50 ホトトギスが鳴く時刻
想定外の言葉に、生駒は鳥肌が立つ思いをした。
応えようがない。
何も言えなかった。
石上に笑みはない。
むしろうなだれて、足下の砂利を見つめている。
節くれだった大きな手が、石柵をがっしりと掴んでいる。
再び口を開くと、
「娘に何がしてやれるのか、わしにゃ、ようわからなくて」
と、まるで独り言のように、ますますしみじみとした口調で言葉を吐き出した。
「親子の愛情ってもんは、どうしたら……、どういうもんでっしゃろな」
その視線が墓石に移っていく。
「お袋が死んで、死んでわしに、宝物をくれました。ですが、わしにゃ、どう扱ってよいものやら」
「宝物?」
石上が久しぶりにかすかな笑みを見せた。
「娘ですがな」
照れたように、またタオルで目の辺りを拭いた。
「以前お話ししたことがありまっしゃろ。娘がおるって」
覚えていた。
「再会しましてな」
石上は結婚して子供ができたが、すぐに離婚したと話してくれたことがあった。
「先生。教えてください」
「……?」
石上は意を決したように、話し出した。
「教えてください。娘を愛するってのは、どういうことですか? 何をすれば、何をどうすりゃいいんですか。わしは、なんにもしてやれんのです。金もないし、甲斐性もない。学もないし、何のとりえもない」
「そんなものは、なくてもいいさ」
と、行武が暗闇の中から姿を現した。
少し遅れて、大矢も。
石上は彼らを見ても驚かなかった。
「行武さん、教えてくれますか」
その言葉を繰り返す。
「わしはどうすりゃいいのか……。娘に、親らしいことをなにかしてやりたい。それだけなんです」
行武が諭すように声を掛けた。
「そう思っているだけで、十分、してやってるじゃないか」
「いんや、そんなことは……」
「さん付けは止めてくれるかな。あんたは僕より年上なんだし」
「はあ」
「しかし、驚いたな。あんた、よくうちの弁当を取ってくれてたけど、まさか子供の頃の遊び仲間だったとは。わかってたんなら、言ってくれたらよかったのに」
行武の声は、周りを和ませるものだったが、石上はいやいやをするように、首を振るだけだった。
「大矢さん、娘さん、おられます? おられたら教えてください。わしが娘にしてやれること……。親子の愛ってもんを」
問われた大矢は、黙って首を横に振った。
「僕は結婚していない」
暗くて、目の奥に潜む感情まで読み取ることはできなかったが、石上は穏やかな顔と、静かな声をしていた。
「愛ねえ」
大矢が静かに言った。
「そうですね……。自分のことより、相手のことを優先して考える、これが基本じゃないでしょうか。若造が偉そうに言うことじゃないですけど」
自分のことより、相手のこと……。
生駒は、優にそう諭された夜のことを思い出した。
同時に、綾のことも。
もうすぐ綾がやってくる。
二学期からは大阪に転校だ。
しかし、生駒はそんな思念を頭から追い出し、瞬きを繰り返している石上を見つめた。
アラームの針はまだレッドゾーンにあるものの、すでに半分くらいまで落ちてきていた。
「自分のことより、相手のこと……」
石上がオウム返しに呟いている。
「子供のことならなんでもする。自分は犠牲になっていい。そういうことじゃないでしょうか」
大矢も、落ち着いた表情をしていた。
まだ、鉄パイプを握ってはいたが。
「娘のために……ですか……」
石上は考えているようだった。
周りを取り囲んだ三人は、突っ立ったまま、次の言葉を待った。
どういうつもりで娘のことを話しているのかわからなかったが、ある台詞の助走というつもりなのだろう。
ホトトギスが神社の森で鳴き出した。
沼地の方から、食用蛙の鳴く声がした。
一陣の風が吹いて、生駒の頭頂部をひやりとさせ、石上の白い髪を乱していった。
「わかりました。今から、自首してきます」
その言葉を聞いて、生駒の背中にどっと汗が流れ出した。
石上は立ち上がり、深々と頭を下げた。
生駒も応じるように頭を下げ、「申し訳なかった」と口にした。
石上が怪訝な表情を作った。
それはやがて揺らめき、ほぐれていった。
「皆さん、お世話になりましたなあ。マンション、立派に竣工させてください。それじゃ、これで」
吹っ切れたように、くるりと背を向ける。
そして、大矢と行武の間を通って、トボトボと立ち去っていく。
物置小屋のところに置いてあった紙袋を持つと、振り返って、また頭を下げた。
防犯灯の光に照らされて、薄緑色の作業服が鮮やかだった。
墓石の群れの中を、背を丸めて歩いていく。
携帯電話を取り出して、どこかに電話を掛けている。
端末のピンク色の小さな光が、こんなに侘しく見えたことはない。
警察に電話を架けているのだろうか。
それとも娘に?
生駒は追おうとはしなかった。
石上が逃げ隠れするとは思えなかったし、警察に付き添ってやる必要も感じなかった。
行武や大矢も同じ気持ちだったようで、墓地から出て行く石上を目で追うだけだった。
「終わりましたね」
ぽつりと言う大矢に、行武もゆるゆると息を吐き出した。
「それにしても……、なんとも……」
と、溜息をつき、
「あんな昔の事故。若槻さんと生駒君に妹が殺されたって、まだ恨んでいたとはな」
と、呟いた。