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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.5 Into the real world
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第5章 第8話 Binary crossing point◇★

「ストップしましょう、伊藤さん」

「……致し方ありません。システムバックアップポイントを27管区構築時間五分前に設定。二十七管区構築時間を一時停止します」


 構築士補佐官たち数名が伊藤の顔を見詰める中、27管区プロジェクトマネージャー、伊藤 嘉秋は手を前に突くように、目の前に浮遊する赤いホログラフの緊急停止ボードのうち最大の長方形を弾いた。

 オペレーションルームの天井のモニタに一時停止という蛍光フォントが、けばけばしく点灯をする。


 仮想時間の一時停止。


「ストップシーケンスを開始します」

「ログイン中の全構築士の疑似脳を現実世界に帰還させてください」


 伊藤が号令を発すると、仮想世界のみならず双界連結ユニットに文字通り潜水ダイヴ中の構築士の疑似脳、およびネットワークに直結している患者達の疑似脳をシグナル途絶から保護し現実世界側に戻す為に、27管区専属の工学技官たちが慌ただしくなる。

 急に仮想世界を停止してしまうと生脳と疑似脳の連絡が遮断され、生脳に損傷が起こりかねない。

 このため、厚労省への電力供給、予備電源は幾重にもルートが確保されている。


「え、ストップですか!? そ、そんな急に」

「大変だ、早く白椋本体側の手配をしないと」


 29管区蒼雲の補佐官である川添 瑞希と、28管区白椋の補佐官である鴻池 弘人は、各自二十八、二十九管区のオペレーションルームに走って帰っていった。

 ちなみに二十七~二十九管区は同フロアで、隣接したお隣さん管区同士だ。


「全構築士の疑似脳の保護を確認しました」

「蒼雲、白椋神の疑似脳の保護も完了しました」


 しかし川添、鴻池両名のベテラン管区補佐官は迅速な対応をしてみせた。


「ストップシーケンス、問題なく受理されました。管区時間、全区画完全停止」


 タイムキーパーが宣言する。

 二十七管区時間、赤井たちの時間は仮想世界の誰に知られることもなく、現実世界側から一方的に断絶される。この半年間、世界最先端の領域に踏み込んだ二十七管区では何度となく行われてきた処置だ。

 復元ポイントを五分前と定めたのは、赤井が至宙儀の駆動に成功しコハクが無事に戻り、赤井はまだ神殿から出てきていないというタイミングだった。


 特殊水槽中でダイヴユニットに接続し拘束されている二十七管区在籍の構築士たちは、二十分後には疑似脳との接続を解かれ現実世界側に意識が戻り、特殊溶液から上がってシャワールームに入るだろう。

 もっとも、潜水式ダイヴをしている構築士ばかりではない。

 二十七管区内への簡易アクセスはヘッドギアでも可能なのだが、潜水式ほど疑似脳のリンクが緻密ではないので、アトモスフィアや構築技能は使用できず、戦闘行為なども反応速度に齟齬があり不自由をきたす。

 また、生理的な制約もあり二時間程度の連続アクセスが限度である。

 その点、潜水式では長時間のダイヴが可能で(連続潜水最長記録は25年。千年王国にて)、こちらが日本アガルタの正規のログイン方法だった。

 一般構築士たちは毎日のように潜水し、定時に帰る。


 その例外、赤井、白椋、蒼雲の甲種一級構築士を除いて。


 伊藤は蘇芳教授に指摘されて急遽機密エリアへ隔離したばかりの青年の様子を、誰にも任せず自ら確認する。

 赤井構築士……神坂かみさか 桔平きっぺいの肉体は一台14億円の大型の生体維持兼・双界連結用水槽に、最高に行き届いた管理のもとに格納されていた。

 聳え立つ濃い柿色の液体に満たされた水槽中に全身を浸し、ダイヴ用スーツは着用しておらず全裸状態。

 彼の精神は二十七管区を支える基盤であり、管区の全機能が接続・集約され、彼に仮想世界が寄生している。

 主神の精神の健全性が損なわれると、管区が壊滅すると言われるのはこのためだ。


 現状、フォレスター教授の開発した運営方式では、一人の若者を神として犠牲にしなければ、”発展し、進化し続ける、生きた”アガルタ世界を維持することができない。

 この方式を非人道的だとして、また、莫大な人件費を削減するため”生贄の神”なしでのアガルタ構築を目標とした研究開発が行われているが、まだ実現には至っていなかった。


 よって、神坂の肉体に装着されるデバイスは一般構築士の数十倍は多く、頭部に装着されたフルフェイスの双方向デバイスは勿論のこと、脊椎には多数のチューブが挿入され、筋繊維保護用の微小電極針が無数に刺され一見痛々しい、とても親族や人権団体には見せられないような姿となってはいるが、意識は疑似脳の中にあり、肉体は現実に活動しているより遥かに健康に眠っている。

