第二十三話 頭文字はR
「おい、どうしちまったんだ? 理緒。急に黙り込んじまって」
力也の声で、自分がしばし沈黙していたことに気づく。
「……え? あ、ううん。ただ、漆黒の剣に触れたファルカスは、その剣の中にいた魔族に身体を乗っ取られて、サーラたちに刃を向けてしまうんだったなあって思い当たって」
「……そうなのか?」
「うん。漆黒の剣の中には『ヴーン』っていう中級魔族が封じられててね、ファルカスの身体を乗っ取って、サーラたちに攻撃を加えるんだよ。もちろん、ファルカスも精神レベルでは抵抗するから、結果として動きは鈍くなって、サーラに気絶させられちゃうんだけど」
「またしてもヒロインに負けるのかよ。なんか、『しっかりしろよ主人公!』って感じだな」
あまりに的外れな力也の言葉に、「いやいや」と僕は手を振ってしまう。
「ファルカスが勝っちゃうほうが問題でしょ、この場合」
「そりゃ、そうだけどよ……」
「ちなみに、依頼されていた薬草――リバティニアは漆黒の剣の周囲にぐるっと生えていてね。サーラたちは、それを集めて町に帰ることにするんだ」
「リバティニア? なんか、どっかで聞いたような、聞いてないような……?」
「ああ、『スペリオル』で幼い頃のセレナに使われた薬草のことだよ。身体の一時的な分解と再構築。それに伴う記憶喪失。それがリバティニアの効果だから。
もちろん今回は、リバティニアの絞り汁の濃度を薄めて、記憶の喪失が起こらないようにするわけだけど。瀕死の状態じゃなければ、それでも充分効くからね」
「わかったような、わからねえような……」
「まあ、これも蛇足だから。躍起になって憶えておく必要はないよ」
「おっしゃあ! じゃあさっそく忘れるぜ!」
「いやそんな、無理に忘れなくても――」
「うっし、忘れたぜ!」
早っ! 早すぎるよ、力也!!
「……話を戻すね。薬草を集め終わり、ファルカスが目覚めるのと同時、サーラが突然倒れてしまうんだ」
「へ? なんでだ? 戦いの疲れでも出たのか?」
「ううん。カノン・シティでは病が流行っていたよね? で、サーラはその治療にも足を運んでいた。つまり――」
「あー、感染っちまったってわけか。……あれだな、医者の不用心ってやつだな」
「微妙にかすってるような気もするから反応に困るよ……。正しくは、不養生だからね?」
「『ちゃんと気をつけてねえ』ってところは同じじゃねえか」
「うん、だからどう反応したものか、一瞬迷ったわけでさ……。ともあれ、サーラは流行り病にかかっちゃってた。おまけにそんな状態で洞窟を進んで、無理を押してファルカスと戦いまでした。これで症状が悪化しないわけがない。
ファルカスたちは剣と薬草を手に、サーラを連れて町に戻った。そして魔道学会支部でサーラの容態を診てもらうことにするんだけど……」
「もう手遅れ、か?」
「ううん、治りはするよ? リバティニアの効果をフルに使えば」
「ええと、そうすると確か……記憶喪失になっちまうんだったっけか?」
「そう。このまま命を落とすか、それとも記憶を失って一命を取り留めるか、選択の余地なんてない二択がファルカスとサーラに突きつけられた」
「ありゃ? サーラには意識があるのか?」
「一応ね。当のサーラはベッドから起きあがることもできないんだけど。
――悩むことすら無駄だった。それでもファルカスは悩んだ。記憶を残しつつ一命を取り留める方法はないものかと考えに考えた。そしてそこに、ニーナがひとつの提案をする」
「美味しいところを持っていくじゃねえか、おい。で、どんな提案なんだ?」
「聖蒼の剣にも同じことが言えるんだけど、漆黒の剣はね、本来、人間の精神に干渉するためのものなんだよ。肉体を斬るんじゃなくて、精神を斬るための剣なんだ。
