表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.7 TAKOYAKI
PR
84/130

第7章 第5話 Distant dawn◇◆

 午前二時半、ついにモンジャ・グランダ連合軍の進撃が開始された。


「棘にだけ気を付ければいい。第三防御形態を崩さず散開!」


 眷属が棘以外には武器らしい武器を持っていないのがせめてもの救いだった。進撃を開始したグランダ軍は、楔形に組まれた陣形のシツジ隊を先陣に軍重装歩兵部隊、第一陣が密集陣形で続き、


「囲めえっ!」


 号令と共に岩山付近に追い込むように盾で圧しながら、整然と各小隊に分かれ、中央を基準に両翼に展開、三方面、外線作戦からの突撃となる。眷属の包囲網を敷くのだ。一体たりとも勝手な行動をさせてはならない。ましてやモンジャ集落方向へ散らせてはならない。眷属となった人々が湖から上がってくる前に、防衛線を少しでもタコヤキ側に押し上げておきたい。絶対に突破されてはならなかった。


「第一戦列、槍構ええっ!」


 一糸乱れぬ統率のとれた重装歩兵が一気に盾の隙間から横構えに繰り出したのは、長槍だ。


「突けーっ!」


 突くとはいっても半物質の武器なので相手の肉体を傷つけてはいない。刃に塗り込められた痺れ薬だけを眷属の体内においてくる。


「裂波の陣!」


 勇ましく突撃のラッパが鳴る。盾で眷属を包囲網の内側にきつく押し込め、包囲網の中に長槍を渡して瞬時に左右に引き裂き、一塊の眷属を二つに、四つへと分断してゆく。眷属たちを大兵力で小さく囲い込み、第二戦列の剣士たちが各個撃破。それは、押し寄せてくる波を槍で引き裂くかのようだ。

 高さを生かしたシツジ隊が、包囲網の周囲を駆け抜けながら長槍を陣の中に突っ込む。敢え無く倒れる眷属たちを踏み越えて、洞窟の奥から湧き出す新たな眷属たちがグランダ兵士たちと死闘を繰り広げる。


 ちなみに赤井の選んだモンジャ・グランダ・ネスト連合軍の戦闘人員については、万が一のことを考え人間患者は全て外されている。人間患者はモンジャやグランダなどの警備などにあてられて、さりげなくA.I.だけの部隊編成だ。ラウル、カコンなどは戦闘要員ではあっても戦場にはいなかった。


 その間にも大型眷属は斃しても次から次からカルーア湖から湧き出してくる。大きさは大小、形も様々ではあったが、その姿は現実世界における深海生物や両生類などの出来そこない、軟体動物や爬虫類に似た名状しがたき異形の姿をしていた。

 赤井は湖岸から神杖を振りかぶり神通力を込めた高エネルギー光弾をひょいと投げては打ち、眷属との距離を保ったままインフォメーションボードで捜し当てたコアを立て続けに破壊してゆく。その様子は千本ノックさながらである。


「第一陣、第一第二戦列が突破されたぞ!」


 激しい攻防の後、最前線の兵士たちは疲れから集中が乱れ、あるいは眷属の爪や牙によって傷つけられ盾がもたず、遂に第一陣の一部が突破された。しかしその外周には第二、第三の布陣と塹壕がある。損耗していない第二陣が、ざっ、ざっと進撃を始めた。

 数対数の壮絶なせめぎ合いが生じている。


「放てーッ!」


 包囲された眷属の内側に向け、弓兵が号令とともに夜空に矢を射かけ空からの半物質の矢の雨を受ける。武器も防具も持たない眷属たちは、命中するなり痙攣しては動きを止める。

 そんな中、赤井は大型眷属との戦闘の合間合間に、負傷者を見逃さずその都度手当を施す。それが功を奏し負傷者は出ても死者は奇蹟的に出ていない。赤井が戦闘を中断している間の戦力は、ロベリアが十分に補っていた。


 第二陣での攻防が危うくなってくると、塹壕の出番だ。


「塹壕兵、即時撤退!」


 塹壕の中から洞穴に向けて矢を放っていた兵士たちの撤退が完了し、塹壕前の柵が取り除かれ落とし穴へと変貌する。邪神の眷属と化した人々はシツジ隊に追い込まれて足を滑らせ、塹壕の中へと落とし込まれる。塹壕の中が眷属たちで溢れかえるまでは、落とし穴として機能するのだ。だが、穴の容量に限りがありいつまでもはもたない。


「ほわたー! ひょおお――っ!」


 奇声を発しながら木棒を振り上げ、眷属の背後からカンフーもどきのアクションで襲い、塹壕の中へ手際よく落としてゆく男。その名は神官イヤンだ。彼はA.I.なのだが、現実世界のカンフー好きのプログラマによって造られたのではないかと赤井たちが首を傾げるほど、何というかカンフーアクションスター気質だった。腰にはヌンチャクのような、棍棒を二つ繋げた武器を提げている。


「はいっ! はいっ! せいっ!」


 華麗なる回し蹴りの連続。少し遠巻きに見ていた赤井はその様子に感心しながら、今度彼のために黄色いジャージに似たコスチュームをプレゼントしようかな、などと思案するのだった。


「ほわちょー!」


 眉間にしわを寄せびしっとポーズを決めるイヤンは、武術家として今最高に輝いている。もともと彼は第一区画との戦争に備えて開発されたA.I.である。彼の存在を全肯定してくれる場で、遺憾なく実力を発揮している。