 かつては伊藤も同じ状態になっていたと思うと、他人事ではない。

 だからその分、彼に起こった異常を発見しやすい。

 喉の奥に差し込まれた太い栄養補給用コードからコポ、と小さな泡がこぼれる。

 表情は安らかで、ストップシーケンスに問題はなさそうだった。

 疑似脳内にある赤井の意識は一般構築士と違って肉体に戻されることはないので、赤井の疑似脳は停止した二十七管区世界から待機空間的な仮想空間に移され、管区再稼働までそこで眠りながら稼働を待つこととなる。


 赤井の精神状態および肉体の状態を保全したまま、めいっぱい十年間、構築時間はともかく定年までのびのびと仕事をしてもらうこと。

 赤井が働きやすい環境を提供すること。

 無事に現実世界に帰還し、人間に戻ってきてもらう。

 それが27管区スタッフ達の共通の願いだ。


 さて……これからどうすべきか。

 時間を戻すも進めるも難しい。

 とはいえここはひとえに、伊藤の判断にかかっている。

 管区時間が停止されたので、アガルタ専属のプログラマたちはやむなくオフラインでのメンテナンス作業に入った。何故管区時間が停止されたのか、詮索は一切しない。


 十数名の構築士補佐官だけが、依然として伊藤のデスクを囲むように集まっている。

 白椋、蒼雲の補佐官たちもおそるおそるオペレーションルームに戻り、遠慮がちに伊藤を取り囲んだ。


「どう考えても、この先は赤井さんの個人情報にかかわることです。私たちが勝手に踏み込んでよい問題ではありません。ですが……彼のエントリ時に起きた謎のバグにより絶妙に保たれている彼の心のバランスが崩れてしまうと、それは取り返しのつかない損失となる」


 伊藤は赤井のプライベートに踏み込んでよいものか、躊躇している。 


「赤井さんの、生き別れた元彼女ってか……。何でえ、こうなってしまったんだ?」


 黒澤が苦々しい表情で頭をばりばりと掻く。

 数奇な巡り合わせ、という言葉でもなお不自然。

 最初から何かよからぬ陰謀に巻き込まれていたのではないか、そんな疑いも生じてくる。

 西園 沙織は何か赤井とメグにまつわる重大な秘密を知っていて、自殺と偽装されてアガルタに入れぬような方法で殺されたのでは……。


 伊藤も黒澤と同じことを考えていただろうか、いちだんと表情が険しくなる。

 赤井を二十七管区構築士として採用したのは伊藤だ。

 が、メグを患者としてこの管区に引っ張ってきたのは……厚労省内の別の部署の人間だ。

 彼らが一枚噛んでいるのではないか。


「患者様であるメグの記憶に手を加えることは言語道断。しかし、時間を戻し赤井さんの記憶を消したとしてもメグの記憶が徐々に完全になってくるのは避けられないし、赤井さんがメグの記憶を看破することも将来的に避けられない見通しです」


