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22 醒めた自分

「生駒さん」

 小浦の声に生駒は我に返った。

「若槻さんを最後に見かけられた時刻はいつでしょうか」

 若槻や鈴木と二言三言話した後、挨拶に来た設備業者と席を移っていったのを見送った。そのときが最後だ。

「パーティの中ごろだろう。八時は回っていたと思う。来賓の挨拶が始まる少し前かな」

 小浦はそのときのことは問い直さず、またしてもあいまいな質問を繰り出してきた。

「参加者の中で、なにか気になる行動をした人を見聞きしませんでしたか?」

「特にない」


 生駒は若槻の言葉を思い出していた。

 パーティの途中で、見て欲しいものがあると言っていたのだ。

 なんだったのだろう。

 松並町の元住人同士だから、というニュアンスがあったように思う。たあいのない昔話をするつもりだったのだろうか。

 警察の耳に入れる必要はない。生駒は自分がかたくなに、そう考えようとしていることに気がついた。

 小浦が改まった調子になった。

「これなんですが」

 と、鞄から取り出した茶色の封筒をテーブルの上に置いた。

 封筒の表にはなにも書かれていなかった。どこにでも売っていそうな定型サイズの細長い封筒。

 口のところは、セロテープの封をハサミかなにかで切った跡があった。

「中身を見てもらえますか」


 生駒は封筒を手に取り、小浦が見つめている前で、中のものを引き出した。

 出てきたものは、縦に三つ折にしてあるA4サイズの紙。

 開くと、地図のコピーが一枚。文章をコピーしたものが数枚。

 地図は一万分の一程度の地形図で、ひと目で現場の周辺であることがわかった。

 中央部に、赤いペンでごく小さな丸印が描かれていた。犬見神社の文字のわずかに左下。ちょうど工事中のマンションの中央部、ロビーにあたる辺り。

 文章の方は、「ナチュレガーデン大和中央新築工事にあたって ハルシカ建設大阪支店工事部部長若槻利郎」というタイトルがついていた。


「現場の付近見取り図のようだな。相当に古い地図のようだが」

「そのようです」

「これがなにか」

「どう思われます?」

「どうって、なにを」

 小浦は鞄からさらにもうひとつの封筒を取り出し、こちらは自分で中身を取り出した。

「これがその封筒に貼り付けてありましてね」


 小浦がテーブルの上に出したものは、小さなビニール袋に入れられたクリーム色のタックシールで、鉛筆書きで生駒様と書かれてあった。

「この封筒が被害者の机の上にあり、これが貼り付けてありました。お心当たりはありませんか」

 生駒は思わず息を吐き出した。

 若槻が見せたいものがあると言っていたのは、これなのだ。

 わずかこれだけのことなのだ。

 子供時代の松並町の地図に、今の現場の位置をマークして。

 それに関西建友会の会報に載せた自分の原稿。

 やはり、これらをネタに昔話でもしよう、という趣向だったのだ。


 刑事はこんなものを、さも大切な証拠品であるかのように思い込み、芝居がかった態度で取り出してみせて、情報を聞き出そうとしている。

 なにを聞きだせるのか、聞きだせるものがあるのかどうかさえ、皆目見当もついていないに違いない。

 慇懃無礼な態度は、そんな自分の弱みを見せまいとする防衛反応だったのだ。

 生駒は小浦の姑息さに同情さえ覚えた。

 地図を眺めている間に、小浦への怒りは消えていた。


「たぶん、若槻さんが昔話でもしようと用意されていたのでしょう。私はこの会報を購読していませんし、彼はあの日、見せたいものがあると言っていましたから」

 小浦がシュッと音をたてて息を吸い込んだ。

「そういう話があったのなら、私が先ほどお聞きしたときに、おっしゃっていただきたかったですな」

「それは申し訳なかったですね。しかし、ただそれだけのことです」

 小浦は黙って生駒を睨みつけてから、若槻の原稿や地図を封筒に入れ始めた。


「その地図、コピーさせてくれませんか。そういう古い地図はなかなかないし、せっかく若槻さんが見せてくれようとしていたものなんでしょうから」

 生駒は若槻のことを偲びたいし、と言いかけてやめた。

 小浦が生駒の飲み込んだ言葉を理解したはずはないが、躊躇することなく地図を再び封筒から取り出した。

「どうぞ。差し上げます。コピーですから」

「あ、それはどうも」


「大変お手数をおかけしました。お茶、ごちそうさまでした」

 立ち上がった小浦に、生駒は座ったまま声を掛けた。

「どのようにして殺されたんですか」

「先ほども申し上げたとおり、まだ詳しいことはお伝えできないんです」

「ロープがどうとか」

「ええ……」

と、言葉を飲み込んだ。


「本当にお話しできないのです。あいまいな情報を、皆さんにお伝えするわけにはいきませんから」

「死因は首を絞められてということでしょうか。その……、凶器はロープということでしょうか」

 小浦は困った顔をして、大げさに両手を広げた。

「すみません」

と、右手を頭の後ろに持っていった。

 先ほどまでとは違い、態度に若さが出た。


「そもそも、殺されたのはいつなんでしょう?」

「死亡したのは発見される二十分くらい前だったようです。ところで、生駒さんと被害者は幼馴染だそうですな。小さい頃は遊び仲間だったとか。しかも、現場の近くにおふたりともお住まいで」

