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第十ニ話 僕たちの別れ

 休日返上で行われた部活動を終えて、僕たちは片山荘に帰りつく。


「ただいま~」


 いつもと同じく、誰にともなく言って、スリッパに履き替えた。

 それに続いて、梢ちゃん、あすか、力也に美花ちゃんも、


「ただいま帰りました」


「ただいま」


「ふう、今日も疲れた~っと」


「ただいま~……」


 と、それぞれ帰宅の言葉を口にする。

 そして珍しいことに、今日はそれに答える声があった。


「うむ。皆、よくぞ無事に戻った」


 こんな年寄り臭い口調で話す人間なんて、この片山荘にはフィアリス以外に存在しない。

 黒江さんを後ろにつき従えて現れた彼女は、そこで唐突に肩を怒らせ、


「そう言ってやりたいところじゃがな……。遅い! 遅いぞ! 遅すぎる!! いま何時か見てみい!!」


 見てみいと言われても、この玄関口に時計はない。

 嘆息しつつ、ズボンのポケットから携帯電話を取りだして開くことにする。


「まだ六時じゃん」


「なにを言っておる! もう六時、の間違いであろう!」


「ええ~……」


 フィアリス、僕たちになにか急ぎの用事でもあったのかな……。

 そう考えている間にも、彼女はその長い銀髪を振り乱し、


うたげじゃ! もう何日も開いてないではないか!」


「あー……」


 思わず呆れの声を漏らしてしまう僕。

 フィアリスは宴会えんかいが大好きな酒豪しゅごうだ。

 すごく華奢な身体をしているし、彩桜学園の中等部に通ってもいるけれど、それでも彼女はお酒を飲むのだ。


 ちなみに、この宴会は大体、週にニ、三回のペースで開かれている。

 そのときに使われているのは、美花ちゃんの住む六号室がある一角に存在している、宴会用の和室だ。


「まあまあ、理緒くん。これでもフィアリスフォールは、キリンの如く首を長くして待っていたんだ。そう思えば、この態度もなかなかに可愛いものじゃないか」


 いつもと変わらぬ微笑をたたえ、黒江さんがフィアリスをなだめにかかってくれる。けど、その物言いは逆効果じゃないだろうか……。


「誰が首を長くして待っていたというのじゃ! むしろ、それはお主のほうじゃろう、黒江!」


 ほら、やっぱり……。

 黒江さんは無言で肩をすくめてやり過ごす。

 フィアリスはそれに「う~っ……!」とうなったが、すぐに気を取りなおして。


「誰が待っていたかなんて別にどうでもいいじゃろう! はよう着替えて和室に集まるのじゃ!」


 わめき声にも近いその号令に、僕たちは苦笑を浮かべて散開さんかいする。

 そして、わずか数分後。僕たちは片山荘の南側にある和室に集まっていた。


「――では、久々の宴をり行うぞ」


 フィアリスの発する、最初の音頭おんどおごそかに。

 けれど、場はすぐに温かくも賑やかな雰囲気へと取って代わる。


「そういや、割と久しぶりだよな、宴会も」


「じゃから、宴会ではなく宴と呼べと言うておろうに。何度言えばわかるのじゃ、力也は」


「別にどっちでもいいじゃねえか、なあ? あすか」


「ああ、どっちでもいい。ご飯を食べて、ジュースを飲んで、やかましいくらい騒ぐってことに変わりはない」


「だよな! ところでよ、ここのところ、なんか気が合ってねえか? オレたち」


「へっ!? ……あ、合ってない! 全然、合ってなんかないぞ!?」


「そこまで全力で否定すんなよ、あすかっち。……ジュース注ぎ終わったけど、いるか?」


「……いる。よこせ」


 あすかは頬を赤く染めながら、顔を背けてぶっきらぼうに返す。

 けど言葉どおりに、手は力也の持っているオレンジジュースの紙パックに伸びていた。

 コップに八割ほど注いでから「……ありがと」と紙パックを戻す彼女。

 それを見ていると案の定、隣から美花ちゃんに肩をつつかれた。


「いい感じじゃない? 昼間の、少しは効果あったかな?」


「どうだろうね。正直、まだなんとも。……ところで、美花ちゃんはもう立ち直ったんだ。帰ってきたばかりのときは、まだなんかしょげてたのに」


 そのままでいてくれればよかったのに、と思ってしまったのは、ここだけの秘密だ。