 伊藤は手詰まり感を拭えない。

 一人のみならず四十六名の患者を回復へと導いてきた、生き神のような青年。

 赤井神の怒涛の快進撃は、思わぬところで暗礁に乗り上げてしまうのだろうか。

 期待が大きすぎただけに、スタッフからは早くも落胆の声がちらほら。

 しかし、彼の足元を掬ったのが色恋沙汰だとは……所詮は彼も人間なのだな、と誰かが皮肉っぽく口にする。


「赤井さんの記憶を巻き戻したうえ、赤井さんにはメグを現実世界に戻すのでと言って他管区に移動させ引き離すか、本当に現実世界にかえってもらうしかありませんか……」


 伊藤はメグと赤井を同管区に収容しておくことの限界を感じている。

 メグと赤井、どちらが大事かといえば同等に大事である、しかし赤井の精神系が不安定化し再起不能となってしまうことによる医学的損失は甚大であった。

 メグには既に手ばなしでも回復基調にある。

 現在のタイミングでアガルタ年齢十八歳のメグを現実世界の二十二歳の体に戻したところで、精神年齢にマイナス四歳ばかりの差が生じるだけだ。

 その程度なら現実世界でのリハビリで十分にリカバリしてゆけるものだろう。


「でもよう、赤井さんの記憶を消しちまったって、メグとの絆は強えだろ。メグを赤井さんから引っぺがして、仕事に影響が出るんじゃねえのかい?」


 黒澤の危惧はもっともだった。


「彼にはメグを現実世界に戻すということは既に伝えていますし、赤井さんは覚悟している筈です。それが少しばかり早まるだけでしょう。いい悪いではなく、そうすべきです」


 議論は大いに紛糾している。

 失敗できないプロジェクトであるだけに、意見も真っ二つどころか、喧々諤々、補佐官同士で議論が飛び交う。

 誰もが討論に白熱し背後をすら気にかけていなかったそのとき、27管区オペレーションルーム中央部にグレーのスーツの大柄な青年がゆったりとした歩調で歩み寄ってきた。

 短いながらに整えられた鮮やかなブロンドが目を引く。


「Why don't you ask him about the view of that?

(どうしたいか彼に訊いてはどうかね)」


 彼は少しフランス訛りのある英語を話す白人男性。

 名をジェレミー=シャンクスという。

 訛っているのは、彼がケベック人(フランス系カナダ人)だからだ。

 日本国第二公用語は、2090年に世界標準言語として制定された新国際標準言語であるが、これを好まず、母国語以外に第二言語として英語を話す人々も多い。

 日本アガルタには多数の外国人構築士、プログラマが在籍しているため、オペレーションルーム内には三か国語が飛び交う。

 スタッフは無国籍状態だが、27管区の外国人構築士はシャンクスだけだった。

 シャンクスは二十七管区唯一の使徒エトワールとして重用されており、妻の長女出産に伴い長期休暇を取得していた。

 それを返上しての出勤である。


 伊藤は彼の姿を見て、ほっとしたように顔をあげる。

 いつ見てもクールな青年だ。

 シャンクスは以前千年王国で東方の三賢者(イエスの誕生に際して現れた)が一人、メルキオール役を務め、伊藤が頼み込んで引き抜いてきたベテランの構築士だった。

 伊藤より年下ではあれど有能で博識、キャリアも十分、おまけに伊達男ときている。

 彼はグレーのスーツにロイヤルクレストの赤いタイなどつけていた。

 赤井にはナルシストだと揶揄されていても、伊藤は彼をロマンチストだと思う。

 その意味でも、他の意味でも、伊藤はこの構築士を高く評価している。

 第一区画構築後、彼が27管区に残留してくれたことを伊藤は心から喜ばしく思っている。


「なんでえ、エトワールじゃねえかい。戻ってきやがったのかい」


 エトワールの補佐官の黒澤が口元にニヒルな笑いを浮かべる。


「Welcome back, Etoile. Congratulations on your newborn baby.

(おかえりなさい、エトワール。出産おめでとう)」


 伊藤はまず、彼の待望の第一子、”未来望みらの”の誕生を祝う。

 当て字のような大層な名前だが、語感は悪くない。


「I appreciate your good wishes. Anyway, all you have already seen that the past methodologies, the past approaches, have not worked.Don’t be afraid to defer all decisions to him.

(おかげさまで。ともかく、これまでの方法、アプローチでは上手くいかなかったんだろう? なら、彼に全ての決断を委ねてはどうだ)」


 その後のシャンクスの提案は、伊藤の作成したシステム修復ポイントを起点として赤井に対処の判断を委ねようというものだった。

 メグの正体を知ったまま構築を続けると言えばそれを尊重し、構築時間を継続する、忘れたいと言えば修復ポイントに戻り記憶を消去する。

 記憶を保持すると選択した場合、構築時間が進むにつれメグの正体を知ったことによる赤井の精神状態に悪影響が出ていると客観的に判断されれば、赤井が拒否しても強制的に修復ポイントに戻る。

 特に変化がないようであれば続行する。

 この案を採用した場合、二十七管区が負うリスクは皆無だといえた。


「なるほど。それが最善のように思えます」


 伊藤も同意した。

 過去に戻る場合、何度だって歴史はやり直せるのだ。

 現実世界では決してやり直しができないこと、どんな挑戦も可能だ。

 杓子定規に仮想時間内千年とさえ定めなければ、コンサバティブになる必要はなかった。

 赤井のことが心配だったから戻ってきたんじゃないのかい、と誰かがふざけてシャンクスに尋ねると。


「No way. My wife and daughter went home to see my parents in low.

