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40 ね、おとうさん!

 優の姿を見つめていると、唐突に川上が話に入ってきた。

「会社の組織でも、その捨て石というのはあるんでしょうか?」

 生駒の意識は半分は鈴木達の話に引き戻されたが、半分は優に釘付けだ。

 優の姿は、ママとの密談が終ると、控え室に消えた。


 鈴木と田所と同じ年代のはずだが、川上は丁寧なもの言いだ。鈴木を所長代行としてたてているのだろう。

 しかし若干ではあるが、鈴木の話の揚げ足をとったようなニュアンスもあった。

「ある」

 鈴木はあっさりと応えたが、これ以上追求されるのはいやなのだろう。話題を変えようとした。

「娘がダイビングに凝ってましてね」

 しかし、川上が追い討ちを掛ける。

「大阪と奈良の工事部が合体する、という噂は本当でしょうか?」

 鈴木は明らかにムッとして、

「そういう話を、ここでするのはよくないな。藍原さんや生駒さんもおられるし、第一、飲みながらする話じゃない」

 と、制するが、川上は、

「でも、気になるよな」と、田所に同意を求めた。


「そんなくだらない話がしたいのなら、よそでやれ!」

 鈴木が切り捨てた。

 落ち着いた口調だったが、有無を言わさない威厳のこもった声だった。

 川上が縮こまるのを睨みつけてから、藍原と生駒にぺこりと頭を下げた。

「すみません。内輪話をお聞かせしてしまって」


 すっと優がやってきて、隣りに座った。

 肩も露なキャミソールに着替えている。

 胸元にラメ入りで、いかにも、という装いだ。

「ユウです。よろしくお願いします!」

 などと、まるで店の子みたいに。

「はじめまして」と、ウィンクまでしてくれる。

 知り合いだって、ばれないようにしてね、というわけだ。

 ママが呼んだのだろうが、なんとも、落ち着かなかった。

 入れ替わりにピンク髪は、軽く会釈をして他の席に移っていった。


「お、そうそう。この近くに旨いたこ焼き屋があるそうじゃないか。出前を頼んでみよう。ユウちゃん、知ってる?」

「はい! 何人前頼みましょうか」

「たくさん入ってる?」

「ま、三人前でいいでしょうね」

「じゃ、頼む。君が食べる分も入れたか?」

「もちろんです!」

 優は大げさに笑い、半分は私がいただくのかなっ、と熱々のたこ焼きを爪楊枝で口に入れるパフォーマンスまでしてみせた。

 おいおい、どういうつもりなんだ、と聞きたいのは山々だが、知らない顔をしているのが無難なのは、いうまでもない。

 ここで場の主役になっても、いいことは何もない。

「猫舌なのに?」

 生駒は合いの手を入れたが、言ってしまってから、しまった、と思った。それじゃ、知り合いの会話だ。

「あれ? 私、猫舌じゃないですよ。誰かとまちがってるんじゃないですか?」

 と、優は受け流し、電話を架けに席を立った。


 猫舌の人間とそうでない人間、どちらが不幸かと藍原が論じ始めた。どうでもいい話だが、結構それが長続きした。

 たこ焼きが到着して、また猫舌談義が蒸し返され、最後には自分の舌を見せ合ってふざけあい、やがてそのまま散会となった。

 生駒は、無理してはしゃいだとき特有の疲れを感じた。

 眠れなくなりそうな、自己嫌悪の入り混じった高揚感。

 もちろん飲みすぎだった。


 しかし、最もストレスを感じさせたのは、そんなバカ騒ぎのせいではなく、鈴木らの口から黒井や若槻の事件に結びつく情報が得られなかったことでもない。

 もちろん、意味不明な優の乱入のせいでもない。


 現場の人間模様が決して一枚岩ではなく、どこかに脆弱な部分があるように感じたからだった。

 それでも、作り笑いをしながら鈴木の目を盗み見していた田所や川上。深刻ぶった生き方が嫌いなのか、根っからの軽薄さなのか、飲み屋ならではの盛り上がりっぷりを見せてくれた藍原のことはまだいい。

 生駒が心につかえるものがあると感じたのは、鈴木が得意の美声で話し、大声で笑いながらも、どこか上の空だったことだ。そして、ときとして周りの人間を品定めするような目を向けている、と感じたからだった。



