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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.5 Into the real world
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第5章 第14話 Supersymmetry breaking◇★

 はじまりはひとりでありかつ一己でしかなく

 創世者は不可視の存在者として、誰に認識されることもないのだ。


 一柱の神の、不可視の神霊たましいだけが、

 まっさらの巨大量子サーバー上に、ぽつねんと存在していた。


 原初、全能なる神というものがいたならば、彼は悠久の孤独に耐えかねたのではなかろうか。

 日本アガルタ、名実ともに最高性能を誇る伝説のアバター”天御中主神”に乗る伊藤いとう 嘉秋よしあきは、つくづくそう思うのだ。


 日本アガルタの中でも空の虚無を知る者は二人とおらず、人の身においては永遠と一体となることは無限に続く絶望以外の何物でもない。

 宇宙と時間のはじまりは過ぎ去る記憶とともに、精神に刻まれるように追体験されるものであった。

 伊藤はいつからか主客一体となり、自我を超越し巡る空間と時間の中を、非常に曖昧な存在として生きている。

 だからといって、「悟り」にはまだ遠い。


 情報はエネルギーへ、エネルギーは質量へと転じる。

 情報から相転移した真空のエネルギーが宇宙の始まりにおいて大量に消費される。


 時間と空間を分かち情報に意志を持って方向付けるために、アガルタ世界では神霊の魂が必要とされた。


 伊藤は幾度となく彼の魂を生贄としてきた。

 創世のための複雑なシミュレーションを行うには強化された疑似脳を供出し、演算のための容量を補わなければならない。


 創世は、ひとつの壮大な物語のプロローグでもある。

 人間的な感傷を差し挟む余地など微塵もない。


 相間転移星相装置(SCM-STAR)と名付けられたそれは、天球儀のようにリングを縦横斜めに組み合わせたような形状であり、宇宙の相転移を可能せしめる創世のための超神具だ。

 今は存在もしなければ見えもしない。

 ここは物質が存在することは許されず、時間すら明瞭ではない死の世界である。

 全ては伊藤のイメージの中で、直接入力様式を選択。

 超速演算中枢に、伊藤が直接創世のための数式を叩きこむことによってオーダーを下す。

 原理は単純だ。


 創世様式は現宇宙と同一ならずとも、物理空間法則は現宇宙と完全に同一でなければいけない。

 物理学におけるいわゆる統一場理論が完成していない中で、神々は創世様式を選ぶことができ、どれが正しくどれが正しくないとは言えない。

 よって、多少のフィクションと厳密な設定と調整を求められる。

 それらは、伊藤の資質を見極めた神具が自動的に演算を行ってくれるものだ。


 天御中主神の最大観測領域、すなわち神威の影響領域は、7500メガパーセク。

 この途方もない距離の事象を、彼は光速での認識(物質の放つ光とその伝達速度による、観測の遅れは生じない)に囚われず、過去のものとしてではなくリアルタイムに観測することができる。

 それは彼が宇宙の主体として存在するからだ。


 彼は創世に必要な全ての数式を入力し、数十分をかけてパラメータを設定し終わった。

 神具を起動。


相間転移そうかんてんいせよ”


 実在しえない神具の手ごたえが、見えない指先にふれる。

 伊藤の疑似脳の中でだけ、組換えのわずかな引っ掛かりを再現している。


 意思の先端を研ぎ澄まし、相転星に捻りを加える。

 神具は軋み、三環に縛られていた月のモチーフが戒めを解かれ、最初の相転移を惹起し仮想時間のタイムカウントが動き出した。


 動き出した時間により、実数宇宙が開始された。

 大統一時代。その時を、1.41 × 10^32 ケルビン(Tp)、すなわちプランク温度にて迎える。

 天御中主の持てる限り、究極ともいえる人類未踏の熱量を、相転星が超増幅し変換して原初の宇宙に叩きこむ。

 空間は泡立ち、かの瞬間に与えた第一のインパクトによって、トンネル効果が生じ虚数宇宙が生まれ変わる。


 伊藤はこの始まりの瞬間の虜になってしまっていた。

 真理の鍵を開け、叡智の光と対峙することを許された。

 自らの手によって動き出す時間、時間の端を手にし、この世の究極といえるものを全て掌中におさめる感覚。


 埃をかぶった古の物語のように、「光あれ」などと叫ぶ暇などもないのだ。

 創世は1秒に満たぬ間に行われるのだから。

 言い終えた頃には、恐らく全てが終わっている。


 この極小の空間、極大の温度において一般相対性理論は破綻し、10^-43秒、プランク時間に到達するまで、四つの力の相互作用は統一されている。

 相転星の演算中枢、見かけは不細工な面構えをした鈍色のザ・パーフェクトムーンのレリーフが、まさにそれがこの瞬間の為に集約し、存在しているかのように、狂気に満ちた嗤いを浮かべ存在を顕示していた。


 真空のエネルギーの反発力によって、爆発的に閉鎖空間はビッグバンの直後、急激なインフレーションを開始する。爆発する情報量を天御中主の脳に巣食った相転星の演算中枢は統合している。

