第八話 あすかの本気
肘を曲げる。
曲げた肘を伸ばす。
伸びきったら、また肘を曲げて、上体を地面に近づける。
でも絶対に地面にはつけないよう、ほどほどのところで両の腕に力を込め、再び上半身を起こす。
腕立て伏せというのは単純で、誰だって一回や二回なら簡単にできるものだ。
でも、回数が十回や二十回、三十回と増えていけば、腕と肘はやがて悲鳴をあげるようになっていって。
「も、もうダメだ……」
べちょん、と潰れたカエルのような姿勢になって、土の上に身体を投げだす僕。
回数は三十二回。僕にしては、意外と頑張れたほうなんじゃないだろうか。
もっとも、隣では力也が「百三十五! 百三十六!」と休むことなく続けているわけなのだけれど。
「おお、ようやくへばったか。しっかしお前、やっぱり根性あるぜ。めちゃくちゃ久しぶりにやったってんなら、二十いけるかも怪しいってのによ」
へたり込んだ僕を横目で見て、ニカッと笑いながら力也が褒めてくれる。
同じ男として情けない、とかは思わない。だって、比べる相手が相手なのだから。
もちろん、隆士くんよりも遥かに劣るとなれば、さすがの僕も少しは落ち込んだだろうけど。
無言で苦笑を向ける僕に、力也は額から汗を流しながら、
「ま、全員がへばるまで、理緒は少し休んでな。無理してオーバーワークになっちまったら元も子もねえからな。――さて、と。百……あれ? 百……。……なあ、理緒。オレがいままでに何回やったか、お前、憶えてねえか?」
「百三十回は超えていたと思うけど……。ごめん、正確には憶えてない」
なにせ彼は、僕に話しかけながら腕立て伏せを続行していたのだから。
「……そっか。まあ、しゃあねえな。一、ニ、三っと」
うわあ、また一から数えなおし始めたよ、力也ってば。
これだとたぶん、トータルで百五十回くらいになってるんじゃないかなあ、そろそろ。
「ふっ、ふっ! ふっ……! なっ、バカなっ……。オレが……たったの、十回で……息切れ、しちまってる……だと?」
「十回じゃないから。もう絶対に百五十回を超えてるから」
「……ぐあっ! しまったあっ! また何回やったか忘れちまったあぁぁぁぁぁっ!!」
「……まだまだ元気じゃん、力也」
「え? まだまだ元気? ……おう、当たり前だっ! よしっ、一、二っ、三っ……!」
あ、また一から数えなおし始めたし。
なんだかキリがなさそうだったので、彼からは目を離して梢ちゃんとあすかのほうを見る。……二人とも、すでにダウンしていた。
「梢、あたしは……もう、ダメだ……。梢、だけ……でも、生き、て……」
「大丈夫だよ、あすかちゃん。人間、腕立て伏せを十回したくらいじゃ死なないから」
十回でへばったのか、あすかは……。
「そういう梢は、なんで……五十回も、できるんだ……。梢は、実は……梢じゃない、のか……?」
「う~んと、意味がわかるような、わからないような……。とりあえず、わたしはあすかちゃんがよく知ってる梢と同一人物だからね? あと、マラソンのときに理緒さんにも言ったことだけど、たぶん、大家の仕事をしているうちに、意外と体力がついてたんじゃないかな」
「そう、か……。いや、それにしても、だ……。なんで梢は、息が切れてない、んだ……。あたしなんて、もう、死にそうに……なってるって、いうのに……」
「それなりに休んだからね。あと、あすかちゃんはもうちょっとだけ体力をつけたほうがいいと思うな。演劇をやる、やらないに関わらず」
「ふえぇ……」
梢ちゃんに諭され、あすかはあお向けに寝転がる。……ああもう、そんなことしたら体操着が汚れちゃうって。
……いや、それよりも、だ。
さっき、あすかはなんて口にしていた?
確か、梢ちゃんは五十回やったって言ってなかったか?
僕は三十二回しかできなかったっていうのに……。
「自信、なくすなあ……」
本格的な身体の鍛え方を、力也に教えてもらったほうがいいのだろうか。
そんなことを考えながら、続いて演劇部員たちのほうへと視線を移す。
確か、隆士くんもこの集団に加わっていたはずだ。
「九十九、ひゃ~くっと。……まあ、こんなもんか。ほれ、施羽。どうだ? 俺だってやればできるだろ? 賭けは俺の勝ちだな」
賭け?
