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39 捨石談義

 佐久間の話をなぞるような部分もあったが、行武の話は織田家のそれぞれの人物にスポットをあてていたし、行武が生駒と同い年ということもあって、話に幾分リアリティがあった。

 織田家の長男である孝には、ニューヨークで事業を成功させた一人娘と、その娘と一緒に暮らす妻がいる。

 いわゆる別居状態ではあるが、不仲ということではない。

 年に何度も互いに行き来しているし、円満で幸せな成功一族のように見える、ということだ。


「孝は、町では嫌われているさ。子供の頃から乱暴者やったし、今で言ういじめっ子やった。今は金にものを言わせて放蕩三昧。よくあれで、あのできた嫁さんがついてきたもんや」

 生駒は行武のひとり語りに、ふうん、と相槌を打った。

 佐久間によれば、行武はマンション建設反対の急先鋒だったが、結局はそのおかげで儲けていると陰口を叩かれている。

 生駒は、零細企業のこの男がそんな筋違いの悪口を言われるほど、織田家とあのマンションは恨まれているのだということを知ったし、行武を気の毒にも思った。

 こうして織田孝の悪口を並べながら、行武が、マンション計画には反対だったのだ、織田家とは何のしがらみも、まして織田家の金儲けの片棒を担いだわけではないのだ、と弁解して回っているのかもしれないと思った。


 あいつの悪口を言うのはこのくらいにしとこう、と行武が、次は次男の博と静江のことを話し始めた。

 織田家の次男の博は、高校卒業時に養子に出された。姉の静江は東京の商社勤めのサラリーマンと結婚した。

 博と静江は、孝と違っておとなしくていわゆる良い子で、やさしい面もあった。近所の人達からもかわいがられていた。

 住田の未亡人が織田家へ住み込みで働くことになったのも、博が父親に頼んだからだということは、誰もが知っていることだという。


 話を聞きながら生駒は思った。

 行武は先日の続きのように、同窓会的な話題として、知人の消息を話してくれているのだろう。

 とはいえ、生駒にはどうでもいい話だった。

 博や静江といっても、三人兄弟だったというおぼろな記憶があるだけで、懐かしさなど全くなかった。


 行武の話は脱線し、当時は多かった養子制度について論じていた。

 生駒は生あくびが出そうになった。

 疲れていた。

 仕事が忙しいからということではない。

 むしろ仕事は手に付かない。

 若槻の事件以来、すっかり生活のペースが狂ってしまった。

 考えることが多すぎた。

 考えるというより、悩んでいるだけということかもしれないが、ふとした拍子に若槻が殺された現場の情景を思い描いてしまうし、現場に残されたマークの意味などを検証しなおしてしまうのだった。