 一連の創世の過程は実際には遅延され、現実時間において数時間をかけて処理されている。


 弱い相互作用と強い相互作用が分離した頃、インフレーション時間が終了し10^-32秒に到達。

 10^-12秒までにウィークポゾンやヒッグス粒子の生成。

 宇宙は徐々に冷えて、膨張は減速する。

 とはいえ、いまだ物質が存在することを許さないほどに不安定な温度にある。


 無尽の業火に焼かれながら、創世者はその”手”を止めない。


 その後、淀みなくクォークグルーオンプラズマによって支配された世界はバリオンを生成、粒子が質量を獲得し、4つの基本相互作用(重力、電磁、弱い力、強い力)が分離し、ハドロンが形成される……ここまでに、宇宙創世からわずか1秒。

 レプトンと反レプトンが対消滅を起こし、創世から3分後。


 原子核の合成を終えた天御中主は実体化し、精神の限りを焼き尽くし相転星のシャットダウンを行った。


 そして静寂が訪れる。


 現実世界馴化管区としてカウントを開始し、仮想時間にして38万年間後(現実時間では加速されるが)まで、塵ひとつ生じないのだ。

 この過程は「疑似地球」のある管区でなければ省略させることができるが、そうでない場合は宇宙創世からはじめなくてはならない。


 こうして一つの世界の開闢を終え、疑似地球の誕生までおよそ90億年――。


 彼は創世を終え、灼熱の宇宙の中で長く遠い眠りにつかなければならなかった。

 天御中主の悠久の孤独との戦いもまた、ここから始まったのだ。


”本当に最初か…始める…は思わなか……よ。だが、そこ…でしなけ…ばならなかった…か”


 現実世界側から、伊藤をいたわるような通信がノイズに紛れて到達した。

 空間があまりに不安定で、インフォメーションボードも開けないのだ。


”それ……もう、仕事の域を超えて…ると思うよ”

『後悔などありません……私は私の仕事をするだけです』


 すべては、赤井の救った患者たちを一人残らず現実世界に生還させるために。



 ***



 初めての旅支度は、時間をかけ念入りに行った。

 忘れ物をしたとて、二度と取りに戻るつもりはないのだ。

 家にある一番大きな背負い袋に詰め込んだのは食料、水、衣類、ナイフ、筆記用具など必要最低限の日常品、食糧を生産するための植物の種子など。

 その他無人にして未開の地を生き抜くための種々のもの、常備薬も忘れてはならない。

 加えて、ロイがこれまでに赤い神の言葉や教え、逸話を書き残してきた膨大な書きもの。


”これをどうしようか……”


 一部だけでも持ってゆきたい衝動にかられたが、集落の民たちの為に残してゆこうと決めた。

 智の体系と呼べるもの、分かりやすく編纂してナズの挿絵をつけ、ネストの印刷技術によって多くの民の手にとってもらいたかったが、叶わない夢となりそうだ。

 しかし赤い神が存在する限り、教えは受け継がれてゆくだろう。

 大きな背負い袋を負って住み慣れたわが家を出る。

 家の立地のよさが幸いし、人目につくことはなかった。

 これまで築き上げた全てのものを瓦解させなければならないのだ。

 モンジャの地を離れなければならないかと思うと、今更のように胸苦しい。

 しかし彼は心を鎮めると、モンジャの大門へと向かった。


「ロイさん! こんな夜中にどこに行くんだ?」


 先ほど帰ってきたかと思えば、再び大門をくぐり重い足取りで集落を出てゆくロイを不思議そうに呼び止めた若い門番。

 ロイはグランディアの準備があるから神殿にゆくのだと、方便を言うしかなかった。


「荷物が多いな、手伝おうか?」

「いいんだ。一人で運べる」


 よく顔を知った集落の民に面と向かって嘘をつくのは気が咎めても、気の利いた言い訳が思いつくでもない。


 この旅に、目的地などありはしない。

 ただ、その身をできるだけ赤い神から遠ざけなければという焦燥ばかりがロイの存在を押し潰すように膨らみ、一向にしぼむ気配はなかった。

 自殺するだけの度胸はなかったし、それが母親であるか父親なのかは知らないが、フォレスターキョウジュという人物に会う必要ができた。

 

 ロイの暮らしていたモンジャ集落と大陸の位置関係を考えてみると、北方は氷に閉ざされた大地。

 南方はカルーア湖上に赤い神の神殿、その先にグランダ、さらに南にはネストという位置関係になっている。

 東方には前人未到の陸地が広がっている。

 西方の草原を横断すると大海原があり、洋上にはいくつかの無人島が浮かんでいた。


 考えれば考えるほど、方角は西にすべきだと思う。

 神々の発想の裏を突かなければいけない。

 つまり、困難な逃走ルートをとらなければならないのだ。

 西の海岸に、ロイは改造中の小舟を繋ぎっぱなしにしていたのを思い出した。というのも、大陸のどこに逃げても、明日には追いつかれて連れ戻されてしまう。

 忘れてはならない、神を欺いて逃げようとしているということを。

 彼らを欺くなど考えもしなかったが、どこにいるとも知れなかったコハクを不可思議の神力で瞬時に呼び寄せるような相手だ。

 捜さないでくれとは書置きしたが、可能な限り目の届かない場所に行かなければならない。

 だとすれば、海に出るしかない。


 まず西の海岸から一番近い島へ、そこから更に近くの島へ。

 海図を作りながら、西へ西へと洋上のルートを往こう。

 大洋に漕ぎ出すための航海術など心得もしなかった。

 それでも、手漕ぎの船で島伝いに遠くに逃げることはできる。

 太陽と星の位置関係から、大まかな方角を知ることも可能だ。


 ナズの開発した、布製の飛行体もコンパクトに荷物の中に折りたたんで積んできたが、よい海風が吹いたときにそれを大きく広げてやれば、風を受けて手漕ぎでなくとも舟の推進力となるだろう。