「今だ! 突け突け突け――いっ!」


 イヤンと連携してモンジャの狩人たちが塹壕の上からあぶなくない槍で突くと、塹壕の底に倒れ込む眷属。グランダ軍の組織力と兵力によって、タコヤキ共和国を滅亡寸前に追い込んできた眷属たちと互角以上に戦えた。


「いける、いけるぞ!」


 モンジャの戦士、グランダ兵士たちは手ごたえを感じ、恐怖心を払拭し自信をつける。その様子を見たタコヤキの民は、信じられないと首を振るばかりだった。人間が怯むことなく邪神の眷属たちを圧倒している。まるでこの時の為に十分に訓練を積んできた戦闘集団の戦いだが、彼らは組織としての実戦経験などなかったというのだ。


「洞窟から出てきたやつらについては、削れるだけ削れ。それとともに、塞ぐぞっ」


 キララは痺れ薬の効果の薄らぎなまくらとなった半物質の剣を捨て腰に差した新たな剣を抜くと、騎乗しているシツジの頭を洞穴へ向ける。

 キララの狙いは一つだった。洞窟から際限なく湧き出てくるあの眷属を、何とかせねばならぬ。洞穴の奥にどれほどの眷属が押し寄せているとも限らないし、相手は痺れ薬を塗った半物質武器以外には武器も通用しない不死身の眷属なのだ。夜通し相手をするのは無謀だ、また、疲れも消耗もしない相手のことである。


「どのように!?」

「あそこに肉の壁を造り、洞穴を塞ぐのだ!」


 洞窟を塞ぐ材料、それは、岩でも土でもなく犠牲者自身の体だ。


「はっ! 王の仰せのままに」


 キララとグランダ軍の精鋭たる女王親衛隊をそれぞれの背に乗せ、塹壕をひらりと飛び越え、眷属となった哀れな人々をその力強い脚で蹴散らし、シツジは一直線に駆ける。眷属たちは彼らを引きずりおろそうと手を伸ばしてくるが、猛進する彼らは止まらない。


 洞穴付近に到達した女王キララとその親衛隊は、今にも洞穴から出てこようとした眷属たちにシツジ上から攻撃を仕掛ける。そして斃した眷属を下敷きに累々と肉の山を積み上げ、その肉の壁で洞窟の入り口を埋めてゆく。


「女王、背後が!」


 すぐ近くで奮闘していたヒカリが、前方にのみ気を取られていたキララの危機を叫ぶ。背後から眷属が鋭い爪のついた腕を振り上げながら飛びかかってきたのだ。キララが絶体絶命の危機を迎えたとき、より早く飛んできた一本の半物質の槍が、音もなく眷属の背を貫いた。


「大丈夫かーっ! ぼやぼやするな!」


 槍の持ち主はモンジャの漁師、ヤスだ。身構えていたキララは、ほっと息をつく。


「おかげで助かった、礼を言うぞ」

「なんの、俺らは接近戦は苦手だから、ここから皆の背後をよく見ておく。任しとけ!」


 ヤスは小脇に抱えたありったけの槍を見せて、にっと白い歯を見せた。モンジャの投槍の名手の援護に、それは心強いとキララもよい笑顔で返す。

 今はもう、グランダもモンジャもネストない。

 全員が力を合わせ一丸となって、祖国と民を守るために武器を取った。


『さすがです、皆さん。ここまでやるとは感動で目頭が熱くなりますよ』


 この健闘ぶりには赤井も目を見張る。赤井は負傷者の優先的な治療と大型眷属の相手で、人型眷属と化した犠牲者に対してはほぼ加勢できていないのだが、手助けがなくとも彼らは存分に、しかも優位に戦えるようだ。


 一方その頃、グランダの岸ではネスト御家人、グランダ兵と赤い神の使徒ヤクシャが水際で防衛をしていた。前衛でヤクシャが複数の大型眷属と戦い、その背後では人々が湖中から湖岸へと押し寄せた人型眷属の大群と戦っている。


『ウーン!』


 ヤクシャは唸っているのではなく、マントラを発している。

 彼は両手を合わせ、金剛夜叉の印相を組むと黄金の蛍光を纏った梵字、マントラの帯が発動する。大型眷属を縛りながら、魔法陣のように展開していた金剛界曼荼羅の中に捉え、雷を纏う金剛杵ヴァジュラでエネルギーコアを的確に粉砕する。ヤクシャの戦闘は、かつて金剛夜叉明王役を務めていただけあって大胆かつ豪快そのものであり、大型の敵にこそ真価を発揮する。また、赤井のように思いつきのいきあたりばったりではなく、体系立てられた大技もイリュージョンのように美しく洗練されており、御家人たちに感動を与えた。

 やんや、やんやの大喝采である。


「おお、ヤクシャ様お見事ですじゃ」

「赤い神様の神通力とは異種の技ですの」


 彼の余力としては湖から上がってきた眷属全員、そして赤井とロベリアが相手をしている対岸の大型眷属とも同時に戦えるのだが、ヤクシャは赤井や素民たちに任せてあえて手を出さなかった。彼等の活躍の場を奪ってはいけない。脇役はあくまで控えめに、分担された相手だけに集中する。また、序盤区画からあまり素民たちに手の内を見せすぎるのもよくない。いきなり派手な技を見せるより徐々に派手にしてゆくほうが心象がよいのだ。ヤクシャは兵を配備していないカルーア湖沿いの湖畔から上陸されることも考えたが、実際にはそのようなことはなく、眷属は集落を狙って襲来しているようだ。それが幸いでもあった。