(まさか。妻と娘が実家に里帰りしてしまったからね)」


 サボっている暇があったら稼いでこいと妻に言われて、と体裁悪そうに肩をすくめる。シャンクスの家はなかなかの恐妻家なのだ。緊迫していた場がほっこりと和み、くすくすと小さな笑いが起こる。


「Well, Just leave it to me.

(まあ、この件はまかせとくれ)」


「Are you going to dive into cyberspace after this?

(これからダイヴするのですか?)」


 ダイヴするついでということで、赤井への言づてを頼む伊藤。

 I型バイオクローン作成の希望の有無について、詳細はボードのメッセージボックスをチェックするようにと。

 I型バイオクローンという物々しい単語を聞いて片眉を吊り上げるシャンクス。

 心なしか、碧色の眼光が鋭くなったようにも見える。

 彼はバイオクローンまで準備しなければならない、裏の事情を詮索する。

 それは、超神具「至宙儀」を実装し実質アガルタ最重要神として認識された赤井の身に、新たなる脅威が降りかかっているということに他ならない。


「No kidding? You know Type I bio-clone costs almost 500 million Yen per one unit.

(本気で言っているのか? I型バイオクローンは一体あたり五億円はかかるわけだが)」


 予算の問題だってある。

 厚労省の予算も決して余裕があるわけではないのだ。

 何しろシステム管理費とサーバー、人件費だけでも馬鹿にならない。


「That's entirely correct. Be prepared and have no regrets.

(その通りですよ。備えあれば何とやらです)」


 伊藤は公の場では事情を話したがらない。


「I see…

(ふーん)」


 彼は口を尖らせ、赤のタイを緩めながら、構築士のダイヴスペースへと向かう。

 ダイヴ用ウェットスーツの赤い蛍光のラインが、ぱりっとしたシャツの下から透けて見えた。

 ログイン用スーツを着てくるあたり、やる気は十分と見える。


「では、頼みましたよエトワール」


 伊藤の指示で、27管区構築時間のリスタートシーケンスが開始される。

 停止していた時間は十五分少々であったため、構築士たちは水槽から出ることなくそのまま疑似脳に接続しなおす。


「サーバー稼働率、エリア再稼働率……100%、カウントします。3、2、1……復旧完了しました」

「ステータス全正常。環境パラメータにも異常なし。構築士の管区内接続を開始してください」


 再びあわただしくなるオペレーションルーム。

 一時停止と再稼働は、下手をするとシステムを吹っ飛ばしてしまう危険性があるため、慎重にも慎重を期さなければならない。


 仮想世界の時は、再び歴史を刻み始めた。


「甲種二級構築士、CAN203、”Etoile(エトワール)”がサイバースペースにエントリします」

「疑似脳コードCAN203、エントリルートとポートを確保。モニタリングステータス全表示」

「CAN203、構築士にエントリプラグを接続しました。心電図、体温、バイタル、及びホメオスタスシス、酵素代謝に異常なし」


 次々と読み上げられ、エントリのためのチェックポイントを通過する。


「接続を許可します。開始してください」

 