 ふと、大矢や香坂と会うのは明後日だということを考えた。

 そして、香坂からのメールがめっきり減ったことを思った。

 事件までは二日と空けずに来ていたというのに、あれからは一度来たきり。

 メールを書く気分にはなれないのだろう。

 そうは思うものの、やはり物足りなさはあった。

 さっき告別式で見かけたときも、一言も交わさなかった。目を合わすことさえしなかった。

 生駒は急に寂しさを感じた。


 香坂のどちらかといえば低めの声。

 会う約束をしたとき以来、耳にしていない。

 仕事のことか日常的なおしゃべり程度のことしか話したことはないが、その声が好きになっていた。

 そして笑うときの声も。

 もっと言えば、話をすること自体が。

 一緒にいることが。

 見つめ合ってあの声を聞いていたい。

 そんな思いが、もしや自分は、というとんでもない考えに繋がりそうな気がして、生駒はあわてて行武に注意を戻した。



 博や静江が、今どうしているのか知らない、と締めくくって、話が終わったところだった。

 生駒はなにくわぬ顔で聞いた。

「それにしても、織田さんがなぜ疑われているんだろう?」

 そうは言ったものの、誰にでも見当はつく。

 織田は黒井のすぐ後ろを歩いていたのだ。


「黒井さんの転落事故についても、警察は関心を持っているんだろうか?」

 生駒は言ってから、行武は黒井の事故のことを知っているのだろうかと思った。

 行武は疲れたようにため息をついて、「そうやな」と、氷だけになったアイスコーヒーのストローを音をたてて吸った。


「なぜ孝が疑われているのか。地元では誰もはっきりしたことを言うやつはいない。あんなことを言い合いながら、昔話だけが生きがいの年寄りみたいなもんで、そこからはなにも新しいことは出てこない」

 やれやれというように、氷をかき混ぜ、ガラガラと音をたてた。

 生駒は思いついたことを口にした。

「もしかして、若槻さんと織田さんの間には、ずっとなんらかの関係が続いていたんだと思う?」

「さあ。それはどうやろ」と、気のない返事だ。


 ふと生駒は、大切なことを思い出した。

「そういや、若槻さんに書類を送った? 昔の地図なんだけど」

「いいや。なにそれ?」

 行武が怪訝な顔をして、見返してきた。

「そう、それならいいんや」

 それからの生駒と行武は、唸っているだけだった。


 店を出るとき、携帯が鳴った。鈴木からだった。

「今日のような日にお誘いするのはどうかとも思うのですが、藍原さんが、今日が都合がいいとおっしゃるので。いかがなものでしょうか。今日の夜、阿倍野辺りでお食事でも。現場においでいただいてから、まだ一度もちゃんとお礼をさせていただいたことがありませんし、ぜひご一緒できればと思っているのですが」

 生駒は誘いを受けることにした。



 二次会はセピアだった。

 鈴木は大阪支店工事部の巣であるラウンジに、生駒と藍原を案内した。

 大阪の店を知らない鈴木に代わって、同席した田所と川上が店の選定に主導権を握ったというところだろう。

 店内の調度は品のよいアンチークでまとめられ、居心地のよさそうなやさしい光に包まれている。入るなり、この店が接待にも使われる少々高級な店であることがわかった。

 入り口近くのバーカウンターでは、棚に並んだ多くのボトルを背に、年配のバーテンダーが酒を注いでいたし、中央に置かれたグランドピアノを髭もじゃらの男がやさしい仕草で弾いていた。

