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14 弁当屋

「初めまして。大矢と申します。内装関係を担当することになりました。よろしくお願いします」

 大矢が名刺を差し出した。

 ゼネコンの職員にとって、生駒はインテリアを専門にして現場に乗り込んでいるという疎ましい存在だが、大矢は気にもかけていないようにざっくばらんに自己紹介をし、例のカーペットの件ですが、と切り出した。


 この三十過ぎの男の考え方ひとつで、生駒のこの現場での仕事の進めやすさや楽しみの具合が変わる。

 どんな変更や再検討にも前向きに気持ちよく進めてくれるかどうかで、デザインの自由度が決定されるし、設計者である生駒の気分も変わる。

 理解しあい、できるだけ密に、二人三脚で進めていかなければならない相手だ。


 大矢は体重百キロはあろうかという巨漢だ。

 太い腕が作業服の半袖から突き出し、五分刈りの頭はバレーボールほどもある。異様なほど大きな丸い目と鼻。そして無精髭。

 大矢が内装工事のスケジュールを、ばか丁寧に説明しだした。

 そのだみ声を聞きながら、生駒は姿や声とは裏腹に繊細な気持ちの持ち主かもしれないという印象を持った。

 そして、投げやりな気持ちがどこかにあるようで、慇懃な態度の中にもよそよそしい言葉が耳についた。


 大矢との打ち合わせが終わり、カーペットを選び終わったときを見計らったように、石上が顔をのぞかせた。

「あっ、もうそんな時間ですか。ちょっと待っててください。暑いから中に入って」

 生駒はそう言って、大阪の自分の事務所に電話を入れて留守録を聞いた。夕方の日課にしていることだ。メーカーなどからの営業の電話がほとんどだった。それでも何件かは重要な連絡が入っている。


 藍原が、大矢と石上を相手に、黒井の事故の話を始めた。

「やはりあれは変ですね。生駒さんは、あの事故の直前に私とあの場所を通ったけど、そのときは足場板はなんともなかったと言うんです。僕もあれから気になっていたんですけど、ふと気がついたら、もしかすると僕たちの内どちらかが落ちていたかもしれないんですよねぇ。ぞっとしますよ」

 のんきな調子で藍原が言うことを、ふたりは黙って聞いていた。


「結局、あれはどういうことだったんでしょう。若槻さんはあれ以来、報告されないし。金具のボルトが緩んでいたといったって、あんなもの、そんなに簡単に緩むものじゃないはずだし」

 これは大矢に向かって言ったようだ。大矢が困った顔をしていた。

「ねぇ、そう思いませんか?」

 石上にも同意を求めた。

「私らにはそういうことの説明はありません。ただの孫請けですから」

 石上はヘルメットを被ったまま、扉の横に突っ立っていた。

「ただ、こう言っちゃあ叱られますが、実際、現場ではそんなことは絶対にない、とはいえませんし……」

「それを言ったらだめですよ」

 まだ遠慮があるのか、大矢が石上をやんわりとたしなめた。


 石上が、自分が言ったことの始末をつけるように付け加えた。

「すみません。でも、現場にはいろんな人が働いてますから。中には経験のない人もいてるし、時間の余裕のない仕事もあります。金の支払いの悪い現場も。ここがそうということやありませんが……」

