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第九話 僕の抱える罪悪

 体操着から制服に着替えて、僕たち男子は部室から出る。

 廊下には、僕たちが着替え終わるのを待っていた梢ちゃんたちの姿があった。

 いくつか言葉を交わしてから、彼女たちは入れ替わりで部室へと入っていく。


「腹減ったあ~。理緒、学食行こうぜ~」


 隣からは、空腹を訴える力也の声が。しかし、その誘いに僕は首を横に振った。


「僕は、梢ちゃんたちが着替え終わるのを待ってるよ」


「ええっ!? オレ、このままじゃ腹減って死んじまうよ!!」


「いや、先に行ってていいって、暗に言ったつもりだったんだけど……」


「そうか? でもそれだと、なんかすげえ薄情な感じしねえか? オレ」


「大丈夫だから。薄情だなんて、誰も思わないから。僕は好きで待ってるんだからさ。――ねえ? 隆士くん」


「だな。俺は先に学食行くつもりでいたし。……そうそう、今日は施羽にジュース奢ってもらえるんだった。まさか乗ってくるとは思わなかったが、吹っかけてみるもんだな」


 腕立てのときに賭けの話を持ちかけたのって、隆士くんのほうからだったんだ……。


「じゃあ、立川。そんなわけで先に行ってるからな」


「うん、行ってらっしゃい。……ほら、力也も」


「……まあ、仕方ねえか。んじゃ、あんまり遅くなんなよ」


「それは中にいる女子たち次第、かな」


 肩をすくめてみせると、力也は苦笑を浮かべて背を向けた。

 そのあとに続くようにして去っていく、演劇部の男子生徒たち。

 ……僕抜きで話すことで、力也と隆士くんが少しでも仲よくなれるといいのだけれど。

 そんなことを思いながら、ドアの隣の壁に身をもたれかからせた。


 やがて、隣でガラガラという音がして、扉が開く。

 同時に「ちょっと部長! みんな、まだ着替えてる途中なんですよ!?」という詩織ちゃんの声が。


「……みんなが着替えるのが遅いだけじゃない。まったく、ペチャクチャしゃべってばかりでさ。大体、廊下で待ってるような男子なんているわけが――」


 そこまで言ったところで、壁に身を預けている僕と目が合い、硬直するブレザー姿の深空ちゃん。……ええと、


「とりあえず、ドアの真正面に立ってなくてよかったよ、僕」


 でなければ、部室内の様子が見えちゃっていたかもしれないし、見てなくても覗き魔認定されていたに違いない。


「あはは……。ごめん、いまのはアタシの失態だったわ」


「うん、危ないところだった。――ところで深空ちゃん、着替えるの早いね」


「あー、まあね。アタシって黙々と着替えるから。……ところで、立川くんは誰を待ってたの?」


「誰ってわけで――」


「待った、当ててみせよう! う~ん、そうねえ。順当に考えれば美花なんだろうけど、今日はいないわけだし……あすか?」


「違うよ。僕はただ――」


「わかった! 梢でしょ!!」


「だから違うって。僕は――」


「むむむ、他に候補は……。もしかして、詩織? ダメだって、あの娘には好きな――」


「少しは僕の話も聞こうよ、深空ちゃん! ……あのね、僕は特定の誰かを待ってたってわけじゃないんだよ。強いていうなら、梢ちゃんとあすかってことになるんだろうけど」


 二人とも一年生だし、初対面も同然の集団の中に放り込まれているんだし、その大半は二年生なのだし、と不安の種は尽きないから。

 しかし、そんな僕の心のうちなんて知らない深空ちゃんは、とんでもないつぶやきを漏らした。


「……同時攻略を狙ってるってわけ? 大人しそうな顔しておいて、やるわね……」


「違うよ! というかね、深空ちゃん。僕は誰かとつきあうとか、そういう気は全然ないんだよ」


「なんで? あすかに梢に美花と、よりどりみどりじゃん。あ、捉え方によっては、アタシと国本と詩織も攻略対象に入るのかな?」


「知らないよ……」


 というか、なんでこんな話になっているんだ。

 がっくりと肩を落とす僕に、彼女は心底不思議そうな瞳を向けてくる。


「わっからないな~。それぞれタイプは違うけどさ、あすかも梢も美花も、充分に魅力的な女の子じゃない。なのに誰にも心を動かされないの? まあ、美花の場合は美少女すぎて、気後れしちゃうのかもしれないけど」


