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47 煮えきらない答

 月曜日の夜、オルカに集まった三人には、すでに佐野川拘留の情報が入っていた。

 大矢が説明を始めた。

 警察は若槻殺し及び放火について厳しく追及。

 会社は若槻の横領は告訴しないことを決め、佐野川は懲戒解雇とすることを決めた。


「以上は、本店の工務で事務をしている女性の話です。信頼できる人です」

「一件落着?」

 柏原が明るく言った。

「そうだといいんですけどね」

「煮え切らないみたいですね」

 大矢が、はあ、とあいまいに顔を撫でた。

 生駒はカウンターに頬杖をついている香坂に目を向けた。

「どう思う?」

「警察の判断待ちというしか、仕方がないですね」

「ふたりとも納得いかないようだね」

「いえ、そういうことではなくて……。なんとなく疲れてしまって」



 推理会議は盛り上がらなかった。

 佐野川が拘留され、織田も死んだ今、新たな犯人探しは徒労のように思えた。

 大矢は静かな怒りをいこらせているだけのようだったし、香坂も興味をなくしたかのように、グラスの中身を見つめがちだった。


 生駒は全く納得がいかなかった。

 黒井を突き落とし、若槻を殺したのは佐野川か?

 織田を散々飲ませた挙げ句に、家に火をつけて殺したのも佐野川か?

 佐野川の場合、犯行の動機はなんとでも説明できそうではある。

 しかし、それは殺そうと思うほどのことなのか。

 釈然としなかった。


 しかも佐野川には、若槻事件にはアリバイがある。

 しかし、ジムの女性が嘘の証言をしたのだとしたら?

 あるいは、スタジオの壁に架けられた出欠表を佐野川が改ざんしたのだとしたら?


 生駒は、持って行き場のない疑問をもてあました。

「今日はもう貸し切りにしなくていいか?」

 柏原が聞いてきた。

「ああ」

「じゃ、玄関の張り紙、はずしてきてくれるか」

「わかった」

 仕方がない。

 いつまでも柏原の商売の邪魔をするわけにはいかない。

 しかし、ここで推理をやめてしまうわけにないかなかった。

 本日九時まで貸し切りと書かれた紙をはずしながら、生駒は若槻の言葉を披露しようと思った。

「実は、若槻さんはこんなことを言ったんだ」

 カウンターに座りなおしながら、黒井が転落した後の、あの定例会議が終わってからのことを話した。



「へえ。所長はそんなことを。自分が狙われているのかもって?」

「そう」

「誰に狙われていると思っていたんでしょう。佐野川でしょうか」

 大矢がやる気を少し取り戻したようだった。

「さあ」

「空伝票のことですね?」

「うん?」

 生駒は曖昧に頷いた。

「それなら知っていたと思いますよ」

「なぜ?」

「あの……」

 香坂が口を開きかけたが、大矢が制した。


「今から話すよ。今日は、バトルはやめにしような」

 黒井の判断だと断って、大矢は若槻の空伝票による横領があったことと、それを知った佐野川にゆすられていたこと、しかもゆすっているのが佐野川だと知っていたことを話した。

