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55 愛していたんだ

 早く言えとばかりに注ぎ足されたビール。

 ショットバーで注ぎ足すなんてことはないが、今は営業時間外だ。

 一気に泡を口に含んで、生駒は説明を続けた。


「墓地での芝居。結末は同じでも、そうした理由というか、考えたプロセスがまったく違っていた」

 やりきれない思いで頭を抱え込んだが、痺れを切らした柏原が、ピアノを弾くように五本の指でカウンター叩く。


「石上は僕を襲おうなんて、これっぽっちも思っていなかったんだ。彼は、その言葉通り、心配して来てくれたんだ」

「なぜわかる」

「夜、人を襲うのに、あんな目立つ色の服で来るか? 中には黒い下着を着ていたんだ。なぜ、上着を脱いでこなかったんだ? 暑いのに」

「どんな服だ?」

「薄緑色の作業服」

「ふむ」

「それに、僕はかなりの時間をおいて墓地に向かった。襲うつもりなら、なぜ待ち伏せしていなかったんだ?」

「うーむ」

「彼の方が明らかに後から来た。彼の紙袋は、僕が物置の脇を通った時にはなかった。それに、なんというか、表情が……」

「人を襲うような顔ではなかったと」

「ああ。石上には、僕の行動の意味が理解できていなかった。なぜ、夜中に墓地に行くんだ、と」

「うーむ」

「ついてきてみると、なぜか僕は石上家の、つまり住田家の墓を確かめているんだから。それはうちの墓ですけど、と言いながら、理解できない、という顔をしていた」


「自分の実家の墓だということを、隠そうとはしなかった?」

「そういうこと。しかし、やっとわかったんだ。僕のしようとしていたことが。罠だということに。僕を襲わせ、一連の事件にけりをつけようとしていることが」

「ふむ。で、どうなった?」

「悲しそうな顔をしたよ。そして、先生も、ひとぎきが悪いなと、まるで独り言のように」



 生駒は、大矢に心を込めて話しかけた。

「昨夜、いいことを言いましたね。愛とは、自分のことより、相手のことを優先して考えることだって」

 大矢は表情を変えなかったが、昨夜のことを反芻していた。

 そして、返事の代わりに「娘って……、香坂さんのことだったんだ……」と、呟いた。


 生駒は、自分の出した結論を話した。

 想定とはまったく違っていた石上の言動。

 どうしようもない違和感……。

 そして、イチョウの神木の前でひらめいた新たな考え。



「石上は、香坂さんの身代わりになろうとしたんじゃないか」

「ええええっ!」

 驚きのあまり、大矢はぴょんと飛び上がった。

 スツールが倒れて派手な音を立てた。

「そんな! ちょ、ちょっと待ってください!」

 大矢は、立ったままカウンターに両手を突いて、前のめりになって大声を出した。


 柏原が大矢を制して、座るように促す。

「大矢さん、だから僕は……。大失態をしでかしてしまったんだ……」

 怒りからなのか、緊張からなのか、大矢の指先が震えていた。



「香坂さんは、中桜産業が現場から切られることを知っていたんですよね。パーティの次の日に。しかも若槻さんは、担当が気にくわないと言った。これはあなたから聞いた話ですよね」

 大矢は何も言わなかった。

「担当とは石上のこと。そうなれば、父親はたちまち路頭に迷うかもしれない」

 生駒は、自分が冷静であることを確認しながら、努めてゆっくりと話した。

 そうしないと、声が震えてしまいそうだった。


「しかも、若槻さんが、自分のおばあちゃんのことを誹謗中傷していることも知っていた。若槻さんは誰彼無しに、嘘をばら撒いていたんだから。香坂さんの耳にも当然入っていた。どう?」