だからリバティニアを使うと同時、手術みたいな感覚で、サーラの精神に入り込むための隙間を剣で作って、彼女の精神の奥底に入り込み、リバティニアの『記憶を封じようとする効果』をサーラの精神に近づけさせないようにすればいい、とニーナは言ったんだ。
記憶を封じるっていうのは、精神に干渉しないとできないこと。だからそれを防ぐことができれば、肉体のみが治るはず、とね」
「……ええと? 要するに、手はあったってことでいいんだな?」
「あー……、うん。もう、それだけわかってくれてれば、それでいいよ……。でも、言うほど簡単なことじゃなかった。成功させるためには、まず『精神の入り口を開く』っていう作業が必要になるんだから。精神をバッサリ斬っちゃったらアウトなんだよ。……まあ、結論から先に言えば、成功したわけなんだけど」
「じゃなきゃ『スペリオル』に繋がらなくなっちまうもんな」
「そうなんだよね。でもさ、『記憶を失くしたまま旅を続けて、ミーティアたちと出会う直前にようやく記憶が戻る』みたいな展開も予想されてたんだよ?」
「あ、なるほど。そういうのもアリなのか」
「なんにせよ、ファルカスによる手術は成功。サーラの精神世界に入ることで、ファルカスは彼女という人間をより深く理解できるようにもなった。そして一息ついたところで、カノン・シティにモンスターが群れを成して攻め込んできたんだ。そう、まるで『ロスト・スペリオル』の『モンスターの凶暴化現象』のときのように」
「まさか、ルイの野郎がやりやがったのか!?」
「ううん。この頃のルイは、まだモンスターを自在に操る『力』を手に入れてないから。モンスターを操っているのはね、いつの間にか漆黒の剣から出ていた中級魔族、ヴーンだよ。まあ、この魔族が剣から出てくれたおかげで、ファルカスは剣に身体を乗っ取られずに済むようになったんだけど」
「いいこともあれば、悪いこともあるってことか……」
腕を組んで神妙な顔をする力也に、僕は苦笑して返す。
「そういうことだね。――ファルカスは、回復したばかりで目覚めていないサーラを置いて、モンスターの撃退に打ってでる。それにマルツとソフィアも同行するんだ。もちろん、ファルカスは反対するんだけどね」
「でも、猫の手も借りたい状況だよな?」
「力也、猫の手じゃなくて……って、ごめん、合ってた。
で、まさにそのとおり。カノン・シティの魔道学会支部に所属している魔道士たちが、モンスターの退治に乗り出してはいるけど、全然人手は足りてなかった。魔道士見習いとでも呼ぶべきマルツやソフィアであっても、充分役に立つ状態ではあったんだ。
そしてこの戦いを通じて、ファルカスはマルツたちを認め、マルツたちもファルカスを慕うようになる。――モンスターが相手である限り、優勢なのはファルカスたち。ほら、モンスターってやっぱり知能が低いから。でも、ついに姿を現したヴーンが戦況を覆した」
「中級でも、やっぱり魔族はモンスターとは別格ってわけか」
「そういうこと。ニーナは気まぐれだから当てにならないし、そもそもこの頃のファルカスは、彼女が界王の端末だと知らない。マルツたちに援護を頼み、ファルカスが接近戦を挑むしかなかった。彼自身も、すでに疲労困憊の極みにあるっていうのにね」
「つーことは、洞窟に行った日の夜のことだったりするのか? このモンスターの襲撃って」
「もちろん。……って、そう言わなかったっけ?」
「言ってねえよ!」
声を荒げる力也。
僕はそれに、右手を縦にして顔の前に持っていき、
「それはごめん。ともあれ、当然ながらファルカスたちは苦戦する。けれど、そこにサーラが駆けつけてきてくれるんだ。しかもリバティニアのおかげで、体力と気力が共に全回復している状態で、ね」
「サーラ、最強すぎるな……」
「あー、それはネットのほうでもよく言われてる……。で、形勢逆転。ファルカスたちはヴーンを倒し、町に平和を取り戻す」
「そして、またファルカスたちは旅立つ、か」