もしかして、隆士くんが百回できるか否かで賭けをしていたのか? 隆士くんと深空ちゃんは。
「な、なんの……っ! 忘れちゃ、いないでしょうね……山本。アタシも百回できたら、お互いにジュースを一本ずつ奢ることに、なるのよ……? つまり、チャラって、ことっ……!」
「へいへい。なら、そうなるように無駄口叩いてないで頑張りな。あ、俺はちょっと休んでるから」
「くぅっ……! 八十……七っ、八十っ、は、ちいぃぃっ……」
う~ん、想像はついていたけど、やっぱり美空ちゃんも体力あるんだなあ。
あ、そうだ。美鈴ちゃんと詩織ちゃんは、と。
「ふう、やはり七十前後が限界か。詩織はどうだ? もう終わりか?」
「は、はい……っ。これで、ひゃ、くっ……!」
百!? 二年の美鈴ちゃんは七十前後、三年の深空ちゃんですら八十回後半で辛そうにしてるのに、詩織ちゃんは百回できちゃったの!?
「ふう、ふう……。まあ、こんなところです、かね……。ふう~……」
「あまり無理はするなよ? 詩織は衣装とかを用意するのが仕事なのだし、私だってナレーターがメインなのだから」
「無理、してるつもりは……ないんです、けどね……」
「まあ、私が無理しなさすぎなだけ、か」
「別に、そうは思って、いませんが……。あと、私よりも……部長のほうが無理、してるとは……思いま、せんか……?」
「私に注意しろ、と? それは遠慮願いたいな」
「そうで、すか……。やれやれ、です……」
嘆息し、深空ちゃんのところに向かっていく詩織ちゃん。
それにしても……なんだろう、いまの会話は。
もしかして、深空ちゃんと美鈴ちゃんって、あんまり仲がよくないのだろうか?
「部長~。もう限界なんじゃないですか? 無理のしすぎはよくないですよ。今回は、大人しく山本先輩に負けておきましょう?」
「くっ……。詩織、あんた、まで……山本の、味方っ……?」
「そういうわけじゃ、ないですけど……」
そう言う詩織ちゃんの頬は、なぜか少しだけ赤くなっていた。
「……まあ、いいわ……。今日の、ところは……負けといて、あげる……。詩織に免じて、ね……」
「そりゃ、どーも」
軽く応じる隆士くん。
深空ちゃんはその言葉を聞いて、ばったりと地面に倒れ伏した。
「もう、もし部長が身体を壊しでもしたら、どうするんですか……」
腰に手を当て、詩織ちゃんはため息をついている。
隆士くんも思うところは同じなのか、深空ちゃんと詩織ちゃんを交互に見てから、深く嘆息。
それからは、すぐに腹筋にとりかかるという感じではなくなってしまい、少し休憩を挟むことに。……なるほど、このあたりは確かに、運動部に比べればユルいのかもしれない。
まず、僕たちのところにやってきたのは隆士くんだった。
「よしっ、あとでジュース一本ゲットっと。ところで立川、佐野、お前らは何回だった?」
「僕は三十回とちょっと」
「オレは七十三回だ。ちくしょう、なんでこうなった……」
うん、力也。力也の場合はそれに百回以上、上乗せされるんだからね?