「あなたたちに恨みはないけどっ、こっちに上がって来ないで!」


 ヤクシャの後ろでは、息を軽快に弾ませながら白の女神の巫女コハクが半物質の長剣でネスト、グランダの戦士たちの誰よりも多くの眷属をしとめている。彼女は今や神通力こそないが、それを感じさせないほど並み居る男戦士に引けをとらない実力を発揮する。コハクは神聖エルド帝国において戦争経験がなく、まだ異形のものと戦った経験もない。最初はおぞましさに及び腰になっていた。だが、相手を完全に倒さなくてもよいとなると、コツを掴み異形との戦闘に慣れるのも早かった。


 コハクたちの活躍、あるいはモフコの築いた城壁によってまだ一体もグランダの街に眷属は入っていない。ヤクシャは時々後ろを振り返っては、彼らが無事であることを確認する。ピンチにならない限りは、彼らの自由に任せておく。それにしても目を引くのはコハクの立ち回りだ。


『さすがだなあ、スオウ一族は。さっき隠れてろって言ったけど、心配なかったな。ま、無理はすんなー』


 スオウシリーズはどの個体も安定した性能を発揮している。この安定性こそが蘇芳教授のブランドともいえた。ヤクシャはスオウシリーズの性能に感心したのであるが、勿論、コハクという個体を褒めたつもりでもいた。


「お褒めに預かり光栄ですわ。女神様の巫女として、異形を相手に逃げ出すような真似はいたしません。それより、あなたのようなお強い天使様に初めてお会いしました」


 コハクの頬が赤く染まっていたのだが、暗がりの中では誰も気付かない。ロベリアもそうだが、ヤクシャは白椋の所有する使徒とは別格の実力を備えていると、コハクは彼の本領発揮を目の当たりにした。そして年頃の女子としては例にもれず、コハクは逞しく強い男性に惹かれはじめている。これが彼女の初恋であることは言うまでもないが、彼が異世界の使徒であるため、その恋が成就することはなさそうだった。


『そんな言われると照れるじゃないの、それじゃもっと頑張ろっかね』


 ヤクシャは涼やかな顔でそう言うが、活躍を認められて口元がにやけていたりする。前管区ではその忿怒の形相から過度に怯えられていたために、素民から尊敬される機会にはとんと恵まれなかったのだ。


「絶対にグランダに上がらせるな! 女子のコハク殿に遅れをとって何とする」


 ネストの老臣クワトロは半物質長剣でひたすら眷属の腹部を切りつけ、刃に痺れ薬を塗り込め、次々と切りつける。力自慢のパズ王子は眷属の手首を掴み、半物質ナイフで喉を掻っ捌きカルーア湖へと投げ飛ばしていた。ネストの御家人たちは個人意識が強く一対一の戦闘を思い思いの場所で繰り広げていて、グランダ軍のように統率はとれていない。だがそれでも対岸のモンジャ、グランダ連合軍と同じく、戦闘は互角の様相を呈していた。


『ま、どーんとしてればいいよ。モフコ特製、絶壁の鉄壁は破れないだろうし!』


 モフコは構築スキルでグランダ市街の前方を守るように拵えた高さ20メートルの、文字通り鉄の防壁を自画自賛している。その防壁の隙間にはスリット状に隙間があり、そこからグランダの弓兵たちが湖の眷属たちに狙いを定め上陸してくる眷属の数を削っているのだ。ちなみに甲種構築士ではないモフコは非戦闘員の構築士であるため、戦闘には加われず兵士たちの補給と防御、そして応援係がメインの仕事である。モフコにややお気楽ムードが漂い始めた頃


『ヴオオオオオ――!』

『何だ!?』


 ヤクシャが相手をしていた大型眷属の一体が、突如夜空を軋ませるような唸り声を上げた。

 それが引き金となったかのように、人型眷属たちが唸り声に合わせて一斉に遠吠えを始める。ぞろぞろと踵を返しグランダ側に背を向けたかと思うと、次の瞬間! 

 眷属の背中から無数の棘が発射されたのだ。


『うおっと、来たかっ!』


 物理結界で防御するヤクシャ、しかしヤクシャより前線に出ていたネストの御家人たちは間に合わず、何名かの御家人たちの防具を貫通し棘がその身に深く穿ちこまれた。


『棘を抜け! 早く』


 ヤクシャは唸り声を発した眷属を間髪入れず粉砕する。それとともに人型眷属たちの棘の攻撃は止んだが、


「天使様、精霊様、わしはもうダメじゃあ」


 御家人たちは棘の攻撃を受けもがき苦しんでいる。


『傷っ! 傷見せて傷っ』


 モフコが慌てて駆けつけ、メンターイコ村の兵士と共に負傷者たちを次々に自陣へと運び込んだ。


「これはどうしたことや。おかしいぞ」


 負傷者の様子を見ていたメンターイコ村の男が、何やら解せぬという表情で考え込んでしまった。


『何がおかしいの?』


 メンターイコ村の村民によれば、棘が刺さればその瞬間から動けなくなる筈だというのだ。タコヤキ共和国での負傷者の容体と大きく異なる。今日はいつもと違ったタイプの眷属にやられたのだろうか、などとあれこれ詮索している。


「なんやわしらの知る状態とちがいますのや」

「赤い神様ぁ、わしはまだ死にたくないですわい。まだやり残したことがあれもこれも」


 結局、御家人たちはその後も煩悩丸出しの末期の言葉を喚き続けていた。


「まだ理想のおっぱいにも出会っていないし……赤い神様ぁ、精霊様ぁ、あんまりですじゃ」

『何か、大丈夫そうじゃないの? さっきからおっぱいがいっぱいとかそんな事言える元気あるし、眷属になりそうな気配ないじゃない』


 十分ほど辞世の言葉を吐き続けていた負傷者たちを少し冷たい目で見下しながら、思わずこう言ってしまったモフコである。


「こういっちゃなんですが、どう見ても元気そうですのや」


 これにはメンターイコ村の兵士も全員一致で同意した。


 だが眷属たちの棘の発射攻撃が、少なからず御家人やグランダの弓兵たちに精神的打撃を与えたのは、ヤクシャやモフコ達から見ても一目瞭然だった。士気が下がり、恐慌状態に陥った者。果敢にも攻め続ける者、発狂寸前の者、前線は後退しそこにつけいるように眷属たちは亡者のように侵攻してくる。そんな大混戦の中、コハクと共に最前線で戦っていたクワトロもまた複数の眷属に囲まれていた。それを見つけたヤクシャ、急いで雷を放とうとしたが既に遅く、


『しまっ……!』


 背後から心臓の真裏を一突きだ! 

