第十三話 晴朗なれど波高し
休みは明けて、十月八日の月曜日。
授業をすべて終えた僕たちは、この日も第一演劇部の部室に集まっていた。
といっても、今日は美花ちゃんの姿はない。彼女は放課後になると同時、バイト先へと向かっていった。
それに深空ちゃんが、少しだけ気落ちしたような表情を浮かべたけれど、彼女はすぐに気を取りなおし、イスから腰をあげてみせる。
「――さて、じゃあ今日は、いよいよ公演用の台本を配るよ!」
なんか、満を持してって感じだった。
ここは拍手のひとつでもするべきだろうか。
けれど、それをする部員はひとりもいなくて、僕もつい拍手は控えてしまう。
お調子者の美花ちゃんなら、あるいはやったのかもしれないけれど、この空気の中、率先して拍手を送るというのは、僕にはちょっと荷が重い。
しかし、そんなことは気にも留めずに、僕たちの輪の中心へと歩み出てくる、第一演劇部部長。
余談かもしれないけれど、今日はイスの配置がいつもとはちょっと違っていて、大きめの輪を形作るように置かれている。
「――こほん。まずは、あすか、梢、立川くんの三人に台本を渡します。……綺麗に製本できてないけど、そのへんは勘弁ね?」
イスに座ったままの僕たちに配られたのは、手作り感あふれる冊子だった。A3の用紙を二つ折りにして、まとめてホッチキスで留めてあるだけの、本当に簡素なもの。
タイトルは『エリュシオンを探して』となっている。……ん? エリュシオン?
ちょっと引っかかるものを感じたけれど、偶然の一致だろうと流して、僕は台本をパラパラとめくった。もちろん、深空ちゃんに指示されるよりも早く、だ。
他の人の創作物に興味を惹かれてしまうのは、創作する側に立つ人間の性だと思う。
そうして目に飛び込んでくる、いくつかの役名と、僕たちの名前。
ミーティア:天王寺あすか
アスロック:立川理緒
ドローア:天野梢
あすかの名前が最初にきていることから、ここに並んでいるのは主要な登場人物の役名なのだろうと察しがついた。
けれど、最初の『エリュシオン』もこれらの名前も、僕にはなじみ深いものだったので、思わず目を見開いてしまう。
「あのさ、これって……」
驚きをそのまま声に乗せ、全員に台本を配り終えた深空ちゃんのほうに目を向ける僕。
彼女は自分の席に戻りながら、バツが悪そうに笑って、
「あ、もしかして、元ネタ知ってた?」
「うん。この三人の名前って、『スペリオル』っていうライトノベルに出てくる主人公たちのと同じものだよね? 『エリュシオン』も、その作中に出てくるし」
正確には『スペリオル』じゃなくて、『スペリオルシリーズ』というべきかもしれないけれど。
だって『スペリオル』は、あくまでも『スペリオルシリーズ』を構成する一作品でしかないから。
ともあれ、深空ちゃんはうなずく。
「まあ、そうね。――アタシ、異世界ファンタジーもののライトノベルってのが大好きで、よく読んでるんだけどさ。その『スペリオル』には、特に強く影響を受けちゃってね~」
そこに隆士くんが割って入ってきた。
「言っとくけど、勧めたのも貸してるのも、全部俺だからな? 本を買うための金、お前は一円たりとも出してないからな?」
「別にいいじゃない。好きって気持ちに変わりはないんだから」
「買えよ! 少しは売り上げに貢献しろよ! 打ち切りになってから新品買っても遅いんだよ!!」
「そういう山本だって、できるだけ安く済ませようと中古で買うことのほうが多いじゃない。売り上げに貢献してないって点ではアタシと同じだって」
「俺は、たまに新品も買ってるっつの!」
なんだか、どんぐりの背比べって感じだった。
それはそれとして……そうか、隆士くんってライトノベル読むんだ。オタクだったんだ。
なんだろう、なんだかすごく親近感が湧いてきた。
「おい、立川。お前、なんで俺にそんな熱い視線を……? お、俺にそういう趣味はないからな!?」
「ちょっとちょっと! そんなのは僕にだってないよ! ちょっと親近感を覚えていただけじゃない!」
「そ、そうか? なら、いいけど……」