「七十三回か。まあ、驚く数字じゃないな。俺は百回こなしたし」
「……くそぅっ!」
ああ、勝ち誇っている隆士くんが少しだけ哀れに思えるよ……。
「なんだ? 立川。その目は」
「え? ああいや、別になにも」
首を横に振ってごまかしていると、今度は梢ちゃんとあすかがやってきた。
「どうでしたか? 理緒さん」
「ああ、梢ちゃん。……えっと、さ。梢ちゃんは、すごいよね……」
思わず遠い目になってしまう。
「あの、なにがでしょうか……?」
「ううん、なんでもないんだ。なんでも」
そこで、容赦のないあすかの発言。
「それで、お前らは何回できたんだ?」
「……三十と、ちょっと」
「七十三回だよ……」
「な、なんだ? 二人して沈み込んで……」
そりゃ、沈み込みもする。
「だって、梢ちゃんは五十回いったんでしょ?」
「え? ええ、まあ……。でも、力也さんが七十回くらいっていうのは意外でした。てっきり、百回超えてもやってるものかと」
梢ちゃんの言葉に、思わず苦笑してしまう。
「いや、超えてたんだよ」
「そうなんですか?」
「マジで!?」
わずかに首を傾げるだけの梢ちゃんと、驚愕の声をあげる隆士くん。
僕は梢ちゃんに苦笑を向けたまま、
「うん、超えてたんだけど、僕がへばったところで話しかけてきて、何回やったかわからなくなったんだって」
「アホだな」
あすかの容赦のない発言、パート2。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ! そうはっきりと言うんじゃねえぇぇぇぇぇぇっ!!」
「でも、アホなことには変わりないだろ」
「それはそうなんだけどよおっ!」
と、そんな二人を見ていて「ぷっ」と隆士くんが吹きだした。
「仲いいのな、こいつら」
「あ、隆士くんもそう思う?」
「ああ。なんていうの? 猫がじゃれついてる感じ?」
確かに、それは言い得て妙かもしれない。
けれど、あすかには不満があるようで、
「ちょっと待て! 別にあたしは力也と仲よくなんてない!」
「そうなのか? でも、別に悪くもないだろ?」
「む……。確かに悪くはないが、しかし、よくもない……」
「端からは充分、仲よさそうに見えるんだよ。――なあ? 立川」
僕が返すのは、もちろん同意の言葉。
「うん。だって、アパートでもずっとこんな感じだからね」
「そうなのか? 俺も今度、遊びに行ってみたいな」
「歓迎するよ。ねえ? 梢ちゃん」
話を向ければ、梢ちゃんは底意なく笑って、
「はい。一緒に部活をしている仲間ですから」
「そっか。じゃあ今度、近いうちに」
笑顔とともに、隆士くんは僕へと掌を向けてきた。……握手しようってこと、なのかな?
もちろん否やはない。僕も右手を差しだして、ぎゅっと手を握る。
と、そこで力也のきょとんとした声が聞こえてきた。
「……そっか。オレとあすかは仲よかったのか。いつも蹴られてばかりいるから気づかなかったぜ」
「だ~か~ら~……! 仲よくないって言ってるだろおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
げしいっ、と力也の膝に蹴りが入る。
それを見て、隆士くんが手を離しつつ後ずさった。
「お、おい。さすがに、これは……」
「ああ、大丈夫。あれは、あすかなりの照れ隠しだから」
僕がそう補足しても、彼の表情は引きつったまま。
「そ、そうなのか? というか、それはそれで大丈夫なのか? もしかして、佐野ってそういう趣味があるのか?」
特に痛くはなかったのだろう。なにごともなかったかのような表情で、力也が会話に割って入ってくる。
「そういう趣味? なんだそりゃ?」
「いやまあ、その、なんだ……。痛い目に遭わされて喜ぶタイプなのかっていうか……」
「違えよ! オレだって痛いのは大っ嫌いだ! あすかのやってるのはよ、ほれ、あれだ。コミュニケーションってやつだからよ」