 生駒は曖昧に頷いた。

「それがまた、たまたまあの現場で再会されたそうで」

 これにも頷くしかない。

「非常に稀なことですな。お互いに、さぞかし驚かれたんじゃないですか?」


 生駒は、誰から聞いたのかとは聞かなかった。

 ここに刑事が若槻の封筒を持ってやってきたこと自体、それくらいのことは掴んだ上のことだろう。

 しかも、さっき自分でも、若槻が昔話をしようとしたのではないかと言ったばかりだ。

 しかし若槻との昔話や、懐かしむ気持ちを小浦に披露しても意味はない。

「ええ。驚きましたね」としか、言いようがない。

 結局、小浦はそのことについても、あえて突っ込むことはせず、帰っていった。


「先生と若槻所長は幼馴染だったんですか! ぜんぜん知りませんでした!」

 小浦が帰るなり、代わりに香坂が生駒を追求し始めた。

「しかも、おふたりとも生まれも育ちも現場の近く!」

「言ってなかったかな」

 香坂が、グラスをキッチンのシンクに持って行きかけた。

「ごめん。後で洗うから、そのままにしておいて」

「今日はここのアルバイトですからね!」

と、シンクの蛇口を捻った。

「ありがとう。でも、よくわかったね。お茶」

「冷蔵庫を開けたら一発でわかりますよ。熱いレモンティーを入れろと言われたら、ちょっと手間取ったかもしれませんけど」

「じゃ、紅茶を入れよう」

 湯を沸かしなおしている間、狭いキッチンに入った生駒と香坂は、互いに体が触れ合わないように意識して立った。


「先生が地元の人だってことは聞いていましたよ。でも、せいぜい奈良の人っていうくらいにしか思っていませんでした。まさか、それこそ地元の人だったなんて、思ってもみませんでした」

 香坂はコーヒーカップやドリッパーや砂糖のありかを確認すると、キッチンから出て行った。

「僕も驚いたんだ。若槻さんが先に僕に気がついてくれた。いきなり、子供のときのあだ名で呼ばれて」

 生駒は香坂の前に、熱いティーカップを置いた。


「あだ名? 先生の? なんていうんですか?」

「アトム」

 生駒はそのあだ名が付いた理由を教えた。

「へえ! アトム! じゃ、若槻所長は?」

「コメツブ」

「なんだ。そのままですね!」

「実はふたりだけじゃないんだ。幼馴染は」

 香坂の目が輝いた。

「弁当屋の行武さん。それに、織田建設の織田さん」

「うわ! なんだか……」

「なんだか、なんだい?」

「同窓会みたいで楽しそうというか、やりにくそうというか……」

「若槻さんと織田さんは、お互いに知っていたのかどうか、わからない」

「えっ、そうなんですか?」

「織田さんとそういうつもりで話をしたことはないし」

「へえ! じゃ、なぜ先生は織田さんのことを知っていたんですか?」

「行武さんから聞いた。行武さんが幼馴染だってことは、若槻さんから聞いたんだ」

「なんだか、すごいですね」

「うん」

 奇遇というのはこういうことを言うのだろう。

「会えて、懐かしかったですか?」

「若槻さんと?」

 香坂が頷いた。

「まあ、そうだな」

 生駒はあいまいに肯定した。

 確かにうれしかったし、懐かしいとも思った。しかし、ただそれだけのことだ。


 若槻が殺されたといっても、実感がないだけではない。悲しみや怒りをそれほど感じていないことに、気がつき始めていたのだ。

 そんな頼りない、中途半端な感情に、当惑さえも感じていたのだ。

 幼馴染とはいっても、三十年以上も全く音信のなかったもの同士。

 親しみの感情はともかく、友情を持てというほうが難しい。

 しかも若槻とはあの屋上での会話以来、幼馴染だという立場で話をしたこともなかった。


 現場で若槻の言動を目にし、耳にするとき、一種の連帯感のようなかすかな欠片を感じることはあった。

 しかしその感覚は、懐かしい故郷の光景の写真を見たときに感じる、実体のない表面的な郷愁と同じようなものだともいえた。

 若槻の人となりが、子供のときから変わっていないと言い切れるものではなかったし、むしろ子供だった生駒が、若槻がどんな人間かと、まともに理解していたはずもなかった。

 幼馴染だからといって、郷里の人間だからといって、それだけで信頼しあい、真の友情を育む相手にはなりえない。

 そんな当たり前のことを考えている醒めた自分がいることを知っていた。


 香坂が話を変えた。

「さっきのコピーはなんだったんですか?」

 生駒は立ち上がって、本棚に立て掛けてあった冊子を取った。

「これ、読んだ?」

 香坂は受け取った冊子の表紙をちらりと見て、中を開いて目次を目で追った。

「関西建友会の会報」

「はい……」

「淀屋橋の事務所でもらってきた。コラムに若槻さんの寄稿が載っている。さっきのは、たぶん原稿段階のものだな」


 香坂がそのページを開き、タイトルを口にした。

「ナチュレガーデン大和中央新築工事にあたって」

「そう。あの現場のこと」

「それを先生に」

「読んでくれって。僕がこの冊子を購読していないと言ったんで、コピーしてくれたんじゃないかな。読んでみる?」

「私も、これ、読みました。所長が現場に来られてすぐに。原稿段階だけど読んでくれって、所員や業者さんの主なメンバーに配られたんです」

「へえ。じゃ、今日のはそれか」

「所長は、自分の意気込みを伝えるために、そうされたんだと思います」

 香坂が目を通し始めた。

「その中に、水路のことが書いてあっただろう」

「はい」

 生駒は、本来なら若槻と話すことになっただろう昔話を、香坂を相手に話し始めた。

 香坂が来るまで、これを読みながら思い出していたことだった。


「落ちて死んだ子もいるんだよ。彼が書いているほど、楽しく懐かしい思い出ばかりでもない。業界誌の記事だから、そんな暗い打ち明け話をしても仕方ないけどね」

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