 生駒が家に帰って、ものの五分も経たないうちに、優が帰ってきた。

「おまえなあ、びっくりするやろ。なんでまたセピアに」

 なんとなくブスリとして、優は「だってさ」と言ったきり、いつものようにコンビニで買ってきた飲み物を冷蔵庫に詰め始めた。


 優の不機嫌の理由はわかっていた。

 生駒は優の後姿を見ながら、どさりとソファに座り込んだ。

 すでに頭が痛くなり始めていた。


 今日一日あったことを反芻した。

 若槻の葬儀に参列し、行武の愚痴ともつかぬ話に付き合い、鈴木の接待を受けて割烹からラウンジに移動した。

 仕事に熱が入らないばかりか、誰かと交わす会話自体が神経をすり減らしているようで、まぶたは腫れぼったく、思考は空転していた。

 このところ、夜もなかなか寝付けず、くだらないことを考えては寝返りを打つばかり。

 疲れが溜まっていた。常に、遠くでラジオが聞こえているような耳鳴りまでしていた。


 優が、目の前にキンキンに冷えたコーラを置いてくれた。

「たまには糖分を。頭を休めなきゃ」

 そして自分は、テーブルの端に腰掛けた。

「迷惑だった?」

「いや、おまえが来てくれて、顔見てるだけで心が休まった」

「そう。ママが、恋人が来てるよって電話をくれたから」

「すまない。最近、恋人らしくなかったな」

「ううん」

 いつもの闊達さはなく、優は沈んだ声で事情を話しくれる。


「あれからさ、私は私なりに、ママに聞いてたの。黒井さんや若槻さんや佐野川さんのこと」

「そう」

「今度、久しぶりにお店においでって、誘われてたから」

「ママにも、俺のことを話してたんだな」

「当然やん。でなきゃ、ハルシカ建設のことを聞く理由がないもん。でも、まあ、口が堅い」

「ママだからな。商売第一だろ」

「うん」


 生駒は、今日は事件のことを話す気にはなれなかった。

 頭も舌も回らなかったし、毒を食らったように内臓が重たく、ソファに体を投げ出していることさえ苦しかった。

「今日も、お疲れやん」

 それでも生駒は、今日あったことを優に話して聞かせようとした。

「明日でもいいよ」

「いや、明日は朝から出かけなきゃいけない。で、夜は大矢さんと香坂に会う」

「えっ、そうなん?」

「言ってなかったかな」

「聞いてない」



「あのさあ、ノブ」

「すまん」

「これまで、ふたりでいくつもの難事件を解決してきたよね」

「いくつもってのは大げさだし、難事件かどうかも知らないけどな」

「だからさ」

 これまで、ふたり、あるいは柏原も加えた三人で、たまたま遭遇した事件に取り組んできた。

 優がいなければ、ただの酒飲み話に終始していたかもしれないことを、スマートではなかったものの、ひとつの区切りにまでもっていけた。


 黒井の事故も、最初の頃は、優も含めて推理めいたことを話していたのだ。

 だからこそ、優は継続してセピアのママにヒアリングを重ねていたのだ。

 しかし、当の本人である生駒自身が真剣ではなかった。

 若槻が殺されるという事態になっても、生駒は事件として関心を持ったわけではなかった。身の回りで起きたことであっても、自分のこととして受け取ってはいなかった。


 その間、優はいつになったら自分にも声が掛かるのかと、やきもきしていたのだ。

「いつものことやけどね。ノブは、自分は関係ないって」

 優は、自分は冷たいコーヒーのコップを手にしている。

「でも、ノブ」

「ん?」

 言われなくてもわかっていた。

「ノブだから見えてくることもあるし、自分でも納得ができる答ってものがあるじゃない。警察がスルスルって犯人を捕まえてくれても、身内としちゃ、それだけじゃ気持ちが治まらないってことがあるやんか。今回もそうと違うん?」

 優の言うとおりだった。

 大矢の話を聞き、居ても立ってもいられない気分になったことは事実なのだ。


「わかってる。今回もユウのおつむを借りることになると思う」

「もちろんやん。じゃ早速、明日の作戦会議」

 そう。いつものように……。

「大矢さんと香坂さんに会うんでしょ、と言いたいところやけど」

 いつもなら、ここで優の顔は晴れ晴れとし、思いっきりにっこりとして身を乗り出してくるはずだが、今夜は唇の隅に微妙な笑いを作っただけで、またキッチンに入ってしまった。