「でも、ちょっと驚いたよ。隆士くんって、オタクだったんだね」
「驚くようなことか? ライトノベル読んでる人間なんて、別に珍しくもないだろ? ちょっとネットで検索すれば、自分で書いて公開してる奴だってたくさんいるんだぞ?」
「でも『スペリオルシリーズ』は、お世辞にもヒットしてるとはいえないでしょ? それこそ、既刊が二十以上も出てるのが不思議に思えるくらいに。それを持ってて、しかも人に貸してまでいる隆士くんは、相当にコアなオタクだってことになるんじゃない?」
「うっ、言われてみれば、確かに俺はコアなオタクなのかもしれない……」
「別に落ち込むことじゃないでしょ。――でも驚いたよ、深空ちゃん。まさか、あれに影響受けて創作物を作ろうって人が、こんな身近にいるなんて」
そう僕が話の矛先を向けると、彼女はちょっと自慢げに胸を張って、
「そこは、あれよ。メジャーなものばかりに影響されてたら、似たり寄ったりのものしかできないでしょ? マイナーなものにも目を向けてこそっていうかね」
「本音は、有名じゃない作品からなら、パクってもバレにくいだろう、とかだったりして?」
「あう! それは言わないでっ……!」
どうやら図星を突いてしまったらしい。
というか、その考え方はいかがなものか、創作者として。
……と、そうだ。
「ところで、著作権とかは大丈夫なの? 出版社に連絡とって、ちゃんと許可もらったりしたの?」
「ううん、全然。というかさ、高校生が部活動で演じる劇よ? 訴えてなんてこないって。盗作ってわけじゃないんだから、なおさらね」
まあ、それもそうか。
そこで、ふと思う。僕の尊敬してる脚本家も、ファンタジー作品をこよなく愛する人だったなあ、と。原作にファンタジー要素が皆無でも、ファンタジー要素を加えて、しかも、面白くしちゃうタイプの人なんだよなあ。
その姿勢が、なぜか深空ちゃんのそれと重なってしまう。……なんだかなあ。
そんなことを思いながら、僕は台本を閉じる。
と、そこで隣に座る力也が尋ねてきた。
「なあ、理緒。さっきから言ってるライトノベルとか、『なんとかシリーズ』ってのはなんなんだ?」
「ああ、力也はマンガしか読まないもんね……。えっと、ライトノベルっていうのはね、なんていうのかな、マンガを活字に起こしたものっていえばわかる?」
「……やべえな。全然わからねえ。――いや、待てよ。わからねえのが一周回って、なんとなく理解できちまったような気もしてきたぞ?」
「うん、それ絶対に理解できてないよね。まあ、とにかく小説だよ。手軽に読める、中高生向けの小説」
「中高生向けの、手軽な……。じゃあ、オレにも読めるのか?」
真っ直ぐな目で問われて、言葉に詰まる。
手軽に読めるとはいっても、小説は小説だ。果たして、力也に読めるものなのだろうか。
「……今度、貸してあげようか? 僕、発売されてる『スペリオルシリーズ』は、全巻持ってるから」
「おう、じゃあ今日の夜にでも借りさせてもらうぜ。……オレが熱だして寝込まずにすむよう、祈っててくれよ?」
「うん、それは言われるまでもなく祈っておくよ……」
大丈夫なのだろうか、本当に……。
と、次に力也の隣に座るあすかが、彼の身体越しに声をかけてきた。
「言っておくが、あたしは読まないからな」
「いや、活字が苦手な力也が読むって言ってるんだから、ここはあすかも読もうよ。あすかの場合、力也と違って劇もやるんだしさ」
「あたし、小説は好きになれない。難しい漢字が多く使われているものばっかりだから」
「う~ん……。――ねえ、深空ちゃん。どうしようか?」
「えっ!? そこでアタシに振るの!? まあ、読破してる人間が四人もいるんだから、説明できなくはないだろうけどさ」
「四人?」
「そう、アタシと山本、立川くん、そして詩織の四人」
「詩織ちゃんも読んだことあったの!?」
「アタシが貸した!」
「おい、施羽! お前がいばるなよ! あれは俺の本だろう!?」
「小さい。山本、そんなことを気にするなんて、あんた器が小さいわよ」