 そして、そう思える理由も。


 若槻がラウンジ・セピアの空伝票を使って横領していたことをネタにした「ゆすり」である。

 年に数回、十万円ばかりを会社から騙し取っていたが、佐野川が気づいたのだ。

 警察は事件の後、若槻の机の中からワープロソフトで打たれた匿名の脅迫めいた請求書を押収していた。

 当初、警察は織田を取り調べる。しかし、織田はワープロソフトを使えない。

 そして釈放。焼死。

 警察は直ちに佐野川を拘留した。


「佐野川が若槻を脅迫していたことを自供したそうです」

「なるほどね。警察はどんなストーリーを考えているのかな」

「ん……」

 大矢は考えているようだった。

 しかし、急にガクリと肩を落とすと、大きく息を吐き出した。

「もう、なんだか……」

 疲れた、とつぶやいた。

 結局、香坂はなにも言わなかった。



 生駒は鈴木に会議室に呼ばれたときのことを思い出した。

 織田が釈放される前のことである。

 あの日、鈴木はしきりに頭を下げていた。

 地図を見たのは、封筒の中身を盗み見しようとしてのことではなく、至急に渡す必要のある書類ではないかと気になって確認したのだと弁解しながら。

 ただ、その告白と謝罪は、単に生駒と話をするきっかけだったようで、それから鈴木はこう言ったのだ。


 織田は犯人ではありえない。

 あの夜も、自分はいつものように織田の行動をそれとなく監視していた。

 現場の風紀の乱れといった恥ずかしい事態が、織田の作為で引き起こされていると考えていたからだ。

 あの夜、織田には若槻を殺す時間の余裕はなかった。

 織田は焼きそば屋に専念していた。

 トイレに行くときさえも見張っていた。

 最後はシャーベット売りやケーキ売りになりきっていた。


「生駒先生にも、甘いものを勧めていたでしょう」

「ええ」

「彼はそのうち釈放されるでしょう。万一釈放されないようなら、私が証言します。そうしないと、彼が誰かの罪を背負うことになってしまいますから」

 ただ、鈴木が生駒に話したかったことは、シャーベット売りの織田の証言者になってくれ、ということではなかった。

 心もち椅子を前に引き、生駒との間を詰めた。

「私は若槻さんの無念を晴らしたい」

 鈴木は、そんな言葉で心情を吐露したのだ。


「この現場が、彼とご一緒する初めての仕事だったのです」

 鈴木が話を始めた。


 彼の仕事のやり方や考え方に目の醒める思いがしましたし、本当に尊敬できる人でした。

 私は犯人が憎い。

 しかも、ああいうむごいやり方。

 とても許せないのです。

 前に、囲碁の捨て石という話をしましたが、覚えておられるでしょうか。

 あの話をしたとき、生駒先生は私が心の冷たい男だと思われたかもしれません。

 しかしあのとき言いたかったことは、誰もが自分の人生や仕事や、家族の中での自分の役割を最大限に果たし、その結果、幸せになる。そんな権利を持っている、ということだったのです。

 口下手で、ついつい演説調になってしまって。


 鈴木が額の汗をハンカチで拭った。

 真犯人は誰かということは、私にはわかりません。

 しかし、考えはあるのです。

 私の意見というか、想像を聞いていただけませんか?

 大矢君や香坂君と一緒に推理されているようですが、彼らには知らせたくないことが、今からお話しすることの中に含まれているのです。

 いかがでしょうか?


 生駒はもちろん頷いた。

 ホッと息を吐き出して、お恥ずかしい話なのですが、と鈴木が再び額の汗を拭いた。


 キックバック事件の概要は、大矢の話と一致していた。

 織田にスポットがあたっていたことも同じだった。

 ただ違っていたのは、織田孝本人ではなく、織田家、そして織田の弟にもスポットがあたっていたことである。

 中田部博。

 三都興産の担当本部長。

 婿養子にいった織田家の次男だという。


「私がそれを知ったのは、織田を通じて金が流れて、中田部本部長の自宅の改装が始まってからのことでした。職人が噂しているのを耳にしたのです。私は地元担当として長い間この辺りでうろうろしていますから、最初から知っていたのではないかとお思いになるかもしれませんが、それはありません。信じていただくしかありませんが」

 鈴木が嘘をついているようには見えなかった。


「キックバックを内部告発したのも、私ではありません。あの時点では、こういう事件に繋がるとは思ってもみませんでしたし、正直に言いますと、私自身もたいした金額ではないと思っていたからです。あれくらいの金でこの仕事が手に入るのなら、それでいいじゃないかと。まことに情けない考えですが、私も社員の端くれです。現場の人間でありながら、毎月紹介実績を追求されているうちに、さもしい考え方に汚染されてしまっていたということです」

 本当にお恥ずかしい限りですと、頭を下げた。



 生駒は先を促した。

 少なくとも、自分が頭を下げられる筋合いのものではない。

「それで、犯人は誰か、という考えはおありなんですか?」

「いえ。織田家の兄弟、孝と博の絡んだキックバックという裏取引があり、そして若槻さんの事件があった。いずれも、地元がらみのことだと考えられないでしょうか。黒井君の転落事故というのも、若槻さんを狙ってと考えるのが自然です。地元出身の生駒先生ならなにかご存知で、その先をお考えいただけるのではないかと、恥を忍んでお話したわけです」