 生駒は受話器を置いた。

 石上の後半の台詞は、藍原や大矢にというより、独り言のようになっていた。

「うまく立ち回る人もいてるし、どんくさい人もいてるわけですわ。ま、私らは金には全く縁もないし、どんくさいほうなんでしょうなぁ」

 藍原の質問に答えようのなくなった石上が、頓珍漢なことを言って、これ以上その話につき合わさないでくれと言っているように聞こえた。


「さ、行きましょうか」

 生駒は石上を促した。

 石上はホッとしたような顔をして、ヘルメットの紐を確かめた。

「ご一緒していいですか?」

 大矢が聞いてきた。

「ええ、もちろんです」

 生駒は、大矢に対してさっき感じたことを、心の奥に封じ込めた。

 第一印象だけで人を決め付けてはいけない。

 ここへ転勤してきたばかりで、まだ設計者との距離のとり方がつかめていないのか、あるいは前の現場での問題を引きずっているだけのことかもしれないのだ。


 廊下に出たところで、男が階段を登ってきた。

「まいどぉ!」

 黄緑色のTシャツにジーパン、薄汚れた白いデッキシューズといういでたち。ほったらかしの崩れたパンチパーマ。痩せた白い頬に無精ひげ。

 男は、黒目だけのような切れ長の目で、生駒たちをちらりと見ると、扉の横に置いてあった弁当の空箱を拾い上げた。


 生駒は会ったこともない人のように感じた。それでもこの弁当屋に声を掛けた。

「行武さんですか?」

 面影があるかどうかという以前に、顔かたちの記憶がなかった。若槻のときと同じだ。

 しかし、年恰好からすると行武芳次郎に違いない。


 男は目を丸くして、生駒をしげしげと眺めた。

「先に行ってましょうか」

 大矢がじれたように言った。

「あ、すみません。すぐに追いかけていきますから」

 生駒は行武に向き直り、自分から名乗った。

「生駒延治です。亀井湯の前の」

 男は困ったように笑い、あ、どうもと、ぺこりと頭を下げた。

「若槻さんから、よっしゃんにここの弁当を頼んでいると聞いたんです」

 よっしゃん、と行武のあだ名で呼んでみた。

「え? そう。あっ!」

「やっと挨拶ができましたね」

「あっ、あっ! 驚いたな! 君が生駒君!」

 生駒の顔を違う角度から見ようとするように、行武は体を左右に動かした。

 顔に喜びがあふれ出した。


「あれぇ、えらく変わってしまって。全く気がつかなかった。そういや、若槻さんから君のことを聞いてたんや。しかし、それにしても、おっさんになって。面影が、んー、全くないがな」

 行武が自分のことを棚に上げて、うれしそうにしゃべり始めた。

「若槻さんが交替で来たときも驚いたけど、次は生駒君や。いやぁ、まるで同窓会みたいやなぁ!」

 若槻のときと同じように、生駒はどうにも照れくさく、相手との距離感も掴めなかった。

 とりあえずの無難な質問をした。

「ここには、誰かからの紹介?」

「織田工務店から。それにしても奇遇やなぁ」

 行武は改めて満面の笑みを浮かべた。


 生駒の口元も緩んだ。

「うん。しかし行武君もなにかその、人が違うようで……」

 行武の大きな黒目が生駒を見つめた。

「そうか? 苦労してるからな。おっ」

と、腰につけたポーチの中を引っ掻き回して名刺を取り出した。

 大きな文字で「行武食堂」と印刷され、「皆様の健康を応援します」というキャプションがついている。代表取締役と書かれてあった。

「住居表示は変わったけど、場所は昔のままや」

「住まいと兼用」と、生駒も名刺を出した。

「大阪の福島か。都心中の都心やな。あれっ、確か平野区に引越したんやなかったんか?」

「うん」

 生駒も行武も、話すほどにくだけたものの言い方になった。

「そうかぁ。たまにふるさとに来たこと、ある?」

「いや、残念ながら。ほんとに久しぶり」

「変わったやろ。いったいここはどこ、という感じやろ」

「そうだな。犬見神社があるから、かろうじて位置関係がわかるという感じ」

「そう。俺らはずっとここにいてるから、それほどは感じんけどな。あっ、いかん。そろそろ次のところ、行かんと」


 生駒が今度ゆっくり話をしようと言うと、行武は了解と応えて、数個の弁当箱を抱えて軽のライトバンのドアを威勢よく閉めた。

「そんじゃあな」

 生駒は、行武が口にした同窓会という言葉が気に入った。三人顔を揃えただけで同窓会とは、あまりに軽薄な印象を受ける表現だったが、現に込み上げてきた懐かしさが心を少し熱くしたことは事実だった。

 行武とは小学校の同級で、若槻の指揮の下、近所中を走り回った仲だった。

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