 大矢が、黙って頷いた。



 そして、僕は思い出したんだ。

 パーティのとき、石上が持っていた紙袋の中に、水色のものが入っていたのを。

 あれは、香坂さんがいつも使っていたトートバッグじゃないかと。

 着替えたのは石上ではなく、香坂さんじゃなかったのかって。


 その時の香坂さんの服装。

 よく覚えていない。

 パーティのときのスナップ写真を見ると、スタートのときと、お開きのときの服装は同じに見える。

 でも、白っぽいTシャツにジーンズなら、替えはいくらでもあるだろう。



 大矢の目が潤んでいた。

 生駒は、自分でも心が揺れた、あの言葉を口にしないではいられなかった。


 子供のことならなんでもする。

 自分は犠牲になっていい。


 大矢さん、そうとも言いましたね。

 いい言葉だった。

 僕も、じんときましたよ。



「あれを聞いて、石上の心は決まったんじゃないでしょうか」

 大矢の頬に、涙がこぼれ落ちた。

「そしてもちろん、香坂さんも父親を愛していた……」

 生駒も、目頭が熱くなってくるのを感じた。


「彼女は、キックバックのことも知っていた。汚い金の流れがあると話してくれました。織田さんに罪を着せることができるかもしれない、と考えたのではないか」

 目頭に滲み出たものを、小指でさらりと拭い飛ばす。


「若槻さんをわざわざ吊るしたこと、これは……」

 結局、このシーンを見たのは誰と誰だろう。

 生駒は、そのシーンを思い浮かべることができる。

 賑やかだった焼肉パーティの名残の声が聞こえる中で、暗いロビーに跳ね上がるように吊るされた若槻。

 ゴミ箱から出た反動で、大きく揺れたことだろう。かなり回転もしたかもしれない。

 しかし、それは一瞬のこと。

 地下に落ちた若槻。

 盛大にコンクリートの埃を舞い上がらせて。



「なぜそんなことをしたのかは、織田さんが鈴木さんを脅していると見せかけるためだったんじゃないか。キックバックのことを公にするなよと」

「かもしれない、か……」

「そう。かもしれない、だ。長くなるが、僕は、自分の思考のプロセス通りに話している。結論だけを聞きたいか?」

「いや、まだ日は長い」

 そういって柏原が、にやりと笑った。

「いくらでも付き合うぞ」


 生駒も、それに応えて、引きつった笑顔を送った。

「ところで、鈴木さんには脅しの電話が掛かってきていた。キックバックを公にしろ、という電話が」

 大矢の関心を引きそうな話題だったが、当人は目を伏せたままだ。

「電話の主は、白井さんだな。中田部さんではないと思う。実家の恥を晒すことはないから。もう、どうでもいいこと」



 イチョウの話。

 生駒は、綾から聞いたあの言葉を何度も反芻した。

 それは、雀に呼びかける歌だった。

 

 スズメではなく、雀の子と言っていたのである。

 石上靖夫のあだ名は、雀。

 その娘のことだったのだ。

 カラスはくろい。くろいは黒井。

 カラスを落とす。優の話そのままだった。

 シネは米。

 若槻米一。

 コメツブを巻いたと言っていたのだ。

 黄金の蛇、つまり黄色いロープで。


 イチョウの言葉の謎。

 謎でもなんでもない。

 状況そのままをイチョウは歌っていたのだ。

 しかし、もちろん生駒は、この話はしなかった。

 大矢に聞かせる必要はない。



 大矢が頭をもたげた。

「あの放火は、あれも香坂さんが?」

「放火とは誰も言っていない。僕らが勝手にそう思い込んだだけ。実は今朝、中田部さんに電話をしました。遅ればせながらの、お見舞いの電話を」

「……」

「あの火事は、織田さんのタバコの不始末。警察はそう結論を出しているそうです。ちなみに言っとくと、行武さん情報によれば、葬儀の日、中田部さんが慰めていた男。あれは石上さんだったんです。何かと面倒を見てくれていた織田さんの弔いに来た石上さんを、心優しい弟の中田部さんがねぎらっていた、というシーンなのでしょう」


「あの、じゃ、この地図」

 すべてを確かめておきたいというように、大矢が質問を投げてくる。

「これは、香坂さんが送ったんでしょうか」

「そうかもしれない。でも、違うと思うな。これは石上さん自身じゃないかな。昔、妹が見殺しにされたその場所で、三十年以上も経ってからその張本人が仕事をしている。石上はそれを伝えたかったんじゃないかな。ささやかに、チクリとね」