「うん。でも二人旅ってわけじゃないんだ」
「んあ? ……ああ、ニーナがいたっけか。忘れてたぜ」
「ううん、そうじゃなくて。同行するのはマルツとソフィア。マルツはサーラの弟子だし、ソフィアはマルツに片想いしてるからね。あと、ニーナは『ザ・スペリオル』では滅多に出てこない」
「そうなのか……? しっかし、十三で師匠と旅かよ。全然、自分に置き換えられねえぜ……。でも、そっか。じゃあここからは四人旅になるんだな」
「だね。……といっても、その旅の様子はあまり描かれないんだけど」
「どういうこった?」
軽い調子の問いに、僕はまた天井に目をやって、
「う~んとね……。第三巻の内容って、サーラの過去話なんだよ。ファルカスと出会う前の、ヴァルフとカレンっていう二人の弟子と一緒にラクト・タウンで暮らしていた頃の物語。それを、第二巻のエピソードから二年ほどが経ったある日に、宿で食事をしながらマルツたちに話して聞かせるっていうエピソードになってるんだ。
物語は、ヴァルフっていう十七歳の少年の視点で語られていってね。二歳年下のサーラのところに弟子入りするところから始まるんだ」
「年下の、それも女に弟子入りかよ。なんか、男としてはすごく屈辱じゃね? それって」
「そのサーラは、のちに『聖戦士』になるんだけどね。それに裏世界に対する復讐心も心の奥底にはあるわけだし。なにより、ヴァルフはそんなこと気にしてないからさ。
で、ある日、ヴァルフは魔術を使えなくなってしまうんだ。これは前代未聞の事態でね。治療法をサーラや妹弟子であるカレンと一緒に探すも、それは一向に見つからない。そして数日後、ヴァルフはサーラたちとフロート・シティにある大図書館へと行くことになった」
「治す方法を探して、か?」
「そう、治す方法を探して。でも、そもそも原因がわからないんだ。治療法なんて見つかるはずもない。そして、翌日にはフロート・シティを発つという日の夜、裏組織の調査目的で宿を出たサーラが、貧民街の人間にさらわれるという事件が起こった」
「身代金目的の誘拐ってやつか?」
「だね。ヴァルフとカレンは届けられたメモを見て貧民街に乗り込み、特にヴァルフは魔術を使えないながらも奮闘する。けど、二人ともしょせんは見習い。多勢に無勢ということもあって、やがては追い詰められてしまう。でもそこに、助けに入った人物がいた」
「おっ、どっかで聞いた話だな! あれだろ! リースリットとかだろ!!」
「ううん。助けに入ったのは、さらわれたはずのサーラ当人だった」
「どうしてそうなった!?」
器用なことに、座ったままの姿勢でずっこける力也。
「サーラは強いからね。さらわれたのは本当だったんだけど、あっさり返り討ちにしちゃったんだよ。おまけに、これを利用することを思いつき、実行にまで移しちゃった。ヴァルフが必死になれば、また魔術が使えるようになるんじゃないかって、ね」
「でも、ダメだった、と?」
「うん、ダメだった。そもそも、ヴァルフは魔術を使おうともしなかった。体術だけでなんとかしようと考えちゃってたんだ。使おうという意思すらないんじゃ、使えるようになるはずもない。これにはサーラも、途方に暮れるしかなかった」
「そもそも、なんで使えなくなっちまったんだよ? 最後には、また使えるようになるんだろ?」
「うん。最後にはちゃんと魔力が戻るよ。でも『スペリオルシリーズ』では、はっきりとした原因が提示されてないんだよね。
メルト・タウンの男子は十八歳になったら独り立ちしなきゃいけないから、その焦りのせいだろうとか、魔術を『技術』とみなして、心を込めて詠唱していなかったからだろうとか、一応、この巻の最後のほうでサーラが分析してはいるんだけど」
と、正面に座るフィアリスが肩をすくめた。