 ピアノを囲むようにゆったりと置かれたソファは、真っ白な皺のないレザー貼りで、適度な反発感が心地よかった。


 ユウが話してくれていたママは、想像以上の美人だった。

「今日、お見かけしましたよ」

 と、田所と川上に笑みを送った。

「あ、葬式で」

「はい」

 必然的に現場の話題になった。

 社交辞令的な挨拶は、先ほどの割烹料理屋で済んでいるので、ざっくばらんな雰囲気である。


「インテリアだけ、という仕事も、これまでされているのですか」

 鈴木が話を振ってきた。

 ここでもホスト役に徹している。

「いえ。今回が初めてです」

「以前設計された三都興産さんの物件は、なかなかご評判がよろしかったそうですね」

「ありがとうございます。うまく当たったというところです」

「ご謙遜を。羽古崎課長からお聞きしていますよ。生駒さんに押し切られた格好で決めたインテリアが、結果は大評判だった、生駒さんを信頼して本当によかったと」

 藍原は何度かここに来ているのだろう。打ち解けた様子でママやホステスと話していた。

 聞きようによっては藍原の癇に触る話だが、意に介していないようだ。その向こうでは、田所と川上が男同士で盛り上がっていた。



「生駒さん、囲碁はされませんか?」

 唐突に鈴木が聞いてきた。

「囲碁ですか。無粋なものですから」

「それは残念です。最近は相手がいなくなりましてね。以前は現場でも、昼休みになんかよくやっていたものです。おもしろいと思うんですけどねぇ。ルールもご存じない?」

「いえ、少しは。子供の頃、父親に教えられました」

「あれは戦略思考のゲームでしょう。自分の思いを実現し、相手の思いを阻止するべく盤面での戦いに臨む。互いに思考の限りを尽くして、最善手を打つ」

 鈴木は熱弁だった。


「囲碁、将棋はそういうゲームですね」

「将棋とよく比べられますが、私は囲碁の方が好きです。戦略的な部分が、より深いという気がします。単に盤面が大きいということだけではなく、どこにでも打てるという自由度というのかなあ。ひとつひとつの石には将棋のような違いはありませんが、盤面に打たれた瞬間、その石の役割が生まれるのです。しかも、強烈な意志の元で打たれた石ほど」

 藍原が急に話に加わってきた。

「碁は芸術だ!」


 鈴木が喜んだ。

「おっ、藍原さんはされるんですか。今度、いかがです? やりませんか」

「いいですね。ただ残念ながら、へぼでして。新聞の紙上認定で五級です。鈴木さんはお強いんでしょうね」

「いえいえ、まだ二段くらいでうろうろしています。最近はやってませんから、実際はたぶん一級くらいのレベルでしょうか。よろしくお願いします」

「こちらこそ。碁は芸術。つまり、自分の思い、夢と言ってもいいかな。それを実現するんですよ。結果として、それは地としての勝ち負けになるんですが、そのストーリー、戦いの形、あるいは大げさに言えば世界構築のステップがおもしろいんです。生駒さん、夢ですよ。夢の実現!」

 酒が入って、いつものように藍原は熱弁モードに突入している。

 囲碁の楽しさをわからせようと解説しながら、実は二人で盛り上がっているのだ。戦略的思考、夢の実現というフレーズに意気投合して、接近戦がどうだの、空中戦がどうのこうのと言い合っている。


「生駒さん、捨て石というのをご存知ですか?」

 知っていた。

 藍原が大きく頷いた。

「さすが生駒さん。ツボはきちんと押さえてられますね」

 捨て石とは、と鈴木が持論を打ち上げる。

「一言でいえば不要になった石。しかし、自分の役目を果たし終えたという意味で、不要だということです。盤面に打ち下ろしたときに、その石に大きな役目を負わせたわけですが、それを徹底的に働かせきることができれば、もうその石はお役ご免だということです。最初から捨てるためだけの石ではない。ちゃんとした役割があるのです。しかし、役目を終えた後は、もうその石にこだわってはいけない。捨てること、つまり取られるということですが、取られるところまでいって、その石の役目は終わるわけです。もっと言えば、相手に取らせるところまでが、その石の役目だということです」

 鈴木の熱弁が続いた。

 藍原も負けじと口を出す。

「それが、なかなか捨てられないんですよね。ついつい捨て石を助けてしまう。で、結局にっちもさっちもいかなくなってしまう。鈴木さんのように二段ともなれば、そのあたりは華麗なものでしょう」

「とんでもない。まだまだ見極めができません。会社の仕事と一緒ですよ」

 ママはとっくに席をはずしている。

 残されたホステスは話題についていけないのか、笑顔は絶やさないものの、黙りこんでいる。

 ホステスは、昼間に見ればギョッとするようなピンク色の髪で、それもめちゃめちゃに乱れたようなセットがあててある。

 こういう子が黙って座っているというのは珍しい。たいていは、無理やり自分の話をして、それが接客だと勘違いしている子が多いのだが。

 そんな観察をしながら、生駒は囲碁談義が収まるのを待った。


 ドアが開いて、ママが客を出迎えに立ち上がった。

 客の視線が必然的に、入り口へ向く。

 生駒は、息が止まるかと思うくらいに驚いた。


「まあ、早いわね」

「たまたま近くにいたから」

 店に入ってきたのは、優だった。

 ニッと目で笑いかけてから、ひそひそとママと話している。

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