 間違いなく致命傷である。クワトロはよろめき、胸を押さえて倒れ込んだ。


「あう……ぐッ」

「クワトロ様?! クワトロ様――っ!」


 老御家人は死を悟ったのだろうか。彼は倒れざまに、ただでは死ぬまいと剣を振り上げ二体の眷属を巻き添えにした。その表情にはうっすらと満足そうな笑みが浮かんでいる。遂に死に場所を見つけた、そんな武人の顔だとモフコは思った。


『クワトロのおいちゃん、しんじゃだめだよう』


 ヤクシャがインフォメーションボードを開きながらクワトロのもとに急降下、風圧で眷属たちは吹き飛ばされる。生殺与奪を可能とする甲種構築士の生体構築バイオコンストラクトは、素民の心臓が完全に止まってしまっては使えない。死者蘇生の権限は、甲種二級構築士(使徒)にはないのだ。更にモフコに至っては生体構築すらも使えない。ヤクシャはインフォメーションボードをじっと睨みつけるうち、あることに気付く。

 それはにわかには信じがたい事だった。


『モフコさん、第二区画担当だっけ、ネスト民に何かしたんすか?』


 彼は思わず確認せずにはいられなかったのだろう。


『何かって何? そりゃーキャラ付けとかは頑張ったけど。ほかにもデザインとか諸々頑張ったけど、私の頑張りの全貌を話すにはまる三日ぐらいないと……』


 ネストの呪われた森については、グラフィックデザイナーとして結構頑張っていたりする。だが素民については一般的なアガルタの素民の筈だ。ヤクシャはそうじゃなくて、と首を振る。


『ネスト民だけ回復力を高めたとか、そーいうことはしてないんすか。今のって、クワトロ即死だった筈なんすよ。なのに生きてるし、回復が始まってる』


 そういうわけでヤクシャのクワトロに対する治癒は、祝福だけで事足りた。


『棘に刺された人といい、クワトロさんといい……さすがに変だよね。あ! そういや心当たりあるかも』


 毛玉構築士は、ややもすれば忘れかけていた何か重大な情報を思い出したようだった。


 再びモンジャでは。

 ロベリアと赤い神が全ての眷属を片付け、湖から上がってきた眷属たちをモンジャの狩人たちが返り討ちにし、眷属たちの棘の攻撃を受けながらも殲滅せしめ、素民たちも犠牲者たちを肉の壁として洞窟の穴を塞いだところで、空に紫電が走り雷鳴が轟き始めた。

 雷鳴は段々近くなってきたかと思うと


「うわっ!」


 素民たちのすぐ傍に、特大の落雷。落雷のあった場所は湖畔のすぐ近くだ。


『みなさん、気を付けて!』


 赤い神が素民たちを結界で守りつつ複数の光球を投げ、辺りを昼のように明るく照らすと、何者かの姿があった。ローブのような黄色い皮衣を着た人物が、霞の中に佇んでいるのだ。人型をしているが顔は見えず、顔には青白い仮面をつけて異様な雰囲気を発している。その人物は地面から僅かに浮揚しており、辺りには青黒く不吉な霧が立ち込めていた。

 顔は隠しているが明らかに、人間ではない。


 誰ともなく、その正体を察した民からの悲鳴が上がった。タコヤキの民だろう。


「あれは……黄衣の王だ」


 赤い神は毅然として神杖を握りしめ、指輪を填めた拳を突きだして静かに尋ねる。


『これを取り返しに来たのですか?』


 口調は穏やかだが、彼の周囲には闘気ともいえるアトモスフィアが煌めいていた。斃して奪え、とでも言わんばかりの気迫だ。その言葉に返事はなく、何者かは赤井を挑発するかのようにゆっくりと背を向けて、まるで興味がないというように暗がりの中に消えてゆく。逃がしてなるものかと、赤井が神杖を投げつけそれは黄衣の何者かの腹部に命中したが、黒霧は晴れあがり、その姿はすっかり失われていた。

 地に落ちた杖を拾い上げれば、杖の先にはべっとりと黒い体液がついている。生体反応はなかった。あの眷属もまた、水埜ではない。


 今日もまた地平線から朝日が差し込んで

 邪神の眷属との戦い、その一夜の終わりを告げた。


『……仕留めきれませんでした』


 こうして悪夢の夜が明けモンジャに残ったのは、邪神の眷属と化した人々が半物質武器で戦闘不能状態となり折り重なった山。

 夜間のうちに眷属の棘に刺されてしまった負傷者は、モンジャ、グランダ連合軍だけで数十名にものぼった。彼らはネストの御家人たちとは異なり棘に刺されるなり意識を失い、意識を失っているがまだ生きている。彼らを救うには禁書を発見し、彼らが人に戻る可能性に賭けるしかない。しかしこの状態では、夜間になれば異形と化してしまうのだ。神々も使徒たちも、どうすることもできない。ただ、半物質武器で彼らを痺れさせ、異形となったのち、少なくとも動けないようにはしておいた。