ものすご~くアグレッシブなコミュニケーションだけどね。でも、事実だ。少なくとも、当人同士はそう認識している。
「おいおい……。それでいいのかよ、先輩として……」
「関係ねえよ、先輩だの後輩だのなんて。少なくとも、片山荘ではな」
その力也の言葉で、僕は気づく。
ああ、やっぱり彼はまだ、先輩とか後輩とかって関係が嫌いなんだな、と。
受け入れられないそのままでいるんだな、と。
ああ、それにしても、なんだか微妙に気まずい空気になってしまったような。
と、それを壊すようなタイミングで、深空ちゃんからの呼びかけが。
助かった、と安堵に胸を撫でおろした。
「今度は腹筋! 目標は腕立てと同じく百回!」
それから彼女は、
「山本、あんたはこっちに来て詩織と組んで! ほら、立川くんたちもこっち来て!」
と集合をかける。
次に深空ちゃんは詩織ちゃんのほうへと目をやって、ウインクをひとつ。
「そんなわけだから頑張んなさい、詩織!」
「ぶ、部長! もう、そんな変なことにばかり気を回さないでくださいよ!」
大きな声でそう言いながらも、詩織ちゃんは拒否の言葉は口に出さず、言われたとおりに隆士くんの元へ。
それから深空ちゃんは、部員のひとりに腹筋の補助を頼みつつその場を離れていった。……やっぱり、美鈴ちゃんと組むことはしないのか。
それはそれとして、僕たちは誰に促されるでもなく、僕と梢ちゃん、力也とあすかのグループに分かれることに。
さて、問題はどちらが先に補助役をやるか、だけれど。
「おい、あすか。とっとと寝転がれ。オレが先に補助をやる」
そう最初に申し出たのは力也だった。
理由がわからなかったのか、あすかは「なんでだ?」と訊き返す。
「お前のほうが早くダウンしてくれそうだからだ。あのな、オレが先になんてやってみろ。百や二百じゃ止まらねえぞ? なんせオレだからな」
早くダウンしてくれそう、のあたりで彼女はムッとした表情になったけれど、間違ったことは言っていないとわかったのか、あすかは力也の言葉どおり、大人しくあお向けに寝転がった。
その彼女の両足首を掴む力也を見て、梢ちゃんも同じように寝転がる。
「じゃあ、お願いしますね。理緒さん」
「え? あ、うん」
体力は梢ちゃんのほうが上のようなのだから、僕のほうが先にやったほうがいいのでは、と思わなくもないけれど、まあ、彼女なら力也と違って百も二百もできるわけじゃないし、と思いなおした。
「準備はいい? 梢ちゃん」
「はい。いつでもどうぞ」
了承を得て、両の腕を伸ばして梢ちゃんの両足首を固定する。
「いーちっ」
両の掌を頭の後ろで重ね合わせ、お腹に込めた力だけで起き上がってくる梢ちゃん。
曲げた両膝のあたりまで顔を持ってきてから、ゆっくりとあお向けの体勢へと戻っていく。
「にーいっ」
再び近づいてくる、彼女の顔。
それが離れて、グラウンドの砂利の上に倒れ込んでいく。
そして三度、グッと身体を起こし――。
それが、何度繰り返されただろうか。
気づけば梢ちゃんは、回数を口に出して数える余裕もなくなってきたのか、無言で腹筋を続けていた。
その息は乱れていて。
口はあえぐように開閉されていて。
頬は、ちょっとだけだけど紅潮していて。
おかっぱの髪は、汗で額に張りついていて。
なにより、その……本当に比較的ついさっき気づいたことではあるのだけれど、腹筋運動をするたびに彼女の胸元には大きく揺れるものがあって……。
……って、いやいやいやいや!
そこはいけない! 見てちゃいけない!!
そう自分に言い聞かせ、慌てて視線を引き剥がす僕。
ドキドキ、ではなく、ドクンと心臓が脈を打ったのに気づきながら。
しかし、この状態でどこに目をやれというのか。
顔は……ダメ。
少し視線を下げて胸元は……アウト。
なら、さらに目線を落としていって、汗で少し湿ってしまっているブルマに……って、それはもう人としてダメなレベルだろう!