「どちらも正解じゃ。魔術は精神的なものが大部分を占める。焦っておれば発動せぬこともあるじゃろうし、心がこもってなければ『言霊』と成りえぬこともあろうよ。もっとも、そこまでことごとく発動せぬのは稀有な事例ではあるがの」
「そうなんだ。というかさ、なんでフィアリスはそこまで断定できるの? いまさらだけどさ」
「本当にいまさらじゃな。もはや、そんなことはどうでもよかろう。ほれ、先へ進め」
「はいはい……。ええと、メルト・タウンに戻ってから数日後、サーラに頼まれたお使いを終えてから家路についたヴァルフは、運悪く町の中に入り込んできていたモンスターに襲われている子供を見かけるんだ。
一応、護身用に剣は持っているし、体術もそこそこいける彼だけど、仮にも相手はモンスター。魔術が使えない状態じゃ、互角にすら戦えない。それを理解できていたからこそ、彼の足はすくんで、動けなくなってしまうんだ」
「……まあ、責められはしねえな」
「でも、だからって見捨てて逃げることもできなかった。それに、子供が自分に助けを求めてもきた。結果、モンスターの注意は彼に向いてしまうことになる。
必死になって戦うも、さっきも言ったとおり、互角の状態にすら持ち込めない。魔術がなきゃ、勝機はないんだ。
ヴァルフは思った。自分が殺されたら、次に犠牲になるのはあの子供だ。だから自分が倒さなきゃいけないんだ。そのためには魔術が必要なんだ、と。
そして、その『助けたい』という願いが天に通じたのか、ついに魔術が発動する。……サーラの読みは、当たってたんだと思う。必要に迫られれば、きっとサーラを助けようとしたときも魔術を使えたんだ。そうなる直前に、サーラは助けに入っちゃったんだ。本当はあのとき、魔術が使えないと勝てないっていう状況になるまで、彼女は助けに入るべきじゃなかったんだ……」
「まあ、それはサーラには酷ってもんだろうよ……」
「だね。まあ、だから上手くいかなかった、というのも事実なんだけど」
そう言って、力也と苦笑を交わしあう。
「どちらにせよ、ヴァルフは魔力を取り戻してモンスターを倒し、子供を救った。そしてそこにサーラとカレンが駆けつけてきた。サーラはそのモンスターのお墓を作るんだよね。そして、言うんだ。『モンスターも『生命あるもの』だから』って……。
そしてまた数日が経ち、ヴァルフの十八歳の誕生日がやってきた。独り立ちのときだね。彼はフリーの魔道士になることを選んだ。大陸のあちこちを旅するんだって、ね」
「なるほどな……。つーか、フリーの魔道士ってやっていけるのかよ?」
「腕が確かなら、割とどの町でも雇ってもらえる世界だからね。ほら、モンスター退治とか。
ともあれ、ヴァルフの物語はこれでおしまい。マルツにこの話を聞かせ終えたサーラは、次に向かうフロート・シティで独り立ちするようマルツに言う。彼がサーラの弟子になってから、もうすぐ二年。頃合いだと思って、サーラはヴァルフのことを話して聞かせたってわけだね」
「で、その次の話に続くってわけか。……って、本当に二年間を丸々すっ飛ばしやがったな、おい!」
「一応、その『二年間』の話もないわけじゃないんだよ。でも、ほとんど番外編扱いだから。そもそも、『ザ・スペリオル』自体が『スペリオル』の番外編みたいなものだしね。
それで、その次の話――第四巻だけど。いまも言ったとおり、舞台はフロート・シティ。マルツが事件に関わる最後の話になるね」
「よくよく舞台になるな、フロート・シティ」
「なんといっても、一番大きな国の首都だからね。そして事件は、伝説の魔道武器である火将軍の剣が街に持ち込まれたことによって起こる。
この剣を持ち込んだのは、裏組織『漆黒の爪』の人間でね、おまけにその人物がサーラの両親の仇でもあったんだ。それを知ったサーラはファルカスたちの前から姿を消し、暴走する」
「両親の仇を討つために、か? 当然ファルカスたちはサーラを捜して、やめさせようとするんだよな?」