 この戦いで、モンジャ、グランダ連合軍に死者は出なかった。戦いで致命傷を負った民はいた、だが赤井は大型眷属との戦いを中断してでも即座に治療を施し、一人として死に至るのを許さなかった。


「赤い神よ、話がある」


 隊列を離れて戦果を分析し、一人何かを考え込んでいたジェロムが、つかつかと歩み寄ってきて赤井に声をかけた。何やら神妙な顔つきをしている。彼もまた、満身創痍の疲労困憊といった状態だった。


「死者が出なかったのは確かにありがたい。だが戦いの最中に民を気にしすぎだ」


 かなりの時間を割いて、赤い神は負傷者の治療に当たっていた。その度に集中を乱し、戦闘を打ち切ってだ。


『皆さんの安全を守るのは、私の義務であり当然のことです』

「では言わせてもらうが戦争で人が負傷し、時に死ぬのは当然のことなんだ。モンジャの戦士はどうか知らんが、我々グランダ兵は戦うことこそ義務であり、死の覚悟はとっくにできている。さらに言うならば兵士としての誇りがあり、我々には我々の、あなたにはあなたの戦いがあるだろう。民の負傷に気を取られず、戦いに集中してほしい。であればより早く決着はついたかもしれない」


 赤井はこの言葉に、大きな衝撃を受けていた。庇護しようと決めた相手から、守らなくていい、などと面と向かって言われるとは……。

 彼のよく知るモンジャ民は神の庇護のもとに日々の平和な暮らしを享受することを当然のものだと思っている。獣との戦いは想定されているが、対人の戦争という意識が全くなく、甘やかされていたからだ。建国以来いつ脅威にさらされるとも知れない、平和とは程遠い環境にあったグランダとは真反対の状況。

 対してグランダの兵士は入隊する際に家族に遺書をしたためるという。グランダ軍に入隊するからには、命を王と国に捧げるということだ。その決意の過程を経たグランダ兵は、王に死ねと言われれば今すぐにでも命を投げ出すことができた。


『約束、したんですよ』

「約束?」


 そんな話は、グランダの素民には初耳だった。


『ヤスさん、あなたは聞いていましたね』


 思いがけず話を振られて、槍に体を預けて休んでいたヤスは背筋をただして首を傾げる。


『私がこの世界に来てほどなく、もう誰も理不尽なことで死なせないと約束しました』

「それってまさか、あのときの?」


 ヤスは思い出した。彼が始祖たちと交わしたという約束を。ナズが死んだあの日、もう誰も死なせないと確かにそう言った。それが素民に対しての約束だったとヤスは思わない、ただの決意表明のようだった。それを忘れずに守ろうとしているだなんて。しかしその約束はもはや現実的ではない、彼の守ろうとする人間が増えたのだから。


 赤い神は一柱だ。使徒が増えたとはいえ全ての人々を救えるわけではない。人が増えただけ救うことのできない人々もこれからも増えてゆくだろう。それが、世界が広くなるということだ。仕方ないのだ。だが、赤井は仕方がないと思えない。彼が始祖たちにした約束を全ての素民に対しても守りたいと思っている。ネギを死なせてしまったというのが、彼の中でよほどこたえているらしい。


『これ以上の死は、もはや見過ごせません』


 神の目の前で、無実の人間がたった一人でも殺されることを許せないのだ。彼は大真面目だった。

 素民達に無事であって欲しいし、苦難のうちにあるタコヤキの民も助けたい。何一つ妥協をする気がないようだ。ジェロムはもう呆れるやら何やら、何も言えなくなってしまった。


『では次から分担して戦うことにしましょう』


 黙って聞いていたロベリアが、赤い神の横合いから声をかけた。素民の自然な営みの中での死は諦めても、邪神がらみの戦闘で死者が出るのは許せない。青臭い価値観の持ち主だとは思うが、管区主神の方針なのだからロベリアも従う。素民の人口が増えいつまでその方針が通用するものか、いつか挫折するのではないかと思いやられはするが、その考えは嫌いではなかった。


『私が全面的に治癒を担当しますから、神様は戦闘に集中してください。神様の方が私などより断然お強いのですから、その方が効率がよいでしょう』


 ロベリアは素民の手前、そうやって恭順な態度で一礼し赤井を持ち上げるが、戦闘能力は赤井とロベリアはさほど変わらない。だが、固有の構築スキルやアトモスフィアの所持量などから赤井が戦った方が実はアドバンテージがある。それに、細腕のロベリアが戦うより赤井に活躍してもらった方が素民にとっては分かりやすく、安心するのだ。この管区の主神はあくまで赤井。彼にもっとも素民の信頼が集まるようにしなければならない。ロベリアはあくまで脇役に徹し、甲種二級構築士の身分を弁える。


 また、上位使徒たるロベリアは現状の少ないアトモスフィアでも北欧神話の巨大鷲フレースヴェルグに変身することができたのだが、赤井を引き立てるためにそれらのスキルは自ら一切封じている。

 当然、主神である赤井も、数々の神話でそうであるように巨人ならぬ巨神に変身し天地を揺るがし民を畏怖させることができる筈なのだが、巨神化するにはまだ素民の人口が足りずアトモスフィアの量が不足しているためロベリアもヤクシャも教えていない。赤井は気を散らせやすい性格なので、あまり余計なことは教えておきたくないというのもある。