「ノブ、隠してること、あるでしょ」

 誰かからハワイ土産にもらったチョコレートを箱ごと出してきて、一粒丸ごと口に入れた。


 生駒は、ついに来たか、と身構えた。

「一ヶ月前」

 チョコレートの中のナッツを、バリッと噛み砕く音がした。

「父の日に、綾ちゃんからもらったでしょ。パンツ」

 知っていたのだ。

 他の下着と同じように、引き出しに入れておいたものを。


 優は恋人だとはいえ、下着まで買ってきてくれるような妻の真似事はしない。

 新しいパンツが増えていたからといって、それが綾からのプレゼントだとは気づかないはずだが。

「でも、どうしてパンツなんやろ。綾ちゃん、そこんとこ変よね。相変わらず、子供なんだか、大人なんだかわからない子」

 綾が養女になりたいと言ってきたことを、優には話していなかった。柏原にも釘を刺してある。

 聞いた当初はかなり悩んだが、あることに気がついて、自分なりにあっさり結論を出していた。


 綾を愛している、生駒は改めてそう思ったのだった。

 一緒にいたい。

 そんな考えが芽生えたのだった。

 自分の子供のように、成長を見守りたい。

 もし、それができれば幸せだ、と思ったのだ。


 彼女が養子になりたいと言い出したことで、仰天してしまって、その是非を考えてしまった。

 しかし、綾がそう思いつめた理由に気がついて、心が晴れたのだ。

 綾は、小学六年生。

 彼女は、都会の中学に進みたいのだ。

 山奥の村が嫌というのではなく、彼女の器はもっと大きいのだ。

 自分でもそれを感じていて、いずれは村を出て行くことを知っているのだ。

 そう考え始めると、一日でも早い方がいいような気がして、いてもたっても居られなくなったのだ。


 生駒は、綾がそうしたいなら、うちに来ればいいと思った。

 ただ、養子にするという話は抜きだ。

 あくまで美千代の養女ということにしておいて、大阪の福島で預かっているということにすればいいのだ、と。

 綾が自分なりにゆっくり考えればいい、と思って、そんな風には話をしてはいない。

 決定打を出してやるのではなく、彼女自身がよく考えればいいことなのだから。

 幸いに、まだ、中学進学まで時間の余裕はある。

 もし、私立を考えているとしても、試験日はまだまだ先のことだ。


 しかし、こんなことがあったと、優には話していなかった。

 もし、綾が「下宿」することになれば、優に話さないわけにはいかなかったし、了解もしてもらわねばならないのに。

 優とは、半同棲という言葉がピッタリなのだから。


 柏原が言うように、優が結婚を望んでいると感じることはあった。

 むしろそう信じていたし、そうあって欲しいと思っていた。

 でも、生駒は己自身が踏み切れなかった。

 年齢差を考えて、危ういバランスを取っていると感じることもあった。


 綾のことで、このバランスが崩れることは、絶対に避けたいことだった。

 綾への愛情と優への愛情を、同じ土俵で比べることはできなかったが、生駒にとって優を失うことは、腕一本、脚一本もぎ取られることより辛いことだった。

「もしかすると、綾ちゃんがうちに来るかもしれないよ」

 優に告げる、この一言がなかなか言い出せなかったのだ。



「ノブにはパンツで、私にはパジャマ。いったい、あの子は何を考えているんだか」

「えっ?」

「母の日に渡しそびれたから、父の日に一緒に渡すねって」

「知らなかった……」

「一緒に暮らせる日を、心待ちにしていますって、メッセージ付きで」

「あっ」

「お礼ついでに、どういうことなんって聞いたら、おじさんに頼んでるんだけど、まだ返事もらってないってさ」

「それは……」


 優が、ムッとした顔を近づけてきた。

「そんな大切なこと、どうして私に話してないん?」

「それは、だから……」

「養子になるって、言ってた」

「いや、だから……」

「だいたいね、若槻さんのことでしょんぼりしてるのかって、静かにしておいてあげてたのに、そんなことを隠れて相談してたんや!」

「ちがう。それはおまえが」

「どう思うかって? ノブは全然わかってないんや! いつものことながら」


 生駒は、綾を下宿させる案を話した。

「そう、いい手やね」

 優がチョコレートの匂いのする溜息をついた。

「あのね、ノブ」

「うん」

「綾ちゃんがここに来ることになったら、私がどんなに喜ぶか、考えたことあるん?」

「……」