 海では漁ができるし、食糧には困らない。

 島に水源がなくとも、鍋で海水を煮てその水滴を集めたり木々の露を飲めば、不便ではあるが飲み水に事欠くこともない。

 とにかく、海だ。


 大門を出て畑を通り過ぎ、果樹園の林道を暫くゆくと視界が開け、不気味にさざめく冬枯れの草原が出現する。

 草原の先に繋留していた小舟の一つを無心で押し出し、彼はたった一人月明かりだけを頼りに、白波の打ち寄せる暗い海に漕ぎ出した。


 どれほど漕いだだろうか。


 360度から聞こえてくる潮騒の音が、ロイの恐怖を掻き立てる。

 ロイの小舟は、波の音を聴きながら緑生い茂る西の島を目指していた。


 どんどん遠ざかる、赤い神の大陸。

 こんなに遠くまで漕ぎ出したのは初めてだ。

 周りを海に囲まれ逃げ場はない。

 潮の流れが変わらないうちに、夜が明けるまでに最初の島に上陸して、次の進路を決めよう。


 一漕ぎするたびに、ロイは絶望と共に思い知った。

 世界はこんなにも恐怖に満ちた場所だったのだということを。

 赤い神がどれほど、民の不安を打ち消してくれていたかを知った。


 1500シンほど漕いだ頃には、東の空がぼんやりと明るくなってきた。

 陸地から見えていた筈の最寄の島のあたりに、深い霧が立ち込めはじめていることに気付く。


 霧の合間によく目を凝らすと、その先は何もない、暗い空間が広がっているように見える。

 先ほどまで見えていた島が、近づいてみると存在していなかったのだ。


 先ほどまで順風であった風が、ある時を境にぴたりと止まった。

 ロイは異変を察知し、オールを水面から上げた。

 舟は進んでいる……。

 風もないのに、手繰り寄せられる、止まらない。


「っ……そんな」


 ぐん……と、彼の乗った舟は不審な空間に向かって引き寄せられてゆくに任せるしかなかった。

 慌ててオールで漕いで進路を変えようとするがすでに遅く、潮の流れが急すぎて対処できない。


 世界が、まだ不安定なのだ。

 赤い神から忠告されていた。

 赤い神から離れれば離れるほど世界は不完全になってゆく。

 まだできていない世界もある、だから傍にいなさいと。

 彼が力を蓄えるまで世界は安定化しないと、知っていたはずだ。


 創造主の元を離れ、彼の庇護下から逃げ出してしまった報いだ。

 このままでは奈落に吸い込まれ、その先には死が待ち受けている! 

 未来を見据えることはできなかった。そして、死を受け入れることも。


「う、うああああああ!!!」


 ロイの意識は、運命を共にした彼の小舟とともに、深く深く闇の中へと落ち込んでいった。


 ***


 その日、カルーア湖上の水上神殿は、見物客とグランディア参加選手でごった返していた。

 水上神殿の前の桟橋の上に位置取りをしてスタートを待つ男女百名近くの長距離走選手たちに、ほどよい緊張感が漂う。

 カルーア湖ハーフマラソンと水泳はグランディア大会の中盤の目玉だ。

 この日の為に、精霊モフコはカルーア湖上にマラソン用の水上トラックを用意していた。

 ハーフマラソンのコースは最初、カルーア湖のほとりが整備される予定だったのだが、木の根やぬかるみ、石ころなど足元が不安定な状態で百名もの選手が走ると危険なため、赤井神の一言でのべ15kmの、水上道路のようなランニングコースがこのグランディア三日目の競技のためだけに湖上に用意された。

 この、何とも美しく贅沢な競技設備敷設はグラフィッククリエイターのモフコによって手掛けられ、このコースも大会が終了すれば撤去され元の湖の姿に戻る。


「はじめ!」


 三色の環をモチーフにしたグランディア公式フラッグがモンジャ民スタッフによって振られ、選手が一斉にスタートを切った。

 水上神殿前には観覧席がもうけられ、本来赤井が座すべき主神の玉座には、白衣を着た青髪の青年が座っていた。蒼雲神である。


『ったく、だ~れだ~? 後世まで語り継がれて残っちゃうであろう古代競技をこんな面白いイベントにしやがったのは~?』

”赤井さんのほかに誰がいると思うのー? この水上マラソンコースも赤井さんが考えたんだよー、ちょっとアップダウンをつけろとか、5000シンごとにトラックの色をかえろとか給水ポイントを作れとか指示が細かいったら細かいったら”


 蒼雲神の頭の上で気持ち良くうたた寝をしていたところを、引っぺがされて膝の上に乗せられた精霊モフコはやり遂げたという様子である。赤井のこだわりにこたえたようだ。


”しっかし……東京マラソンじゃあるまいし。なんよこれ”


 蒼雲は選手たちのいでたちに圧倒され、目が点になっていた。

 何とこのマラソン、仮装が認められているのである。仮装などすると走りに不利になってしまうので誰もやらないだろうにと思いきや、そこは赤井が『着順が遅くても仮装が面白かった人には特別賞を進呈します』などと言ったものだから大変だ。