 疑似脳接続開始数分後、仮想世界の空に(天)と描かれた転送ゲートが穿孔する。

 そのゲートから光束が受肉し生まれ落ちた天使エトワールは、新しい緋色の翼をひとつ大きく羽ばたかせ快晴の空に蜃気楼を描いた。

 誰もが見惚れる、洗練されたエントリであった。


 エトワールのエントリを見届けた後、伊藤は館内通信でアガルタの主任技官をデスクに呼んだ。

 とある大型機器の発注を行うためだ。

 黒いツナギを着た壮年の主任技官が、物品発注用モバイルを持ってやってきた。


「お待たせしてすみません、伊藤マネージャー。調達の件でしょうか」

「わざわざお呼びして申し訳ありません。X-01クラスのサーバーを一つ、見積もりのうえ手配してください」


 主任技官はハトが豆鉄砲を食らったような顔をしている。

 アガルタ一管区分のデータが格納できる規模のサーバーである。

 正直、伊藤の独断で動かせる規模の設備ではないのだ。


「何故、その規模のサーバーを? バックアップ用ならばもう少し小規模のものでも」

「管区新設を行います。予算は概算122億、私個人に寄せられた国際基金の外部予算を執行します。許可は大臣と円山長官に一週間前にとっています、ここに」


 伊藤は技官に書類を見せる。


「しかし、空間開闢くうかんかいびゃく用の至宙儀は赤井神が所有しておりますし、構築士を今から募集するとしても……予算が不足していますが」

「一時的に、米国アガルタより相転星(相間転移星相装置:SCM-STAR)を拝借しました。空間開闢は可能です。人件費は必要ありません」


 神具の中でも特殊な性能を持つ超神具ちょうしんぐと呼ばれるものは、新規にアガルタサーバを開始する、つまり宇宙開闢を可能とする性能が実装されている。

 日本アガルタにある超神具は生体神具である至宙儀のみであり、赤井に装備されているため今は使えない。莫大な神通力を食らい尽くす米国アガルタの超神具・相転星を扱える伊藤は、米国アガルタ上層部に頼み込んで、短期間借り受けていた。

 相転星は至宙儀と対をなす、難易度の高い超神具である。


「伊藤さん、何を考えておられるんです?」

「帰還する患者様が、すみやかに社会復帰を果たすための現実世界馴化管区げんじつせかいじゅんかかんくを、新設しようと考えています。私が責任を持ってやります。これは私の個人的な思いつきですから、ボランティアでね。他の構築士のサポートはいりません」


 確信を持って、伊藤は一語一語噛みしめるように言い放つ。

 彼が、三度みたび神を演じる。

 それを覚悟の上での発言だ。

 現実世界をそのまま仮想世界にコピーする場合には構築年数はさほどかからないが、やはりその世界を支える維持士、つまり生贄の神が一柱必要なのである。


「患者様の記憶をそちらに移動させるとなると、倫理委員会に通さなくては」


 GCP省令(臨床試験の実施の基準に関する省令)に基づく治験審査委員会(IRB = Institutional Review Board)にその是非を問い、承認される必要がある。しかし、伊藤は


「現実世界に出ていない患者様の記憶は、私たちがデータとしてお預かりしています。どのようなプログラムで社会復帰いただいても、それが人道的措置である限り法的には何ら問題はありませんし、倫理委員会にもそのように報告しています。そのプログラムも包括して、承認済みだということです。現実世界にぶっつけ本番で御帰還いただくのは無謀でしょう。その点、患者様が現実世界の環境に馴化できなければ安定していた頃の記憶にまでさかのぼって巻き戻しをかければ、患者様も安全ですし」


 ついに、患者たちの帰還準備に突入したのか。

 そう思えば、管区スタッフ達は胸に迫るものがある。

 しかし、優れた指揮官であり指導者であった伊藤を、こんな形で失ってもよいのだろうか。

 伊藤が維持士となってしまったら……二十七管区の指揮は誰が執るというのか。


「ああ、それは私が継続して仮想世界内部から指揮を執ります。大丈夫、私は仮想世界には慣れていますから」


 治療を終えた患者の為に仮想世界中に現実世界を創りだし、現実世界がどのような世界であったか、思い出してもらうこと。

 患者の安全な現実世界帰還の為にワンクッション置く。

 

 伊藤は自らの決意を確かめるように、大きく一つ頷いた。

 赤井を犠牲にし、彼に全てを負わせ自らが安全な場所でのうのうとしているわけにはいかない、伊藤は焦燥感を憶えていた。


「管区責任者ですから。このくらいは、させてくださいよ」



 実際そんなことはないんだろうけど、時間が長らく止まっていたような気がする。

 この抱擁は、いつもの祝福以上の意味を持っていた。

 私は今、彼女と魂の部分で重ね合わさっているのかもしれない。

 現実世界にいた頃より彼女との距離は縮まっている。

 私はこの力を込めれば折れてしまいそうな、かよわくて愛おしい存在を全身全霊で抱きしめている。

  