作り話だというのに心配そうな表情をする力也。
そんな彼に苦笑しながらうなずき、先を続ける。
「もちろん。けど、復讐の鬼と化したサーラを止めるのは容易なことじゃない。邪魔をするファルカスたちを殺すようなことこそしないだろうけど、姿を消す直前の彼女の言動からして、重症を負わせて動けなくさせる、くらいのことはやりかねなかった。戦闘となれば、有利なのはサーラのほう。
彼女は魔法医だからね、致命傷にならない程度の怪我のさせ方も理解していたし、事実、実践するだけの腕もあった。人間の身体を治す技術があるってことは、その身体構造をよく把握できているっていうこと。当然、致命傷になる箇所とならない箇所もわかっているってわけ」
「一番強くて怖えのは、戦士じゃなくて僧侶だったってわけか……」
「人間を治す者は、人体を効率よく破壊することもできるからね。戦士の場合は、壊すだけで治療ができないわけだけど。……治すっていうのは、壊すよりもずっと難しいことだから」
「確かにな。怪我が治るまでには時間がかかるもんだが、壊すのは一瞬だ」
「そうだね。そして、ファルカスたちはサーラを見つけることに成功するんだけど、それはサーラが『漆黒の爪』の人間をその手にかけようとしていた瞬間でもあったんだ」
力也は「ひゅう」と口笛を鳴らし、
「間一髪だったってわけか」
「うん、本当にギリギリセーフ。でもサーラの仇は、急所を外して散々痛めつけられていたから、放っておけば失血死しかねない状態だった。一息に殺しては気が済まないからと、サーラが時間をかけていたぶっていたからこそ、なんとかファルカスたちは間に合ったんだ」
「思うんだが、そんなんがヒロインでいいのかよ……?」
「そ、それは言わない約束だよ、力也。――命乞いをする仇に、サーラは言う。わたしに許しを乞おうというなら、いますぐわたしの両親を生き返らせろ、と。……もちろん、そんなことできるはずもない。許す気なんて、彼女には最初から微塵もなかったんだ」
「女って、怖え……」
「この巻のサーラは、意識的に怖く描かれてるんだと思うよ? のちに『地上の女神』とまで呼ばれるようになる、普段のサーラとのギャップも激しいし。
ともあれ、彼女を止めるためにファルカスたちは、サーラの両親の仇を護ることになる。ファルカスたちからしてみれば、とても不本意なことなんだけどね」
「そりゃ、不本意だろうな。この状態のサーラはおっかねえが、元はといえば、仇とやらがサーラの両親を殺さなきゃよかったんだから」
「でも、それを言ったところで始まらない。そして仇を討たない限り、サーラは止まりそうもない。それでも止めたいのなら、力ずくで止めるしかない」
「だがよ、ファルカスたちはどう考えても不利だろ? 三対一ではあるし、サーラの両親の仇だって野郎は伝説の剣を持ってるって話だったが、そもそもサーラを倒すのが目的ってわけじゃねえんだから、剣があっても仕方ねえし」
「そうだね。対してサーラは、致命傷を与えずにファルカスたちの動きを止めることができる。さっき言ったようにね」
「……どうしようもないんじゃねえか?」
「ファルカスたちが命の危機に立たされているわけじゃないけど、確かに状況は絶望的だね。正直さ、こういう勝利条件って、本当に厳しいんだよ。誰かを倒せばそれで終わりってわけじゃないから」
僕の言葉に、彼は腕組みをして考え込む。
「そもそも、どうすればファルカスたちの勝利ってことになるんだ? サーラを止めるったって、ただ気絶させりゃいいってもんでもなし」
「だね。サーラの中にある復讐の意志を、どうにかして消すなり薄れさせるなりしないと、ファルカスたちの勝利とはいえない。だからサーラを止めるには、戦いながら対話し、彼女の心にある『闇』をどうにかするしかないんだ。