 美花ちゃんは、テーブルにあるアップルジュースの紙パックに手を伸ばし。


「いやあ、引っかけられたとはいっても、自分の意思で請けたわけだからね。腹をくくったっていうか、男に二言はないっていうか」


「美花ちゃんは女の子じゃん」


「ああ、心は男だから」


 さらっと言われて、なんか納得できてしまった。

 梢ちゃんやあすかを見るときの彼女の目は、確かに若干、男のそれっぽいなって。


「ちょっと! ここは『心だって女でしょ』って突っ込むところでしょ!?」


「……ごめん。そのツッコミ、いまの僕にはできそうにないよ」


「酷ぉい……。まあ、とにかく。やるからには全力でやるって決めたわけよ!」


「うん、美花ちゃん。いきなり真面目なことを言うのはやめようか。ちょっと切り換えが追いつかない」


「言っとくけど、これでも根は真面目なんだからね? 私は」


 コップに注いだアップルジュースを、グイッと飲む美花ちゃん。

 ……まあ、なんだかんだいっても彼女が真面目だってことは、僕だって知っている。というか、じゃなきゃバイトだって続かないだろう。


 美花ちゃんに手渡された紙パックの中身をコップに注ぎ、それを僕は対面に座る梢ちゃんに回す。


「お互い、お疲れさま。梢ちゃん」


「はい。理緒さんもお疲れさまです。……これからしばらくは、こんなふうに日々が過ぎていくんですね」


 幸せそうな表情で、息を漏らす彼女。


「だね。しばらくは慌ただしくなりそうだ」


「あ、理緒さんは受験生ですもんね。私とは違って、忙しい合い間を縫って参加しているわけで……。やっぱり、大変ですか?」


 ちょっと不安げな表情になる梢ちゃんに、僕は苦笑しつつ首を横に振る。


「いや、それほどじゃないよ。今年の初めに受けた彩桜学園の転入試験に比べれば、ずっと楽。なんせ、面接さえパスできればいいんだから」


「ぐはぁっ!?」


「なんで力也がダメージ食らってるのさ……」


 思わず、ジュースを吹きだしてしまいそうになったじゃないか。

 力也は力也で、盛大に吹きだしてしまっているし。

 ……って、うわあ! それが対面に座っていたあすかに思いっきりかかってる! 驚きのあまりなのか、いまは硬直してるけど、これはあとが怖いぞ……!

 彼はそれにまったく気づいていないのか、顔を僕のほうに向けてきて、


「いいか、理緒。いまのオレには、絶対に聞かせちゃいけねえ言葉ってのが、全部で三つある。そのうちのひとつが……宿題だ」


「面接、じゃなかったんだ……」


「うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


「面接、もダメなんじゃん……」


「ぐはあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


「ああもう、わかったよ。これ以上、面接って単語は口にしないか――」


「ぐぎゃあぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁああぁぁっ!!」


「……うん、いまのはごめん。割と本気で、ごめん」


 さすがに哀れになって、頭を下げてしまった。

 力也はちょっとばかり息を切らせて、


「はあ、はあ……。お、おう。わかってくれりゃ、それでいいんだ」


「ちなみに、残るひとつはなに?」


「え? 残る、ひとつ……?」


「自分で言ったんじゃない。三つあるって。め……なんとかと、しゅ……なんとか、それと、あとひとつは?」


「あー……。そういや、なんだったっけかなあ。……お前は憶えてねえか? 理緒」


「僕が憶えてるわけないじゃない……」


「そうか。……きっと、脳が記憶することを拒否しちまったんだな。それで憶えてねえんだ」


「微妙にそのとおりな気がするあたり、すごいね……」


「だろ?」


 なんか、すごく得意げに力也は笑った。

 それから、よせばいいのに、対面に座るあすかに問いかける。


「一応訊くが、お前にはわかるか? あすか。オレに絶対聞かせちゃいけねえ、三つの――」


「うっさいわ、ぼけぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 力也の言葉を遮って、彼に力いっぱいの罵声を浴びせるあすか。