 私の推測が正しければ、彼女の真の名はあずま 愛実まなみ

 私がかつて焦がれるほどに想っていた、以前付き合って、二年という時を共に過ごし、ある日別れも告げず失踪してしまった現実世界での元彼女。

 彼女がこんなに近くにいただなんて……奇蹟という以外に、私はあらわすべき言葉を知らない。


 抱擁しながら、罪悪感を覚えつつもメグに看破を試み、彼女の記憶から得られる限りの手がかりを引っ張り出して繋ぎ合わせようとした。

 しかしそれはすぐに徒労に終わる。

 私には彼女の過去を見通す力は備わっていない、それでも彼女の記憶の表層には、北海道の大地から見上げる宇宙の風景があった。

 彼女は私の名と、そして北海道の空の色を憶えていた。

 彼女の隣には私がいた筈だ、それを憶えているだろうか。

 しかし彼女はもう、現実世界の夢なんて見たくないと願っている。

 現実世界での私との記憶を捨てたがっている……この世界にずっといたいと。

 それがメグの願いだ。


 愛実まなみ

 どうして君は、こんなところにいるんだ……。

 理由を話してはくれないか。


 心の中で訊ねても、どうにもならない話だった。

 私は彼女に名乗ってはならないし、名乗ったところで彼女が地に文字を書いたその相手だと信じてはくれないだろう。

 記憶が完全かどうかもわからない、そもそも憶えていかも定かではなかった。

 私が現実世界に戻る頃には、お互いに三十二歳。

 現実世界に帰還した彼女は、決して私と交わることのない彼女の人生を送ってゆくのだろう。

 あるいは、私という神がいたことすら、ゆくゆくは忘れてしまう。


 すれ違ってしまったんだなあ……私は奥歯をぎゅっと噛みしめる。


 もしかしたら、ここで再会できただけでも幸せだったかもしれない。

 知らず、涙が頬を伝っていた。

 メグから死角になっていることをいいことに、私は白衣の裾でさりげなくそれを拭う。

 真正面にいたロイだけはもしかしたら私の情けない姿を見ていたかもしれない。


 忘れてはならない。

 私は十年間を仮想世界で過ごす囚われの神だ。

 私は赤井で、そして彼女はメグだ。


 メグとして接しなければならないんだ、お互いのためにも。

 与えられた役割を全うしよう。

 私が揺らいでだめになってしまったら、仮想世界が崩壊してしまう。

 沢山の人々の血と汗の滲むような努力、多くの願いの末に築き上げられたこの箱庭、この楽園。

 楽園に生きる私の民、安住する彼ら。

 そしてなにより彼女の為を思えば、無事に現実世界に送り届けなければ。

 それがどんなものであれ、彼女の人生を彼女の足で、力強く悔いなく歩んでもらわなければ。

 彼女に何があったのかは知らない、しかし事故に遭って脳を損傷してしまったということだけは明白だ。彼女は今も生死の境をさまよっている。

 

「かみさま……」


 私の気配が普段と違うことに、力加減の違いにメグは気づいたのかな。


「だいじょうぶですか? 本当に、どこにも行きませんよね?」


 メグが泣きそうな声でそう訊くので、


『ずっと傍にいますよ、ずっと……』


 先ほどと同じ言葉を繰り返した。震わせずに声を出すのが今は難しい。

 私は彼女に嘘をついている。

ずっとはいられないんだ、メグ。私たちはずっと一緒にはいられない。すれ違ってゆくんだ、私と君の人生は。かつては同じ道を歩むものだと夢見ていたけれど。


 その気持ちは、本物だったんだよ。


『赤井神、どうなされましたか?』


 白さんが何か気付いたらしく声をかけてくれるけど、私は言葉に詰まって応じられない。

何とも微妙な空気になっていると。


『あれは……エトワル先輩! きゃー、翼カラーチェンジしてる! 真っ赤~!』


 モフコ先輩が空を見上げておーいと手を振ってる。

先輩、空気を読んではぐらかしてくれたのかな。

私もつられてモフコ先輩の視線の先を見ると、極楽鳥のようなグラデーションの混じった緋色の翼を背負ったエトワール先輩が流星のような軌跡を描き、ふわりふわりと舞い降りてきた。

