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41 暗中模索

 柏原が気を利かせて、夜七時から九時の間を貸し切りにしていた。

 大矢と香坂が来るまで、少し時間があった。

「今日はどんな段取りや?」

 柏原がBGMの音量を調節しながら聞いてくる。

 珍しくクラシックをかけるようだ。ショパンの別れの曲が流れていた。


「それに、優はどういうことにしておく?」

 優も生駒の横に座っていた。

「大矢さんはたぶん会ったことあると思う。セピアで。もしかすると、香坂さんも。ま、この店で知り合った仲間ってことで。例によって、私はおとなしくしてるから、ノブ、上手くやってよ」

「俺たちの方は、ほとんど暗中模索状態。彼らの方が、圧倒的に情報を持っている。本音をうまく聞きだすこと。これが今日の作戦の第一」

「ん? そいつらを信用してないのか?」

「そういう意味じゃない。彼らは本気で若槻事件の真相を知りたいと思っている」


 朝、久しぶりに香坂からメールが届いていた。

 今夜はよろしくお願いします、というだけの短いメールだった。

「警察をあてにしていない、ということではない。捜査が順調に進んで、今日明日にでも犯人逮捕ということになるかもしれない。それならそれでいい。というより、そうなって欲しい。いわば、彼らは俺と同じように、いても立ってもいられないという気持ちだと思う」

 優が、持参したチョコレートを口に入れながら頷いた。


「彼らの考えていることや、持っている情報を聞いておきたい」

「なんや、教えてもらう役かいな」

「まあな。元々、彼らの方から誘ってきたことだし」

「しかし、そいつらはなぜ自分たちの手で解決しようとしてるんや? そこが重要やないか?」

「解決したいとまで思っているのかどうか。が、真相を知りたいとは思っている。俺はそう感じた。彼らは真剣なんだ」

「なぜそんなに真剣になれる? 若槻とは部下と上司の関係やろ」

「そんなこと知るか」

「あ、そう。で、作戦の第二は?」


「黒井の転落事故と関係づけて考えること。セピアのママや佐野川のことも、念頭において」

「それは作戦というより、推理のためのデータのひとつやな」

「ああ」

「作戦はそれだけか?」

「いや。もうひとつ。特に、香坂に存分に話をさせること。派閥争いのことは香坂から聞いた。今日の会合のきっかけを作ってくれたのも彼女」

「なるほど」

「きっと、なにか言いたいことがあるんだろう。ただ、大矢と一緒だと、なかなか話せないこともあるかもしれない。要は、彼女の発想をうまく引き出すこと」

「フム。ただその子は、おもしろがっているだけ、ということはないのか?」

「それはない。しかしそうだとしても、聞いて損はない」

「了解。ようやくおまえもその気になったようやな。俺は黙って聞いてたらええな」

「そうしてくれ。でも、意見があれば言ってくれていい。おまえのことは話してある」


 店のオープンと同時、七時きっかりにふたりは入ってきた。

 柏原にも優にも警戒することなく、ふたりは簡単な自己紹介をした。

 生駒は、硬い表情をしているふたりの気持ちを、少しでもほぐしてやろうとした。

「おっ、今日はいつもの水色のバッグじゃないんだね」

 香坂がいつも持ち歩いている、図面も入る大きなトートバッグではなく、黒い小さなかばんを持っていた。


「さて、始めようか。まず、大矢さんから話してくれますか」

 生駒は、自分が正面から取り組むつもりだと強調するように、宣言した。

「はい。あの、皆さんは事件のあらましをご存知なんでしょうか」

「すべて話してある」

 大矢は生駒が議長役をすることに、違和感はないようだった。

「じゃ、考えたことを単刀直入にお話します。いろいろなことがあるんですが、まず私がもっともらしいと思うことからお話します」

と、口火を切った。

「同じ社内の人間のことを言うのは気が引けますが、まず、佐野川が怪しいと思います」

 大矢が柏原の顔を見たが、柏原が生駒から聞いていると言ったので、そのまま言葉を続けた。


 彼は若槻所長を恨んでいました。

 エヌピー興産という子会社に転籍になったのは若槻所長が行った人事ですが、所長は、佐野川が加粉の下にいたことで明らかに敬遠していました。

 佐野川は加粉や白井と馬が合わなくて、やっとの思いで大阪支店に転籍したのに、そこでも排除されて、かなり頭にきていました。

 それに加えて、ナチュレガーデンの現場で、海外資材の発注に関して問題が起こりました。カーペットが納期に間に合わなくなった、生駒さんにもご迷惑をかけた例の件です。


 あれは、エヌピー興産の女子社員が品番をまちがって注文書を出していたことが原因です。

 営業担当者という意味では、佐野川は注文主であるハルシカ建設に迷惑を掛けたわけですから、責任をとらされるというのは当然のことでしょう。

 ですが、エヌピー興産の社内では、発注部所と営業部所は違うわけです。発注部所のミスですから、その部署の長が責任をとってしかるべきです。実際に発注書を切った女性もです。