ファルカスは二年前――第二巻の事件のときに、サーラの精神世界に入ったことがある。そこで、サーラの抱いている復讐心を知っていたんだ。それに第一巻のとき、ファルカスはサーラにクラフェルを殺すのを止められてもいる。クラフェルを殺すことで、ファルカスの心が傷つくのは嫌だ、と言われて。
その二つを起点に、ファルカスはサーラを説得しにかかった」
「戦いながら、か?」
「そう、戦いながら。――ファルカスは言った。
いい加減、正気に戻れ! お前の両親の仇が死ぬのはかまわない。……でも、嫌なんだ! オレは、嫌なんだ! お前が人を殺すところを見るなんて、オレは……絶対に、嫌なんだっ……!!」
「なあ理緒、お前、けっこう演劇の才能あるんじゃねえのか?」
「ねえ力也、茶化さないでくれるかな? なんか、ものすごく恥ずかしくなってきたんだけど……!?」
ついつい力也を睨んでしまう。
彼は僕を鎮めるように、両手を前に突き出して、
「わ、悪りい悪りい。謝るから、そんな睨むな。……で、それでサーラは正気に戻ったのか?」
「ああ、うん、なんとかね。――その後、サーラの両親の仇は魔道学会に引き渡されることになった。火将軍の剣を用いて街を混乱に陥れた、という罪でね。
火将軍の剣は、そのまま魔道学会本部で保管されることになって、ファルカスは少しばかり不満そうだったけど、サーラが無事に自分のところに戻ってきてくれたこともあって、文句を言うことはなかった。――そして訪れる、マルツたちとの別れの日」
「マルツたち? マルツとの、じゃなくてか?」
「力也、ソフィアのこと忘れてるでしょ? まあ、影が薄いのは事実だけどさ。……マルツはフロート・シティの魔道学会に残り、引き続き修行を積むことにするんだ。一方ソフィアは、意外なことに故郷であるカノン・シティに戻ることを選択する」
「また、なんで?」
「ソフィア本人は『故郷で花嫁修業に専念する』とか言ってるね。魔道士としての力量はマルツよりも遥かに劣る彼女だから、ベストな判断なんだろうけど。
そしてファルカスとサーラは、突然姿を現したニーナから『妖かしの森』に関する情報を得て、フロート・シティをあとにする。次なる目的地は、『神の聖地』のひとつである『妖かしの森』」
そこまで口にしたところで、フィアリスが口を挟んできた。
「『妖かしの森』? スペリオル・シティではなくて、か?」
「え? うん、そうだけど……。というか、なんでこの流れでスペリオル・シティに行くことになるのさ?」
「それはむろん、彼の地で復活し、スペリオル聖王国を滅ぼした『漆黒の王の一部』を、皇帝騎士団と共に倒しに向かったからじゃが。……もっとも、皇帝騎士団ともども、返り討ちにあったがの。
そうか、その本には載っておらぬのか。とすると、それに記されておるのは『六回目』以降の世界での出来事、ということになるのじゃな……」
あー、うん……。
一体、どういうふうに返せばいいのやら。
……一応、フィアリスは納得してるっぽいし、もう、力也を相手に話を先に進めちゃおうかな。
「とりあえず、『ザ・スペリオル』の本編は、これで終了だね。このあと、ファルカスとサーラは『スペリオル』の第二巻でミーティアたちと出会うことになるわけだけど」
「ああ、なるほど。そうやって物語が繋がっていくわけなのか。……ん? 『本編はこれで終了』ってのはどういう意味だ?」
「『ザ・スペリオル』には、短編集として刊行された第五巻があってね。第二巻と第三巻の間にある『空白の二年間』のエピソードが、五つ載ってるんだよ」
「五つ?」
「うん。旅の途中、とある町で、サーラに一目惚れした青年に、ファルカスがやきもきするエピソードがひとつ。
道中でマルツが、ファルカスにちょっとした悪ふざけをして、怒られることになるエピソードがひとつ。
とある町で、ファルカスとサーラの仲が冷やかされるエピソードがひとつ。
