第十七話 グノーシス(後編)
力也のいなくなった僕の部屋で。
僕は目の前に座るフィアリスに確認をとっていた。
「確か、ミーティアたちとリースリットたちが別行動をとることになったあたりから、だったよね?」
返ってくるのは、肯定のうなずき。
「じゃな。まあ、代わりに皇帝騎士団が同行することになるわけじゃから、戦力的にはなにひとつ問題などない――」
「え? ちょっと待って。確かに皇帝騎士団の名前はリースリットの口から出てくるけど、騎士団のメンバー自体は誰ひとり出てこないよ?」
「なに? また、わしの記憶と食い違いが生じておるな……。『奇跡の丘』の一件ではファルカスが仮死状態で済んでおるのじゃから、その本に記されておるのは『七回目』以降の世界での出来事のはず。
じゃというのに、今度は皇帝騎士団がミーティアたちに同行せんのか? それは『六回目』の世界の出来事じゃろうに」
「じゃろうにって言われても、同行していないものはしていないんだよ」
「……いかん。いい加減、さすがのわしも頭がどうにかなりそうじゃ……」
珍しいことに、弱々しく頭を抱えるフィアリス。
もう充分、どうにかなっている気もするけど……。
「……えっと、続けていい?」
「いや、しばし待て。さすがに認識のズレが激しすぎる。いい加減、矛盾なき解を見つけぬことには……」
少しの間、フィアリスは沈黙して。
「……駄目じゃな。これは、わしらも力也のように、少しばかり休憩したほうがよいかもしれぬ。……そうじゃ、気分転換がてら、わしとお主の共通した昔話でもするというのはどうじゃ?」
「共通した昔話? なにを言ってるのさ? 僕たちが初めて会ったのは、今年の三月の終わりじゃない」
彼女はそれに、訝しげに眉をひそめて、
「お主こそ、なにを言っておる? わしらが初めて出会ったのは四年前。お主が十四のときではないか」
四年前……?
……いや、それはありえない。
「そんなわけないよ。僕は十年くらい前からずっと、この片山荘には来てなかったんだから」
「おや、これは異なことを。『そんなわけない』はわしが言うべき台詞じゃぞ? よいか? 四年前とは梢の両親――功一と恵理が揃って交通事故で他界した年じゃ。お主はその葬式に、両親と共に駆けつけてきておる。そのときに、わしと初めて出会ったのじゃ」
それは、とても自然な流れだ。
むしろ、お葬式に出ないほうが不自然というものだろう。
フィアリスの言うことは、確かに筋がとおっている。
……でも、それだけだ。
そんな過去、僕の頭の中には存在しない。
そう確信できているはずなのに、僕は焦りから、つい声を大にしてしまった。
「でもフィアリス! 僕はその頃、間違いなく地元で暮らしてた! 梢ちゃんの両親のお葬式に来なかったのは確かに不自然だけど、それでも僕はここには来てないんだ!」
「十年ほど前の記憶は、あやふやなのにか? なぜ、四年前のことは確かじゃと言いきれる?」
「――っ! それはっ……!」
そう、焦りの原因は……それだ。
僕の十年ほど前の記憶は、とても曖昧。
なら、僕が忘れているだけで、本当は四年前にもここを訪れていたっておかしくないんじゃないかって、思ってしまったから……。
「で、でもさ……。フィアリス、僕がここに越してきたときは……」
「なにもかも、忘れておるようじゃったからな。合わせてやったのじゃ。そのうち思いだすじゃろう、と」
「そんなことって……。……そうだ! 力也やあすかは!?」
「ふむ?」
「四年前なら、力也とあすかがここに住んでたはずだよね!? あの二人は隠しごとなんてできる性格してないよ!?」
「そう言われてものう。お主をいたずらに刺激するのもあれじゃから、過去のことには触れぬよう、全員が気をつけて生活しておった、としか……」
「ほ、本当に……?」
ガラガラと、なにかが崩れるような音が聞こえた気がした。
天と地がひっくり返ったかのような感覚。
座布団が敷いてあるフローリングの床の感触すら、不確かなものに感じられる。
「これも忘れておるようだから言っておくがの、お主は去年のいまごろにも、ここを訪れておるぞ?」
「…………」
否定の言葉は、口にできなかった。
口にする、気力がなかった。
それでもフィアリスは、容赦なく言葉を重ねてくる。
「ところで、ひとつ尋ねるが。わしらがいま、こうしてお主の部屋にいるのは、どうしてじゃったか憶えておるか?」
「どうしてって、フィアリスが連れてきたんじゃない……。『スペリオルシリーズ』を読ませろって……」
いきなり彼女はなにを言いだすのか、と口を開けば。
フィアリスからは、心底訝しげな表情を返されてしまう。
「わしが? ……なぜ?」
「なぜって……。ほら、和室でさ、台本の基盤になるものがどうこうって言ってたじゃない。それなら僕の部屋にあるよって……」
額には、汗。
説明しながら、なぜかにじんできた、汗……。
一体、なんなんだ?