「言っておくが、お前、ページの右上を折ってたこともあったよな? ドッグイヤーってやつ。本当なら、あれ、借りた本にしていいことじゃないんだからな?」
「いや~、そのとき手元に、ちょうどいい栞がなくって。というか、それって去年の話じゃない? ……小さい。あんた、本当に器が小さいわ~」
その言葉を耳にして。
僕の中で、なにかが切れた。
「――それは大問題だよっっっっっっ!!」
訪れる、しばしの静寂。
それを自ら破り、深空ちゃんに謝罪を促す。
「深空ちゃん、それは本にやっていいことじゃないよ。謝って。いますぐ謝って」
「え……? えっ!? な、なんか、立川くんが深く静かに怒っておられる……?」
「そんなことはどうでもいいから、早く謝りなさい」
「あ、えと、うん……。あー……っと、あのときはごめん、山本」
「いや、そっちじゃないでしょ、深空ちゃん」
「は? ……えっ!? 山本に謝れってんじゃないの!?」
「ほ・ん・に、あ・や・ま・り・な・さ・い」
「どうやって!?」
「こう、冥福を祈るように。……あ、懺悔っていったほうが正しいのかもしれないね」
「……どうしよう、立川くんが壊れた。――ねえ、こういうときってどうすればいいの!? 佐野!!」
「いや、理緒がここまで怒ったことって、オレの記憶にはねえからなあ。……ぶっちゃけ、まったく声を荒げねえのが、逆に怖えよな」
「この状態の立川くんは、佐野でも怖いと感じるんだ……」
「そりゃあな。この怒りの矛先が、もしもオレに向いたらと思うと……。うああああ、立ち直れる気がしねえ……」
なにやら、深空ちゃんと力也が言葉を交わしていたようだったけど、そんなことはいまの僕にはどうでもいい。
なので再度、彼女に謝罪を促す。
「ほら、深空ちゃん」
「え、ええと……」
戸惑いがちに、彼女は天井に顔を向け、
「ごめんなさい、本。あのとき、折り曲げてしまって、ごめんなさい。……立川くん、これでいい?」
「全然、誠意が感じられないよ?」
「うああ……。誰か、助けて……」
そんなこんなで、深空ちゃんの懺悔タイムが三十分ほど続き。
それでようやく、僕の怒りも少しは収まった。
「さて、それでこの『スペリオルシリーズ』って作品群のことだけど……いや、今回は『スペリオル』に限定したほうがいいかな。……って、ちょっと深空ちゃん、話にはちゃんと参加してよ」
「うああ、ごめんなさいごめんなさいぃぃ……。粗末に扱ってごめんなさいぃぃぃ……」
「いや、それはもういいからさ。過ぎたことじゃない」
がたがたと震える深空ちゃんに、できるだけ優しく言葉をかける。隆士くんが「お前が言うなよ……」とかつぶやいていたけど、それは無視だ。
「『スペリオル』は第一部と第二部に分かれてるわけだけど、これの第一部ってさ、すごく単純にまとめちゃえば、『魔王退治』の物語なんだよね」
若干、混乱状態に陥っている深空ちゃんに代わり、詩織ちゃんが僕の言葉を継いでくれる。
「はい。『蒼き惑星』という異世界を舞台にした冒険活劇。のちに共和国となる、スペリオル聖王国のお姫さまが、アスロックやドローアといった仲間たちと共に、リューシャー大陸中を旅して、最後に魔王――漆黒の王を倒してハッピーエンド、というのが大まかな筋書きです」
それに続くのは隆士くん。
「主人公のミーティアは、四つの『神の聖地』を巡って、神族四天王に順番に認められていくんだよな。で、認められた証に、神族四天王からそれぞれ『宝石』ってのをもらうことになる。その『宝石』には魔力の増幅効果があって、それらを手に入れるたびにミーティアはパワーアップしていく。最後には、魔王を倒せるようになる程度には」
しかし、この物語の核は、実は魔王退治とは別のところにあったりする。
それは『界王ナイトメア』という存在だ。第一部の後半から、彼女の『孤独』と『弱さ』が物語の主軸になるのだ。
主人公であるミーティアは、魔王を倒すとき、魔王よりも上位に位置する『天上存在』、界王ナイトメアの力を借りた魔術を使うことになる。
けれど、『スペリオル』第一部の終盤に差しかかったあたりで、ひとつの事実が判明するのだ。