「地元といえば、現場の中では行武さんしか知りませんが」

「はい。包み隠さずお話します。あの店の出入りを中止したのも、そういう理由からです。疑っているということではないのですが、万一のことを考えてのことです」

 生駒は、目の前がぐっと暗くなったように感じた。


「万一のこととは?」

「私にはわかりません。ですから、生駒先生におすがりしたいのです」

「そうおっしゃられても」

 鈴木はしきりに額を拭った。

 拭いながらも、ひと時も生駒から視線を外さなかった。


「そういや、近隣から時々、クレームの電話が入ったりしているようですが」

「はい。ただ、名乗られないことも多くて。嫌がらせじゃないかと思うものもあります」

 鈴木は体をこわばらせ、逡巡するようにやっと視線を外したが、やがて思いがけないことを口にした。


「実は、先ほど申し上げたキックバックの件をもっときちんと告発せよ、という電話もありました」

「えっ」

「あの、中田部本部長が……。つまり、左遷された腹いせに……」

「うーむ」

「地元で、中田部さんも含めた織田家に、若槻さんに対するなにか確執があって……。上手く整理できないのですが」

「ん……」

「短絡的でしょうか?」

 鈴木の話は核心を外れていっているような気がしたが、生駒にも正解が分からない以上、付き合うしかない。


「でも、中田部さんは現場の状況をご存知なんでしょうか? パーティは夜だったし」

「ええ、最近お見えになったことはありません。しかし織田に連絡を入れるなどして、現場に入り込んで……、という可能性は、捨てきれないのではないでしょうか」

 生駒に答えは出せなかった。

 そう言った。

「ええ。そうだとは思います。そのお答えを教えてくれとも申しません。しかし、もしお答えが出るようでしたら、警察に通報するなりして、犯人逮捕に結び付けていただきたいのです」

 そういって鈴木は、再び深々と頭を下げたのだった。


 生駒はぴんと来なかった。

 キックバックを若槻が暴露し、そのせいで失脚した中田部が、以前から恨みを抱いていた若槻を、という筋書きなのだが。


 中田部とは何度も会ったことがある。

 紳士然として、いつも高級そうなスーツを着こなしていたが、エリートくさいところはなく、笑顔を絶やさない男だ。

 彼が織田家の次男だったという話を聞いても、全くリアリティがなかった。

 子供だった頃の織田博の記憶もない。



「実は、三都興産の中田部本部長は、織田さんの弟なんだそうだよ。親戚に婿養子にいって、苗字は違うけど」

 生駒が出した新情報に、大矢は、けったくそ悪い、とつぶやいただけだったし、香坂はフウッと息を吐き出しただけだった。

 鈴木が言ったように、もしキックバックを告発したのが若槻なら、中田部の動機は皆無というわけではない。

 しかし、根拠は希薄だ。

 まして行武は……。若槻を殺しても、なんの得にもならないではないか。



 香坂が大矢に話しかけていた。

「あのロビーの穴、明日閉じてしまうんですね」

「ああ」

「なんだか変な気分がしません?」

「ん?」

「なんというか、空しいような」

「まあな。ロビー周りや地下駐車場の仕上げ工事が始まる。そうなれば、あの穴どころか、若槻所長が倒れていたところがどの辺りだったのかさえ、わからなくなってしまうだろうな」

「いつのまにかきれいになって、やがて竣工して……。人殺しがあった場所というイメージは、完全に消えてしまうんでしょうね」

「ああ。でも、事件も解決したようやし」

「そうですね……」

「売れ行きはどうなってるんやろ。今はたまたま一期分譲と二期分譲の合間やけど、キャンセルなんか出てるんやろか」

「さあ。どうなんでしょう」



 鈴木は今、どう考えているのだろうか。

 アリバイを主張した織田は釈放され、逮捕されたのは佐野川だった。

 断定はしなかったものの、容疑者として名指しした中田部や行武ではなく。

 今も地元がらみの事件、という考えは変わっていないのだろうか。


 生駒の思念が中断された。

 オルカの扉が開いて、優が入ってきた。

「こんばんわ!」

 すっと生駒の隣に座る。

 いつものように、柏原が優のためにビールを注ぐ。


 大矢が立ち上がった。

「それじゃ僕はこの辺で。生駒先生、いろいろとありがとうございました」

「私も」

 大矢と香坂が店を出て行った。


「あれ、推理会議は? なに? 私のせい?」

 優が困った顔をした。

「いや、そうじゃないよ。でも推理会議は……」

 なんともいいようがなかった。

 大矢と香坂の退場によって、生駒の気力も失われていった。


「ミヤコちゃんからのメール、転送したけど見てくれた?」

「うん」

「それとね、ヨウコママと若槻さんは、まだふたりが駆け出しの頃からのお付き合いなんだって」

「うん」

「それと、事件の次の晩、セピアで若槻さんが殺されたって言いふらしたやつ。これを聞き出すのに、どんなに苦労したことか」

「で?」

「佐野川さん」

「ああ」

 なんだ、それだけのことか、と拍子抜けした。

 佐野川だったらどうだというのだ。

 もう逮捕されたのだ。


 どう想像を膨らませ、ひねくり回しても、すべてが無駄なことのように思えてきた。

 かすかな力を与えるものがあったとすれば、一からやり直しだな、という柏原の一言だけだった。


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