どうして、僕はこんな質問をされてるんだ……?
「基盤……?」
だから、どうしてそんなに不思議そうな表情をするのさ……!
「えっと、他にも……そう! エリスフェールの神託がどうとか言ってたじゃない!」
ほとんど、叫ぶようにして僕は言う。
果たして、彼女から返ってきた答えは、
「し、神託? お主……よもや、気でも触れたか……?」
「――あ、う……?」
それは、いつものフィアリスのことじゃないか……。
……おかしいよ。
こんなの、おかしいよ……。
一体、なにがどうなってるのさ……!
「わしらがなぜ、こうしておるのか。どうやら本当に思いだせぬようじゃな。……よかろう、教えてやろう」
聞くのが……怖かった。
聞けば聞くほど、自分の記憶が不確かなものに感じられてきてしまうから。
けれど、そんな僕のことなんておかまいなしに、彼女は言葉をぶつけてくる。
「――今日のお主は、なにからなにまでおかしかった。なぜか皆よりも早く帰ってきたり、唐突に劇の練習をしようと提案したり、皆しぶっておったというのに強引に決定してしもうたり、な。
しまいには、着替えてくるからと部屋に行ったようじゃったのに、いくら待っても和室には戻ってこんかった。さすがにわしも心配になり、こうしてお主の部屋に足を運び――」
「ちょっと待ってよ! おかしいよ……! そんなのおかしいよ! だって……だって僕、劇の練習をしようって提案したのは、この部屋で私服に着替えて、和室に行ってからのことで……! なのに……!」
「まあ、確かに私服には着替えておったがの。じゃがお主は、なぜか私服の状態で座布団の上に座り込んでおった。そう、まさにいま座っているところに、な」
「そんなわけ……」
「で、まあ。なにやらぶつぶつと独り言を言っておったのでの。ものは試しと話しかけてみた。お主は唐突に立ちあがり、その『スペリオルシリーズ』を手にして、再びその場に座り込んだ」
なにかが、繋がったような気がした。
そうして僕はフィアリスと力也を相手に、『スペリオルシリーズ』の内容を説明しだしたのか?
いや、力也が入浴のために席を外しているということすら、僕の記憶違い……?
「正直、退屈な話ではあったがの。お主に合わせ、こうして正気に戻るのを待っておったというわけじゃ。以前、お主から『スペリオルシリーズ』を借りておいたのが幸いしたな」
「貸した……っけ? 僕……」
「なんじゃ、そんなことすらも忘れてしまったのか?」
「……ごめん。どうも、そうみたい……」
カクカクと。
機械じかけの人形のように、頭を何度か縦に振る僕。
だって、いまの僕の中には、なにひとつ。
なにひとつ、確かだと思えるものが、なかったから……。
「なに、別に謝ることではない。人間は、幾度となく忘却を繰り返す生き物じゃ」
「うん……」
「そも、いま語ったこととて、すべてわしの捏造。この場でとっさに考えた作り話なのじゃからな」
「うん……。……って、ええっ!?」
つ、作り話……!?
「つまり、嘘……ってこと?」
「そういうことになるの。現実は、お主の記憶にあるとおりじゃ。エリスフェールの神託の話もしたし、和室で練習もしておった。そんなお主をわしが『ことがこと』と言って連れだし、こうしてここで『スペリオルシリーズ』に記述されておる内容を話してもらうに至った」
「途中で力也がやってきて、お風呂に入るからって席を外したっていうのも、本当にあったこと……?」
「むろんじゃ。それともそんな記憶、お主にはないのか? 一致せぬのか?」
「……ううん。ちゃんと憶えてる。一致する……」
「まあ、当然じゃな」
と、いうことは……。
「……あのさ、もしかして、四年前に僕がここに来たことがあるっていうのも……嘘?」
「うむ。もし本当に来ておったなら、力也かあすかから早々にそのことを聞かされておったことじゃろう。あの二人には、隠しごとなどできはせぬよ」
「ちょっ……。か、勘弁してよ……。頭の中、すごいぐんにょりしたよ……? なんだってそんな嘘をついたのさ? フィアリス」
「それはの、わしが『スペリオルシリーズ』の内容を聞かされて覚えた違和感を、少しでもお主に理解してもらいたかったからじゃ。
取り乱してしもうたわしに、お主は言うたじゃろう? 『落ちつけ』と。しかし、いざそれが自分に降りかかってみれば……どうじゃ? 落ちつけと言われて、容易に落ちつきを取り戻せるものか?」
「それは……」
無理だ。
主観的な自分の記憶と。
外からもたらされる、客観的な事実。
それが次から次へと食い違うというのは、耐えがたいほどの苦痛だった。
『落ちつけ』と何度言われても、そう簡単に落ちつけるものじゃない。