『と、いうことであれば皆、それぞれの戦いに集中することができるのではないでしょうか』

『ありがとう、ロベリアさん。では次からそのようにしましょう。皆さん、その場で休憩して、ヤクシャさんからの連絡を待ちましょう』


 赤井が清々しく納得したようなので、ロベリアは何となく照れくさくて小さな翼をぱたぱたさせていた。


「戦って腹へったよー。さ、朝飯朝飯。今日は奮発してエド肉だぞ皆!」


 休憩と聞いたモンジャ民が、さっそく配給された弁当を広げ始めたのは言うまでもなかった。

 グランダ軍は横目でエド肉にかぶりつくモンジャ民を羨ましそうに見ながら、保存性に優れたグランダのまずい兵糧を口にしていた。


「わが軍の兵糧を、もっとおいしくすべきだと思う」


 グランダ軍の下級兵士がぽつりとそう言った。


 ***


 時間は少し前にさかのぼる。

 メグは一人モンジャの薬草畑で湿布の材料にする薬草を摘んでいた。神とその使徒、兵士や戦士たちが戦っているさ中、何もせず避難をして寝てなどはいられなかったからだ。彼女は夜通し布を割いて滅菌し、包帯をありったけ用意した。青い汁の出る薬草を摘み続けた指先は真っ青に汚れているが、メグは気にしない。


”朝になれば、怪我人がいるかもしれない。すぐに手当ができるようにしておかないと”


 無我夢中になって、灯りを点し片っ端から目ぼしい薬草を摘んでゆく。我を忘れて没頭するうち、視界の端に、ちらりと何かが映ったのに気付いた。


”何だろう”


 メグが顔をあげると、薬草畑の中に怪しく輝く蛍光が目に入る。特に警戒もしないまま、四つんばいで光のもとに吸い寄せられる。薬草の上に無造作に置かれたそれは、ページの開かれた本だった。心当たりのないメグは、本をその場に置いたまま無防備にもぱらぱらとページをめくる。

 文字が読めない、異国の言語のようだ。何だろう、これは。


「あかいかみさまに、見てもらおうか」


 本を手にとりぱたんと本を閉じたとき……。メグの身体は恐怖で固まってしまった。

 その本には、じめっと濡れた、黄色い皮の表紙がついていたのだ。


”これ、禁……書……? 間違いないっ!”


 マヨからその存在を知らされていたメグは総毛立ちながら、助けを求めたくても声にならなかった。生唾を飲む。冷や汗がだらだらとこめかみを伝う。そしてメグは指に違和感を覚える。中指に軽い痛みが走った。


”何で……!?”


 黒い指輪がある。それは赤い神の指にあった死を呼ぶ呪われた指輪、マヨが印と呼んでいたものだ。


”外さないとっ!”


 指輪を引っ張っても引っ張っても、膚の一部にでもなってしまったかのように吸い付いて取れない。指が抜けそうになっても、びくともしないのだ。メグは涙目になる。誰かを呼ばなければと思うのに一向に声が枯れて出ない。


 指輪を外すことに必死になっていると。メグはあまり気づきたくないあることに気付いた。右肩が重い、誰かの手が乗っているかのような僅かな重さだ。認識した瞬間に、背筋が凍るような冷たさに襲われる。首を無理やり右に向けて恐る恐る見ると、腐りかけた老人のような黒い手が見える。人間のそれではない。誰かと一緒に、薬草を摘むべきだったのだ。そうすれば誰か一人は助けを呼びに行けた。気が急いていて、夜間だというのに無防備すぎた。赤い神には、他のモンジャ民と共に避難し、絶対に外に出るなと言われていた。メグの自業自得だ。

 振り向かなければ、という警戒心と、振り向いてはいけない、という躊躇がメグをその場に縫いつける。

 その時、彼女の手に触れたのは、赤い神から貰った一振りの護身用ナイフだった。メグはブリルと対峙したあの朝を思い出す。あの時も、確かこんな具合だった。勝てる気がしないのは、あの時と同じだ。


 ああ、もうすぐ夜が明けるのに……。


”あかいかみさま……”


 メグは祈りと共に、ナイフを抜き放った。


 *


 夜が明けてから、ヤクシャさんとグランダ・ネスト連合軍が湖上神殿前に合流してきた。ヤクシャさんはひと汗流したって感じで爽快な顔してる。兵士さん、御家人さんたちの表情もどことなく明るい。ということから概ね、兵力は変化していないのかな。


『お疲れっした、そっちどうすか』


 ヤクシャさんの口調は軽い。コハクも満足そうに頷いている。よかったコハクも無事だ、コハクに何かあったら白さんに申し訳が立たなすぎる。


『こちらは棘を刺されてしまった人が十人ほど。ネストの被害は?』

『人的被害はゼロっすよ、軽傷で手当て済みの人はグランダ軍に何人か。ネストは被害なしっす』


 だよなっ! とヤクシャさんは後ろを振り返ってる。


「棘に刺された者も、一人もなかったと?」


 キララが信じられない、とヤクシャに直接問いただす。確かにどんな作戦で迎撃したのか、私も気になる。ヤクシャさんチームは確かグランダ軍の弓兵隊が後衛で、主戦力はネストの御家人さん中心の編成だったはずだ。そして、モフコ先輩の強固な防壁。でも、特にこちらの編成と大きく違う部分はない。


『刺されはしたけど、全然平気でー。物的損害については、張り切って矢を使っちゃったから矢が不足気味。犠牲者出なかったのは赤井神様のおかげかなっ』


 モフコ先輩がいきなりそんなこと言い出した。


『え、何故?』


 ヤクシャさんやモフコ先輩、ひいていえば素民たちの活躍でしょどう考えても。その場にいなかった私のおかげだと言われても、しっくりとこないよ。彼らの活躍を称える気満々だった私は、思わずずっこけそうになる。