それは、界王ナイトメアの弱体化。
『スペリオル』第一部の最終局面で、ミーティアは魔王を倒すべく界王の力を借りた魔術――『禁術』を発動させる。
しかし、それでは魔王が倒せない、という展開になってしまうのだ。すべては、力の源である界王が弱体化してしまったから。
弱体化の理由は、界王が『自分は弱い心の持ち主なのだ』と自覚してしまったことにある。
『スペリオルシリーズ』に出てくる神族や魔族、そして『天上存在』というのは、自らの持つ魔力によって物質界に実体化している精神生命体という設定になっている。それは、いわば身体を持った幽霊みたいなものだ。
ゆえに、強いとか弱いとかいうのは、当人の『主観』によってのみ決定される。
精神生命体同士が戦うとなったら、『こいつ、自分よりも強いな』と思った段階で、もう、そう思ったほうの敗北が確定してしまうのだ。
単純に言ってしまえば、本当は弱かったとしても、『自分は強い』と心の底から思い込めてさえいるのなら、精神生命体は強くいられる。
けれど、界王の場合はその逆。『自分は弱い』と思ってしまったから、本当に弱くなってしまった。
最後の手段だった『禁術』。その力の源である界王の弱体化。
その事実を身をもって知り、これで魔王を倒す手段はない、とミーティアたちは絶望するのだけど、そこに新たな事実が提示される。
発覚するのは、もうひとりの『天上存在』、『闇を抱くもの』の存在だ。
界王は『自分以外の天上存在が干渉できない世界』を欲しがった。そのために、ミーティアたちの住んでいるリューシャー大陸に結界を張り、他の大陸から完全に隔離した。
その結界が、界王の弱体化に伴って消滅していたのだ。結果、『闇を抱くもの』がミーティアたちの住む大陸に干渉できるようになった。
ミーティアは様子見に干渉してきた『闇を抱くもの』と交渉し、力を借りる。交渉材料は、彼女の持つ魔力――わかりやすく言ってしまえば、彼女の命だ。
そして、ミーティアの身体を乗っ取った『闇を抱くもの』は魔王を倒す。
ミーティアという『世界にとっての希望』を、自らの内に取り込むという成功報酬と引き換えに。
しかし、それを承知できない人間たちがいた。その代表格が『スペリオル』のもうひとりの主人公、アスロックだ。
彼の懇願に『闇を抱くもの』は心変わりを起こし、ミーティアを自らの内に取り込むのをやめる。しかし、リューシャー大陸から去る前に言い残すのだ。『交換条件として、ドルラシア大陸にいる『我』を滅ぼせ』と。
なぜ『闇を抱くもの』が、自分のことを『滅ぼしてほしい』だなんて言ったのかは、第一部では判明しない。それは、第二部で語られる。
そして第一部の最後に、ミーティアと仲間たちは、『闇を抱くもの』がなにを望んでいるのかもわからないまま、それでも『闇を抱くもの』と対話するために外海へ――別の大陸へと向けて旅立つ。
魔王を倒すことによって得た名声と、『聖戦士』という称号を足蹴にして。
「――と、まあ、大体はこんなところかな。理解できた? あすか」
そう結んで、僕は説明を終えた。
「正直、ちんぷんかんぷんだ……。とりあえず、ミーティアが主人公で、アスロックとドローアがその仲間なんだってことを憶えておけば、それでいいか?」
「まあ、そうだね。――それでいいかな? 深空ちゃん」
「――うえあっ!?」
「いい加減、回復しようよ……」
「あ、ああ。ごめんごめん。うん、それでオッケー。ほら、設定はアタシのほうで色々と変えてあるしね」
そういうふうに自分好みにアレンジするところが、また、僕の尊敬している脚本家――深羽瀬良を彷彿とさせるんだよなあ……。
ちなみに、主人公である女魔道士、ミーティアの髪はオレンジ色のポニーテールだ。
だから、同じくポニーテールであるあすかがスカウトされたのだろうか。……それにミーティアって、女言葉ではあるけど、あすか同様に強気で短気だし。
そういえば、ミーティアの女友達にして臣下であるドローアは、作中で一度セミロングになるといえ、初登場時は金髪のストレートロングだったっけ。
