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22 いらだち

生駒先生

工事はしばらくの間、中断ということになりましたが、今の内に懸案事項を片付けておきませんか。

先日いただいた住戸の変更指示を拝見しておりますが、いくつかお聞きしたいことがあります。

また、私の方からご提案させていただきたい点もあります。

そちらに伺いますので、都合のいい日時をお知らせください。

(追伸)

とんでもないことになりましたが、モチベーションが下がらないよう気を引き締めてがんばりたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。


 香坂からのやけに冷静なメールに、生駒は来てくださいと返信はしたものの、全くなにも手がつかない月曜日となった。

 約束の四時に香坂がやってきたが、とても集中できるものではなかった。

 若槻、黒井、そして佐野川。彼らのことが頭から離れなかった。


 電話が鳴った。

「はい。モノ・ファクトリーです。……はい、私です。今から……、構いませんが……」

 香坂がテーブルに広げた図面から目を上げて、やり取りを聞いていた。

「わかりました。じゃ、お待ちしています」

 生駒は、電話を架けてきた男の少しくだけたようなものの言い方と、ぶしつけにさえ聞こえる快活な声色に憮然とした。

「ご来客ですか?」

「警察。聞きたいことがあるらしい」

「事情聴取ですか。私はもう済みました」

 香坂は、集団歯科検診の順番のことを言うように、気楽な調子だ。

「いつ、来るんですか」

「今から。失礼なやつだ」

「席をはずしてましょうか。なんでしたら、近くの喫茶店ででも時間をつぶしてきますけど」

「いや、すぐに済むだろう。ここで待っててくれていいよ」

 香坂は落ち着かなく腰を動かした。


「でも、私。また、同じようなことを聞かれるのはいやなんですけど」

「いやな経験だった?」

「はい」

「そう」

「すみませんけど、私、ハルシカ建設の者ではないということにしておいてくれませんか」

「ん? そうしようか。じゃ、もし聞かれたら、近所の喫茶店の娘さんということにしておこう」

「どこの店って聞かれたら?」

「慎重だな。じゃ、うちのアルバイトってのは?」

「いいですね。もし、私の顔を知っている人のようだったら、別の部屋にでも隠れています。あの、あのドア、入ってもいいでしょうか?」

「寝室だけど、いいよ」


 チャイムが鳴った。

 もう来た。

 刑事はマンションの下から電話してきたのだ。エントランスにオートロックがないと、どんな客でもすぐに玄関まで来てしまう。

 扉の前に立っていたのは、若さに似合わずのそりとした風采の男だった。警察手帳を見せるとはこのようにするのだというようにひょいと差し出し、うむを言わさぬ態度で玄関の中まで入ってきた。

 手帳をじっくり見る間もなく、刑事は、上がらせてもらっていいですか、と聞いてきた。

「はあ」

「どうも。えっと、靴は……」

「どうぞそのままで」

 刑事は、先ほどまで香坂が座っていたミーティングチェアにどさりと腰を下ろした。

 そして、ようやく小浦と名乗った。


 お仕事中のところ申し訳ない。梅雨とはいえ、今年は雨が多いですな。水不足にはなりそうにないが、今年の夏もやはり猛暑だそうだ。節電とか何とか言って、どこもクーラーの設定温度を上げるそうで、暑がりには応える夏になりそうですな。