額と背筋に、嫌な感じの汗が滲みでているのを感じる。
心臓のほうもバクンと危機感を訴えていた。
なにに対する危機なのかなんて、そんなのはもちろん決まっていて……。
ああもう、どうしてブルマなんて選んだのさ、梢ちゃん。いや、問題はこの体勢自体にあるんだから、彼女が履いているのがブルマでもスパッツでも、それほど変わりはなかったのかもしれないけど。
――誰に対してであっても、僕は、他人にこんな感情を抱いちゃいけないというのに……。
いつもなら無意識のうちに受け流してしまえるはずの思考が、頭にこびりついて離れない。
背中を流れる冷たい汗だって、一向に止まってくれない。
それに焦りを覚えながら、目線を彼女のあちこちにさ迷わせる。
そうしたあげく、最後に僕は、逃げ場所を求めるように力也たちのほうへと目を向けた。
すると、そこには、
「も、もうダメだ……。本当に、もう……ダメなんだ、力也……」
「なにを言ってやがる、あすか。お前はまだリミッターを解いてすらいねえじゃねえか。なのに、なんでもう弱音なんて吐いてやがるんだ? ああ?」
なんと、鬼と化している力也の姿があった。
正直、信じられない。あすかのギブアップを認めないだけでなく、無理にでも続けさせようとしているなんて。
「いいか、あすか。体力が尽きたなら休みゃいい。そうやって寝転がってりゃ、少しずつではあっても回復するだろう? そうしたら、もう一回起き上がるんだ。それで力を使い果たしたなら、また休みゃいい。また起き上がれるようになるまで、な。……たったの五回でギブアップなんて、他の誰が許そうとも、オレは絶対に認めてやらねえぜ?」
「そ、そんな……。ムリだ、本当にもうムリなんだ……。もう、一回もできないんだ……」
「なら、リミッターを解きゃあいい。あすか、頭の後ろで組んでる両手を外してみろ。そうして、起き上がろうとすると同時、勢いよくオレのほうに手を振るんだ」
「――手、を……? こうか? うっ、くぅっ……!」
頭の後ろで組んでいた両手を解き、ぶんと前へと振るあすか。
すると彼女の上半身は、それに引っ張られて浮き上がり、
「――あっ……! でき、た……!」
喜びの声をあげ、しかし、あすかは再びバッタリとグラウンドに倒れ込んでしまう。
それを見て力也は少しだけ笑みを浮かべて、
「そうだ、その調子だ。さあ、もう一回だ! あすか!」
「もう、一回……?」
「おうよ! それとも、いまのですべての力を使い果たしたとでもいうのか? 違うよな? オレの知ってるあすかはそんなヤワなヤツじゃねえ。……そうだろ!?」
「ぅ、くっ……! そ、それは……っ」
言葉はなんとか口にするものの、起き上がれずにいる彼女に、力也は失望の色が浮かんだ瞳を向けた。
「そうかよ。オレの見込み違いだったってわけだ……。わかったさ、もう、やめるなりなんなり好きにしな。――負け犬さんよ」
「……っ! なめ、るなあぁぁぁっ……!」
ぶんと振り、あすかは再び身体を起こす!
一瞬、本当に刹那の間のことでしかなかったけど、その額が確かに彼女の膝頭に触れた。
「……くっ、はぁ……っ」
「……どうした? それで終わりか? あすかさんよ」
「くっ……、のおぉぉぉぉぉっ……っ!」
力也のさっき言っていたことが正しいのなら、これで……八回!
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
倒れ込むあすかに、力也は大きな声で励ましの言葉を贈る。
「いいぞ! だがお前の本当の力はこんなもんじゃねえ! それは、お前の蹴りを毎日のように食らってるオレが一番よくわかってる! さあ、お前の本気を見せてみろ!!」
「ほんき……? あたしの、ほん、き……。……うあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁああっ!!」
残された力、おそらくはそのすべてを振り絞り、あすかは起きあがる。……これで、九回!
「確かに見せてもらったぜ、あすかの本気をよ! これでもう、思い残すことはねえ! ――本音を言やあ、十回に届かなかったのが惜しくはあるけどよ。それでも、お前はもう充分すぎるほどに頑張っ――」
「ま、まだだ……!」
離されようとしていた力也の両手を、あすかが制した。
その瞳が、確かにこう言っている。
――もう一度だ!