ということは、本当ならこっちは美花ちゃんに演じてほしかったのかもしれない。
ともあれ、と僕はもう一度台本を開いた。
大体の流れは、ミーティアとアスロックが天空の楽園――『エリュシオン』を探して旅をする、というもの。
もちろん道中で戦闘があったり、二人が恋に落ちたりと、いくつかのイベントが挟まれている。そして、原作を知ってる人からすれば、暴挙ともとれるような改変がされていた。……って、あれ? ちょっと待った。
「ねえ、深空ちゃん。なに、この『恋に落ちる』って」
「なにって、そのまんまの意味だけど? 一緒に旅してるんだから、ロマンスのひとつやふたつはあるでしょ」
……おかしいな。僕の記憶が確かなら、『スペリオル』のミーティアとアスロックは、そういう色恋沙汰とは無縁だったはずなんだけど。
まあ、ドローアがアスロックを意識してるって描写が、代わりとばかりに出てきてはいたけどさ。
「……あのさ、僕が前に言ったこと、忘れちゃったのかな? 僕、恋愛関連のことはタブーだって――」
「言葉を返すようで悪いけどさ、これ、ただの劇よ? 実際につきあえって言ってるんじゃないのよ? そもそも、主人公とヒロインがいるんだから、恋愛要素を入れるのは当然じゃない」
正論すぎて言葉に詰まった。
うう、でもなあ……。
と、僕を援護しようってわけではないんだろうけど、あすかが口を挟んできてくれた。
「ちょっと待て! ミーティアって役の隣にあたしの名前が書かれてるぞ! これはつまり、あたしにそういうシーンをやれってことなのか!?」
当然とばかりに深空ちゃんはうなずく。
「そりゃ、ヒロインをやってもらうわけだからね。でも、あすかのセリフは美花が収録するんだから、難易度は立川くんよりもずっと低いでしょ?」
「そういう問題じゃない!」
「う~ん、立川くんが相手じゃ嫌ってこと?」
「そういう問題でもない!」
「じゃあ、どういう問題だってのよ?」
「ヒロインなんてやりたくないって言ってるんじゃ、ぼけぇっ!」
「えー……」
さすがにあっけにとられる深空ちゃん。
それにしても、『ぼけぇっ!』ときたか。遠慮ってものがなくなってきたなあ、あすか。一緒に過ごす時間に比例して、ちゃんと打ち解けてこられているようでなによりだ。……とばかりも、言ってはいられないわけだけれど。
深空ちゃんは気を取りなおし、髪をかきながら彼女の説得を開始する。
「まあぶっちゃけ、あすかは確かにヒロインって感じではないんだけどさ。でも、ミーティアといったら強気なポニーテール、強気なポニーテールといったらミーティアってなもんなのに……」
「嫌なものは嫌なんだっ!」
「そこをなんとか! 今度、お昼ご飯奢ってあげるから!」
「それでも嫌だっ!」
「じゃあ、アタシにできる限りのこと、なんでもするから!」
「嫌だって言ってるだろおぉぉぉぉぉぉっ!!」
「う~ん……。これは難攻不落って感じね。参ったな~……」
そろそろ、あすかをヒロイン役に据えるのは諦めたほうがいいんじゃないかなあ。
あとついでに、僕のキャスティングも変えてほしい。
「……よし! じゃあ、ミーティア役は梢と交代! やってくれるわよね、梢!」
「わ、わたしですか……?」
唐突に話を向けられて、困惑する梢ちゃん。
そこに深空ちゃんは畳みかけるように、
「そう! 演技力は申し分ないし、相手は立川くんだし! まさか、嫌ってことはないでしょ?」
嫌ってことは、あると思うけどなあ。
ほら彼女、こっちに目を向けては逸らすのを、何度も何度も繰り返してるじゃん。
しかも、
「で、でも、その……」
やるのがヒロイン役となると、照れもでてくるのか、頬を少し赤くもしてるし。
この感じじゃ、梢ちゃんが首を縦に振ることはないだろうなあ。
そんなふうに、僕は確信していたのだけれど。
「……あの、理緒さんが……嫌で、なければ……」
信じられないことに、彼女は控えめにうなずいた。蚊の鳴くような、小さな声で。
「立川くんが『嫌だ』なんて言うわけがないって! はい、決まり~!」
ちょっと深空ちゃん! ちょっと待って!!