 などと、小浦がとりあえずの世間話をする。

 脂ぎった顔のわずかな動きに合わせて発せられる線の細い声。

 生駒はじとりと背中が濡れるような疲れを感じ、相槌も打たず、聞かれたことだけに応えていた。


 かたくなな反応に気がつかないかのか、小浦が暖簾に目をやった。

 キッチンから、トクトクとなにかを注ぐ音が聞こえた。

「ご用件を伺いたいのですが」

 小浦が視線を戻し、おじゃましたのは、とようやく切り出した。

「若槻利郎という人を知ってられますか?」

 生駒は大きく息を吐き出した。

「もちろんです」


 キッチンから出てきた香坂が小浦に冷たい茶を勧めてから、小浦の視線が届かない後ろのデスクに座った。

 そして、楽しんでいるように秘密めかした笑みを送ってきた。

 小浦が笑みを消した。

「若槻利郎さんですが、亡くなりました」

「ええ」

「あ、ご存知で。それなら話が早い。工事は当分の間、中止になったそうで」

「ええ」

「いろいろ大変でしょうな」

 生駒は黙っていた。

 小浦が真正面から見つめていた。

「焼肉パーティのとき」

「その目に表情がなかった。


「あなたから見て、被害者の様子はどうでしたか?」

「普通に楽しんでいるように思いましたが」

 別の質問をしてきた。

「パーティでの出来事を、覚えておられる限り教えてくれますか。被害者に直接関係しないことも」

 つまらないことまで含めると思い出すことは無数にある。

 まだ一昨昨日のことだ。

「出来事と言われても……」

「どんなことでも。会場に見慣れない人が入って来たとか、ちょっと気になったこととか、あなたが被害者と話されたことも、ぜひ」


 生駒は、小浦が被害者という言葉を連発するのが気に食わなかった。

 まだ若槻が殺されたという実感が湧かない。

 現実感がないのだ。

 あるのはむしろ違和感。

 被害者という言葉を、なんのためらいもなく用いる刑事の無神経さが腹立たしいと思った。


「若槻さんは、どうなったんです? 殺されたという連絡を受けたきり、なにも聞いていないんですが」

 自分のいらだった気持ちをぶつけた。

 小浦は目を離し、小さく頷いた。

「詳しいことはまだなにもわかっていません。宴会が終わってから、事務所を閉めるために最後まで残っていたゼネコンの社員が被害者を発見して、通報してきました。夜九時過ぎのことです。生駒さんは、お開きのときも、会場におられましたか?」


 パーティの間、最初から最後までずっと会場にいましたか。

 などと聞いてくる。

 スピーチをされましたか。帰宅ルートを教えてください。帰宅されたのは何時ごろですか。

 などという意味もない質問を投げかけられるに及んで、生駒は返答することさえうっとおしくなった。


 どなたかと一緒に帰られましたか。

 という質問には、皆で一斉に駅に向かいましたからね、と答えた。

 実際は違う。

 綾と町を散歩したのだが、綾とは何者か、などと質問されては、説明するのが面倒だ。


 途中で席をはずしたりはしませんでしたか。

 小浦に質問の仕方は、行きつ戻りつする。

 この男の戦術なのだろう。

 現場からは出なかった。しかし、トイレにくらいは行った。

 そう答えると小浦は間髪を入れずに差し込んでくる。

「では、パーティの間は、ずっとどなたかと一緒でしたか?」

 小浦は、質問をまずは連発して、相手の気持ちを追い詰めようとしているのだろう。

 気の弱い相手には有効な作戦だろうが、しらけてしまっているものには効果はない。

 綾とはずっと離れずにいたが、刑事に話す気はなかった。


「たいがいは。しかしあなたね、立食パーティーですよ。いろんな人と話をしたし、厳密に言えばひとりきりだった時間もあるでしょう。そんなことを聞いて、なにになるんです?」

 刑事はこういう反応にも慣れているのだろう。

 言葉遣いは若干丁寧にはなったが、相変わらずの無表情で、聞いたことだけに答えればよいという態度は変えそうにない。

「一応の確認という意味でお聞きしているのですから、正直にお答えいただけますか」

 さすがに生駒の顔面に血が回り、熱くなった。

「正直に? あんた、それ、どういう意味だ?」

「ご協力をお願いしているということです」

「とても、そうは聞こえない」

 小浦の表情は変わらなかった。

 生駒はけんか腰になるつもりは毛頭なかったが、不愉快さは言葉に表れた。


「若槻さんと私は、仕事場の仲間だし、友人だ。その人が殺されたというのに、詳しい説明もないまま、あいまいな質問を連発されて不愉快だ。私のアリバイ調査であればそう言ったらどうだ」

 刑事の顔にふっと怒りの表情が浮かんだように見えた。

 しかし小浦は何度も頷き、都合の悪い表情を収めた。

「おっしゃるように、あなたのアリバイを確認するという意味もあります。しかし、それはほんの形式的なことでして、パーティの途中でどんなことがあったのかを教えていただきたいと思います」

 言葉を切って黙りこみ、生駒の発言を促していた。


「宴会の途中ねぇ。つまり若槻さんが殺されたのはパーティの途中だったということかな?」

「その間に襲われた、ということです。何か思い当たることがありますか?」

「確かに、お開きのときには若槻さんはいなかったな」


 閉会の予定時刻になって、若槻を探したが見つからず、現場の副所長である鈴木がお開きにすることを決めたのだ。

 だからといって、その時点ですでに若槻が襲われていたということにはなるまい。

 しかし、生駒は思いついたことを口にはしなかった。


 頭から離れない別のこと。

 香坂から聞いた若槻と加粉派との確執のこと。黒井の転落事故の不自然さや佐野川のこと。

 小浦が黙って見つめていたが、これも話す気はない。

 ハルシカ建設の社内の噂話を、外部の人間の口から軽々しく言うべきではない。

 それに、噂話をさも重要な情報であるかのように警察に話したことを、他人に知られるのは気持ちのいいものではない。

 もちろん、すでに警察はその情報を得ているだろうとも思った。

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