 生駒は、間違ってしまったそもそもの原因である、地図にもう一度目を落とした。

 昔の水路の面影は全くなくなってしまい、それと同時に、住田家の不幸の始まりを証言するものも、都市化の波に呑まれて掻き消えてしまった。

 しかし、そんなことで人の記憶は消えるものではない。

 その場がどんなふうに変わっていこうとも、時間という縦軸はずーと、その場の記憶を次々と串刺しにしながら流れている。

 そんな当たり前のことを改めて感じた。


 大矢のまたの質問。

「あの、キックバックの密告者は誰だったんでしょう」

「大矢さん」

「はい……」

「それを聞いてどうします? いえ、嫌味じゃないんですよ。聞いてしまうと仕事がやりにくくなるかな、と思って」

「教えてください」

「推測ですよ。鈴木さん」

「えっ」

「だから、鈴木さんに、もっとはっきり世間にわかる形で告発しろ、という電話が掛かってきていたんです。上司の白井さんから。匿名ではあるけれども」



 柏原が、ついに最も重要なことを聞いてきた。

「おい、で、おまえ、香坂さんをどうするつもりだ」

 大矢が目を見開いた。

「僕は」

 まだ、考えが決まらないでいた。

 この瞬間までは。

 しかし、自分のフラフラしたつたない推理を警察に伝えることは、愚かしいことのように思えた。



 香坂さんがこの一連の事件にどう関係していたのか、いなかったのか、僕は知らない。

 ただ彼女は、パーティの夜、現場のゲート近くで見たありのままを、遅ればせながら警察に通報したんだろう。

 それだけのこと。


 そう言ってしまって、生駒は、思わず溜息が出た。

 それでいいのだろうか。

 迷いを察したのか、

「くどいようだが、それでいいのか?」

と、柏原が自分のグラスを、ごとりとカウンターに置いた。


「昨日の夜、僕は廃れて久しい夏祭りを懐かしんで、神社や墓地を散歩していただけだ」

「……」

「そして石上さんに出会い、彼の告白を聞いた」

「……」

「夜にそんなところをひとりで散歩するのは物騒だ、と思った石上さんや大矢さんらが心配して、後ろからついてきてくれていたんだ。これ以上、警察に話すことがあるか?」

 柏原がわずかに首を振った。

「言っとくが、愛する娘を庇った石上さんの死が無駄にならないようにって、温情じゃないぞ。石上さんが自分に万一のときの保険を掛けていて、その受取人を香坂さんにしていたからって、そんなことは関係ないぞ。これは、彼女自身が決めなくちゃいけないことだからだ」



 生駒が架けた昨夜遅くの電話。

 保険会社から連絡があったと、涙声だった香坂さゆり。

 そして、彼女からの最後から二通目のメール。

 織田がつかまってひと安心、とあった。

 そのとき持った違和感が、ずいぶん昔の感覚のように思えた。



 大矢は瞬きも忘れたように、目を見開いている。

 香坂がしていたように、カウンターの上に落ちた水滴を指先でいじくりながら。

 生駒はふうっとため息をつくと、微笑みかけた。

「ねえ大矢さん、まだ内緒にしておいてくれるかな」

「……」

 上げた目が、まだ赤い。

「鈴木さんは、今月一杯で会社を辞めるらしいよ」

 再び目を落とす。そして、水滴をいじくる指の動きを止めようとはしなかった。


「子供相手の囲碁教室をやりたかったらしい。それが永年の夢なんだって。いくら囲碁ブームだからって、それだけでは食っていけないだろうから、本業はなにか別の商売をするんだろうけど」

 大矢が指を止め、やがて、ポツリと口にした。

「ナチュレガーデンの営業担当で、栗田という同僚が今朝、退職願を出しました」



 大矢の携帯が鳴った。

 誰からかを確かめただけで、出ようとはしない。

「誰から?」

「鈴木副所長」

「出た方がいいよ」

 もう切れていたが、伝言メッセージが残されていた。

「香坂さんが、警察に……、出頭したそうです……」


 生駒の携帯も鳴った。

 綾からだった。

 夏休み、だいぶ終わってしまったけど、宿題助けてくれる?

 明日から、しばらく泊まっていい?

 約束より、ちょっと早いけど。


 あれ、転校するのに、宿題するの?

 だって、けじめだから。

 出された宿題だし。

 そうか……、けじめか。


 石上や香坂がつけた「けじめ」

 自分のけじめは……。

 優の顔が浮かぶ。


 よっしゃ、もちろんだ。

 綾ちゃんのためなら、何でもする!

 明日といわず、できれば今日からおいで!

 キャー、やったぁ!

 電話の向こうで、綾が飛び上がる様子が見えた。


冗長の極みともいえるミステリーを最後までお読みくださり、ありがとうございました!!

私の本業である建築現場をなんとかネタに、と思って書いたものです。

厳しいご意見、ご評価をお待ちしています!!

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