同じ町で、マルツとソフィアの仲が冷やかされるエピソードがひとつ。
そして最後に、雨のせいで宿屋に足止めを食らったファルカスたちが、そこで起こった『魔法の品紛失事件』に巻き込まれて、サーラが安楽椅子探偵ばりの活躍をするエピソードがひとつの、合計五つ。
あ、最後の話に出てくる宿屋が、第三巻の冒頭で食事をしている宿だからね?」
「つまり話の順番としては、第一巻の次が第二巻で、その次が第五巻、その直後が第三巻で、最後のエピソードが第四巻ってことになるわけか?」
「そういうこと。……さて、これで全部話したかな。満足した? フィアリス」
長かった話を終え、僕は彼女にそう振った。
さすがの僕も、今回ばかりはなかなかに疲れたなあ……。
でも、ここまで徹底的につきあったんだから、フィアリスも満足してくれていることだろう。
そう思っていたのだけれど、しかし銀色の髪の少女は、怪訝そうな表情を僕のほうへと向けてきた。
「なに? これですべてなのか? 『聖蒼王の紋章』に関する事件――『スペリオル』の時代から数えて、約三百年後に起こった出来事には言及されておらんのか?」
「『聖蒼王の紋章』……?」
聞き覚えのない単語に、僕は目を瞬かせてしまう。
だって、時系列的には、蒼き惑星歴1908年から開始される『ロスト・スペリオル』が一番最新のものであるはず……って、もしかして。
「フィアリスが言ってるのって、ひょっとして『スペリオル紋章編』のこと? 来年の春に発売予定の、『スペリオルシリーズ』の完結編って銘打たれてる、あれのこと?」
「……ふむ、まだ発売されておらんだけじゃったか。まあ、あの一件には『世界破壊者』や『均衡者』、『救世主』などが絡んでおるからな。慎重になるのもわかる」
「いや、言ってることはよくわからないけど、たぶん、そういった理由じゃないと思うよ? 『スペリオルシリーズ』の作者ってさ、遅筆なことで有名だから、そのあたりの事情で出版の間隔が空いてるだけなんじゃないかな……?」
実際、この作者は次の巻の刊行までに、平気で一年以上の間を空けてくるし。その代わり、あとがきでは毎回平謝りしているけれど。
「なんにせよ、そういうことなら仕方あるまい。それと理緒、最後にひとつ尋ねるぞ? その本の著者の名は、なんという?」
「あー……。えっと、ね……」
著者の名前、かあ。
答えられないわけじゃないんだけど、これがまた変なペンネームなんだよなあ……。
「このシリーズの作者の名前はね、『R』っていうんだ」
「――R、じゃと……?」
「そう。アルファベット一字で、『R』。読みもそのまま、『アール』。……変わったペンネームだよね、本当」
肩をすくめて苦笑した僕に、しかしフィアリスは、急に深刻そうな表情を浮かべてうつむいた。
「――Ruler……」
「え? なに? フィアリス」
ぽつりと漏らされたつぶやき。
あまりにも小さく、唐突なものだったから、僕はそれを聞き逃してしまっていた。
けれどフィアリスは、僕の問いに答えることなく立ちあがり、
「――おのれ……! おのれ! そういうことか『支配者』め……!!」
「は? え? なに? 一体どうしたってのさ、フィアリス!?」
「お、おい! 落ちつけよ、フィアリス!」
地団駄でも踏みそうな様子の彼女を、僕と力也が二人がかりでなだめにかかる。
しかしフィアリスは、ぎりりと歯を鳴らして意味不明なことをわめき続けた。
「ここしばらく姿を見せんと思っておったら、よもや、このようなことをしていようとは……! なにをするつもりでおる!? このような書を世に出して、今度はなにを……!」
表情を険しいものに歪め、天井を睨み据える彼女。
その横顔から感じられるプレッシャーに、僕たちはもう言葉も発せない。
「あるいはこの度のこと、わしらに対する宣戦布告か!? お主の傀儡が、すでに『学園』に潜り込んでおるとでもいうのか!?