「『はい、決まり~!』じゃないよ! 大体さ、そんなあっさりとヒロイン役を変更しちゃっていいの!? 調整できるの!?」
「いまの段階なら、全然問題ないわよ? 美花の収録はまったくやってないし、台本を書き換える必要もないし」
「じゃあ、アスロックの役も力也か隆士くんでいいじゃない!」
「あ、それはダメ」
「なんでさ!?」
そこで深空ちゃんにクイクイと手招きされた。
ため息をこぼしつつ、僕は立ちあがって彼女の元へ。
深空ちゃんは僕の耳元に口を寄せてきて。
「それだとさ、今度は梢が降りかねないのよ」
「は? なんで?」
「これはアタシの勘だけどさ。相手役が立川くんだからこそ、引き受けてくれたんだと思うのよね、梢は」
「そんなこと……」
「ないって、断言できる?」
そりゃ、人の気持ちのことなんだから、断言はできないけどさ……。
それでも、やっぱり僕に恋愛シーンをやれっていうのは――
「それに、こういう言い方は正直、あまり何度もしたくはないんだけどさ。これは劇なのよ? ただの劇」
「それは、そうだけどさ……」
「……ふむ。アタシのプライドを投げ捨てて、『たかが劇』と言い換えてあげてもいいわ。――この前、立川くんは女の子とつきあっちゃいけないって言ってたし、あの真剣な様子からして、心の底からそう思ってるんだってことも、理解はできた。……でもさ、劇にまでそれを持ち込むことは、しなくってもいいんじゃない?」
彼女がいきなり真剣な表情になったものだから、僕はそれに呑まれ、押し黙ってしまう。
辛うじて「それは……」とだけ口にしたものの、それ以上の言葉は紡ぎだせなかった。
そこに、彼女の最後の一押しが。
「本当に女の子とつきあうってわけじゃ、ないんだからさ。それくらいは許されるって。……まあ、誰が許してくれるのかは、アタシにもわからないけどね」
耳元でささやいて、優しくウインク。最後に「それでもダメだっていうんなら、これ以上の無理強いはしないから」とまでつけ足される。
……参ったなあ。
ここまで言われて退こうものなら、それはもはや、単なるいくじなしじゃないか。
「……わかったよ。劇なんだって割りきって、やってみることにする」
「おおっ! それでこそ男だ!」
破顔した深空ちゃんに、バン! と背中を叩かれる。
それは少し痛かったけど、でも、とても気持ちのいいものでもあった。
こうして、ヒロインである『ミーティア』を演じるのは梢ちゃんになり。
元々は梢ちゃんが演じることになっていた『ドローア』をあすかがやることになった。
僕の役は変更なしで、主人公の『アスロック』。
原作では、ちょっぴり三角関係の様相を呈することもある三人だけれど、果たして、この劇ではどんな関係性になっているのだろうか。
それが、まだ台本によく目をとおしていない現状では、少し楽しみでもあり、また、ちょっとだけ不安でもあった。
いかがでしたでしょうか?
今回は丸々演劇パート……なのですが、かなり説明回でしたね。
果たして、楽しんでいただけたかどうか……。
でも、『スペリオルシリーズ』の他の物語たちとリンクする大事な回でもありますので、興味を失わないでいただけると嬉しいです。