「それはあるね。……って、いや、そうじゃなくて。なんていうのかな……ああ、そうか。つきあう気がないって言ったから誤解されちゃってるのかな」


「誤解?」


「そう、誤解。……僕はね、女の子とつきあう気がないんじゃなくて、つきあっちゃいけないんだよ。わかった?」


「つきあっちゃ、いけない? ……なんで?」


「なんでって、訊かれても……」


 言葉に詰まった。

 だって、説明なんてできなかったから。

 そもそも、正確には『誰かとつきあっちゃいけない』ですらないのだ。僕が普段、無意識下で覚えているものは。


 ――自分は、決して幸福になどなってはいけない。


 それが、僕の抱いている脅迫観念。

 いつからか、無意識下で抱くようになってしまっていた、脅迫観念。


 いつ頃からなのか、なんてのは憶えていない。

 そう思うようになってしまった原因も、わからない。

 本当に、自分でも昔から不可解に感じている脅迫観念。


 それは、いつもは僕の意識という名の湖の底に沈んでいる。

 そしてときおり、水面すれすれにまで浮きあがってくる。

 でも、それが水面にまで顔を出すことは稀だ。

 本当に、年に数えるほどしかない。


 なのに、それが今日は二度も起こっていた。

 一度目は、腹筋運動のとき。

 梢ちゃんの補助をしていて、ドクンと心臓が脈を打ち、冷や汗が止まらなくなった。


 二度目は、まさにいま。

 といっても、いま感じているものは、先ほどのに比べればどうってことはない。

 心音は落ちついているし、冷や汗だって流れてないのだから。

 でも、こうして意識してしまうくらいには、動揺してしまっていて。

 無意識のうちに受け流すなんてこと、できなくて……。


 発作、と呼べなくもないのだろう。

 これは間違いなく、僕の抱えている『心のやまい』だ。


 いまの騒がしい毎日だけで、満足しなければいけない。

 誰に対してであっても、僕は、他人ひとに恋愛感情など抱いてはいけない。

 自身の幸福に繋がるような感情など、絶対に抱いてはいけないし、他者のそれを受け入れることも許されない。


 そう、本来なら。

 いまの片山荘での日常すらも。

 自分には、過ぎた幸福なのだから――。


 なぜか僕は、そう思うようになってしまっていた。

 幸福になることに、罪悪感を覚えるように成長してしまっていた。

 一体、なにに対して罪の意識を抱いているのかすら、わからないというのに……。


「あの、さ……」


 控えめにかけられる声があった。

 うつむき加減になっていた顔をあげれば、そこには深空ちゃんの心配そうな表情が。


「大丈夫? なんか、悪いこと訊いちゃったかな? 顔、真っ青……」


 僕、そんな酷い顔色をしているんだ……。

 彼女の不安をちょっとでも和らげたくて、僕は少し無理して微笑を浮かべた。


「大丈夫だよ。ちょっと、嫌なことを思いだしただけだから。……それと、こういう話は今後、あまり振らないでくれると助かる、かな」


「それは……もちろん、いいけど。でも……」


「ごめん。僕にも、色々とあるんだよ……」


 そう、自分自身ですら把握できてないくらい、色々と。

 深空ちゃんはまだなにか言いたそうだったけれど、ありがたいことに、それ以上は追及せずにいてくれた。

 そして、不幸なことは重なるものだっていうけど、幸いなことも同じくらい重なるらしく、部室から梢ちゃんたちが出てきてくれた。

 先頭にいたのはセーラー服に身を包んだ詩織ちゃんで、さっそく深空ちゃんに文句……というか、お説教を始める。


「部長、ダメじゃないですか! 仮に男子が全員、先に学食に行っていたとしてもですね、私たちのように部活動があって登校してきた男子生徒が、偶然通りかかる可能性だってあるわけなんですから!」