であれば……! であれば、わしらとて大人しくはしておらぬぞ! お主の送り込んだ手先、必ずや排除してくれよう!!」
そこまで大声でまくしたて、ようやく落ちついたのだろうか。
声音をいつもの静かなものに戻し、フィアリスは座布団の上に再度腰を下ろした。
それから、その赤い瞳で僕の手にある小説を指し、
「――理緒。お主たちが演じるという劇の台本は、その『スペリオルシリーズ』から影響を受けたものじゃと言うておったな」
「え? うん……」
「そして、その台本を作成したのは、あの施羽深空。であれば、その施羽深空は、『施羽深空』という『仮面』をつけさせられた、あるいは『施羽深空』を模倣して創られた『支配者』の手先である、という可能性は充分にあり得るな。……元より、あの施羽深空は『偽者』じゃし」
……偽者?
彼女の口にしていることがなにひとつわからず、僕と力也は顔を見合わせる。
そこに、思いもかけないフィアリスの宣言が飛んできた。
「理緒、それと力也。明日はわしも演劇部とやらに顔を出させてもらうぞ。『支配者』との顔合わせは、そのあとじゃ」
「それは……いいけどさ。でも、ひとつだけ訊いてもいいかな?」
「かまわぬぞ。なんじゃ?」
「さっきからフィアリスの言ってる『支配者』って、なんなの?」
「――敵じゃ」
きっぱりと。
厳しい口調で。
鋭く細められた瞳で。
彼女は短く、そう断じた。
「わしらの、『生命あるもの』すべての……共通の、敵じゃ」
「そ、そうなんだ……」
それ以外の言葉なんて、紡げなかった。
それほどの気迫が、いまのフィアリスにはあったのだ。
静かに立ちあがり、彼女は僕たちに背を向ける。
「理緒。時間を割いてくれたこと、ありがたく思う。このことをお主から聞かねば、わしらは『学園』の内側にあるかもしれぬ脅威に、気づくことすらできなかったじゃろう。『学園』に終わりがくる、そのときまでな……。
明日はよろしく頼むぞ。あるいは、お主にとって面白くないことになるやもしれぬが……こうなった以上、わしらは『施羽深空』を放置しておけぬ。『支配者』の手先を『学園』に入り込ませておくなど、体内で毒虫を飼っておるも同じこと。……排除せぬわけには、いかぬのじゃ」
そう残し。
フィアリスは、僕の部屋から立ち去った。
「……なあ、理緒。要するに、どういうことなんだ?」
途方に暮れたような表情で、力也が僕に尋ねてくる。
けれど、僕にだって答えられるはずはなく。
「僕に訊かないでよ……。とりあえず、明日の練習にはフィアリスも来るってことだけは、確かみたいだけど……」
「そっか。まあ、それだけわかってりゃ、オレには充分だ」
気楽そうでいいなあ、力也は。
でもまあ、彼の言うことにも一理あるか。
フィアリスの抱えている事情は、僕には全然わからない。
それでも、彼女のためにできることはあるみたいなのだ。
だったら事情なんてわからなくても、僕は僕にできることをすればいいんじゃないだろうか。
フィアリスが悪い娘じゃないってことだけは、僕にだってよくわかっているのだし。
そう結論し。
自分の部屋に戻るという力也を見送って。
僕は着替えを用意し、お風呂へと向かうことにするのだった。
胸にわずかばかりの不安を抱いた、そのままで――。
ここでちょっと質問です。
物語における真の黒幕って、一体誰だと思いますか?
事件を起こした者?
事件を起こさざるをえないように追い込んだ者?
それとも、事件を起こしてほしいと願った者……?
そんなことを考えていたら、キャラクターにとっての一番の黒幕にして天敵って、実は作者なんじゃないかって思うことがあったり。
そんなわけで、『スペリオルシリーズ』全体のラスボスである『支配者』、名前のみではありますが登場です。
そして、これにて『会話メインの回』は終了。
ここまでつきあってくださって、本当にありがとうございました。
次回は学園でのパートとなります。
もっとも、まだ『フィアリス編』ではありますので、楽しく賑やかに、とはいきませんが(苦笑)。