「いつ謝るかいつ謝るかと待っててやったのに、なんでそんなしょーもないこと訊いてくるんだ、お前はっ!」


「うえ!? オレ、お前になにを謝るっていう……って、おいあすか! なんでジュースを頭から被ってるんだ!?」


「お前がかけたんだろっ!」


「オレが? ……マジで? いやいや、嘘はもっと上手くつけよ、あすか」


「……蹴る。さすがにもう蹴る! 我慢の限界だっ!!」


「なんでだっ!?」


 いや、なんでもなにも。


 それはそれとして、蹴るのを我慢してたのか。あの、あすかが……。

 我慢する理由として挙げられるのは、やっぱり、蹴りを入れて嫌われたくないからっていうのが、一番にくるだろうか。

 そしてそれは、彼女が力也に対して好意を持っていて、それに自分で気づいてないと、起こりえないことなわけで。

 だから、つまり……、


「……自覚、し始めてるのかな? あすか」


「いや~、まだまだなんじゃないかなあ……」


「えっ!? 美花ちゃん、いま僕、声にだしてた!?」


「うん、思いっきり」


 からあげを口に入れながらうなずく彼女に、僕は「うわあ」と漏らしてしまう。


「これからは気をつけなきゃ……」


「そうだね。……今夜は梢ちゃんに夜這いかけたいなあ、とも漏らしてたから、今後は本っ当に気をつけないとね」


「それは絶対に言ってないよ!」


「いやいや、言ってたって」


「言ってないよ! いくらなんでも、そんな迂闊うかつな――」


「ほほう。つまり、心の中では思っていたと?」


「思ってないから!!」


 ぜえぜえ、と息を切らしながらも反論する。

 だって、思ってもいないことが口から出るわけがないのだから。


「でもさ、本当に言ってたんだから、しょうがないじゃない」


 だというのに、美花ちゃんはすごく淡々と話を戻してきた。


「大体さ、私がこんなことで嘘ついてどうするの」


「えっと……」


 その落ちつきぶりに、思わず不安になってしまう。


「まさか、本当の本当に?」


「いや、嘘」


「ちょっとおぉぉぉぉぉぉっ!!」


「理緒くん、そろそろ一度、落ちつかない? 大事な大事な主演男優の喉が潰れちゃったりしたら、シャレにならないでしょ?」


「……潰しにかかってるのは、誰だろうね?」


「え? その言い方から察するに……、もしかして私?」


「そうだよ!」


「言ったそばから怒鳴らないの。ほら、どうどう。理緒く~ん、どうどう~」


「いや、僕は馬じゃないんだからさ……」


 しかし、これ以上大声をだすと、本当に喉を潰しかねないな……。

 意味はないと知っていながら、手を喉に当てる僕。

 それから、黒江さんと一緒にお酒を飲んでいるフィアリスのほうに目をやった。


「ビールもよいが、やはり一番は日本酒じゃな。うむ、人間のこころざしとアルコールの度数は、高いほうがよい」


「なら、次はウォッカでも用意しておくか? フィアリスフォール」


「そうじゃな。買っておいてくれ」


「承知した」


 ……なんというか、僕もすっかりこの光景に慣れちゃったなあ。

 僕が初めて片山荘に来た日に開かれた歓迎会のときには、『未成年でしょ、きみ!』なんて注意をしてたというのに。

 でも、それに『実年齢はゆうに一億歳を超えておる』とか返されちゃうとなあ。


 それでもなお食い下がっても、『うるさいのう。イリスフィールみたいなことを言いおって』とか煙たがられるばかりだったし。

 なら、別の方向から切り崩そうと『イリスフィールって誰さ?』と尋ねてみれば、大真面目な表情で『わしの同僚じゃ。わしと同じく、世界を維持するために創られた奴じゃよ』なんて、電波なことを言われる始末。