『あっ、ネストの人がグランダ兵のコスプレして走ってるよ! 地味すぎる仮装だね』


 張りぼてを作ってエドのお面をかぶるもの、シツジのような青い着ぐるみを着た者、果ては赤い毛糸を頭に載せ白布き赤い神に扮した意味不明な輩までいた。

 言いだしっぺの赤井が観覧していないのが無念だ。


『赤井さんは頑張る方向性がちょっと違うよね!』


 蒼雲は呆れた顔をしているがモフコはお気楽なものだ。


『未来の素民がこの記念すべき第一回グランディアについて何てコメントするかな?』

『赤い神様は昔からこんな面白くてノリのいい神様だったんだなって言うと思うよ!』


 観覧席には、グランダ女王キララとネスト国王パウルも蒼雲に同席していた。


「青い神よ、アカイはなにゆえ今日は顔を見せんのだ?」


 女王キララ、パウル王ともに観覧中だ。

 特にキララがそわそわと落ち着きがないのは、赤井の姿を捜しているからだと思われる。


『んー、他の競技の準備でもしてて忙しいんだろ~』


 蒼雲はすっとぼけることにしたらしい。


「そうなのか……」


 キララが分かりやすく落胆しているので、モフコがキララの膝に跳び乗っておちょくる。


『キララちゃんたら赤井さんがいないからってがっかりしないにょ!』

「そのようなことは断じてないぞ!」

『あ! あっちから赤い神様帰ってきた!』


 怒涛の勢いで、モフコがぴこんと突起を出した方向を見てしまったキララ。赤井の姿はない。


『うっそ~だまされた~! や~だ~キララちゃんたら~も~純粋なんだから~』

「むう! このグランダ国女王を愚弄するとはけしからん、毛玉精霊などこうしてくれる! こうしてくれるわ!」

『ひょっと、ひゃめてひょ~!』


 モフコは縦縦、横、斜めにつままれて餅のように伸縮されていた。


『まあまあ、パウルも呑んだ呑んだ』

「おおっ、これは青い神様、かたじけない」


 蒼雲は特にツッコミを入れることもなく、左隣に坐する呆れ顔のパウルに地酒の酌をしながら、さりげなく話題をすり変える。


『そんなことよりどうだ~キララ、婿さん選んでるんだろ? よさげな男子はいたのかい?』

「む? ではまさか青い神が私のムコになってくれるのか?」


 キララは瞳を輝かせながら、少し恥らいながらも嬉しそうにしゃんと背筋をただす。

 驚いたからか毛を逆立てて膨らむモフコをクッションのように抱えながら、小首をかしげている。


『んーまあ君かわぃーけど、俺異世界に別のスオウちゃん置いてきてるから浮気したらぶっ殺されんの』


 蒼雲は間が悪そうに右手をひらひらと振った。

 29管区ではヤンデレなスオウの巫女が蒼雲の帰りを今や遅しと待っているのだ。

 冗談でも27管区のキララを連れ帰るなどできようか。


「そうか……。大会も始まったばかりだ。王配についてはこれから吟味をする」


 キララは頭を悩ませているようだった。

 グランダ国のしきたりでは、スオウ一族の女王としては既に結婚をしていなければならない年齢に差し掛かっているのだ。

 当代のスオウ様はいき遅れている、などとグランダ民に囁かれるのもなかなかに辛い。

 それを聞いていたパウルが思いついたように、


「スオウ女王陛下が息子のパズの嫁になってくださるなら非常にありがたいのだが、いかがかな」


 パウルは思いつきのまま、キララに提案を持ちかけた。


「有難いお言葉だがパウル王、パズ王子には第一位の王位継承権があり、それではどちらかの国が滅びましょう」

「グランダとネストで、グラスト王国を建国しますかな? グランダの鉱山資源と我が国の畜産資源と風力技術で、大国となりますぞ!」

「私の方はいっこうにかまいませぬ。スオウの血筋がたえなければ、祖先に顔向けできぬということもありますまい。ただ、民が納得するかどうか」


 政略結婚談義で盛り上がる傍ら、大勢のランナーたちは息を切らせながら給水ポイントでドリンクを次々と引っ掴んでいった。

 1000シン地点ごとに設けられた給水ポイントでは、モンジャ特製のフルーツジュース(モフコのレシピによりスポーツドリンク仕様)が振る舞われている。


 現在トップを走っているのは、胸に大ぶりの果実二つ入れてネストの白椋神そっくりの衣装に女装した変態御家人だった。スオウ様命とでかでかと書いたハチマキとたすきをかけたグランダの伝令兵と、僅差でデッドヒートを繰り広げていた。

 あまりに互いを意識しすぎていたせいで、何と給水に失敗。

 その後ろにも、モンジャ民の俊足の狩人が数人、獲物を狙う目をして先頭集団を風よけにしつつ、ぴったりと余力を残してつけている。


「いいぞー! いけいけーグランダ!」

「頑張れネスト! 飛ばしすぎだ~! 後半に向けて体力を温存しとけ!」


 いつの間にか素民たちの人だかりができ水上参道の上にてんこもりになって、初めて目にするマラソンの試合を声をかぎりに応援している微笑ましい光景が拡がっていた。

 スポーツの祭典を通し同郷の仲間を応援することで、共同体としての意識とその一員としての自覚が芽生える。赤い神がこのグランディアを、実りのある大会にしたいと願っていた。