「ごめん、詩織! 本当にごめんって! 次からは気をつけるから!」


 深空ちゃんは、ただただ平謝り。

 そりゃそうだ。今回の件は弁護の余地なく、深空ちゃんが悪いのだから。

 ひとまず説教をして気が済んだのか、詩織ちゃんは次に顔を僕のほうに向けてきて。


「……見ました?」


「見てない見てない!!」


 慌てて、ぶんぶんと首を左右に振る僕。

 彼女の後ろには梢ちゃんとあすかもいるのだから、これで焦らずにいられるわけがない。

 しかし、詩織ちゃんは一応確認をとっておきたかっただけなのか、ただ「そうですか」とだけつぶやいて、


「じゃあ、そろそろ学食に向かうとしましょうか。早くしないと、男子の皆さんは食べ終えてしまいかねません」


 ありえる話だった。特に、力也あたりは。

 そんなわけで僕たちは、ちょっと急ぎ足で学食へと向かうのだった。


 ◆  ◆  ◆


 結論から言って、力也はまだ食べ終えていなかった。

 その代わり、普通の男子の何倍もの量をたいらげていた。


 ようやく開始できた昼食の席では、あすかが興奮気味に力也の腹筋の回数について語った。

 嬉しそうというか、どこか誇らしげな彼女の表情を見て、僕はこっそり笑ったものだ。

 どうやら、まったく同じ内容の運動をすることで、彼女は初めて力也の凄さを理解したらしい。

 でも、そこで誇らしげにしていいのは力也であって、あすかではないと思うんだけど、そのあたりはどうなのだろう。

 まあ、力也も力也で嬉しそうだったから、これでも別にいいのかな。


 昼食を終えたら、再び部室に戻って練習を再開。

 深空ちゃんが練習用の台本を取り出してきて、


「じゃあまずは、立川くんと梢、あすかの三人ね」


 と順に手渡される。

 ちなみに、昨日言っていたとおり、本番用の台本は月曜日までに用意するとのことで、今日のは文字どおり、本当に『練習用』の台本だ。


「はい、じゃあ立川くん、スタート!」


 指示を受け、僕は一歩前へ。

 そして台本に書いてあるとおり、丁寧に口にだしてみる。


「――お待ちください、勇者さま。その剣で魔王を倒すことはできません。我が家の家宝である、この聖剣をお持ちになってください」


 なんとモブキャラのセリフだった!

 チラリと深空ちゃんのほうを見る。


「まあ、少々棒読み気味ではあったけど、最初はこんなもんでしょ」


 棒読み気味だったのか……。

 叱られたわけじゃないけど、ちょっと落ち込むなあ。

 僕、大丈夫なのかな、しょっぱなからこんなんで。


「なに落ち込んでるのよ。言ったでしょ、最初は誰だって素人なんだって」


「それはそうだけどさ、もう一ヶ月を切ってるんだよ?」


「だから休日返上で特訓してるんじゃない。――次、梢ね!」


「は、はいっ。頑張ります! ――こほん」


 喉の調子を整えるように咳払いをし、イスから立ち上がって台本を広げる梢ちゃん。


「いまです、勇者さま! 聖剣の力を解放してください!!」


 なんか思いっきり主要人物っぽかった!

 勇者一行の一員っぽかった!

 そして、なんかものすごく上手かった!!

 それは深空ちゃんも同感だったらしく、


「やるじゃない、梢! これなら主役だって任せられるわね!」


「そ、それは言いすぎですよ、部長さん」


 梢ちゃんは、照れているのと困っているのとが半々のような表情で否定したけれど、


「そんなことないって! うん、これはいけるわ!!」


 そんな彼女に向けられたのは、なんの裏も感じさせない深空ちゃんの笑顔だった。

 実際、危なげないところはなかったし、棒読みでもなかったし、ぶっちゃけ、熱みたいなものがこもってたもんなあ、梢ちゃんの演技。

 というか、天は彼女に色々と与えすぎなんじゃないだろうか。才能も、重荷も。……まあ、才能がある人間には、相応に背負わなきゃいけないものがあるってことなのかもしれないけど。


「じゃあ次! あすか!」


「わ、わかった。ダイヤの原石になれるよう、頑張る……!」


 いや、なるのはダイヤであって、いつまでも原石のままでいてもらっちゃ困るんだけどね。

 ともあれ、席を立ったあすかの演技が始まる。


「やった、わ。これ、で、へーわ、が……って、違った。……えと、これで、この大地、に、平和、が、おとずれるの、ね」


 たどたどしすぎた!