先輩、本当に久しぶり。


『やあ、神様にモフコくん。ロイ、メグ、ごきげんよう。そして蒼雲、白椋の二神、お初にお目にかかる。赤井神の使徒エトワールだ、よろしく』

『おー、エトワール先輩じゃない。噂は聞いてるよ~』


 蒼さんは先輩のことをよく知っているようだった。

白さんもだ、先輩はそれなりに有名な構築士らしい。


『お目にかかれて光栄です、エトワールさん。緋色の翼にかえられたのですね』


 先輩と固く握手を交わす白さんと蒼さん。

先輩は挨拶もそこそこに、つかつかと私の方に近づいてきた。


『神様に用件があるんだが、ちょっと借りてもいいか? 五分とは待たせない』

『あーどうぞどうぞ』


 蒼さんは興味なさそうにぺらぺらと手を振る。


『メグ、悪いけど少しお邪魔をするよ』


 エトワール先輩は、私の腰のあたりにしがみついているメグを、背後から両肩に手を添えて優しく引きはがす。ジェントルメンですね先輩。

すみません、私ぼーっとしてて気が利かず。


「はぁ-い……」


 メグは仕方なしといったように私から離れる。

私はメグロイに、白椋さんとコハクに自己紹介をして、皆で仲良くしていてくださいね~とわざと明るく告げ、トンと軽く地を蹴って先輩と共に空に舞う。

私とエトワール先輩が人目を憚る話をするといえば、決まって空中だ。

空中なら素民は誰も聴けないしね。


『お久しぶりです先輩、お待ちしてましたよ』


 まずは先輩と適当に雑談。

長女誕生おめでとうございますだの、その赤い翼似合ってますねだの、どんな心境の変化なんですか、だの聞きつつ


『お子さんの動画、ありがとうございました。いや~、未来望みらのちゃんすごくかわいかったですよ~!』


 私は何か疾しいものを隠すように、先輩のお子さんを誉めそやしてた。

 実際、死ぬほどかわいいんですけどね。

 写真見てびっくりしましたよ私。

 あ、でも先輩、何かもどかしそうに片眉を吊り上げた。

 何そのリアクション。まさかお察し?!

 私は緊張で身をカチコチに固める。


『それは置いておいて、だ』


 エトワール先輩、思わせぶりな表情で私をガン見。

 その語調、表情だけでああやっぱバレてるな、と察しがつく。

 そっか、エトワール先輩は看破で私の心の中を読めるんだったな。

 たった今何があったかなんて楽々お見通しってわけだ。

 そうやっていつも、私が何か悩んでないか気をつけてくれてたんだろうけど。


『は、はい』


 私は思わず背筋を伸ばして気をつけの姿勢になる。


『単刀直入に訊くぞ。君が手に入れてしまったその記憶、どうしたい? オペレーションルームではその存在が非常に懸念されている。消してしまいたいか、持っておきたいか。どっちだね。君の意志は最大限尊重される。ただし、君がこれまでと変わらずにいることが大前提だ』


 うっ! 現実世界スタッフまでこのこと知ってるんだな、リアルタイムで外に知られてるってことか。 前は別に私の心境なんて把握してなかっただろうに、西園さんの件があってから監視が厳しくなったのかな。

 そりゃそうか、先輩が私を看破できるなら、伊藤さんにだって遠隔から看破できるってことなんだよね。こんな速攻で対処されると何か怖いよ。でも……


『考える猶予はないと思うぞ』

『これは持っておきたいです』


 私は精いっぱい、動揺を悟られぬよう先輩の目を見て宣言した。

 どうしてそう言ってしまったのか分からない。

 今後、自分の感情を制御できるんだろうか、性別をなくした私に恋愛感情はなくなっているに違いないけれど、愛実との忘れがたい思い出はある。

 彼女がメグであったと知ってしまって、私はこれまで通り心を揺らさずメグとして接することができるかというと、自信はない。


 しかし、自信のあるなしではなく、やらなければならない。

 私が彼女の正体を憶えていれば、彼女が二年前急に失踪した理由と、ここに彼女が患者としている理由が分かるかもしれないんだ。

 忘れてしまったら、私は真相を知ることができず、胸のつかえるような心境をいつまでもうじうじと引きずって、悪夢に魘されるように時折思い出しては煩悶することしかできなかった。