 その願いは叶えられたのではないかと、モフコは小さな胸を張るのであった。


『この試合、赤いの見たかっただろうなあ』

『あ、大丈夫ハイビジョンで録画してるから赤井さんも見逃さないよ! やったね赤井さん!』


 ちなみにモフコは、こういうことにかけては抜かりない精霊だった。



 国民の皆さまこんにちは、こんなときになんですが取り急ぎ現在の状況をお知らせします。

 あれからロイの失踪は一夜にして素民達に気付かれてしまったけど、苦し紛れの方便でその場を免れた。

 大事な用事があって少し出かけるみたい、けどすぐに戻ってきますとか言っといた。


 そして今日はグランディア三日目の日程。

 カルーア湖ハーフマラソンと水泳競技の予定だったけど、私はロイ失踪の対応に追われていたので、グランディアの進行を蒼さん、エトワール先輩、モフコ先輩にお任せすることにした。

 今頃はマラソンが始まってるから、大部分の素民はそっちに気をとられている様子だ。

 そして私とロベリアさん、ヤクシャさんは手分けして大陸中を飛び回り、ロイの足跡を追った。

 白さんも、諜報に長けた神具「絹索網」を使って情報を収集してくれた。


 グランディア大会運営の事務部分はロイによって綿密に練られていたので、残されたスタッフたちの間でも現在のところ混乱には至っておらず、騒ぎと混乱は抑えられている。

 ただ、ロイにごく近しい素民は、不自然なタイミングで姿を消したことを懸念していた。

 何か大変な不祥事をやらかして私に追放されたのでは、と考えてる素民もいるようだ。

 無理ないか。

 ロイは昨日までは普通にしてたからね。

 グランディア開催中に失踪するなんて考えられない、てかまず私がロイに理由を訊きたい。


 しかし素民たちがどうだこうだと憶測しても、結局、神々の言うことを疑ってあまり詮索をしない方がいい、という結論にA.I.たちは落ち着いたらしくて、そのかわり私に対する不信というか懐疑は人間患者を中心として拡がっている。

 彼らはA.I.のように単純な思考をしないから、悩ましい。


 この出来事はわずか一夜にして私こと赤井の力の源である信頼率を、モンジャ民の間で24%も喪失させた。

 今のところ不信はモンジャ集落の中にとどまっているけれど、信頼率が完全に0%となった場合にアガルタの神は神通力を行使することができなくなる。

 モンジャ民のロイ親派層の厚さを改めて思い知った。

 私の代理として集落をまとめはじめた彼は、いつしか私の代わりなどでは済まないほど、モンジャ民の間では大きな存在となっていた証拠だ。

 喜ばしいことではあるんだけど、他管区で幾度となく繰り返されてきた、ロイの反逆の話が思い浮かぶ。


 予期せぬ失踪。

 こんな結末が、27管区のロイなりのささやかな抵抗だったんだろうか。


 素民たちからの疑惑の渦中にあって、私はロイの姿を求めて大陸の西海岸にいる。

 西の端から東の端まで探し回った挙句、途方にくれて水平線を見つめていた。

 解放されているエリアは全部探した。

 あとは未解放エリア……でも未解放エリアになんて行けるんだろうか。

 私も先ほど沖合いの海上を飛んでいたら、見えない結界に弾かれて引き返してきた。


 舟で出たとしても弾かれる。だからロイもここにはいない筈なのに……胸騒ぎがした。

 見えないものを、見落としているような。


 私が沖合いに目を凝らしながら眉間にしわを寄せていると、目の前の空間がぐらりと歪み、転移術を使って軽やかに白さんが数メートルの空中から舞い降りてきて砂地に立った。

 後から落ちてきたコハクが受身の態勢が取れていなかったので、白さんが下で待ち受けてお姫様キャッチ。

 ぽふりと優雅に優しく受け止めた。

 何か白さんと蒼さんが使える転移術には座標指定型の転移と人物追跡型の転移があるらしいけど、白さんが使ったのは後者だ。

 私も白さんに転移術を少し教えてもらったんだけど、まだコツが掴めないでいる。

 神通力の多寡に関わらず、慣れればできるようになるらしい。


『白椋さん、お疲れ様です。いかがでしたか』


 白さんは収穫がなかったことを示すように、ただ左右に首を振る。

 コハクは女神の一歩後ろに控えて、聞き耳立てている。


『そうですか……』


 これで、ロイを捜索していた全構築士に収穫がなかったってことになる。

 白さんはコハクに聞かれないよう、念話でこっそり伝えてくれた。


”わたしの神具、絹索網けんじゃくもうでモンジャ、グランダ、ネストの三国を探し、そして鴻池さん……現実世界側とも通信しました。その結論はロスト、です”

”ロスト? 行方不明ということですか”


 詳しく聞けば、 ロイは私達の目の届く範囲から消えていたばかりでなく解放区画全域から消えていたってことみたいだ。

 全スタッフがシツジ小屋での帝王切開に気を取られていたのが仇となった。

 インフォメーションボードで伊藤さんに連絡を取ろうとしたけど、伊藤さんは出張で不在だって。

 だから白さんの担当官の鴻池さんに連絡を取ってもらった。


”個別A.I.座標追跡システムによって、ロイがこの海岸に来たことまでは分かっています。でもその後の足どりは……”

”アガルタの世界から、いなくなってしまったということですか?”