 上手いとか下手とか、それ以前の問題だった!!


「わ、たしの……たたかい、も、これで、終わり。これから、は、希望に、みちた、未来、が……」


 しかも、まだセリフあったんだ!!

 ……ああ、そうか。あすかはスカウトされた身だから、深空ちゃんからの期待も大きいのか。

 それはそれとして、これはおそらく女勇者のセリフなんだろうけど、なんか、魔王と刺し違えたかのような印象を受けるなあ。

 実際は、勝利して故郷に帰り、これからは普通の村娘として暮らしていくっていう設定なのに……。


 それはそれとして、あすかの演技の酷さには、さすがの深空ちゃんも困惑の色を隠せないんじゃないのかなあ……。

 そう思い、彼女のほうを盗み見てみると。


「…………」


 なんか、めっちゃ顔をしかめていた!

 その表情に不安を覚えて、近くまで寄っていき、小さい声で尋ねてみる。


「……どう?」


「ヤバいわね……」


 予想どおりの答えが返ってきた。


「どれくらい?」


「そうね……。ラーメン食べようと思って横浜に行ったら、想像以上のマズさで、思わずその足で東京まで出て、飛行機で旭川まで足をのばしちゃった。それくらい、ヤバいわね……」


「……とりあえず、致命的なヤバさだってことはわかったよ」


 たとえのほうは意味不明だったけど。

 そんな会話をしているとは想像もしていないのだろう、あすかが明るい表情を浮かべて、こちらにやってきた。

 ……うん、正直、なんでそんな明るい顔ができるのか、とても理解に苦しむよ、あすか。


「どうだった!?」


 さあ、なんて返す? 深空ちゃん。


「あー……っと、うん、まあ、その……最初は誰だって素人だからっていうか、頑張れば原石くらいにはなれるわよっていうか……」


 ああ、すごくコメントに困っているなあ。

 言葉を選びに選んで話しているのが、よ~く伝わってくるよ。

 でも、額に汗が滲んでるところをみるに、あすかに限っては『最初は誰だって素人だから』っていう励ましも、無理があると感じ始めているのだろうなあ……。

 それにまったく気づかないあすかは、顔を輝かせて喜んだ。


「そうなのか! 安心した! ……本当は、これじゃどうしようもないんじゃないかって、思ってたから」


 グサリ!

 そんな音が、深空ちゃんのほうから聞こえたような気がした。

 彼女は顔を引きつらせ、


「や、や~ねえ、そんなことないって。……えっと、一年くらい練習を続ければモノになるって。きっと……」


「一年? それだと彩桜祭には間に合わないんじゃないのか?」


「え? あ、えと、ほら、その……。そこはそれ……」


 なにがどう、そこはそれ、なのだろうか……。

 とりあえず深空ちゃんが、外見だけであすかをスカウトした、ということだけはよくわかったけれど。


 まだまだ素人レベルの僕と、舞台に立たせること自体に不安を覚えてしまうあすか。

 抜群に演技が上手い梢ちゃんがいるのが救いではあるけれど、本番では台本の内容を暗記して、動きだって記憶しておく必要があると、まだまだ越えるハードルは彼女にも多い。


 ああ、前途は多難だ……。

 こんな調子で、彩桜祭までにちゃんと形になるのかなあ、僕たちの劇。

 そんなふうに、心配ばかりが募ってしまう昼過ぎだった。

いかがでしたでしょうか?

ここにきて、ようやく理緒の抱えるトラウマ(?)を描写できました。

でも正直、提示するのが遅すぎですよね(汗)。

やっぱり、ちゃんとプロットをノートに書くのは大事だなあ。


ともあれ、あすかはこの先、ちゃんとダイヤの原石になれるのか!

それとも美花と交代なんて展開になっちゃったりするのか!

ご期待ください!!

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