長く続けられてしまえば、気すら狂ってしまうことだろう。
「フィアリスは、さ……。さっきの僕と同じくらい、いまも頭の中がぐんにょりしてるの?」
「わしのそれは、お主などの比ではないな。お主はまだ生まれてから十八年しか経っておらぬじゃろう? 記憶しておる事柄は当然、それよりも多くはならん。しかし、わしのほうは全人類史を三回分、ごちゃ混ぜにされたわけじゃからな。ぐんにょりもしようというものじゃ」
「全人類史を三回分って……」
「言っておくが、比喩表現ではないぞ? 文字どおり、それだけの量を混ぜ合わされたのじゃ。――待てよ。そういう……ことなのか?」
「な、なにが?」
「『ごちゃ混ぜ』、じゃ。『六回目』の世界のことが綴られておるかと思えば矛盾が見つかり、ということは『七回目』以降の世界のことが記されておるのじゃなと結論づければ、今度は『六回目』の世界で起こった出来事が記述されており、また矛盾が生まれた。……つまり、じゃ。この本に書かれておることは、あちこち継ぎはぎされておるのじゃ。
であれば、『ファルカスが一度も死んでおらぬ世界で、皇帝騎士団がミーティアたちに同行しなかった』などという事態が記されていようとおかしくはない。むしろ、なんでもありじゃ。――うむ、ようやく合点がいった」
「えっと……よくはわからないけど、この本には『六回目』と『七回目』以降の世界の出来事が『ごちゃ混ぜ』になって書かれてる、ということでいいんだね? フィアリスの認識からすると」
……うん、わけがわからないなりに確認の言葉を投げてはみたけれど、正直、自分がなにを確認したのかすら理解不能だ。
しかもそれに、
「うむ、そうなるの」
なんて、フィアリスは重々しくうなずいてるし。
もう、わからないついでに、ちょっと意地悪なことを訊いてみるか。
「ちなみに、いまは何回目の世界?」
「いま? ……ふむ、わしの主観では『いま』というのがなにを指しているのかが曖昧なのじゃが……。わしらがこうして過ごしている『この世界』のことを指しているのであれば、ここは『九回目』の世界じゃな」
……よくわかった。
この問答で、僕に理解できることなんてなにひとつないんだ、ということが。
「まあ、それは脇に置いておくとしよう。休憩は仕舞いじゃ。『スペリオルシリーズ』の話に戻ろうぞ」
「あ、うん。わかったよ……」
なんかもう、色々と追及しても無駄っぽいし。
いまは、わからないなりにフィアリスにつきあってあげるとしよう。
「戻ったぜ~!」
ガチャリと音がして、ノブが回された。
顔をそちらに向け、僕たちは力也を出迎える。
「お帰り、力也」
「おお、戻ったか」
まだ少し髪を湿らせたままの彼は、「おう」とうなずいてから、
「ありゃ? なあ、理緒。なんか顔色が悪くねえか?」
「え? ああ、うん。ちょっとだけね。たいしたことじゃないから、気にしないで」
手をヒラヒラと振って答えると、力也は座布団の上に腰を下ろしながら、
「そうか? お前がそう言うなら、なにも訊かねえけどよ。――で、オレがいない間にどのくらい進んじまったんだ?」
「こっちもちょっと休憩してたから、そんなには進まなかったよ。えっとね、いまはミーティアたちとリースリットたちが別行動をとることになったあたりかな」
「あれ? おかしいな。それ、オレも知ってるぜ?」
「え? じゃあ、全然話が進んでなかった!?」
「いや待て。一度別行動をとってから合流、そして再び別行動っていうストーリーだってんなら、ちゃんと進んでることになるぜ?」
「残念ながら、そういう展開はないんだよ。というか、この件が片づくまで合流はしないんだ、ミーティアたちとリースリットたちは」
「そうなのか? なんかちょっと残念だな……。ともあれ、話が進んでねえってのは別にいいさ。オレとしてはむしろ助かる」
「まあ、力也からしてみればそうだろうね」
「そんなわけで、続きを頼むぜ、理緒さんよ」
了解、と首を縦に振り、僕は続きを語ることにするのだった。
今回は理緒の過去エピソード……に見せかけた、『認識の相違』から生まれる恐怖のお話でした。
人によっては無駄に感じられるエピソードかもしれませんが、閑話休題と、フィアリスの精神状態を理緒が少しでも理解できるようにするためには必要かな、と。
この話ではフィアリスだけでやっていますが、現実でも、複数の人に口裏を合わせられてしまえば、『虚構』であっても『真実』と誤認してしまうものですよね。
次回からは、また『蒼き惑星』に関する『知識』の話に戻ります。
そして、しばらくはそれが続きます。
最後まで……そして『あすか回』までついてきていただければ幸いです。