「私が綾ちゃんのこと、本当にどれだけ心配してるか、考えたことあるん?」

「……」

「聞き耳頭巾の使い手だっていっても、あの山奥で、年寄りばかりに囲まれて、彼女がどうして成長していけるん?」

「……」

「彼女に手を差し伸べてあげられるのは、私達以外に誰がいるん?」

「……」

 生駒はぐうの音も出なかった。


「元はといえば、私が綾ちゃんに言ったんや。大阪に出てくればって」

「……そうだったのか」

「おじさんに頼んでみようかって言ったら、自分で話すからって」

「くっ」

「まさか、養子って、そこまでは想像しなかったけどね。でもね、それほど真剣やってことやん」

 生駒はうなだれるしかなかった。


「美千代さんも、賛成してくれてるよ。というより、大賛成」

「そうなのか……」

「少しでも綾ちゃんを町に出そうと、いろんな用事を言いつけては大阪や京都までひとりで来させてるし、そのたびにおじさんのところへ行っておいでって、送り出しているんやから」

「……」

「美千代さん自身は、村に嫁いだ身だし、もう結婚して出て行ったとはいえ、子供達にとってはここが故郷だから村を離れられないって。彼女は出てきたくても出て来れないよね。生駒さんがそうしてくれたら、どんなにありがたいかって」


 生駒は震えてきた。

 自分はなんと浅はかだったのか。

 綾が好きだといいながら、こちらに呼ぶことまで頭が至らなかった。

 他人事のように、どうするのかな、とぼんやり思っていただけだったのだ!


 しかも、綾からそう頼まれた後になっても、まだ他人ごとのように、自分でよく考えてみることだなどと突き放していたのだ。

 綾はもちろん、一緒に暮らしている優にも相談せず、ちっぽけな心の中で、自分の思いをもてあそんでいただけだのだ!


 これでは親の資格はない。

 巷に放任主義などという言葉もあるが、己の態度は放任ではなく、無関心そのものでないか!

 親が子に対して、決してとってはいけない態度ではないか!

 今夜、今、優が話してくれなかったら、自分はこの先何日も、あるいは何ヶ月も綾を不安にさせ、苦しませ、最後には悲しませていたのだ。

 綾だけでなく、優も美千代も含めて、周りの人全員を。


「すまなかった」

「後は、ノブの心ひとつ。綾ちゃんの気持ちを理解してあげられないほど、ノブはボンクラじゃないと思ってるけどね」

「いや、ボンクラだった」

「私が、ここ一ヶ月、どんだけ迷ったか。今日は話してくれるか、明日は話してくれるかって」

「……」

「待って、待って、待ちくたびれて」

「……」

「綾ちゃんは、おじさんが電話くれるからって言ってたんだよ。お姉さんは、もうちょっと待っててねって」


 生駒は、目頭が熱くなった。

 うれしかった。

 それだけ、自分を頼りにしてくれていたのだし、信頼もしてくれていたのだ。

 それなのに、なんだ、この男は!

 いい気になって生きていても、心は薄っぺらだ!

 情けなかった。


「ノブは賢いけど、こういうことにかけては、小学生以下」

「そうかも……」

「人を愛することが、どういうことなのか、いまだにわかっちゃいない。だから、人の心に本気で目を向けない」

「……小学生以下どころか、カエル以下だ」

「カエルが怒るわよ」


 涙が流れていた。優の頬に。

「ノブ、ちゃんと考えてよ。私のことも、綾ちゃんのことも」

「うっ、うん」

「自分のことより、相手のこと。それが愛情の基本やんか」

「すまない」

「もういいよ。謝らなくても。ね、今日は何の日か知ってる?」

「ん?」

「綾ちゃんのお誕生日」

「えっ」

「さ、電話、電話! 喜ばせてあげなくちゃ、ね、お父さん!」



「さてぇーと、じゃ、始めるか!」

 涙を手の平で拭って、優がうんと伸びをした。

 そして、生駒の頬に接吻した。

「始めるって、なにを」

「恋人らしいことを。もう、一ヵ月もしてないし。さ、シャワーを。キャー!違うって!アホか!」

「なにも言ってないぞ」

「推理やん! 明日のために!」


 優は、完全にいつものペースに戻っていた。

 溌剌として、かわいくて、にこやかで、次々と言葉を繰り出してくる優に。

 くるっくるっと瞳を輝かせ、先へ先へと走っていってしまう優に。

「おうっ、明日のために!」

 疲れを、そしてこぼれかけた涙を吹き飛ばすように、生駒もそう叫んでいた。

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