”ええ、そうなります。このようなケースは想定外で”


 ロイが27管区世界の座標から消えてしまったって!? 

 何で!? 仮想世界でしか生きられない彼らが消えちゃうとか、金魚が水槽から出るぐらいありえないよ。

 患者さんや構築士のログは詳細に記録されてるらしいけど、ここが未開設管区だってこともあって、ログ容量削減ためにA.I.に細やかな監視をつけたりはしてなかったようだ。

 途中まで追跡できていても、肝心な消息が分からない。それが悔やまれる。


”座標ロストはバグの隙間に飲み込まれたか、もしくはロイの死を意味するものです。が、死亡すればあなたもご存知の通り、死因ログが作成されるはずです。ロイのログは作成されていません。管区全体の時間を巻き戻せば全て解決しますが、現状、時間巻き戻しはできないでしょう”

 

 そっか。やっぱロイはどっかで生きてるんだ。

 けど、蒼さんと白さんが27管区世界にやってきたときに空間を大きく歪めてしまった(正確には泡立ててしまった)せいで、しばらく時空系に干渉することはできないんだって。

 だとしたら捜すしかない。


”赤井神……時間巻き戻しができないとすると、構築士ではどうすることも”


 白さんは困ったような瞳を向けると、肩を落とし私に深く頭をたれた。

 この管区に留学に来たばかりに、トラブルばかり起こして申し訳ない、って……。

 そんなことないよ、私は白さんと蒼さんがここに来てくれて、同じ立場の同期と話ができて嬉しいよ。そんな風に謝らないでほしい、例えロストだとしても見つけ出しますよ、必ず。

 

『書置きがあるからといって、片時も集落を離れようとしなかったロイが唐突に家出をするなど、考えられません。私は諦めませんよ』


 ロイがこれまで集落へとどまることに拘ってきたというのは、誰もが知るところだ。

 だから家出だなんて腑に落ちない。

 私に打ち明けられなかったということは、のっぴきならない事情があった、そんな気がするよ。


 全能の神具、至宙儀ならロイを呼び戻すことができるんだっけ。

 っても今は劇的に信頼率が下がってるし、手持ちの神通力じゃ至宙儀を駆動するだけの力を貯められない。

 あれはサポートしてくれた蒼さんの神通力が当時フルだったからこその荒業。

 神具に頼る前に、まずできることをするよ。


『赤井神は、やはり他の神々とは違いますね』


 白さんはしみじみとそう仰る。

 コハクが衝撃を受けたような表情を浮かべ、じっと聞き入っていた。


『それはどういった意味でしょうか』

『アガルタの神々の大半は、ロイがロストの状態になったとしたら、喜ばしく思う訳ですから。誰好んで暴君……今は可能性は低いにしろ……呼び戻そうとするでしょうか。あなたは本気で捜しておられるのですよね』


 真摯に本音を吐露する白さんは、私の本心を量っているようでもある。

 読心術を心得る彼女に私の何が見えているのかは分からないけれど、ロイに帰ってきてほしい。


『当然ですよ』


 心からそう思っているよ。そして、思うだけで済ますつもりもない。


『裏切られたとしてもですか?』

『それが何だというんです』


 広大な海の果てを、私は拳に力を込めて見据える。


『どんな方法で裏切りに遭い、憎まれたとしても、……ロイでなくとも同じです。私は全ての民を等しく家族のように思っていますし、一人だって見捨てはしません。絶対にです』


 私がこの世界の民を護ろうとするのは、最初は義務であり、私の決意だった。

 でも今は違う。

 不死身の肉体を持つ神だけが、身を挺して彼らを庇うことができる。

 アガルタの世界に入り死を免れ神力を授かったからにはこの身は誰の為でもない、彼らのためにこそある。

 白さんは穏やかにため息をついて、


”あなたは彼を、本当に人間のように思っているんですね”

『そう仰られると、返答に困ります』


 人間か人間じゃないか、そんなの関係ないんだよ。

 人間じゃないから助けないとか、そうじゃないんだ。

 彼らは必死にもがきながら生きてる、仮想世界が彼らの世界の全てだ。

 彼らには現実世界における人々と同じように生ある喜びを知り、溢れる歓喜の思い出とともに生を終えてもらいたいんだ。


 そしてロイには、私の去ったあとのこの世界の神になってもらいたいんだよ。

 まだロイには言えなかったけど、私は彼らの手にこの世界を還したい。


『それにあれ、御覧ください』


 私がすっと指をさすと、白さんとコハクがつられて右を向く。

 地球でも見慣れた遠浅のビーチの、波打ち際の風景だ。

 浜辺の小高い場所にずらりと並べられた木製の小舟が五艘。横一列に柵に繋がれて並んでいた。


『舟の繋留場ですか?』

『ええ。ないんです、彼の舟。それも最新型が』

『えっ、舟ですって?』


 私は岸に繋がれていたロイの小舟のうち、一番新しくて速い舟が繋がれていた場所があいているのを見つけた。


『そこの舟、昨日まではありました。私はしかと覚えています』


 何でカルーア湖で魚が取れるのにロイが舟を造って浜辺に並べていたかというと、彼なりの環境保護対策だったんだ。

 限られた水産資源のカルーア湖でモンジャ民もグランダ民も魚を獲っていたら、魚介類を絶滅させてしまう。

 湖ばかりでなく海への漁にも出るべきだと考えてたんだ。

 まあ、私がそう仄めかしてたんだけど。

 そのためには潮の流れのある海上に出るための舟が必要で、私は彼が舟を造っていたのを知っている。


 その、試作品何号か忘れたけど、舟を押して海に出たあとが砂浜についてるじゃない!

