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24 不幸な出来事

「まるで悪夢だな」

 栗田が疲れきった顔をしていた。

「三都興産はどうやった? 納得してくれよったか?」

 大矢の直接的な質問に答えたくないのか、栗田は黙って焼き鳥を口に運んだ。

「社長が頼みに行ったんやろ?」

 串をぐっと引き抜くと、白木の安っぽい椅子の背にもたれ込んだ。

「散々だ」

 そして大げさな音を立てて、溜息をついた。

「それにしても、なんということに。ただでさえ工事が遅れ気味な上に、こともあろうに所長が殺されてしまった。いったいこの現場、どうなるんだ」

 栗田は目をつむって、眉間に皺を寄せていた。

 大矢は、若槻の死体を発見したときの光景をまた思い出した。


 あの事件からまだ四日。

 安い居酒屋で若槻の思い出話をするほど不謹慎ではない。

 雇われている者として、ある意味で人ごとのように思おうとすれば思える仕事の話をしている方が、気持が楽だった。

「向こうがなんと言おうが、所長の再交替は仕方がない。まさか、ここまで進んでしまってから、工事中止ということはないやろ。販売も始めてることやし」

 栗田が目を開けた。

「当たり前だ。納得はできないが仕方がない、ということになった。工事はいずれ再開する」

「いつごろ?」

「できるだけ早く。ただ、今は未定」

「向こうさんは誰が出てきた?」

「黒井副社長と三木次長、それに羽古崎課長」

「中田部本部長は?」

「あれ? おまえ、中田部本部長を知っているのか?」

「いや、引き継ぎのときに、担当部長やとかなんとか」

「中田部本部長は出てこなかった。変だろ」

「ん?」

「元々、このマンションは彼が直接担当していて、三木次長は関係なかったんだ。ところが、最近はとんと姿をみせない」

 大矢は、かつおのたたきにたっぷりと生姜を載せたが、栗田は首をぐるぐると捻っているだけで箸をつけようとしなかった。


「おまえ、なんか言い足りなさそうな顔をしてるぞ」

 水を向けると、栗田が真剣な表情になった。

「今日、会議が終わってから、羽古崎課長に電話で聞いてみたんだ」

「なにを?」

「中田部本部長はどうかしたのかって」

「おお、で?」

「羽古崎課長は、話したがらなかった。しかし、お世話になった中田部本部長に、今回のことを、どうしても直接ご報告したいと粘ったら、とうとう教えてくれた。静岡に転勤になっていたんだ」


「ほう。でも、静岡に三都興産の営業所なんか、あったか?」

「調べてみた。昔、富士山の麓にリゾート開発の話があって、三都興産はそれに一枚加わったらしいんだ。ところが、バブル崩壊でプロジェクトはおじゃん。今は、後始末のための小さな部隊が残っているだけらしい。会社組織図に載っていないほどの部所だ。はっきり言って、これは左遷だな」

「いつから?」

「それだ。白井部長が九州に転勤になったのと同じ頃」

「へえ」

 大矢は、この現場に来た頃にこだわっていた、なぜ大阪支店が引き継ぐことになったのかという疑問を思い出した。

「ふたり同時に左遷か……」

「白井部長は左遷ということではないが……」

「転勤の理由に、左遷ということはないやろ。普通は」

 栗田は反対しなかった。むしろ、はっきりと頷いた。


「阿紀納部長に報告した。中田部本部長が静岡に転勤になっていたことを。すると……」

 一口、ゆっくりとビールを飲んだ。

「すると? 勿体つけるな」

「部長はとぼけた。しかし、あれは知っていた顔だ」

「で?」と、大矢は先を促した。

「知っていたのに、担当営業の僕に言わなかったということは……、なにか、僕に言えない理由があったんだな」

「おまえの話は眠たいな! 考えていることがあるんなら、ズバッと言え!」


「なにかあったんだ。白井部長と中田部本部長との間に。この現場には、おかしなことがありすぎる。僕たちの知らないことが」

「それは俺の台詞やろ。おまえ、受注金額を決める交渉のときのことを話してくれたよな。もしかして、それか? この喧嘩両成敗みたいな左遷人事の原因は」

「どうかな。あの時はまだ、白井部長は舞台に出てきてないぞ。受注した暁に現場所長になるということは、内定済みだったけど。中田部本部長との交渉責任者は阿紀納部長だ」

「うーむ」

「ところで、大矢。社長に報告したときのことを教えてくれ」

「おまえ、聞いてないのか? 担当営業のくせに」

「まあ、そう言うなよ。新しい所長は決まったのか?」

「いや、まだ」

 大矢の胸の内に、今日の朝一番に、事件の顛末を社長に報告したときの胸の悪くなるような感覚が甦ってきた。


 もちろん、若槻が殺された一報は、その日の内に社長の耳に入っていた。翌日にも、現場副所長の鈴木から報告が上がっている。

 今朝の会議はその後の詳しい報告と、今後の対処の仕方についての相談だった。

 出席者は益田社長、板垣副社長、加粉本部長、阿紀納部長、そして大矢。

 大矢は若槻を発見した社員ということで、念のために同席するように言われていた。しかし、自分から話すことはなにもない。偉い人たちが協議するのを、末席で黙って聞いているだけだった。