 私が前に進むためにも。

 憶えておきたい。

 彼女は黙って私の元を去るような不誠実な人じゃなかった。

 それはこの九年間、彼女に幼いころからメグとして接してきて再認識している。

 彼女はあの時と変わらず正直で、無邪気で、優しく、そして真心のある女性だ。失踪したのには何か理由があったと思いたい。


 あの日、何があったのか知りたい。それを知って、心に区切りをつけたい。

 もし彼女が助けを欲しているというのなら、私はこの身を投げ打ってでも力になろう。必要としていないのであれば、彼女を静かに現実世界に送り出して、時の過ぎるに任せて忘れてもらうだけだ。

 それで私は、過去と決別し新たな道へ進むことができる。


『赤井君、君はまだアガルタの神でいられるな?』

『はい!』


 私は自分の気持ちを鼓舞するように大きく頷く。

 ありがとう先輩、踏ん切りがついたよ。

 先輩の話によると、愛実の存在が私を大きく悩ませてしまうようなら、容赦なく伊藤さんに記憶を消されてしまうそうだ。

 ……当然だと思う、そうされるべきだと思う。

 ただ、どうして彼女がここにいるのか。

 その経緯を伊藤マネージャーには後でどうしても教えてもらおう。


『平常心を保ちます』

『その意気だ。君は大樹さ、倒れてもらっては困る。頼んだぞ、赤い神様』

『はいっ!』


 演じよう。千年、私はアガルタの神を。

 とっくに引き返せない場所にいるんだ。


 彼女を救うため、アガルタの民の為、私が任されている患者さんとその家族のためにも、無事に現実世界に帰還してもらわないと。

 現状、私がこの仮想世界での治療を可能とする、最初にして最後の砦なんだ。

 自分の事ばかり考えていてはいられない、彼らの命、人生はこの手の中にあり、私は彼らの運命を一身に背負っている。


 余計なことはもう考えまい。普段通りの私に戻るんだ。


 私は頬を両手でパン、と叩き気持ちを切り替える。頬がじんじんと腫れて痛い。

 今はその痛みと気圏を渡る冬の風の冷たさが、妙に心地よかった。


『それから、伊藤PMからメールが来ているから後でインフォメーションボードを確認してくれ』

『わかりました。必ず目を通しておきます』


 と、いう訳で気持ちを切り替え、何食わぬ顔でにこやかに地上に降りてきました私達は……。


 あれほどロイのことを怯えていたコハクと、一方的に暴君として怯えられてたロイがすっかりうち解けて、仲良く楽しく談笑してるのを発見してびびりました。

 政治談議に花が咲いているみたい。

 何でも、コハクからの申し出で、ロイとひと試合やりあったとのこと。

 出会いがしらに肉体言語で語り合っちゃうのか。

 いかにも高性能A.I.らしいよね。

 メグからの貢物の花輪を頭に載せた白さんとメグも何か真剣に話し合ってるし、女同士のガールズトーク? 人間姿のモフコ先輩と蒼さんは、構築議論について色々話し込んでるし。


 これは……みんな打ち解けてくれたのかな? 

 後で二柱とコハクをキララにも紹介しておこう。また肉体言語で語り合っちゃうかもしれないけど。

 それはそれであっさり後腐れなくていいのかもしれない。


『赤井君、ところで競技祭典と新使徒の採用の件どうなった?』


 そうでした。

 言われて思い出しましたが忘れてませんよしっかり覚えてます。

 実は一週間後、モンジャ、グランダ、ネストの民の平和と友好を祈念して、二十七管区世界初の競技祭典オリンピックを開催することになっていたんです。

 そのための準備を皆で仲良く、水面下で着々と進めてきました。

 聞いてなかったって? そりゃ、内緒にしてましたもん。

 こういうイベントは国民の皆様には直前に発表した方が盛り上がるでしょう。

 民たちは勿論知っていますよ、そして競技場もモフコ先輩が既にグランダの東のあたりに建設して準備してくれています。

 競技は短距離走、カルーア湖畔での長距離走マラソン、槍投げ、自由形水泳、格闘技(立ち技)、剣術、弓術の豪華ラインナップ。

 男女それぞれの部を用意したよ。

 私も民も、とても楽しみにしていました。


 折角だからコハクも出てくれないかな、皆と仲良くなれそうだし。


 そして新しくこの管区に入ってくれる天使さん達の面接予定日、そういや明日でした。

 うっかりしてたよ。

 暫くはイベント山積みだ、忙しくしていたら気分が紛れそう。


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