 だからさっきから私は、沖に目を凝らして舟影を探していた。


 遠景に見える洋上には、小島が無数に浮かんでいる。

 ロイは手始めに最寄の島を目指したよな? 

 あの近辺は一見島があるように見えながら、インフォメーションボードには何もないから、行ってもただのまやかしというオチなんだけど……ロイは行っちゃったかもしれないな、島として見えてるんだから。

 しかも一番頑丈で速い舟を持っていくあたり、死ぬ気なんてさらさらないよ逃げる気満々じゃないか。


 私は彼を理解してきたつもりでいたけれど、それは勘違いだったみたいだ。

 彼は人間の常識とは異なる世界観の中に生きていて、見ている世界が最初から違うんだ。

 でも、少ない想像力を働かせるに、彼がたった一人で逃げ出したのは、少なくともこの大陸が彼にとって安全な場所ではなくなったからじゃないかな。

 住み慣れた我が家にいることすら危うくなり、尚且つその惨禍が及ぶのは彼一人だと判断した。

 ……民に危険が及ぶなら、彼が何度もそうしてきたように皆を守ろうとするだろうし、私にも打ち明けてくれる……と信じたい。

 それをしなかった、てことは何かあるんだ。


 ロイの……A.I.の立場になって想像する。

 それは難しいんだって気付かされた。

 彼もキララも私たち人間によっぽど歩み寄って、彼らが苦手な「曖昧」なことを受け入れて、黒いものを白として無理やり処理して、理解してくれようとくれていたのかもなあ。

 私が彼らに人間と同じように「感じ」、感情を模倣することを強いていたのかもしれなかった。

 潮の香りと浜風に身を曝しながらしみじみ反省していると。


「あっ」


 後ろで素っ頓狂な声を出したコハクが、恐る恐る近づいてきた。

 うん? 抜き足差し足になってるけど、疚しいことでもあるの? 緊張してカチコチになっている。


『そんなにおっかなびっくりどうしましたか、コハクさん』

「赤い神様、女神様。私、昨日ロイと会いました。酔っ払っていて、何を話したかあまり覚えていないんですけれど……」


 コハクは打ち明け辛いようで、俯いて指先をもじもじとくっつけたり離したりしている。

 白さんが強く促した。


『これコハク、どうしてそういうことをすぐに言わないの』


 細くくびれた腰に手をあてがう白さんは、呆れたご様子。

 ちなみに白さんの白衣はセパレートタイプなのできれいな縦長のおへそが見えてていつも視線に困る。


「その、女神様が誰を探しておられるのか教えてくださらなかったから……」


 ありゃりゃ、コハクの語尾が消え入りそうになってるよ。


『怒りませんから、正~直に言ってみるのですよ?』


 片方の唇が引きつった笑顔の白さんが怖! 

 コハクは追い詰められ、若干爪先立ちでのけぞってる。

 白さんも私も、現在の読心術はできるけど過去のは読めないんだ。


『思い出すのですよ』


 白さんが大接近してコハクのこわばった両肩を持って前後に揺するので、コハクはしどろもどろで


「ええっと~っ、確か、ロイと同じ名前の暴君は何をして、どうなったかと……聞かれたような」

『ええーっ!?』


 絶妙なタイミングでハモる私と白さん、何じゃそれ――――っ! 

 ちょ、コハク! 言っちゃったの?! 

 話が繋がりましたよロイってば自分がその暴君と同じ運命をたどるんじゃないかって思い詰めて家出しちゃったのか!! 

 もうそれじゃないですか!


『こ、コハク、まさかそれを言ったのでは!?』


 白さんは声が裏返ってる。

 もともと柔らかいソプラノボイスがヘリウム呑んだみたいに1オクターブぐらい高くなっちゃってるよ! 