 報告は主に阿紀納が行った。

 板垣は副社長ではあるものの、益田のイエスマンであることに、なんの躊躇もない男だ。益田が口を開く前に、自ら進んで意見を言うことはない。

 特に、今回のような政治的判断を要する会議では、なおさら益田の心の内を慎重に読もうとしているだけのようだった。

 益田が人の意見を三分間以上にわたって聞き続ける、ということはない。

 重役連中以下、それを身に染みてわかっているので、阿紀納の報告も極めて短いものだった。


「事件のあらましは以上です。工事は止めるように指示してあります」

 大矢は、心の中で訂正した。

 監督官庁や警察から止められていますし、責任者がいない状況では現場は動かせません。

「三都興産へは今日の午後、社長にもご足労いただきますが、工事期間の延長と、再度の現場所長の交代をお願いするつもりです」

 益田は眼鏡のつるを舐めながら、ソファにゆったりと座っていた。

 まだ頷いているだけだ。


 阿紀納がそれを確かめて、さらに言葉を続けた。

「現場所長の後任ですが、もうしばらくお時間をいただきまして。なにぶん大きな現場ですし、こういったことがあった後ですので、きちんとまとめられる経験豊かな者でないと務まりませんので」

 そう言って言葉を濁した。


 大矢は心の中で阿紀納を代弁した。

 できましたら、社長の口から誰が良いとおっしゃっていただけましたら助かりますが……。

 加粉が横から口を挟んで、当然のことを言った。

「できるだけ速やかに決定いたしまして、工事を再開したいと考えております」

 益田がまたおう揚に頷き、やっと口を開いた。

 大矢にも、阿紀納と加粉に緊張が走ったのが見てとれた。

 ふたりがますます前かがみになった。


「黒井君の容態はどうだ」

 大矢は驚いた。

 若槻への追悼の言葉が出ると思っていたのだ。

 阿紀納や加粉が、その言葉にどう反応するのかを見てみたいと思っていたのだ。


 阿紀納がすかさず答えた。

「はい。順調に回復しております。後遺症もありません。業務への復帰はまだ先のことになりますが」

 大矢はまた阿紀納の言葉に追加した。

 と聞いております。

 阿紀納が黒井を見舞ったとは考えられない。


「そうか。若槻君のことはどうだ?」

 加粉と阿紀納が、顔を見合わせた。

 若槻君のこと、という意味がわからないようだ。

 板垣がいよいよ体を小さくして、益田の目に触れないように努力していた。


 益田がいらついた声をだした。

「黒井君は、若槻君の事件のことをどう思っているのか」

 大矢は、そんなこと知るか、と心の中でつぶやいた。

 しかし、なぜそんなに黒井のことが気になる。

 いくら三都興産の副社長の息子だからといって、若槻の不幸な出来事と、なんの関係があるというのだ。


 阿紀納が末席に座っている大矢を振り返った。

「どうだ」

 大矢は黙っていた。

 答えようがない。

 知らないからだ。

 それに無性に腹が立ってきた。

 自分が答えられないことは、部下に答えさせようとするつまらない男。


 加粉とも目が合った。自尊心のかけらもない、切羽詰まった目をしていた。

「存じません」

 大矢は怒りを押さえ込んで、かろうじてそれだけを言った。


 益田の質問は続いた。

「中田部本部長はどうしている」

 これには阿紀納は答えることができた。嬉々とした声をだした。

「はい。転勤になったそうです」

 益田がうるさそうに大きく手を振った。

 阿紀納の顔にさっと赤みが差し、板垣がますます体をちぢこめた。

「そんなことはわかっている!」

「は!」

「彼はこの事件のことを、どう感じているのか! おまえたち、それを報告に来たんじゃないのか!」

「ははっ! それは!」

 そう言って、阿紀納が加粉を振り返った。

 加粉が硬くなって、蚊の鳴くような声で答えた。

「申し訳ありません」

 会議はそれで終わりだった。



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