『ネストの御家人、毒獣対策のためにネストの森に突入する前に赤井神様の血清を打ったでしょ。それっすわ』


 えーっ! あの時の!? 私もう殆どその件に関しては忘れていたよ。『いつかこんなこともあろうかとですね……備えておいたのですよ!』とか言えば恰好もつくんだろうけど、意外すぎて私は驚くばかり。


『赤い神様の血清を打った人は、棘に刺されても平気だったんだよ。ちなみに、回復力も上がってるみたい。致命傷受けた人もいたけど、何分か後にはけろっとしてたし。やったね赤い神様!』


 モフコ先輩が興奮してヤクシャさんの肩でぼいんぼいん跳ねてる。あ、先輩ヤクシャさんの頭には乗らないんだ。ちょっと遠慮してるんですね。私にもその遠慮を分けてはくれませんかね先輩は。


「神様の神血の守りで、助かりました」

「おお、ありがたや! ありがたや!」


 おそらく致命傷を受けて助かったと思われる一部のネスト民の熱狂的なお祈りの中、私はロイの言っていた、不老不死伝説を思い出した。

 確かロイ、第五区画には赤い神の血肉を食むと永遠の命を得られるという迷信があるとか言ってなかったっけ? 私の血を一般素民の皆さんに与えると、何か御利益的なものがあんの? 飲むのと注射するの、どっちが効果あるのかって言ったら注射する方だと思うし。


『それは知りませんでした。白椋さんや蒼雲さんもそうなんですか?』


 ネギに私の血清を打っていたら助かったかも、と思うと知らなかったことが悔やまれる。


『いや、そんな話聞いたことないっすよ』


 いーやいやいや、とヤクシャさんが片手を左右に振る。


「しろのめがみさまからも、そのようなお話は伺ったことないです」


 と、難しい顔をしているコハク。


”そんな設定、素民から主神が狙われて危ないから、日本アガルタにはそういうシステムはないっす。外国のアガルタはあるかもしれないすけど”


 なーるほど。昔から神血だったり神の肉だったり、そういうものにご利益はあるっぽい伝説は数あれど、食材として素民から追い回される神様の管区とか嫌だ。超シュール。てか安心して素民にハグできないじゃん、素民不信に陥って構築がうまくいかなくなっちゃうよ。祝福したと思ったら腕かじられたとか。襲われないようにいつも背後に気を付けてないといけないとか。さすがにそんな鬼畜仕様にはしないよねアガルタスタッフさんたち。


 ……するか。しかねないか、外のメンツだったら。今まで散々鬼畜仕様だったの忘れてたよ。


『というより、至宙儀の性能の一部、なのではないでしょうか。至宙儀は神体と融合した生体神具です、なので神体に何らかの影響がでていても不思議ではありません』


 ロベリアさんがやけに確信を持った物言いでそう仰る。うん、確かにネスト民たちに血清を打ったのは伊藤さんから至宙儀をもらった後の話だったよ。何かロベリアさんの言う事の方が可能性ありそうだ。


『あれ、赤い神様、指輪は? 指輪どったの?』


 モフコ先輩に指摘されて気付いたけど、私の指から呪われた指輪は消えていた。


『呪いが解けた、ということなんでしょうか?』


 もしそうならバンザイだけど。どうも話はそういう方向性ではなかったらしい。メグが神隠しに遭ったという話を知ったのは、陽が高くなってからのことだった。

 そして私は見つけたんだ。メグの薬草園に、摘まれたままの薬草が放り投げられているのを。抜き身のままのメグのナイフが傍らに落ちている、私が彼女にあたえた護身用のものだ。そして、黄衣の王を貫いたときに私の杖についていたものと、全く同じ黒い液体が薬草の束にべったりと染みついていた。


 すぐ傍には人間の赤い血が落ちている……。あの時、黄衣の王に赤い血はついていなかった。

 この血は誰のだ……まず間違いなくメグの血、だろう。メグは抵抗しようとして黄衣の王と戦ったんだろうか。想像を巡らせるうちに、身を引き裂かれそうになる。ナイフは持っていても、彼女は戦えないしその技能もない。彼女は人を癒すことしかできない。そのメグを……!


 薬草の上に散った血痕は、一定間隔でどこかへ続いていた。その方向から、彼女が神殿を目指していたということが分かる。負傷したまま彼女は逃げようとしていたんだろうか。薬草園を抜け血痕を追ううち、大量の血だまりと共に決定的な彼女の痕跡に辿りついた。さすがに認めざるをえなかった、彼女がここで襲撃されたのだと。


『水埜さん。あなたが本気だという事は分かりました……』


 水埜さん……あなたはわざと、人間患者であるメグを選んで攫ったんですね。

 メグを恐怖と絶望の底に突き落とし、私を痛めつける為に、あなたはそこまでするということですね。

 何故、あなたの私怨にメグを巻き込むんだ。何故私だけを狙ってくれない。


『よく、わかりました……』


 私は奥歯を噛みしめ、拳を固く握りしめる。

 これほどまでの感情が込み上げてきたのは、アガルタ世界では初めてかもしれない。

 演技を忘れ、自分の立場を忘れ、一人の人間としての人間的な感情が蘇ってくる。疑似脳の制御のきいていない、生身の感情が私の脳を支配している。


 この感情は、怒りだ。

 もしあなたが悪役以上のこと――つまりメグを怯えさせたばかりでなく、その身も心をも傷つけたとすれば。


『もはや全力であなたを叩き潰す』


 ほどなく、ロベリアさんが舞い降りてきた。彼女は私に声をかけることもなく、周囲を歩いて惨劇の現場を自ら把握する。随分間があって、彼女は私が両手で握りしめているものを恐る恐る指さした。