 でもコハクを責めても仕方がない、私ら彼女に口止めしたわけじゃないし、酔っ払ってたから仕方ない……って、そもそも私らが未成年に禁酒しなかったのが悪い。


「ごごごめんなさいっ、詳しいことはちょびっとしか覚えていないんですぅ! や、やっぱりいけないことを言ってしまったでしょうか!?」


 コハクはテンパって視線が定まらない。

 やらかしちゃったねコハク、そして君は高度学習型A.I.だから忘れたりなんかしない、事細かに覚えてるよね。

 でも私らもやらかしちゃってるし、おかげでロイの行先が分かったかもしんない。

 私はいそいそと、ロイの小舟のうちの一艘のロープを外し始めた。


『ちょっと、あの島まで行ってこようと思います。確かめたいことがあります』


 私はインフォメーションボードを立ち上げ、推定失踪時間から現在までの間の洋上の風向きと、潮の流れの情報を取り寄せる。

 彼が最初の足がかりにしたかったであろう、最寄の島の方角を探り出す。

 インフォメーションボードにはやっぱ沖合いのエリアは表示されていなかった。

 何も存在しない(・・・・・・・)ということになっている、表向きは。


『赤井神、あれは幻の島ですよ』

『幻の島というのは言いえて妙ですね。あれ、どうでしょう見えますか?』


 白さんも私と同じく、十キロ先でも見える神眼を持ってます。


『島の上端が少し伸びて見えますね。春の蜃気楼ではないでしょうか。上暖下寒の大気層が発生しているので、上位蜃気楼でそう見えているのですよ』


 すらすらと解説してくれた白さんの読みは当たらずとも遠からず。

 コハクに至っては、さっぱり分からないので空気を読んで一歩下がりつつ、白の女神さま超博識!! と内心褒めちぎってる。


『いいえ、違います』


 感心してるとこ悪いけど、違うんだ。


『距離が近すぎます。下位蜃気楼ではあのようにはなりません。それに、あの海域の水温と気温はほぼ同じようですよ』


 インフォメーションボードで気温分布図が非常に均一であることを確認する。


 白さんの言うように、大気の寒暖の差によって生じる蜃気楼は二通りある。

 物体の上端が歪んで見える上位蜃気楼は水平線の向こうで発生するんだ。水平線までの距離は概算4キロ以上、あくまで、惑星地球においてはね。


 アガルタ世界は平らだから、温かい空気が上に、冷たく密度のある空気が下に降りていて発生する地球上の蜃気楼とは違う。勘の良い白さんは、はっと気付いたようだった。


『では、あそこに見えない、密度を持つ何かが……』

『御明察です。そこに、光を屈折させている”密度のある何か”があります。だから、上空から探しても分からなかったのですよ。確かめてみましょう』


 私は更に確証を得るために、最寄の島にめがけて思い切りよく極太の神雷を放った。

 インフォメーションボード上には、何もないと表示されている場所にだ。

 すると島に落ちる直前、見えないシールドにぶち当たったかのように神雷は反射し、すうっとかき消えた。


『見つけた!』


 行ってみよう。

 あの座標、ただのバックグラウンドなんかじゃない、光を屈折させている何か隠された空間があるよ確実に! でなけりゃ、消えたロイとその舟はどこにあるんだよって話になる。


『というわけです。確かめてこようと思います』


 白さんが私の手にしていたオールを取った。


『いけません、あなたはこの世界の主神なのです。こうなった責任の一端はこのわたし、白椋にあります。わたしは神具を所持しておりますし、あなた一柱で往かれるよりはましです』


 反論の余地もありません。経験もスキルも白さんが断然上ですとも。ですがね……。


『でも、私がそうだというならあなたも残してきた世界があり、あなたの帰りを待つ素民がいるでしょう?』


 いないとは言わせません。コハクが力強く頷いている。


『では、共に往きませんか』

『そうしましょうか』


 私と白さんはがっちりと固い握手を交わした。

 私はインフォメーションボードを呼び出して蒼雲さんに通信を入れる。

 猛反対されたけど、危なくなったら白さんが全員を転移で連れて戻るからと押し切ってくれた。


『夕方までには帰っちゃってよ~。グランディアの表彰式に赤いのがいないと、優勝者ががっかりしちゃうぞ~』

『はい、勿論日帰りの予定です』


 念のため、転移術の使えるロベリアさんを呼べと言われたので、モンジャにいた彼女に声をかけて来てもらった。


『座標に記されていないエリアに、ですか』


 ぱたた、と小さな羽根を羽ばたかせて大至急で浜辺に駆けつけたロベリアさんは、眉根を寄せて渋っている。彼女は慎重派だから、首を縦には振らないかもしれないけど。


『よいことだとは思えません。バグエリアであるなら、現実世界側とコンタクトを図り、安全性を検証すべきだと思います』


 たじろぐ私に、ロベリアさんは駄目押しのように言い放った。

 っても、現実世界側はロイの救出は不要っていうスタンスだって話だから、言えるわけがないよ。

 私がどうしたものかと思案していると


『アガルタには、絶対に踏み込んではならないエリアというものがあるのです』


 そのときだった。

 私と白さん、そしてロベリアさんのインフォメーションボードが同時にバババッと勝手に立ち上がり、赤枠での緊急メッセージが出現したのは!


『な、何です!?』

『立ち上げていませんよ!?』


 New! という赤い新着マークがマップ上に表示され、私達がまさに目指そうとしていたエリアの方角に向けてマップが拡大された。


 第五区画 巨大浮島都市国家 カラバシュ

 総人口15万4090名――。


『じ、十五万!?』

『こ、これは何が起こっているんですか!?』


 白さんが悲鳴を上げる。

 十五万て! 端数だけでもモンジャ、グランダ、ネストを合わせて2881人より断然多いんだけど、どうなってるわけ!


 私の記憶が正しければ、これ見たことあるよ。

 区画解放の先触れだ。

 ネストが解放されたとき、マップが拡大したのを覚えているよ。

 えーと、ネストが第二区画だから、次に区画解放されるべきは第三区画なんだ。

 ところが、ロイが向かった先は第五区画!? 

 二つ跳びで解放しちゃったわけ? 区画解放が進むごとに人口が増えていくって話だから……第五区画ともなると十五万もいるのか! 

 そして、もしかしたらさっき落とした神雷やらロイの侵入やらが何かの引き金となってシステムが誤動作を起こしたとかで、


 ま、まさかその、本来踏み込んではならなかった筈の第五区画が出現した、とか?


『NOOOO――ッ――――!』


 私の天地を揺るがすような大絶叫が、小春日和の浜辺に響き渡った。


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