 もっとも、実年齢が一億歳だろうと十三歳だろうと、外見は十三歳の少女のそれでしかないのだから、彼女にお酒を売ってくれる店員なんているわけもない。

 必然、買い出しに行くのは黒江さんの役目となっていた。

 フィアリスは彼の買ってきた日本酒をちびちびとやりながら、美花ちゃんに視線を向ける。


「ときに、帰ってきたときは妙に元気がない様子じゃったが、なにかあったのか? 美花」


「うん? ああ、まあね~。ちょっと上手いことハメられちゃって……」


「ふむ、詳しく話してみい」


「それがさ、かくかくしかじかってわけでさ……」


 いや、それじゃわからないでしょ……。


「ほお……」


 わかったの!? フィアリス!!


「なるほど、さっぱりわからん」


 わからないんだ!!

 美花ちゃんは「だよね~」なんてつぶやくように漏らしてから、改めて事情を説明する。

 彼女が話し終えると、フィアリスよりも先に黒江さんが口を開いた。


「なるほど。しかし、そんなことができるものなのかい? お嬢さん」


「施羽さんは『やってやれないことはない』って言ってたんだけどね」


「しかし、魔術による声量せいりょうの増幅も無しに――」


「そう言うな、黒江」


 あごをつまんで、なにやらフィアリスのような電波っぽいことを口にしだした黒江さんの言葉を、その彼女自身が遮って、


「確かに施羽深空が言うたのじゃな? 美花。『やってやれないことはない』と」


 美花ちゃんがうなずくと、フィアリスは頭の中を整理するかのような間を置いてから、


「――なら、問題はない。施羽深空が言うたとおり、やってやれないことはないのじゃろう。……あそこは、わしの紡いだ『神性聖結界しんせいせいけっかい』の内側じゃからな。できると心から信じておるのなら、絶対にできる。言うたのが施羽深空であるのなら、なおさらじゃ」


