜の味とはいうが、彼のもう一つの人格はその蜜に酔いしれ酩酊しているようだった。

 まるで悪魔のそれだが、僕は今までそういう人間の醜いところを見てきている。

 だから不幸を喜ぶ彼の様は人間らしいと思う。

 悪魔のようで人間らしい、と。


「………………」

 僕が思考の渦からよみがえってみるとすでに代は席に戻り担任の天灯先生がHRをしていた。

 というか終わっていた。


 次の授業の準備を始めているみんなのなか先生は僕のところに来た。

 昨日のことで謝ったりするのかな。

 だったらまたフラグがたちそうだなー、それはイヤだなー、とか思っている僕はこのとき安心しても良かったかもしれない。

 なぜなら別に天灯先生は僕に謝るために近付いてきたわけではなかったからだ。


「部活の報告書。早く出せ」


 昨日の今日でなんてこと言うんだこの教師は。

 まぁらしいといえばらしいけれど。

 それでも一言だけ言わせてほしい。


「無茶言うな」



僕は包帯で巻かれた右腕を挙げてそう言った。




 ◆





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