 ところが、その女性社員は、若槻所長が無理に入社させた人なんです。

 元はといえば、あるラウンジの女の子でしてね。私も何度も店で会ったことのある子です。


 所長はそのことを知って、わざわざエヌピー興産まで出向き、大勢の人の前で佐野川だけを強く叱りました。

 そうして、発注部所の責任も、ひいてはその女の子の責任も、うやむやにしてしまったのです。

 おかげで佐野川ひとりだけが、損な役回りになりました。

 エヌピー興産は完全な子会社ですし、プロパー社員はほとんどおらず、いずれは本社に帰ろうと思っている人ばかりです。

 しかも、若槻所長は飛ぶ鳥を落とす勢いの人ですから、逆らえないわけです。

 所長に睨まれた佐野川は、エヌピー興産の中でも辛い立場だったと思います。


 ちなみに、例の件で所長がエヌピー興産に怒鳴り込んだのは、定例会議での報告より二週間ほど前のことでして、黒井の事故の前日です。

 そして事故の日、佐野川は現場に来て、対応策の打ち合わせをしていました。


 以上が佐野川の動機です、と大矢は言葉を切った。

 香坂が大矢に耳打ちした。

「生駒先生はミヤコさんをご存知ですよ」

 生駒はその言葉に付け加えた。

「会ったことはありませんけどね。ま、それは気にしないでください。ところで、黒井さんの転落事件との関係はどう考えていますか。恋敵だったということを、香坂さんから聞いていますが」

「はい。佐野川は黒井にも恨みを持っていました。殺したいというほどの恨みだったかどうかは別にして」


 黒井が転落したときには、まだ私はあの現場におりませんでしたが、聞いたところによると、あれは若槻所長の身代わりだったのではないかと思います。

 所長が行くはずの巡回にたまたま黒井が行った。

 佐野川は所長のやり方を知っていたのですから、決めた時間に巡回することはわかっていたはずです。

 しかも、佐野川は元々はうちの職員として、あの現場にいたわけですから、現場の中の状況にも精通していたはずです。

 で、足場板がはずれるように細工しておいた。

 ちなみに、若槻所長が現場を巡回するのは、どの現場でも同じ時間帯です。

 ところが、巡回に行ったのは、若槻所長ではなく代理の黒井だったということです。


 佐野川は黒井を狙ったのではないと思います。

 黒井を狙うのなら、もう少し別の方法もあっただろうと思うからです。

 おっしゃるとおり、彼らは店の女の子を取り合った仲ですが、表向きは仕事仲間として付き合っていましたから、何人かのメンバーで飲みに行ったりする機会もあるわけです。

 あんな、足場板をはずすなどと、犯人が現場の中にいたということがはっきりする方法でなくてもよかったはずです。


「なるほど。で、若槻事件当夜の佐野川さんの行動はどうだったのでしょう」

 生駒は、まずは大矢に話をさせるつもりで、質問を投げかけ続けた。


 彼は現場に来ていました。

 パーティが始まって、しばらくしてからのことです。

 パーティには参加せずに会場から出て行くのを見かけましたが、それ以降の行動はわかりません。

 ゲートはずっと開いていましたし、周りは暗かったものですから。

 また彼が戻ってきて、あるいはゲートから出ずに、現場内のどこかに潜んでいたとしても、誰も気がつかなかったのではないかと思います。


「そうですね。ところで、若槻さんが殺されたとき、長いロープが首に巻きついていたということでしたね。それについてはどうですか? つまり、どのようにして殺されたのかということと、佐野川さんとの関係について」

 大矢が困った顔をした。

「すみません。私がお話できるのはここまでです。ロープについては、前にお話したように」


 非常に長いロープだった。

 首を縛っていたのは一重だが、もう一方の先はとても長いものだった。

 どこかに若槻を吊り下げたとしても不自然なほどの長さ。

 加えて、ロープの先が引きちぎれたようになっていた。

 そして若槻の後頭部には大きな傷があった。

 地下の床に叩きつけられたときにできたとも考えられるが、若槻が倒れていた地下には、それほど多くの血は流れていなかった。

 死因が、頭の傷か、ロープで首を絞められたからかどうかはわからない。

 そして、2階の床スラブの下側に残された血痕。


「それらが何を意味するのか、想像することすらできません。生駒先生は現場をご覧になって、どう思われましたか?」

「では、私の推測ですが」

 大矢と香坂が揃って頷いた。

 生駒は、あえてゆっくりと説明を始めた。


 結論から言いましょう。

 若槻さんが襲われたのは、あの地下ではない。

 大矢さんに案内してもらったとおり、地下に降りるには、かなり遠いところから回って行かなくてはならない。それも時刻は夜。真っ暗な中をです。どんな理由があるにしろ、不自然。

 しかも首のロープ。

 大矢さんの話では、明らかに食い込んでいたそうですね。


 ということは、吊るされたと考えるのが普通です。

 吊るしたところは、二階ラウンジの柵。

 警察がつけた印から推測できる。それより上には、ロープを結わえるところはない。

 ただ、よくわからないのは、ロープはそれよりももっと長く、しかも先が引きちぎれていたことです。


 ロープが長いことは、こう考えられます。

 例えば一階と二階を何往復もさせて、最終的にどちらかの手すりに結んだというようなことが。

 そうする意味は、わかりませんけどね。

 あるいは上下に往復させるのではなく、一階か二階の水平方向のどこかに結んだのかもしれない。

 ただ、ロープの実際の長さがどれくらいだったのかという情報がないので、いろんなパターンをここで考えてみても、意味はない。

 しかし、警察が重要なヒントを現場に残しておいてくれていました。

 二階ラウンジの手すりにつけたマークだけでなく、廊下の突き当たりのマーク。

 二階ラウンジのマークは、もちろん若槻さんの死体の真上。廊下の突き当たりに記されたマークの下は、下請け業者用の駐車場。

 駐車場の建物寄りには、梱包された外装用のタイルが大量に仮置きしてある。

 ロープの先は、その梱包のどこかに結び付けられていた。

 さて、それが答えでしょうか。


 香坂がはっとして、口に手をあてた。

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