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26 宴もたけなわ

「へえ、また珍しい経験をしたのね」

そう言いながらも、優はつまらなさそうな顔をしていた。

 いつもの聞き上手の才能は消え、あるいは意識して隠され、カウンターに目を落としていた。

 生駒が警察の事情聴取を受けたことをポツリポツリと話していた。入り口に近い席には見知らぬ二人連れ。生駒と優は一番奥の席に腰掛けていた。

 生駒は若槻が殺されたことそのものより、事情聴取の経験譚をして、偽善的な神妙さを装う話題になることを避けていた。さほどの悲しみは感じないとはいえ、若槻が殺されたことを酒の席の話題にしたくはなかった。


「犯人は捕まるのかしら」

 生駒は応えなかった。

 若槻が殺されてまだ五日目。沈黙が自然だった。

 BGMが耳に入ってきた。サンタナの「哀愁のヨーロッパ」。


 やがて柏原が話題を振ってきた。

「黒井の具合はどうや?」

 優が目を上げた。

「近々、またお見舞いに行ってくる。ママを誘って」

 今日は先日のように、この話題で盛り上がることはできそうになかった。

 生駒の沈鬱さが優にも伝染していたのかもしれない。

 しかし、柏原の口から、佐野川という名前が出たことで空気が変わっていく。

「佐野川はどうしてる? 変わったことはない?」

 柏原に推理ごっこの惰性があるのかもしれないと生駒は思ったが、それを咎めることはしなかった。

「私に聞いてるん?」

 優からはそれ以上の言葉は出てこなかったが、明らかに声に張りがあった。

「変わったことが続く現場やな。理解に苦しむ転落事故と明らかな殺人事件。まさに連続事件」

「二つは関係した事件ということよね」

「さあ。若槻事件に佐野川はどう関係しているんやろ」


 黒井転落事件の容疑者は佐野川だと決め付けているかのような柏原の言い方。

 店の話題としては、回りくどいことよりも、すっきりした話のほうがいいということだろう。

 生駒はそう考えて、柏原の問いに付き合った。

「佐野川はパーティが始まってすぐに顔をみせた。でも、飲み食いせずに帰っていった」

 優はカウンターの上で組んだ指の先を見つめていた。

 きれいな長い爪が、無防備な薄い二枚貝のように光っていた。


「若槻さんのことは、土曜日にお店で話題になったらしいよ」

 あのパーティの次の日、土曜の夜に「セピア」に行って若槻が殺されたことを話した者がいる。

 女の子の肩に手を回して、さも悲しむべき重大事件のようにしゃべりながら、実は楽しんでいた男の様子が目に浮かんだ。

 その男が誰なのか。生駒は知りはしなかったが、怒りの感情が湧いた。

 若槻を殺した犯人より、それを若槻が行きつけの飲み屋で話題にした人物に腹を立てた。


 自分の矛盾に気がついたが、一旦火がついた怒りは、押さえ込むには骨の折れそうなほど大きなものだった。

 生駒は自分の胸の中の、心という液体に満たされた空洞に張り巡らされている安定した精神の細い糸が、一本切れたかように感じ、同時に軽いめまいを感じた。

 ふと、大声をあげそうになった。

 目の前のグラスをカウンターに叩きつけたい気分に駆られた。


 自分がそんなことをするはずはないと実際はわかってはいたが、意識して全身をこわばらせ、体のどこもがピクリとも動かないようにしながら、気持ちが落ち着くのを待った。


「土曜日にそっちの店でハルシカ建設の誰かが、酒の肴にしたということやな?」

 柏原が聞いたが、その名を聞いたところで、いい気持ちはしないだろう。

「まあね。そういうこと。自分達の仲間が殺されているのに、なんだかなあ、という感じよね」

「そいつは、誰や?」

 柏原がなおも聞いた。

「知らないわよ。ママは言わないと思うから。なんなら、店の子に聞いてみる?」

 生駒は思わず声をだした。押し殺した声になった。

「俺の知っている奴かもしれないぞ」

「ノブ、ちょっと調子が出てきた?」

「なんだ、調子って」

「だって、ここ数日、何を聞いても上の空なんやもん」

「そうか、すまん」


 生駒はまだ、綾の申し出については優に話していなかった。

 自分の気持ちが整理できないまま、優に話せることではなかった。

 若槻のこと、綾のこと……。

 優が言うように、生駒の胸の中はそのふたつのことで一杯だった。

 綾のことはまだ話せないまでも、若槻の事件については柏原と優に聞いてもらおう。胸の重みが少しでも軽くなるかもしれない。そう思って、優を誘ってオルカに飲みに来たのだった。