『神様、それは……』

『メグの腕ですよ。神経を接続できるように、しておかないと』


 そう、血だまりの中に落ちていたのはメグの右腕だったんだ。

 こみ上げてくる怒りをかみ殺しながら傷口を浄め、細胞を破壊しない温度で冷やしている。一刻も早くメグを見つけ出さなくてはメグの腕が元に戻らない、腐り落ちる可能性だってある。インフォメーションボードはこの腕の持ち主が、間違いなくメグの遺伝子を持っていると教えてくれる。私が求める正しい情報のみではなく、ときに残酷な結果も、このボードは伝えてくるのだ。


 ロベリアさんは私の前に跪き、真っ直ぐな碧色の瞳で私を見つめる。

 私は彼女を直視することができない。ただただ、タコヤキ共和国の方向を見据えていた。


『いけません、そんなお顔をされては。怖いお顔を、されていますよ?』

 

 そう言われてもロベリアさん……この腕、メグのなんですよ。

 今頃攫われたメグは、激痛と恐怖のさなかで……そう思うといてもたってもいられない。


『確かに、その腕は100パーセント、メグの遺伝子に一致します。しかし御心をお鎮め下さい、このような挑発に乗ってはなりません』

『これは挑発、なんでしょうか。私は彼女の本気と受け止めました』


 例え水埜さんの復讐のためとはいえ、第三区画に対して臨む姿勢において私に落ち度があったとはいえ、仮想世界とはいえやっていいことと悪い事の限度を超えているだろう。

 大体、メグに何の恨みがあって……彼女に罪はないというのに、報復の為にこんなことをするだなんて。


『今はただ、私の指をよくご覧ください』


 大量に摘まれていた薬草と同種のものを一つかみ、薬草園から摘んできた薬草を持っていたロベリアさんの指先が真っ青に染まっている。ロベリアさんは静かに口を結び、私の言葉を辛抱強く待っている。何を意図してるんだ、彼女は。

 私は頭の中が真っ白で何も思い浮かばない。頭が働いていない、思考することを拒否しているんだ。

 ともすれば、どうにかなりそうだ。


『これだけの薬草を摘んでいたとして、あなたの持つメグの手がきれいなままの理由がありません。また、彼女は医学者の卵です、手術のために爪を短く切りそろえていました』


 彼女は感情を抑えた口調で答えを明かす。確かに、私が持っている腕の指は爪が伸びてる。私がメグのことを普段から見ていたように、ロベリアさんもメグのことをよく見ていた。ということは……生体構築でメグのDNAをもとに腕を複製し、それをここに放置したってことなのか? ロベリアさんは正座をしたまま背筋を伸ばし、じっくりと私の理解を待つ。


『冷静になってください。普段のあなたならこのような簡単なトリック、難なく見抜くことができた筈です』


 さらによく見れば、私の持つ腕には傷一つない。本物のメグの手には古傷がたくさん残っている。彼女がドジをしてつくった傷、植物の手入れをしていて拵えたもの。私はそれを知っていた、ロベリアさんも知っていた。

 ロベリアさんの言う通り、私もどうかしてた。……よく確かめもせず、それと決めつけて思い込んでしまっただなんて。ナイフはメグのものだ。だけど腕はレプリカだったんだ。

 その時私は、安心するやら気が抜けるやらで、魂が抜けたような顔をしていたと思う。

 ロベリアさんは美しい姿勢で正座をしたまま、私の目を捉えて淀みなく彼女の分析を聴かせてくれた。


『水埜はメグに対して恨みはありません。それに、メグは大切な患者様です。よって彼女を傷つける可能性はきわめて低い、懲戒免職を覚悟でやるなら別ですが。もし彼女があなたに対して仮想世界内でできる最大の復讐があるのだとしたら、それはあなたを邪神へと堕とし、27管区をリセットすることだろうと思います』


 ロベリアさんの分析が鋭い。

 というかリセットは分かるけど、私を邪神にするってどういうことなんだろう。現実世界側から私の疑似脳をいじるとか、設定を書き換えるとか、そういうことなんだろうか。


『あなたが私憤や私怨によって行動すれば、あなたは神通力を失うばかりでなく、邪神と化してしまうのです。他管区の甲種構築士たちは、そうならないように感情操作されています。しかしあなたの疑似脳はまったくの生身。一度邪神となったら、もう元には戻れませんよ。27管区はやむなく主神を入れかえなくてはならなくなるでしょう』


 優しく諭すロベリアさんに、私も徐々に落ち着きを取り戻した。アガルタに入ってよりこのかた、かっとなることなんて一度もなかったのに、つい自分を見失いそうになったよ。危ないところだった。無辜の民が虐殺されて第五区画でブチ切れそうになったっていうロイのこと言えないなこりゃ。

 あのときは私が諭す側だったけど、今回は立場が逆だ。ロベリアさんの言うとおりだ、猛省する。


『私はあなたと一緒に仕事をしたいのです、他の主神かみさまではなくて』


 ロベリアさんの声ってアルファ波出てんのかな。すごく心に重くずっしりと響く感じ。


『メグは無事です。嘘だったら針千本飲みます』


 普段冗談を言わないロベリアさんが真顔でそういうのが予想以上にツボって、くすっときてしまった。


『ありがとうございます、ロベリアさん。目が覚めましたよ』


 もう大丈夫だ。

 私はこの世界で与えられた役割の中で、精一杯の仕事をしよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