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32 錆びた賽銭箱

 大矢は昼の弁当を食べ終え、周りを見まわした。

 川上と女子事務員が、今日から切り替えた弁当屋のサービスについて感想を言い合っていた。いつもと変わらない昼休みの光景だが、どこかにあえて静粛にしているような雰囲気があった。

 なにかを、モジモジしながら待っているような雰囲気。


 そのなにかとは、決して楽しいことではない。いやなことでもない。

 しいていうなら変化。

 気詰まりな空気を動かしてくれる出来事を期待しての沈黙。

 大矢は、そんな部屋の中で腰を下ろしていること自体に苦痛を感じた。

 近隣を一回りしてみようという気になった。

 気晴らしではない。単に逃げ出したかったのだ。

 川上から借りた鍵をポケットに滑り込ませると、作業着の上から通勤用のジャケットを羽織って、事務所を出た。ゲートの横で突っ立ったままでいるガードマンにご苦労さんと声を掛けて、工事現場を後にした。


 現場の前には、両側に歩道がついている二車線道路がまっすぐ東西に通っている。

 左手つまり東に行けば中心市街地。道路の向かい側には民家や商店が軒を並べている。ガソリンスタンドもあるし、沿道型の大きなサインを掲げたレストランもある。典型的な都市近郊の地域内幹線道路沿いの景観。

 申し訳程度に植えられた背の低い枝振りの貧弱なハナミズキの街路樹が、なんとか街に潤いをもたらそうとがんばっている。


 大矢は現場の仮囲い伝いに東に向かった。

 小さな賃貸アパートと数軒の民家の前を通り過ぎ、携帯電話販売店の手前の細い道を北に折れた。

 現場の北側一帯を、東の方から反時計回りに歩いてみようというのだ。


 すぐに墓地の前に出た。

 村の古い共同墓地なのだろう。二千坪ほどの敷地の中央に、大きなヤナギの木があった。

 墓地を囲う緑色の安価なネットフェンスには葛が絡まり、ところによっては人の背を超えようかという高さにまで生い茂っている。

 墓地の北側には寺院があり、土塀越しに瓦葺の本堂の屋根が見えていた。境内の狭さには不釣合いなほど、堂々とした山門に鬼無寺と書かれた木の表札が掲げられていた。境内は荒れた様子で、庫裏はなにかの倉庫に使われているようだ。人が住んでいる様子はない。

 寺より先には、なんの変哲もない住宅街が続いていた。

 幅員四メートルほどの曲がりくねった道に接するように、小さな二階建てや三階建ての住宅がひしめき合って建ち並んでいるだけだ。


 大矢は墓地に戻り、中の小道を進んでいった。

 アスファルトが敷かれているのは中央の小道だけで、他は砂利のまま。

 新しい墓石が目立つが、北辺の奥の方、寺院の塀と接する辺りには古い苔むした墓石が並んでいるのも見える。

 墓地の中ほど、ヤナギの木の下にはコンクリートの短い土管がゴミ捨て場として置かれていて、中には枯れ果てた供え物の花が数束、放り込まれてあった。立水栓の横には、場違いな印象を与える真新しいスチール製の屋外物置が備え付けられていて、黄色いプラスチックのバケツが数個、伏せてあった。


 墓地と神社を仕切っているウバメガシの生け垣のところまで来た。

 生け垣は高さ二メートルほどあるが、長い間、手入れがされたことがないようで、無数の徒長枝が伸びていたし、下枝は枯れ上がり足元が透けていた。貧乏カズラが生け垣に這い登り、神社へ通り抜けることのできる生け垣の隙間にも、長いつるを伸ばしていた。


 携帯が鳴った。

 栗田からだった。現場を再開したことの報告に、羽古崎に会いに行ってきたらしい。

 単刀直入に、中田部はキックバックがばれて左遷されたのではないかと聞いたという。

 しかし、つまらない言いがかりをつけないでくれとばかりに追い返されたらしい。

「あれは図星だな」

「どうしてわかるんや?」

「勘」

 大矢は貧乏カズラを払いのけ、生け垣の隙間を通り抜けて神社の境内に出た。

 犬見神社の最奥部にあたる。

 神社の境内の幅は三十メートルほどで広くはないが、奥行きはマンションの工事現場の幅と同じで、百メートル以上ある。縦に細長い。

 大きなクスやカシの木などが十数本あるだけで鎮守の杜を形成しているが、足元の地面は踏み固められた土がむき出しになり、手入れの良くない樹形の乱れたアジサイやアセビなどの潅木が数株転々とあるだけだ。

 殺風景だった。


「なるほど、やはりな。しかし、おまえ、大丈夫か? そんなこと、ストレートに聞いて。羽古崎を怒らせて、担当を替えてくれと言われたら、どうするんや?」

「おまえがそうしろと言ったんだろう!」

「担当をはずされるだけで済めばいいけどな」

「僕はハルシカ建設の営業だぞ。それも昨年は最優秀営業成績で表彰まで受けた。危ないことに首を突っ込むときもある。リスクをとらなければ果実は手に入らないさ」

 受話器の向こうで栗田が無理に軽いノリで言っている様子が、目に見えるようだった。

「大丈夫か?」

「会社を辞める気でいる人に言われたくないね。で、黒井のほうはどうだった?」

「今日の夜、行ってくる。何か聞けしだい報告する」


 不意に大矢の頭の中に、キックバック事件と若槻殺人事件はひとつの繋がった出来事ではないか、という考えが浮かんだ。

 ただ、単にそう感じただけで、どちらも謎が解けかけているということは全くないし、どう関連しているのかも皆目見当がつかない。

 しかし、無関係であるはずがないという気がしたのだ。

 社内の権力争いの渦は、若槻が殺されたことまでも、その材料にしようとしている。当事者達は、自分のあさましい行動を、組織のためにしていることだと臆面もなく言いくるめている。