と。
「くっ……、う、うううぅぅっ……!」
「あすか!? バカ、やめろ! 無茶をすんじゃねえ!」
「――バカって、いうなあぁぁぁぁぁ……っ! ……ぅぅぅぅぅぅうううううっ!!」
死力を尽くして、あすかはその上体を持ち上げた。
膝小僧に頭を叩きつけようとするかのように。
おそらくは、力也の期待に応えようと。
どれくらい、膝頭に額をつけたままでいただろうか。
やがて、彼女の身体から力が抜ける。
グラウンドの砂利に、倒れ込む。
もう、とうに限界だったのだろう。
彼女はただただ薄い胸を上下させ、寝そべったまま全身を弛緩させていた。
その姿を見て、力也が満面の笑みを浮かべる。
「すげえじゃねえか、あすか! 見直したぜ!! ……どうだ? いまの気持ちは。清々しいだろ?」
「――疲れた……」
「へっ、可愛げのないヤツだぜ。でもまあ、それがお前らしくもあ――」
「でも、悪くないな、こういうのも……。――あたしは、やりきった、んだよな……?」
たったの十回、だけどね。
でも力也は、回数になんてこだわらないのか、きょとんとした表情を浮かべてから、
「おう! お前はやりきったんだ! 限界を、超えたんだ!!」
「限界を……。ははっ……」
力なく、けれど愉快そうに彼女は笑う。
とてもとても、満足げに。
それを見て、力也も笑う。
同じように、満足そうに。
そこには確かに、二人の間にしかない『絆』が感じられた。
「――あすかちゃん、嬉しそうですね」
声がしたほうに視線を向けると、まだ少し息が整っていない梢ちゃんと目が合う。
彼女は、微笑んでいた。
満足げに笑うあすかの姿を見て、微笑んでいた。
気づけば、僕の頬も緩んでいる。
きっと、力也はあすかに知ってほしかったんだろう。
最後まで諦めずに、死力を振り絞ることで得られるものも、あるんだってことを。
それは、たとえば喜びだったり、あるいは清々しさだったり、人によって違うんだろうけど――。
力也が笑う。
あすかが笑う。
笑顔が、さらなる笑顔を呼び寄せてくれる。
ああ。これは、彼の『力』だ。
彼の――佐野力也という人間の、魅力だ。
きっと、おそらくは。
僕たち全員が、知らず知らずのうちに助けられているのだろう。
その笑顔に。
その行動に。
そして、その優しさに。
もちろん、彼だけに助けられているわけじゃない。
梢ちゃんにも。
あすかにも。
美花ちゃんにも。
フィアリスにも。
僕は、助けてもらっている。
あと、あまり認めたくはないけど、たぶん、黒江さんにも。
それが『片山荘の性質』とかいうものによるものなのかは、わからない。
そもそも僕には、理解しようとか、調べようとかいう気すらない。
それでも、あそこは『止まり木』らしいから。
いつか、ひとりで生きていけるようになるための、『止まり木』らしいから。
だから、こんなにも居心地がよくて、居心地をよくしてくれる人たちが住んでいるのかな。
そんなことを考えながら、どうでもいいことを僕は尋ねた。
「ところで、梢ちゃんは何回できた?」
「わたしですか? わたしは五十七回でした。あすかちゃんみたいに休みを入れたり、手を頭の後ろに回さずにやれば、もうちょっとはいけるんでしょうけど……」
「まあ、あれは邪道な感じがするもんね。――じゃあ、次は僕の補助をお願いしていいかな? ほら、力也はもう始めちゃってるし」
「いまのあすかちゃんに、ちゃんと抑えられるのかだけが心配でしたけど、どうやら問題はないみたいですね。……わかりました。では、お手伝いさせていただきますね」
そうして、今度は僕があお向けに寝転がる。
正直、これはこれであまりよろしくない体勢だとも思ったけれど、まあ、さっきに比べればマシなほう……なのかな?
というか、どうして力也は気にせずにいられるんだろう。あすかだって、一応は女の子だというのに。……あ、ぺったんこだからか?
それとも、彼の頭の中には煩悩というものがなかったりするのだろうか。……うん、力也にだったらありえることだ。
――余談になるけれど、僕は結局、ふんばりにふんばって三十七回と、腕立て伏せのときと大差ない回数に落ちついてしまった。
今日だけで何度思ったかわからないけれど、身体、本格的に鍛えたほうがいいのかなあ、僕……。
ストック無くなったあぁぁぁぁぁぁっ(汗)。
はい、そんなわけで今後、定期的に更新できるか怪しいです。
ともあれ、今回は前回に引き続きブルマ回……じゃなかった、部活回。
スポコン風味ではありますが、ちょっとだけ力也とあすかの距離も縮まったかな。
まあ、ブルマ成分も多くなっておりますが(笑)。
あと、力也はもう人間じゃない。体力的に。
そうそう、今回は梢と組んだ理緒の様子が、ちょっとだけおかしかったですね。
これ、実はけっこう重要な伏線だったり?
では、今後は不定期になりますが、更新を楽しみにしていただければと思います。