「さ、どうする、生駒」

 柏原の目が、パーティの様子を含めて、若槻事件について話しておけと言っていた。

「記憶は薄れていくもんやぞ」



「皆さん、こんばんは! ようこそナチュレガーデン大和高田新築現場の焼肉パーティにお越しくださいました。私は、今晩の司会をさせていただきます香坂さゆりと申します!」

 マイクを通した香坂の声が響いて夜空に消えた。

 拍手が沸いた。

「お肉もどんどん焼けていますので、早速乾杯とまいりましょう。若槻所長! よろしくお願いします!」

 こうしてパーティは始まったのだった。


 香坂は張り切っているように見えた。

 作業服姿ではなく、白い無垢なTシャツにジーンズ姿で若さを発散させている。

 若槻はじめゼネコンの職員全員が張り切っているようだったし、下請け会社の職員連中や藍原も楽しんでいるようだった。

 主賓として挨拶に立った羽古崎は、工事に関わる人々にねぎらいの言葉を述べ、アトラクションのビンゴゲームの特別賞品まで持参して来ていた。


 行武は数名のコンパニオンを連れてきていて、さかんに指示を出していた。

 肉も他の料理も酒も、ふんだんに用意されていた。こういう屋外でのパーティにも慣れているようで、肉や野菜や魚介類が手際よく焼かれて、次々になくなっていった。

 行武自身も、熱い料理を大きなプレートに載せてサービスして回っていた。


 会場となった現場の駐車場には紅白の幕が掛け渡され、資材置き場や大きな分別用コンテナなどが視界から隠され、適度に囲われた雰囲気が作られていた。

 臨時の照明があちこちに据え付けられ、煌々とした白い光がパーティ会場を行きかう賑やかな人々の姿を包み込んでいた。


「行武さん、一緒にどうですか」

 宴もたけなわになってきた頃、生駒は行武に声を掛けた。

 生駒は会場の隅でひとり座り、飛び回っている綾の立ち居振る舞いや暗い空に盛大に昇る煙、そして人々が楽しんでいるさまを眺めながら、静かにビールを飲んでいた。

 会場のいたるところで、様々な組み合わせが生まれ、笑いと会話が生まれていた。

 隣のテーブルでは、香坂と石上が向き合って話しこんでいた。積極的に話しかける香坂に、石上は照れくさいのか、少し迷惑そうにわずかに逃げ腰になっていた。

 綾を囲んで、男達が盛り上がっていた。

 佐野川が会場に入ってきて、梱包された建築資材のサンプルを根木に渡すと、勧められたビールを断ってさっさと会場から出ていった。

 中央の大きな集団では、鈴木が他の職員達と一緒になって談笑していた。


 こういうパーティの参加者の中には、自分で焼く側に回りたい人がいるものだ。

 いつのまにか大矢は、網の上の焼き鳥をトンクで裏返しながら大声で客寄せを楽しんでいたし、その隣では織田も焼きそば屋の親父に挑戦していた。ソースをかけるたびにジューと大きな音をたてて湯気が立ち昇り、香ばしい匂いが周囲にたち込めていた。

 白い煙が何本もゆっくりと昇っていき、郊外の比較的くらい夜空の中、ここだけに薄いもやがかかっているようだった。


「皆さん、楽しんでもらってますなあ。天気が心配やったけど、もって何よりや。じゃ、遠慮なく一杯いただくとするか」

 行武は躊躇することなく生駒の手から紙コップを受け取った。

 白いカッターシャツに藍色のネクタイを締めて、折り目の付いた黒いズボン。ひげもきちんと剃っていた。


「こないだは、ごめんな。生駒君はもうちょっとこましなところがよかったやろ」

 生駒が大和高田市内の料理屋で行武と会ったのは、パーティの一週間ほど前のことだった。

 行武の知人の店だった。料理屋とはいえ、居酒屋より少しは高級かなというグレードの店だった。

「いや。こちらこそ、どうもありがとう。あの晩は楽しかった」

 そのときの行武は饒舌だった。

 生駒はその夜の話を反芻した。

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