 そんな環境にいて、平穏な振りをして業務をこなしているだけの自分への腹立たしさともどかしさ。

 大矢は、普段は見慣れないマンションの裏側を見上げた。

 今、マンションの陰になった神社の裏で、セミ時雨も聞こえない昼時の静けさの中で、大矢は心に突き上げるものがあるのを感じていた。

 なんらかの行動をとらねばならない、という思いが。


「栗田、ところで、おまえの次の予定は?」

「次の予定?」

 携帯電話の向こうから、慎重そうな声が流れてきた。

「そうや。真実を追求しようと言ったのはおまえやぞ。優秀な営業マンの活躍に期待してる」

「おい、なにをさせる気だ?」

「織田建設の実態調査」

「ふう!」

「キックバック事件の真相究明のためだけやない。若槻さんの事件を解決することになるかもしれない」

「なんだって?」

「黒井の転落事故もそうや。全部、繋がっている」

 唸り声が聞こえた。


「そう考えるのが自然や」

「……」

「おい、聞いてるんか?」

「ああ」

「二人はキックバックに利害関係があった。そう考えても不思議やない。どう絡んでいるのかはわからんが、全く無関係ということもないやろう。聞いてるか?」

「聞いてるよ。やはり、そう考えるか……。だろうな。が、俺は抜ける。警察の仕事だ。俺たちの出る幕じゃない」

「いきなり意気地がなくなってるやないか!」

「意気地のあるなしじゃない。俺たちが引っ掻き回すことじゃないと言ってるんだ。警察が捜査中だ。もしもだ。俺たちが考えたキックバックの件と若槻さんのことが関係しているのなら、警察も掴んでいるだろう。任せておけばいい」

「掴んでいなかったとしたら? キックバックの関係者が、自分から進んでそんな情報を警察の耳に入れるはずがない。警察は真相に近づかないぞ。犯人は捕まらないかもしれないぞ」

「人殺しが起きているんだ! 黒井も死ぬところだった。羽古崎課長は、恐れて現場に出て来ない」

「えっ!」

「きっと、そういうことだろう。な、無理をすることはない。警察の捜査を待つんだ。結果が出てから、もし違っていると思ったら、恐れながらと申し出てもいい」

 そう言うなり、栗田は電話を切ってしまった。


 大矢は小さな社の正面に回った。

 相当古い建築物のようで、使われている材木には古色がつき、あちこちに傷んだところが見えた。

 錆びた鉄格子が嵌めこまれた御影石造りの賽銭箱。

 社の扉は板戸で閉ざされていた。


 再び、神社の南側に聳え立っている工事中のマンションを見上げた。

 マンション敷地の境界沿いには中断されたままの三段式の機械式駐車場が見えている。

 今は白く塗装された鉄板の仮囲いに視線を遮られているが、竣工後には、チェーンがむき出しになった無粋な鉄の檻が、神社の境内沿いにずらりと並ぶことになる。


 境界沿いに列植されたツツジの苗木を見た。

 神社の前の道から大矢が立っている社のところまで、ずらっと三列に植え込まれている。根木から説明を受けた近隣対策工事として施されたものだ。

 マンション敷地内においても少々の植栽帯が設けられ、なんとか機械式駐車場を隠そうとすることになる。

 しかし、それしきのことで、この古い神社の境内が以前は持っていたであろう厳かで神聖な空気というものは、もはやどこにも感じられなくなることは容易に想像することができた。


 大矢は居心地が悪くなってきた。

 犬を連れた中年の婦人が石畳を歩いてきた。

 大矢は軽く会釈をすると、足早に神社を通り抜け、マンションの西端にあたる道に出た。車が一台すれ違うのがやっとの道だ。

 ただ、こちらは墓地の裏の道に比べると、少しは広くて賑やかなけはいが感じられた。

 木造瓦葺の民家や前面だけ白いタイルを貼った幅の狭い三階建ての住宅に混じって、クリーニング屋や荒物屋、パン屋、お好み焼き屋などがあった。自動販売機に店先を覆われたタバコ屋もある。

 街路沿いには、丸いガラスの照明器具をぶら下げた錆びの浮いた柱が並んでいた。

 緑色のペンキを塗られた街灯が、この道が商店街であることをなんとか証明しようとしている。街灯には、松並商店街と記されたサイン板が突き出ていた。


 大矢は、商店街をマンションとは反対側に歩きだした。

 自転車に乗った小学生が数人、通り過ぎていった。

 昔から使われてきた村の中の道らしく、わずかに曲がりながら続いている。

 軒先にタマネギを積み上げた食料品店。今どき誰も着ないような地味な洋服を鼻の欠け落ちた古いマネキンに着せた洋品店。仲介物件のピンク色の説明書を窓一面に貼り付けた不動産屋……。


 どの店も繁盛しているようだとは言いがたい。

 昼間の時間帯とはいえ、人影はまばらだった。

 なおも数分ほど歩くと、道はけばけばしい水色の吹き付け仕上げの単身者向けマンションに突き当たった。

 そこで道は大きく左に折れ曲がっている。大矢は回れ右をした。

 クリーニング屋の前まで戻ってくると、生駒が佇んでいるのが見えた。

 気がついていないようだ。

 声を掛けようとする前に、生駒は鳥居をくぐって神社に入っていった。

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