 ああ、また電波なことを言ってるよ、この娘は……。

 でも彼女の言葉には、ちょっと引っかかるところがあった。


「ねえ、フィアリス。深空ちゃんのことを知ってるの? なんか、彼女とは知りあいっぽい感じが、言葉の端々はしばしからしたんだけど……」


「いや、これといった接点はないの。じゃが、あのむすめは少々特別じゃからな」


「特別? ……まあ、一種のカリスマ性みたいなものは、ある娘だけどね」


「別にわしは、そういう意味で言うたわけではないのじゃが……。まあ、よい。知らずとも、お主が困ることなどないからの」


 なんとも引っかかる物言いだ。

 でも、いつからだったか僕は悟っていた。

 知らないほうがいいと言われたのなら、知ろうとなんてしないほうがいいんだって。


 好奇心は猫をも殺す。

 蛇が出てきてから、やぶをつついたことを後悔しても遅いんだから。

 知らなきゃいけないことは、いつか、嫌でも知ることになるのだと、僕は思っているから。


 そんなことを考えていたからだろうか、続いて漏らされたフィアリスの、


「――むしろ知られたほうが、わしにとっては不利益に働くやもしれぬしの……」


 という言葉は、右の耳から左の耳へと流れていってしまった。


 そして、それからも宴会は続いた。

 終わったのは、夜も十一時を過ぎてから。

 明日は学校があるっていうのに、まったくもう……。


 お開きになったあとは、お風呂に入って自分の部屋へ。

 布団を敷いて、アラームをかけ、翌日のために可能な限り早く眠ることにする。




 ――そして。

 僕はその夜、また幼き日の夢を見た――。


 ◆  ◆  ◆


 雨が降っていた。

 弱い雨が、しとしとと。

 まるで、必要以上には濡らすまいとするかのように。


 僕たちは駅にいた。

 僕と、僕の両親と、それを見送りに来てくれた、当時の片山荘の住人たち。

 その中には、もちろん梢ちゃんや金髪の少女の姿もある。

 それと、梢ちゃんの両親と、祖父の姿も。


 降る雨は、涙のようだ。

 僕と梢ちゃんの心が流す、涙のようだ。

 僕は今日、親に連れられて実家に帰る。

 僕たちは、まだ幼い子供だ。次に会う機会がいつになるのかなんて、わからなかった。


 だから、僕は彼女に贈り物を用意した。

 明日には家に帰らなきゃいけない。その事実を飲み込んでからすぐに描き始めた、一枚の絵を。

 彼女と遊ぶ時間を投げうってまで描いた、その絵を。


「――こずえちゃん」


 折りたたんでポケットに入れておいたそれを、梢ちゃんに向けて差しだす。

 その画用紙は、湿気を吸って、少しだけ曲がってしまっていた。

 けれど、雨には濡れずにいてくれた。――ああ、今日の雨は、どうしてこんなにも優しいのだろう。


「これ、やくそくしたものだよ」


 画用紙に描かれているのは、キツネさん。

 色鉛筆で描かれた、色鮮やかなキツネさん。


「キツネさ――あっ……!?」


 それを受けとろうとして、彼女は差していた傘から手を離してしまう。


「――おっと」


 それを受けとめ、彼女の頭上に傾けなおす老人の姿があった。


 ――天野大善たいぜん

 僕たちの、祖父だ。


「梢、時間はまだ充分ある。慌てずに、しっかり受けとりなさい。――理緒くんの……おもいを」


「……うん」


 祖父にうなずき、梢ちゃんは改めて僕のほうに向きなおる。


「ありがとう、キツネさん」


「うん……」


 僕はただ、それだけを。

 ともすれば、泣きだしそうになってしまいながら、それだけを。

 それだけを、彼女に向けて……告げた。




 ――ふたつのかさが……かさなる。




 あおいかさと、あかいかさ。




 わたしたのは、やくそく。




 ぼくたちの、やくそく。




「――子供はいいものね、タイゼン。無垢で、純粋で……」


「そうじゃな。こんな光景を、わしはあと何度、見ることができるのか……」


「二年なんて、あっという間に過ぎてしまうものね。でも、大丈夫。あと一度は見られるから」


「そうか。それは重畳ちょうじょう。……どうやら儂は、思い残すことなどなにひとつなく、けそうじゃな」


「あのね、タイゼン。寿命はあと二年あるのよ? まだまだ、たっぷりとやってもらうことはあるんだからね?」


「はっはっはっ、そうだった。造物主クリエイターの出迎えという役割が、儂にはまだ残っておったな」


「そうよ。あなたには、造物主を二年ほど抑えておいてほしいんだから。……まったく、どうして『あと二年』、なのかしらね」


「儂も人間じゃからな。そればかりは仕方あるまい。……不老不死の法に手をだす気もないしの。――して、儂亡きあとはどうするのじゃ?」


「……後任を、用意するわ。とっておきの、後任を。私だって、いつまでも片山荘で暮らしていられはしないんだから」


「そうか。――しかし、儂の後任か。とんでもない大物が来そうじゃな、これは……」




 やがて、傘は離れ。

 キツネの絵は、彼女の手の中へと納まった。

 いまだ降り続く雨に、濡れることなく。



 約束は、果たされた。


 次に描くのは、キツネの絵。


 それを必ず、きみにあげると――。



 二人の間に交わされる言葉は、もうない。

 だって、これ以上なにか言おうものなら、それはきっと、嗚咽おえつとなって出てしまうから。


 そのはず、なのに。

 幼い僕は、口を開いていた。

 おそらくは、たたずむ彼女の表情が、いまにも泣きそうに歪んでいたから。


 泣いたって、いいじゃないか。

 とうに空は泣いている。

 一緒になって、二人で泣いてしまえば、それでいい。


「ぼくはこれで、もうかえっちゃうけど、こずえちゃんはさ、ぼくとこれから……なんかい、あうことに……なると、おもう……?」


 流れそうになる涙を必死になってこらえながら、僕は彼女にそう問いかける。


「うん、と……。に、かい?」


 たどたどしく返された言葉に、僕は大きく首を横に振って、


「……ううん、もっと。もっとだよ。なんかいも、なんかい、も……!」


 それに、うつむき加減になっていた梢ちゃんが顔をあげ、瞳を輝かせた。


「あそびにきてっていったら、きてくれる……?」


「もちろん、だよ……! こないでっていっても、おとうさんと、おかあさんと……、きちゃう、から、ねっ……」



 そこから先は、もう続かない。



 瞳から、涙があふれでる。



 それを、傘を持っていない手で、ごしごしとこすって。



 漏れそうになる嗚咽を堪えながら、こすって。



 何度も、何度も、こすって。



 目の前にいる梢ちゃんは、笑顔で。



 まだ、ほんのちょっとだけ寂しそうな、笑顔で。



 けれど、それも少しずつ、歪んでいって。



 彼女の、瞳からも。



 大粒の、涙が。



 こぼれて。




 ――それが僕たちの、初めての『別れ』。

 僕たちの経験した、一度目の……別れ。


 最後に、笑顔ではなく、涙を流して。

 全部、全部、ぶちまけて。

 そうして僕は、彼女の住む地を、あとにした――。




 いつか、また会おう。

 そんな気持ちをこめて、僕はあの絵を描いた。

 あの絵は、僕たちを繋ぐ絆だ。

 僕たちの『やくそく』が、形になったものだ。


 一度目の約束は、果たされた。

 なら、二度目の約束だって、きっと果たされる。

 二度目が果たされるのなら、三度目も。

 そうやって僕たちは、永遠に繋がり続けるのだ。


 何度となく、約束を積み重ねて。

 別れのたびに、涙を流して。

 いつの日か、自分の意思だけで会うことができるようになる、その日まで。

 そしてもちろん、そのあとも。


『――いま このとき この場所で』


 やがて、雨が強まり。

 見える景色がけぶり始めてきた。


『――起こったことよ セピアにかすめ』


 それは、僕の見る夢の終わり。

 幼き日に夢見ていた、『永遠』の終わり。


『――記憶は無意味 過去おもいでは無価値』


 永遠を望むことは、罪なのだろうか。


 ずっと、あのままでいられたら。

 ずっと、無垢なままでいられたら。

 お互いに、永遠に、想いあって生きていけたら。


 それを望むのは、罪なのだろうか。

 それを望んだのが、罪だったのだろうか。

 僕がそれを望んだから、だから僕たちは――


『――忘れてほしいと私は願う』


 だから、僕た――……


『――心の傷あと もう増えることのないように』


 ――夢が終わる。

 再生されていた過去は、再び忘却の彼方へ。

 心の奥底にある、ひとつの部屋へ。


 けれど、僕たちが。

 僕が、ではなく、僕たちが。

 それを、心から望むなら。


 『彼女』に、忘れてほしいと願われた過去と。

 ふたり、手を取りあって向きあいたいと、心から望むなら。


 そのときは。

 いつか遠い、そのときには。

 『彼女』はきっと、どこからともなく現れて。

 僕の心の部屋にある、扉の鍵を渡してくれる。


 なぜか、そんな予感が。

 余韻として、確かに残った――。

いかがでしたでしょうか?

前半は初の宴会パート。

騒がしくも賑やかな夜の一幕です。

あすかの気性が少しだけ穏やかになっているような気もしますが、はてさて、彼女は自分の気持ちをどれだけ理解できていることやら……。


後半は打って変わって、しんみりとした過去パート。

けれど、ただ悲しいだけではありません。

もちろん寂しくはあるけれど、それだけではない、いつか来る再会の日という名の『希望』をこめて書きました。

では、次のお話でまたお会いしましょう。

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